初めての副業11
一日目と二日目は宿に泊まったが、三日目は野宿だった。
馬車は、まっすぐには進んでいないようで、そこまで広大なわけではない領内をわざと時間をかけて彷徨っているようだった。
しかし、この夜とうとうファレルが言った。
「明日にはバッフル一族の村に乗り込むだろう」
焚き火を囲んだ簡単な夕食時に、ファレルがそう宣言して言うには、この山のどこかに一族の住む秘密の村があるそうだ。
彼らにはもちろん、表向きの領地と住所が他にあるのだが、実際の中枢はこの山中にあるはずの鉱山地帯なのだとか。
その正確な場所を探るべく、解雇された一族の娘を追ってきたのだ。
「あの娘は領主の見張り役だから、くびになれば必ず当主に報告に行く」
馬車と焚き火の回りに結界魔法をかけてあるから木より外には出るなと言い残して、ファレルは馬車の荷台へこもってしまった。
ヘティの側では、焚き火の火がちらちらと揺れている。
魔法で簡単に火がつくし、結界で守られてもいる。それでも、着けたあとの火の番をする人間は必要だ。それで、ルーが先、後からヘティが番をすると決まったのだ。けれど、とうとう目的の場所を目の前にした興奮からだろうか。この日、ヘティは上手く寝付けずにいた。
実のところ、真面目に尾行をしてきた様子のないファレルに、ルーもヘティも懐疑的だった。何しろファレルは一度も馬車の外を見ずに指示を出していたのだ。心配そうな視線に気づかぬファレルではないはずだが、ひらひらと手を振りながら「魔法だ魔法」と流された。
「本当に、着くのかな」
「魔法だとかいってたけど、魔法ってそんなに万能なわけ?」
「ここまでもかなり遠回りしたよね」
横になったままこっそりルーを見ると、彼はじっと真剣な顔で山を見つめていた。
それは、お屋敷で見慣れた横顔だった。
ヘティは、今なら話せるかもしれない、と思った。
ヘティの頭の中には、父を探すという願いと共に、ずっと片隅にひっかかっていたことがあった。
それは、ルーのことだ。
「あのね、ルー」
「何」
ルーは、火へと視線を戻しながら、無愛想に言った。ヘティは削がれた勇気を振り絞って、続けた。
「…もともとね、私、下働きしてお金を貯めたら、ここを探したいと思っていたの。この前、とっさに答えられなかったけど、あれも…ルーの言う通り、バッフルって聞いて気になってた。ごめんなさい」
「今さらな話だよね」
「うん…」
それはその通りで、ヘティは本題を切り出す前にもごもごと口を閉じた。同時にまた、気後れが襲ってきた。
旅の間、ルーは驚くほどそつなく侍従役をこなしていた。
ファレルが大抵のことは自分でできる手のかからない主だったこともあるが、生来の要領の良さと、日頃の女装生活で培った演技力は伊達ではなかったのだ。ヘティが大して重くもない荷物を持ってあたふたと追いかける間に、部屋の準備やらお茶の用意やら、一人でさっさと済ませてしまう。せめてお使いくらい手伝うと言えば、「一人の方が早い」とついていくのを拒否される。
ヘティだって、要領は悪くても宿屋の娘、食堂でファレルの寝酒をもらってくるくらいのことは朝飯前だというのに。しかし、言いつのろうにもそういうときやけににやにやと機嫌の良いファレルに止められるので、結局は行かせてもらえないのだ。
それだけなら、今までのように「流石はルー」とうっとりできたかもしれない。しかし、ルーは見事に『侍従』になりきっていた。格好だけでなく振る舞いまで機敏で控えめな少年に見えるよう変えていると、流石のヘティもどうしても『お姉様』と慕うことがためらわれた。
夜になって、復活した習慣どおりに髪を乾かしていても、ヘティはどうも気後れしたままで、ここまで来てしまったのだ。ついさっき、同じ不安を語り合ったのは、久々に対等に話せた時間だった。
ふと気付くと、ルーがこちらを見ていた。すみれ色の瞳が、焚き火の光を映して揺らめく。ヘティは思わず目を伏せた。
「なんで」
ルーがむっとしたように呟いたので、ヘティはえ、と聞き返した。
「…いや。そうだ、あんたはなんで、バッフル鉱山に来たかったわけ?」
「ああ、うん。えっとね」
そういえばファレルにこの話をしたとき、ルーは、途中からしか部屋にいなかったのだ。それこそ今さらだが、ルーも聞くタイミングを失っていたのかもしれない。ヘティはそう考えて言葉を選んだ。
「その、七歳の頃別れたっきりで…バッフルって名字しかてがかりがなかったから、バッフル家に関わりがあるかもと思って」
やや焦りながら告げた内容は支離滅裂なものだった。
「…それ、男なの」
「え、それは男だよだって」
「あぁそうへぇぇ」
父親なのだから。そう思いつつ答えたヘティは、不機嫌に遮ったルーの声の理由がわからなかった。
「とっても大事な人なわけだ」
「うん、それは当然」
本当ならば、ここでもう少しきちんと説明するべきだったのだ。しかしヘティの興味はすでに、ルーの事情へ向いていた。
何故か鉱山行きに積極的だったルーへ、ヘティは尋ねたいことがあったのだ。表向き、命令されて仕方がないという態度をとっていたが、ヘティは知っている。ルーが夜中に、地図を眺めていたのを。
ルーの極端に少ない私物の中で、彼が目立って大切にしているのは、使い古したその地図だった。いつだったか、ちらりと、そこにバツ印が書き込まれているのも見えた。
それ以来、何かを探しているのだと思うようになった。
何を探しているのかと聞こうと思うこともあった。でも、今までずっと、うまい言葉が見つからなかった。
炎の揺らぎに少しの勇気をもらって、ヘティは口を開いた。
「ルーは、何か目的…?目、標とか、あるの?」
「別に」
「鉱山行きは、嫌そうじゃなかったよね」
「単なる副業と思えば、あの人の侍従役もあんたの面倒見るのも、どうってことないし」
言葉にとげがある。まだ、話してくれない。
それは機嫌の問題も大きかったのだが、ヘティはそれを、まだ自分が真の友人と認められていないからだと考えた。
仕方ない。
密かに息を吐いたヘティは、少しだけ顔を上げて、すみれ色の瞳がこちらを見ていたことに気がついた。真顔で寄越された視線にどきりと心臓が鳴る。
「同じ」
「え…?」
ルーはからかうように、へらりと笑顔を作ってみせた。
「だから、こっちもあんたと同じで、大事な人を探してるんだよ」
いつもの『ルー』の顔だ。けれど、ヘティの心臓は、もう一度どくんと大きく揺れた。
「…そう、そうなんだ」
本当なら、教えてくれてありがとうだとか、凄くうれしいだとか、そういう言葉を返そうと思っていた。
ルーが自分に打ち明け話をしてくれたなら、ありったけの思いを返すのだと。
けれど、実際に大切な人を探しているのだと聞かされた今、ヘティは動揺を押し隠すので精一杯だった。
大切な人って、誰なのか。その人は、ルーの何なのか。ルーは、その人を探して、そのうちどこかへ行ってしまうのか。聞きたいことが山ほどあったが、怖くて聞けない。不思議と、冗談めかして言われた言葉にも疑いはもたなかった。これは本当のことなのだと、思考よりも先に肌が感じ取った。
まどろみも訪れないうちに夜は更け、ヘティは火の番として、この日完全に夜明けを拝んだ。




