初めての副業15
幕切れは呆気ないものだった。
ファレルは巧みに風を操り、扉を壊した。そしてあの階段上の部屋にいたヘティの父、フライネル·バッフルを解放したのだが、一行が館の外に出ると、すでにたくさんの兵士が一族の人間を捕縛していたのだ。
ファレル曰く、もともと何かの魔法で館を隠しているのは承知していたから、その術がとけ次第、味方が踏み込めるように手配してあったらしい。
そんなそぶりは微塵もなかったので、ルーはまた胡散臭いものを見る目でファレルを見た。しかし、次々と解放されて歓声を上げる労働者を見て、表情を変えた。
「…ここの人たち、これからどうなるんですか」
「身元や労働条件の聞き取りをしてから、それぞれの家に帰すことになるだろうな。ああ、クリス」
ファレルは近づいてきた兵士の一人を呼んだ。
「やっとお呼びですね」
呆れたように言った青年が、よく見ると他の兵士とはかなり格好が違うことにルーは気付いた。剣を帯びてはいるが、体格や立ち居振舞いが妙に洗練されていた。
「貴方は全く。いい加減、こちらから押し掛けようかと思ったところでしたよ」
「気が短いぞクリス」
「おっしゃっていた通り、馬車の通れる道も見つかりました」
「精霊に頼んで目眩ましも全て解いているからな」
「また、貴方はそんな危ない真似を。少しは立場というものをお考えください」
「万事うまく行ったのだから、いいだろう」
彼らのやり取りから、やはりファレルが上位らしいことや、彼も精霊を知る人間であることなどを見てとりながらも、ルーは時折集められた労働者の方へ意識を飛ばしていた。
そんな彼に、ファレルがちらりと目をやる。
「それで、だ。こいつを事後処理の手伝いに混ぜろ」
青年がルーを見下ろした。淡々と、しかし真価をはかるようにじっと見つめられ、ルーは緊張を押し隠しながら立礼した。
「彼は何者ですか?」
「侍従だ。ハロルドの館から引き抜いてきた」
「…たしか、女の子を連れ出したとだけ聞いていたのですが。君、名前は?」
それはへティのことだろうか、それとも自分のことだろうかと、ルーは内心で冷や汗をかきつつ、生真面目そうな顔をつくって別のことを口にした。
「ルークです。ファレル様から副業のご命令を受けて同行しました」
年相応に利発そうに見えるよう、不自然でない程度にきびきびと話す。初対面のこの場面、使えそうだと思われておきたいが、警戒されないことも必要だから、ルーの演技に余念はない。なにしろファレルがなんのフォローも入れないのだ、ここまできて、知りたいことまであと一歩というところで、不審人物として排除されてはたまらない。ルーは本気だった。
にっこりと笑顔を作って、しばらく見つめあう。クリスの方も、穏やかに微笑みながら値踏みを続けている。ルーがこの緊張に耐えかねてたじろいだり、いらいらしたりして、演技が途切れるのを待っているのだろう。
やがて、くあっとファレルが飽きたように品のないあくびをした。
それをあきれた顔で見ると、クリスはため息をついた。
「全く。困った人ですね私の主は」
それから彼はルーの方へ振り返った。
「とりあえず、手伝ってもらうことにするよ。おいで」
クリスに許されて、ルーは願った通り労働者解放の手伝いに回ることができた。
結果的には、そこにルーの探し物は無かったのだが、ともかく無いという事実が分かったことだけは成果と言える。そして本来の手伝い自体は順調に進み、明け方には全てのものも人もあるべき場所に収まり、一段落ついた。
あとは順番に出発するだけだ。不当に近隣の村村から徴集され、労働を強いられてきた人々も麓まで一度降りて、そこから帰宅の手続きを行うそうだ。
完全に徹夜をしたルーは軽く目眩を感じていたが、興奮のためか眠気は感じなかった。
それで、馬車で眠っていていいという言葉を断り、クリスについてファレルのもとへ戻っていた。不思議なことに彼らはルーが詳しい話を聞くことを禁じなかったから。
二人が部屋に入ったとき、ファレルは、フライネル·バッフルから一族の事情を聞き出していた。
「なるほど、一族の系譜と儀式については大体分かった。それで結局、お前は軟禁されていたのか」
「はい。兄にはあまり魔力がなかったので」
「やはりな。バッフル一族は、昔から風の精霊に巫女をたてて力を得ていたと言ったな」
「巫女と言いますか、ここでは『風の愛し子』と呼ばれるのですが、まあていの良い生け贄ですね」
魔力を捧げる代わりに一族に力を与えるように、願いをかけるのだという。遥か昔から伝えられてきたこの契約だが、当代はその魔力の供給もととして、適した人材がいなかった。
そのため、若くして家を飛び出していたフライネルがずっと探されていた。偶然へティが桁違いの風の魔力もちだと噂になったとき、領主の館に置かれていた一族の監視役から連絡がいき、居場所がばれたのだ。
「しかし、そのくらいの魔力があれば、兄の言いなりになる必要はなかっただろう。なぜ、生け贄に甘んじていた」
フライネルは重たげに口を動かした。
「…私が逃げれば、代わりが探されると思えば…手も足も出ません」
「なるほど、この十年間、娘を人質にとられていたようなものだな。だから、あの扉を壊そうともしなかったわけか」
「ここから逃げることは簡単でした。それくらいは、兄たちも知っていました…だから、鍵もお飾り程度だったでしょう。あれは、単なる嫌がらせですから」
お前が逃げれば、娘が籠の鳥になるのだと、そう思い知らせるためだけの鍵なのだ。
そう言外に滲ませる彼の隣には、ぴったりとへティが寄り添っている。心配そうに、しかし普段より猫目に力を入れてしっかとやりとりを見守っている。父の言葉は一言も聞き漏らすまいというように。
「そうやってお前を言いなりにして、長年、この一族は精霊の力を後ろ楯に魔石の横流しをやっていたわけだ」
「はい…」
脅されて利用されていたとはいえ、自分の関わった犯罪だ。苦しげな声を出したフライネルを一瞥し、ファレルはすっとルーに視線を動かした。
「そろそろ出発だろう。お前たち、馬車に果実酒とビスケットを積んでおけ」
へティは離れがたそうだったが、主であり今や父親の恩人でもあるファレルの言葉に、しぶしぶ立ち上がった。
二人は部屋を出て歩き出す。
特に指示はないが、食糧はファレルの配下らしい兵士たちに言えば貰えるだろうから、そちらに向かう。しかし、兵士はもともと馬車の近くに集まっているのだから、この仕事は出発間際でもよかった。
ルーは、これはファレルの気遣いなのだろうかと考えた。しかし、あのちゃらんぽらんでふざけた胡散臭い人間が、そんなことをするだろうか。
「ルー、大丈夫?」
「は?」
声をかけられて、ルーは思考の淵から浮上した。
「だって…誰か、探していたんでしょ?」
ああ、とルーは納得した。今黙っていたのは別のことを考えていたせいなのだが、へティはルーが落ち込んでいると勘違いをしたのだろう。
「別に、確かに探していた人は見つからなかったけど、そんなの慣れっこだし」
それよりも、ようやく見つけた父親が自分のせいで脅されて、犯罪に荷担させられていたと知る方がショックではないのか。
「あんたこそ、平気なふりしてるよ」
ずばりと指摘してやる。
しかし、彼女は首を横に振った。
「私は、平気だよ。だって、お父さんがこれからどんな罪に問われても、一緒に償うから」
へティが落ち着いた目でそう言ったので、ルーは眉をあげた。
「相変わらず馬鹿だね」
「何で」
「そんなことにならないように、あの人はあんたを盾に脅されたってところをしつこく確認してたんでしょ。それをあんたのいる前でやったのだって、安心させるつもりだったんじゃないの」
ヘティは黒々とした瞳で、ルーの顔を見つめた。
「…そう、かな」
へティの声にはまだ疑いがあった。それを聞いて、ルーは自分も半信半疑だったくせに、むきになって主張した。
「何?何か反論があるわけ?言っとくけど、あんたよりは俺の方が洞察力あると思うよ」
言いながら、なぜ自分はこんなことを力説しているのかと、ルーは自問する。
それから、こいつに細かいことをぐるぐると考えさせたくないからだ、と自答した。どうせそうなると、要領の悪いこいつはミスを連発するから、迷惑なのだと。
強めの口調で言葉を封じられたへティは、少し驚いたように猫目を丸くした。
「え、ううん。反論とか無いよ、えっとその」
想定通り首を振るへティに、ルーはふんと鼻をならして歩き出した。
「ならいいけど。ほら、さっさと行くよ」
「うん。…ルー」
「なに」
そのとき、ルーは駆け寄ったへティを振り返った。そして間近で見たことを後悔した。
今までよりも分かりやすい笑顔が、はにかみ気味に溢れる。人形のように白く人間味のなかった頬に、さっと朱が射す。
「ありがとう」
赤い唇から溢れた感謝は囁くようにルーの耳を擽った。
思わず足を止めかけて、ルーは誤魔化すように肩をすくめてからまた足早に歩き出した。
まずい、と思った。
何かに囚われそうな感覚が、彼を動揺させていた。
なにか、ざわざわと胸に沸き起こるものを、瞬時に隠す。隠せ、いや、もともと何も無いのだ、静まれ、と念じる。
その背中に、声がかけられる。
「ルーは」
名前を呼ばれて不覚にも肩が揺れる。
それに気付いた様子もなく、しみじみと少女は言った。
「やっぱり、私のお姉様だね」
ルーはがくりと膝から崩れかけ、今度こそ走るような勢いで足を動かした。




