初めての副業16
そして、帰路。
三人で潜入したときは最後の行程は徒歩だったが、今度は大勢の兵士と助け出した労働者、捕らえた人間も一緒の大所帯で、しかも馬車も山ほどいる。
その光景にフライネルは感慨深げにため息を漏らした。
「驚いたな。館の回りには何重にも結界が張り巡らしてあったのに…」
そう言って、自嘲するように、そしてなかばすっきりしたように、続けた。
「風は完全に一族を見限った訳か」
「今精霊が愛でている魔力はへティのものだから、正確に言えばそうでもないのだがな」
物言いたげなフライネルの視線を受けて、ファレルはにやりと笑った。
「安心しろ。へティをここに縛り付けるなどと非生産的なことはしない。精霊は本来生け贄など必要としないし、使役されるべきものではない。もとの山に戻るだけだ」
聞きようによっては生産的なことにへティを使う気だともとれる言い方である。それに、彼女を使う気がなくとも、精霊と取引ができる魔力の持ち主が、そうと分かった上で野放しにされるほど甘くはないと、自分もその立場にあったフライネルには容易に想像できたのだろう。彼の表情は晴れなかった。
しかしここで、出発の準備ができたという知らせが届いた。
ファレルはクリスと共に馬車に乗り、子供たちとフライネルは荷物と同居する。馬車の数は足りていなかったので、他の労働者と同乗でなかったのは積もる話のある親子への配慮だと言える。
へティとフライネルは10年の空白を埋めるべく、喋りにしゃべった。主にへティが家族の様子を話し、フライネルが更に詳しく知ろうと質問をした。
おかげで同乗していたルーもかなり一家の内情に精通した。幼いへティが父を探そうとして山で迷子になりかけたことやへティの名字が母方のものであることに始まり、今年14になる弟の初恋の相手まで知った頃、話は今回の旅のことに移った。
「え?!まさか本当に、ルー君とファレル様と3人きりで旅してきたわけ?」
「うん、そうだよ」
「ちょっと待って、へティ。お父さんの間違いでなければ、へティは今年で16歳だったよね?」
「うん、覚えててくれたんだ」
うれしい、とにこにこする娘にうっかりでれっとしかけながらも、フライネルがはっと頭を振る。
「そうじゃなくて、へティ!年頃の娘が、男二人と旅って!」
「男二人って、お父さんたら」
苦笑するばかりで取り合おうともしない娘を問い詰めるのを諦めたのか父親は、ぐいとルーへと向き直った。
「少し、話をさせてもらえるかな?」
にっこりと笑った「おとうさん」にルーの営業スマイルがひきつる。しかしヘティがのんきな口調のまま、父親の袖を引いて言った。
「ファレル様はね、身分も年もぜんぜん違う上に想い人がいらっしゃるでしょ」
「いや、だけどねへティ」
身分が違おうが年が違おうが、遊びならば何の関係もない。むしろ、身分が違うからこそ、慰みものにされても泣き寝入りするしかないというのにと、ルーは呑気すぎるへティに呆れた。
父親もそういった汚い現実を娘になんと説明しようかとさぞ困ったのだろう。フライネルが頭を抱えたところに、へティが朗らかに言い放った。
「それにルーは私のお姉様なんだから」
「…お姉様?」
確認するように寄越された視線を避けながら、ルーはこっそりため息をついた。
「そうだよ。すっごく頼りになる親友。私、ルーに憧れてお屋敷で働くことになったの」
「へぇ…そうなの?」
いまだ疑惑のまなざしながら、フライネルは10年ぶりに会う娘にそれ以上強く出られなかったらしい。仕方なく眼差しだけでものを語るように、じいっと見つめられながら、ルーは仕方なくにこりと笑った。
「ええ、そんなものです」
麓の街で労働者は解放され、バッフル家の主犯たちも牢へと移送された。
フライネルがそちらに連れていかれなかったので、へティはたいそうほっとした様子だった。
そこから先はファレルの正式な侍従だというクリスと合わせて5人での旅となった。…というと行きと大して変わりなく聞こえるが、実際には馬車二台に前後左右を騎馬の護衛がぞろぞろとついてくるという仰々しさだ。街道を行けば基本的に相手が道を譲ることもあり、お忍びで尾行しつつだった行きに比べると、かなり短い時間で戻ることができた。
街に着くと、そのまま馬車はへティの実家に向かった。フライネルは後程また呼び出しに応じることを条件に、10年ぶりに我が家へ帰ることが許されたのだ。
宿の前で一家は感動的な再会を喜び合った。騒ぎを聞き付けた近所の人々も集まって、皆が良かった良かったとフライネルの肩を叩いた。ただし、父の失踪当時まだ物心ついていなかった妹は、写真でしか見たことのない父親にびっくりして叔母の後ろに隠れていたが。
「お前も今日くらい家に泊まればいいだろうに」
一度も泣かずに宿と家族を守ってきた気丈な母親が、ぼろぼろと大粒の涙を溢すのには、へティも一緒に涙ぐんでしまっていた。けれどへティは、きりりと目元に力を込めてこう答える。
「いえ。それでは、送り出してくださった奥方様に申し訳がたちませんから」
へティは律儀にも家族と別れて仕事場に戻るというのだ。ファレルは彼女の銀の頭を撫でた。
「よかったな」
「はい。本当に、ファレル様や奥方様のお陰です。ありがとうございます」
心底幸せそうな顔をした少女に、ファレルはいたずらっ子のようににっと笑った。
「エレノアを悲しませずにすんで、こちらも助かった。お前の父親には複雑な顔をされたがな」
そんな和やかな会話をしながら、再び馬車は出発し、館までの道のりをのろのろと進んだ。きらびやかな容姿をさらしたファレルと彼を取り巻く護衛たちは、明らかに別世界の人間で、彼らを一目見ようとつめかけた人間で通りは溢れかえっていたのだ。まるで祭りのような人出に、馭者は速度をあげられなかった。
このとき、誰かが気づいていれば、この先の彼らの人生はまったく違ったのかもしれない。いや、最終的には同じ場所にたどり着いたかもしれないが、それでも、もっと緩やかに、穏便に物事が進んだのは間違いないだろう。
しかし、誰も気付かなかった。
たくさんの護衛たちも、馬車に揺られる人々も、祭り気分でそれを追う人々も。
その群れのなかに、馬車を睨み付けるぎらぎらとした目があることに。




