初めての副業13
「心配はいらない。気を失っているだけだ」
ファレルは、言った。
しかし、ルーはその淡々とした言葉を信じられなかった。
おどおどふわふわと頼りないヘティだが、苛められても目が回るほど忙しくても、倒れはしなかったのだ。そんな彼女の全身から力が抜けて横たわっていることに、ルーは自分でも驚くほどに動揺していた。
「でも、あの変なのが来てから急に」
「だから、アレは魔力を奪っただけだ。前に言ったろう、この娘の魔力は体に溜まりすぎていると。だから、害はない。今まで出したことのない魔力を急に引きずり出されて体が驚いただけで、むしろ体調は良くなるはずだ。ほら」
言われて見下ろせば、いつも真っ白な少女の頬に赤みが差してきている。銀髪もきらきらとそれ自体が光を発しているようだし、色の悪かった唇は、今、艶々と赤い果実のようで、微かに漏れる吐息が悩ましいほどだ。彼女をきつく不機嫌に見せていた要素が、ほんのわずかに生気を増しただけで、魅力に変わったようだった。
見てはいけないものを見てしまった気がして、ルーはぱっとそこから目をそらした。
魔力を餌にされたヘティの身に害がなかったのだと知っても、ファレルに対する怒りは煮え切らないようにくすぶっていた。
それを、なんとかいなそうと、別の疑問を口にする。
「…何なんですか、さっきのアレ」
「魔力の塊のようなものだ。ただ、長い間凝れば、意思をもつものもいる。アレらは本能的に魔力を好む。特に、同種のものをな」
つまり、あれは風の魔力を食らう化け物なのかと、ルーは思った。風の、なんと言ったか。
「─精霊」
「…まあ、我々はそう呼んでいる。一般に知られていないものだから、大っぴらにするな」
思い出して呟くと、肯定された。その上、口止めされた。
ルーは困惑して、ファレルをじっと見つめた。
「俺なんかに話していいんですか」
そんな大切なことなら、こんな庶民の底辺にいる子供に、話さないでほしいと思った。ひしひしと、妙な予感がする。
「私が話すと決めたから、いいだろう」
自分の信用度はともかく、それを決められる立場にあるファレルという人物に、寒気がした。
その上、先程のやりとり。精霊と呼んだ何かは、とても強い力を持っているように思えた。その何かを、呼び出し、そしてよく分からないが、何かしら頼みを聞き入れさせたようだった。こんな人間が、ただの貴族のボンボンとは思えない。権力も、魔法の能力も、恐らく桁違い。
「…貴方は、何者なんですか」
対するファレルの答えは、微笑んでのこの一言だった。
「お前は勘もいいな」
ざわめいたのは谷の空気か、自分の心の中か。
ルーは、感じた寒気に、ヘティの上のマントを肩までかけ直した。
夕刻、目覚めたヘティは、自分が気を失っていた事実に大いに慌てた。
しかし異変に気付いたバッフル一族はさらに大騒ぎだった。
「始まったようだ」
最初のファレルの呟きは、謎でしかなかった。
しかし、そのあとすぐにたくさんの人間が騒ぐ声が聞こえてきた。
「何をしたんですか」
「アレに反逆をすすめただけだ。質の良い風の魔力を納めるのと引き換えに、こちらへつくようにな」
「乗ったんですか?」
「断言は出来なかったが、これはそういうことだろう。ここの主はヘティの長年濃縮された魔力を、いたく気に入ったようだった」
一族の隠れ里から魔法で出来たものを全て奪う。それだけで、明かりが消え、水が消えるのだと、何でもない顔で語るファレルに、ルーとヘティは大いに青ざめた。
「ついでに、これまで里を隠してきた目眩ましもな」
不敵に笑って立ち上がると、ファレルはヘティを見下ろした。
「立てるか。無理なら、待っていろ」
「たたた立てます!っあ、ごめん」
勢いよく立とうとしてふらついて、側にいたルーにぶつかった。呆れられたかとルーを伺うと、意外にも心配そうな目とぶつかる。
「…無理して倒れたら足手まといになるんだけど」
もっともな指摘だったが、待機組にされてはここまでついてきたのが水の泡だ。置いていかれまいと必死のヘティは、ルーの服をつかんで主張した。
「無理じゃないよ、足引っ張らないようにするから」
「っそ」
ルーはふいと目をそらすと、隠れ場所を出てしまった。ふりほどかれた手を所在なく握り混んで、ヘティは最高決議機関ファレルを見上げた。
ファレルがくくっと笑いながら出口を指した。
「早速青少年を惑わすほどの好調さか。さ、行くぞ」




