初めての副業6
ルーがしばらく仕事を離れることは、その日のうちに使用人の間に伝わった。そのため、ヘティの挙動不審も、周囲に当たり前の反応として受け取られた。
「…そういうことだから」
ルー本人もまた、ヘティが話を聞いていることを前提にこう言った。
そして、旅支度に追われるルーとルーのいない間の台所担当を仰せつかったヘティは、翌々日の朝の出発まで、ろくに会話をしなかった。すれ違うたびに何か話したそうにじっと見つめてくる暗い色の瞳がなぜか気まずく、ルーは目を逸らしがちだった。ヘティはヘティで、胸の中のもやもやを説明する言葉がなく、何も言えなかったのだ。
ともかく、早朝、薄曇りの空のもと、ルーはファレルに連れられて旅立ったのだった。
…ところが半時もせず宿に入った。
町外れだが、わりと小綺麗な宿だった。
「なんで…」
部屋に入るなり、思わず呟いたルーに、ファレルは飄々と答えた。
「待つことが必要だからだ。二時間といったところか」
ファレルはさっさと靴を脱ぎすてると、長椅子にだらしなく寝そべった。
彼がそういうことをすると、顔形が高貴なだけに、余計に堕天使のような自堕落さというか、退廃的な魅力を感じさせる。
けれど、ルーが驚いたのは、同性の魅力にどきりとさせられたことでもすぐに宿に入ったことでもなかった。
ルーは、以前住んでいた孤児院で、慈善と銘打ってやってくる貴族たちを見てきた。彼らのほとんどは、慈善活動に来たにも関わらず、自分の手では扉も開けず、手袋ひとつ外さなかった。しかし、ファレルは明らかに高位の貴族でありながら、ルーより先にたって部屋の扉を開け、自分で靴を脱ぎ捨てた。
ルーは、わざわざ最もしたっぱの自分をファレルが連れてきたのは、心置きなく使い回したいからだろうと思っていた。それなのに、カーテンを閉めろと言われた後は、未だに荷物を解けとも言われない。それは、この謎の休憩以上に、ルーにとって不思議なことだった。
部屋に置かれていた茶器を使い、茶を淹れたのは、手持ち無沙汰だったルーの自発的な行動だ。
侍従の仕事などやったこともないルーは、お茶くみひとつとっても勝手がわからない。それでも器用さと勘でもってなんとか茶を淹れた。
とうてい満足させられないだろうと思いつつ、かしこまってカップを差し出した彼だったが、一口飲んだファレルが言ったのは、茶の味の文句ではなく「下手な敬語はうっとうしいから止めろ」というものだった。
「なんで、俺を連れてきたんですか」
ルーは、とうとう聞いた。言われた通り、慣れない敬語はおおざっぱなものに戻した。
ファレルは本気でこのぞんざいな物言いを叱ることなく、長い足を悠々と組んで答えた。
「お前を買っているからだ」
だから、それは何故なのか。
消えない疑問は顔に出ていたのだろう、ファレルはにやりと笑い、まだ時間があるしなと言いながら、きちんとルーへ向き直って腰を下ろした。
「私は魔法具を作る。魔法具について、どのくらい知っている」
少年は首を横に振った。
「知らないです。だってそんな高価なもん、持ったことないですもん」
そもそも、魔法具なるものを見たことも、数えるほどしかない。孤児院に来た役人が、何かを調べるときに大事そうに出していたが、何に使うかも分からなかったし、触るなんてもっての他だ。
首をすくめた少年に見せるようにして、ファレルは胸ポケットから金の鎖を引き出した。
「高価か。確かにな。では魔法具の価値とは何か、知っているか?」
男はじゃらりと手もとの金の鎖をすくって尋ねた。
「分かりません」
「魔法の発動を行うための呪文や魔法陣というのは、基本的に即座に効果を現すものだ。魔法具はそこに発動条件を組み込むことで時間差をつけ、自動的に技が出せるようにしたり、複雑で高度な技を繰り返し使用できるようにしたりということが可能になる」
「へえ、それじゃ、自分がイメージできないような他の奴の技を使えるってことですか」
「ほお。なかなか飲み込みが早いな。そうだ、そこが最も重要な価値だ。そして、その制作には、高度な技能と、技を留めておく上質な媒体が必要になる」
これを見ろ、と男は先ほどの鎖をかざした。
金の鎖は蝋燭の光を受けて柔らかく輝いている。そのとろりとした品のある風合いはしかし、少年に大した感慨を呼び起こさなかった。
なぜなら、少年にとっては金色のものは皆金であり、価値の差がわかるほどそれを眺めたことなどなかったからだ。さらに言えば、彼には貴金属よりも腹がふくれるものの方が尊く感じられた。
男はその反応にふむと顎を撫でた。
「媒体に適した物質は使いたい技によって異なるが、簡単に言えば、金ならば混じりけのないもの、石ならば強い魔力を含む宝石だ。だから、高い」
「そんな高いものに傷をつけるんですか」
ちょうど鎖の先に揺れる石の表面に彫り込まれた模様を眺めていたルーは、うへえと思わず変な声を出してしまった。その顔は少々ひきつってさえいる。
ファレルが苦笑した。
「傷というか、細工だ。媒体の希少さ故に、失敗はできないが、この成功と失敗の概念がまた、特殊だ」
ここで、ファレルの目が、まっすぐにルーに注がれた。その宝石よりも美しい緑の瞳に射抜かれて、ルーの表情はおのずと引き締まった。
「ただ美しく見える細工ができることと、媒体となるものの素材を殺さずに細工ができることは、違う。どんなに器用でも、芸術的なセンスがあっても、媒体の素材を殺すと術は込められない。そして素材を生かせるかどうかは、天性の感覚によるところが大きい。…お前、この茶をどうやって淹れた?」
唐突に変わった話に、少し戸惑いながらルーは答えた。
「熱い湯でないと香りがたたなそうに見えたので、熱い湯を沸かして、淹れましたが」
後は時間も茶の量も全て勘だ。
その答えを聞いて、ファレルは満足げに頷いた。
「お前はこういう茶を飲み慣れていないはずだ」
「はい」
「しかし、お前は見ただけでその物のもつ癖が感じ取れる。だから、旨い茶を淹れるし、細工をするときでも、癖の強い木や石でも、殺さずに彫れる。これは、実は魔力の流れを読んでいるのと同じなのだがな」
「…つまり、魔法具を作る才を買ってくれたってことですか」
それもある、とファレルは肯定した。
ルーは、ようやく今までのよくわからない彼の行動の答えを見つけて、納得した。
それも、のもは気になるし、ファレルにはおかしなところも物言いの尊大なときや腹のたつこともある。しかし、少なくともファレルは悪人ではないし、どうやら本当に自分を買ってくれている。
「これから行く鉱山は、魔石を算出しているから、お前の勘は、役に立つ。─ああ、そこの布の包に服が入っているから、次の部屋で着替えてこい」
ファレルは言い終わるともう、目を閉じていた。命令されれば絶対という上下関係のもとで、これだけ様々な疑問に答えてくれただけでも破格だろう。
そう結論付けて、ルーは素直に部屋を出た。




