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貴方に捧ぐ初めての嘘  作者: 日野うお
屋敷編「何考えてんだ」と言いつつの初めての副業
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初めての副業7


馬車を降りると、めまいがした。

具合が悪い。

今すぐにでも、しゃがみこんでしまいたくなった。

それでも、走り去ろうとする辻馬車を避けるため、よろよろと足を動かした。

そして、少しだけ息を整えて、重い体を引きずるように歩き出す。

くじけるわけにはいかない。

そうなれば、全て放り出しても果たしたかった目的が、果たせなくなる。自分のために手を差しのべてくれた人に、報いることができなくなる。

目的の場所は、もう、すぐ近くのはずだ。きっと、もうほんの少し。

だけど、気を失ってしまいたいほどの頭痛がする。

ああ、どうしてこんなに、体が重たいのだろうか。

気のせいか、世界が白っぽく見えた。

その上、地面が揺れている。

「おい、大丈夫か?!」

その声が誰に向けられたものかも、もう分からなかった。



すっと、からだの熱がひくような感覚があった。

それを心地よいと感じて、それから、他の感覚が戻ってきた。「目覚めたか」

開いた視界に写ったのは、緑と金の色彩だった。

そのままヘティの体は固まった。

理由は、驚きが半分、物理的なことが半分。ファレルが、ヘティの額を枕に押さえつけていたのである。

「お前が往来で倒れて大騒ぎになっていたから、拾ってきて治癒魔法を使った。まあ、私は専門家ではないから一時的なものだし、お前の返答次第では救った命を消すことになるが」

「私」

顔色を失ったヘティに、ファレルは手をどけないまま首をかしげた。

「何故、ついてきた。密偵か」

ヘティは寝転んだままぶんぶんと首を横に振った。

「では、偶然か」

今度は、少し迷ったが、やはり正直に、首をゆるゆると横に動かした。

決して好ましい答えではなかったはずだが、ファレルはふっと微かに笑ったようだった。

「私の見るところ、お前とルーは片時も離れられないような間柄ではなかったはずだが」

ファレルの緑の目は、淡々とヘティに向けられている。相変わらず、焦点は顔からずれている気もするが、だからといってこの人に下手なごまかしは通じないだろうとヘティは思った。

そうだ、ついて来たのだ。確実に邪魔になるのに、お屋敷の仕事も放り出して、こっそり後をつけて行こうとすら思った。そして、今、ここで、確かに邪魔になっている。ヘティはその重たい事実に震えながら、せめてルーへの誤解は解こうと頭を下げた。

「ルーは、関係ありません。あの、本当に、申し訳ありませんでした」

「謝罪などするより質問に答えろ」

鋭くはなかったが、きっぱりとした口調でファレルはそれを断った。

納得のいく説明をしろと、さもなければ謝罪などしても赦されず死ぬのみだと言われたのだと、ヘティはさらに身を固くした。

「は、はい」

うまく説明しなければという緊張が、一瞬、ヘティの頭から言葉を奪いのとから口から水分を奪った。

けれど、ファレル自身のことは、このような状況に陥ってもなお、怖いとは思えなかった。ヘティにとって彼は、身分や年が隔たっていても、数少ない気持ちの通じる存在だったのだ。その根底にある信頼に後押しされて、ぶつりぶつりとあぶくのように途切れながらも、いうべきことが思い出された。

ヘティは深呼吸をひとつすると、そっと体を起こした。そうしてゆっくりと話し始めた。


時は、1日前にさかのぼる。

早朝、ヘティはルーとファレルの旅立ちを木陰からそっと見ていた。

ルーのようになりたいと願ったことは山ほどあった。けれど、ルーに成り代わりたいと思ったのは、これが初めてのことだった。

ファレルがルーを気に入っていたのは、かなり前から分かっていた。彼はヘティも居合わせれば必ず気さくに声をかけてくれるものの、それはあくまでもルーのおまけであることをヘティも理解していた。そうして手先の器用さや機転を見込まれているルーを誇らしいような気持ちで見ていた。

けれど、遠ざかっていく後ろ姿を見て、ヘティの胸には強い嫉妬が沸き起こった。同じくらいの背丈で、同じお仕着せを着た背中だ。ルーの抱えた荷物くらい、自分にも持てるのに…そう思ってしまった自分を自覚して、ヘティは激しく自分を恥じた。けれども、一度知った嫉妬は、容易には消えない。ヘティは混乱のままに屋敷の裏庭を歩き回った。

「あら。あなた、どうしたの?」

声をかけられて、ヘティははっとした。

気づかないうちに、普段出入りする洗濯場よりもずっと奥まで入り込んでいた。しかも声の主は、美しい紫の瞳の女主人だったのだ。

「も、申し訳ございません!」

ヘティは大急ぎで頭を下げて、そのまま少し後ずさった。

けれど、貴婦人は慌てたように言った。

「あら、違うのよ。ここは、別に立ち入り禁止でもなんでもないもの。私が聞いたのは、顔色が悪いからどうしたのかということ」

驚いて顔だけ上げれば、その優しい瞳には、心配の色が浮かんでいた。

「そんなに青い顔でさ迷っているのを見たら、放っておけないわ。私、これでも治癒魔法師なのよ」

話してご覧なさいという、その恐れ多い申し出を辞退できる余裕が、このときヘティにはなかった。いつもぴんと背筋を伸ばして歩く人が、屈みこんで、お仕着せに包まれたヘティの薄い背中を労るように支えた。

そして、そばにあったベンチにヘティを座らせた。その間も、奥方の手はそっとヘティの背を撫でている。

その温かな手のひらに促されるまま、じわりと溢れた涙と一緒に、ヘティはついにほとんど全ての事情を女主人であるガーラント夫人に吐き出した。

ただひとつ、ルーのことだけを除いて。

「どうしても、バッフル家の鉱山に行きたかったんです。それで、行き先を…ファレル様とルーの行き先を偶然聞いてしまって、居てもたってもいられなくて…」

何をどこまで話すべきなのか、ヘティには分からなかった。けれど、優しく背中をさすられる度に、ぽろりぽろりと言葉が溢れる。

「…私の父の名は、フライネル·バッフルというんです」

ヘティは、初めて人に話す事実に、指先が凍えた。

バッフルという姓は珍しいものだ。今までずっと父の行方を気にしていたヘティだが、バッフルという名を聞いたのはこれが初めてで、十年近く思い続けて初めてつかんだ手がかりだった。

「お父様とは、一緒に暮らしていなかったの?」

思案するときの癖なのか、奥方は少し唇を噛むようにしてから言った。

「はい。父は、私が7つの頃にいなくなりました」

ヘティはそれから、母が宿の客だった父と結ばれたものの父はずっと、自分に親族はいないと話していたらしいこと、家には、父に繋がるような手紙も写真も、一切ないことを話した。

「父が親族のもとへ戻った確証はありません。でも、可能性のある場所なら、全部探したいんです。私、ずっと父を探したかったんです。会って、確かめて、…謝りたくて」

「謝る?」

「…私が人前で風の魔法を使ったあと、見知らぬ男の人たちがその噂をたどって私を訪ねて来たんです。父は私に表に出るなと言って、彼らと話に行きました。父が姿を消したのは、そのあとすぐでした」

はっきりとしたことは分からない。けれども、自分のせいで父がいなくなったのではないかという恐れと罪の意識は、確実にヘティのなかに巣くっていた。

初めてそれを吐き出したせいなのか、ヘティは泣きはらしたわりに妙にすっきりとしていた。

ずっと背中に当てられていた手が、離れた。名残惜しいような気持ちを振り払って、ヘティは奥方に向き直った。

「聞いていただいて、ありがとうございました。お陰で気持ちがとても楽になりました」

「…貴女は、家族のためにできることをしたいのね」

紫の瞳は、ヘティに向けられていたが、彼女だけでなくどこか遠くを見ているようだった。

けれど、たちまちのうちにその不思議な目つきを消して、彼女は立ち上がった。

「今度は、私が応援する番ね」

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