初めての副業9
「っ…年も考えずにおかしなこと考えてるんじゃないですよね?」
「お前、それはいろいろ不敬なやつだぞ」
ルーがなぜか真っ赤な顔をして拳を震わせている。
ファレルがそれをにやにやと眺めている。
ヘティはその間で、二人の様子に疑問を抱く余裕すらなく、自分の願いはどうなったのかとそわそわしていた。
調整役不在のこの状況だったが、そう長くは待たなかった。ファレルがさっさと笑みを引っ込めたのだ。
「ついてくるからには、お前にも仕事をしてもらう」
真顔になったファレルの急変ぶりとあまりにあっさり進んだ話は、ヘティの方が追い付かなかったほどだ。
「あ、え」
「連れていってくださいファレル様と言っただろう。今から戻すのも手間だし、お前の言質はとったからな。何でもするし役に立ってくれるのだろう?」
つまり、許可されたのだと分かり、今度こそヘティの目が喜びで輝く。
むしろ早い段階で本当はつれていくと決めていたのではとか、それなのに何でもするなどと不利な条件をつけてしまったのだとか、そばで苦虫を噛み潰したような顔でルーが言っているあれこれも一切耳に届かなかった。ヘティはただただ純粋に感謝した。
「はい!ありがとうございます!」
勢いよく頷いた彼女の真剣すぎる目は、ファレルを睨み付けるほど鋭かったが、いつもどおり彼が気分を害することはなかった。
ファレルはさっとシャツの中から先程とよく似た石のついたペンダントを取りだし、そこに向かって何事か唱えた。
「あ、ハロルド。エレノアから聞いていると思うが、随行を一名追加した。お前のところのヘティだ。え?…いいだろう、そんなこと。まあ、私の倫理観と勘を信じて待っていろ。ではな」
目の前で始まった会話のようなものに、ルーとヘティは目を見張っていた。最初はファレルの一人言かと思ったが、合間に微かに、別の声が…主に怒鳴り声が聞こえたのだ。
それで二人とも、これが通信系の魔法で、その相手が領主だということに、ようやく気付いた。そういう魔法の存在は知っていても、庶民の魔法レベルでは、おとぎ話ほどに遠い話だったのだ。この貴人の側にいると、今まで見たこともないようなことがたくさん起こる。ヘティはやり遂げた安堵もあって、それにぼうっと見入っていた。
「話は通した。これでお前も正式に私の指揮下だ」
振り向いたファレルに、慌てて頷く。
「あ!はい。よろしくお願いしますっ」
「では早速だが」
ぱっと、ルーの顔に緊張が走った。それをちらりと見つつ、ファレルは荷物から何かを取り出した。
「これを持っていろ」
渡されたのは半透明の石だった。磨かれた表面は滑らかで、何も彫られてはいないが、美しい楕円をしていた。
ヘティは訝しげにファレルを見上げた。荷物というにはあまりに小さく、これが仕事とどう結び付くのか、分からなかったのだ。
「これは、魔力を吸収する魔法具だ」
「はぁ…えっまど、うぐ?!」
それが高価なものと知って急にわたわたと慌て出すヘティに、にやりとファレルは意地悪く笑った。
「今さらだ。お前が持っていたエレノアのペンダントはこの数十倍貴重な魔道具だ」
ヘティの血の気の引きっぷりをひとしきり楽しんでから、彼は説明を再開した。
「そもそもお前が倒れたのは、魔力が体に貯まりすぎたせいだ」
当然、ヘティは首をかしげた。
「魔力が貯まる?」
「その辺はこいつから詳しく聞け。ともかく集まった魔力は、こちらで使わせてもらう。だが、お前は人より魔力が多い質だ。この魔法具が多少吸収するといっても、どんどん使ったほうがいい」
「そうなんですか。わかりました」
ヘティは分からないなりに素直に頷いた。今までの関わりで、ファレルに信用を置いていたというのもあるし、彼が何かしら魔法に詳しい人物だと感じていたからでもあった。
「ああ。魔力過多は体に負担がかかる。負担が減れば、きっと胸も腰も育つぞ」
一瞬、部屋の中の音が途切れた。
「…ムネモコシモ…?」
しんとした室内に、ヘティの疑問が響く。
それで硬直のとけたルーがぐいっとヘティをファレルの前から押しのけた。
「何言ってるんですかあんた?!」
「何を赤くなっているんだルー?魔力過多の成長に及ぼす悪影響の話だ」
ファレルはすらすらとそう返して、ぽかんとするヘティとぐっと詰まって口を閉じるルーを目を細めて見ていたが、ふいに表情を改めた。
「来たな」
それまでのんびりと、むしろだらけたようにすら見えていた彼が、俊敏に立ち上がった。
そして、長椅子の背からさっと上着を取り上げると、誰の手を借りるでもなくさっさと袖を通し、歩き出す。
「行くぞ」
慌ててヘティもルーと共に荷物を持ってついていく。
見れば彼らは荷造りを済ませていた。
階段を下り、宿のカウンターも支払い済みらしくそのまま通り抜けた。
「バッフル家の娘を追って行く」
手配してた馬車に乗り込むと、ファレルが一言だけ説明してくれた。
彼は雇いの御者に、通るべきルートを迷いなく口にする。どういう仕組みか、見えないその尾行相手がどう動いたのか、正確に分かっているような口振りで。
ヘティは邪魔にならないようにと座席で縮こまりながら、様々なことが気になってしかたがなかった。ファレルの使う不思議な力、これから自分がどう動くべきかということ、そもそも、馬車の行く末は大丈夫なのかということ。
ファレルはさっさと目を閉じて眠り始めたので、細かいことは分からなかった。それでヘティは、ルーにこれも魔法なのだろうかと問いかけた。返事は、多分、と短く返ってきた。
それともうひとつ、ヘティには気にかかることがあった。男装をしたルーのことだ。
こうして同じ側の座席に座っていると、まるで知らない男の子と乗っているようだった。学校でも街でも避けられ続けてきたヘティは、物心ついてからこちら、弟以外の異性とこれほど近い距離に座ったことがなかった。
ルーはルーだ、とヘティは何度も自分に言い聞かせた。しかし、それが徐々にルーはルーなのに、となり、馬車が揺れて肩がぶつかった後はもう、ルーお姉様はどこに行ってしまったのかとぐるぐる悩み続けることになった。
そんな緊張もあって、数々の疑問を抱えながらも、その後はほとんど話も出来なかった。途中二、三度目を開けたファレルが御者に指示を出した。そして馬車はとっぷり日が暮れた頃にようやく、山沿いの田舎町にたどり着いたのだ。




