初めての副業4
ルーは寝る前に髪を乾かさない。髪だけではない。肌寒い日にも半袖の寝間着で上掛けも出さないし、仕事で切り傷を作っても薬すら塗らない。
へティの目には、ルーのそんな姿が子どものように見えて、いちいち放っておけなかった。まるで、弟や妹の小さい頃のようだと思ってしまうのだ。
あれこれ手を出すへティにルーはうっとうしいという顔を隠さなかった。
けれど。
「野菜も食べなきゃ」
「この豚は野菜も食べて育ったんだから、豚を食べればいいってことでしょ」
「よく分からないけど、はい、サラダね」
あっとか何とか言っているうちに、ルーのお皿にグリーンサラダを盛る。ルーはたとえ嫌いなものでも、自分の皿に盛られたものは決して残さないからだ。
「…あんたって、本当、何なの」
ひそめたつもりの眉の片方が、かすかに下がっている。それは、たまにルーが見せる表情で、戸惑いのようなものを感じさせる。確かにイライラもしているようだし、呆れてもいるのだろう。けれど、そこに混じった一欠片の戸惑いが、ヘティにルーを敬遠させない。
ヘティは急いで手を合わせると、自分のサラダに手を伸ばした。一時期の目の回るような忙しさは解消されたとはいえ、ゆっくり食べているほどの暇はない。それでも、実家の宿屋を手伝っていた頃もかきいれ時には同じような慌ただしさだったし、最近は毎食賄いを食べられているので、ヘティは嬉しかった。
それに、今日など偶然にもルーと一緒になったのだから、自然と頬が緩む。
「あ、ラッキー。ヘティがいた」
がちゃりと開いたドアからカミラの顔が覗いて、ヘティはぱっと顔を明るくした。
「カミラ」
カミラは、ヘティにとってルー以外に唯一、仲の良い同僚だ。はきはきした赤毛の少女はとても仕事ができるが、奥方が来たころにこの屋敷に雇われた新入りで、年が近いせいもあってヘティとしても話しやすい。もちろん親友のルーとはまた別だが。
「一緒に食べよ。あ、ルーちゃんも」
ルーはぺこりと会釈だけで返した。ほとんど台所専門になっているルーは、カミラとはそれほど親しくないのかもしれない。それにしても、人見知りなどしないルーにしては、表情が少し硬い気がして、ヘティは首をかしげた。
しかし、幸いにもカミラは全く気にした様子もなく、喋り始めた。
「聞いてよ。さっき、メイドの一人が、騒いでたんだって。どうも辞めさせられるらしいわ」
「何かしたの?」
カミラはフォークを動かす手を止めて、あきれた顔をした。
「ヘティったら、貴女が一番被害にあってたじゃない」
「あ、そういう…」
確かに自分の仕事をしないで下に押し付けるのは、格式ある貴族の屋敷の使用人として失格なのかもしれない。
そこで、ルーが口を開いた。
「騒いでたって?」
「ああ、なんかねぇ」
カミラはルーの方へ顔を向けると、のりのりで口真似してみせる。
「自分はバッフル家の人間なのに、こんなことしていいと思ってるのかっ…て」
「バッフル家…」
「聞かない名前だけど、けっこうな有力者っぽい口振りよね」
ヘティの呟きを聞きとったカミラが付け足す。
そして、だからって領主様の決定にどうこう出来るわけないのにね、としゃべる間にも、カミラの皿はどんどん空になっていく。
そうして、ルーとほとんど間を置かずにカミラが昼食を食べ終えた。
「ヘティ、早く食べないと遅れちゃうよ」
「あ、うん…」
ぼんやりしていたヘティは、慌ててサラダだけ片付けると、皿を持って立ち上がった。
その日、ヘティは洗濯物を取り込んでいるところを後ろから呼ばれた。
「ちょっと」
「わ、びっくりした、ルーか」
仕事中にルーから声をかけてくることなどまず無い。だから、ヘティはこてんと首をかしげた。
「なあに?どうしたの?」
すると、ルーはわずかに眉間に皺を寄せた。
「こっちの台詞。あんた、昼からなんか変だよ」
ヘティは笑おうとした。
「そんなこと」
「あるでしょ。昼も珍しく残したし」
見られていたと知って、目を伏せて唇をかんだ。それは傍目にはとても不服そうだったが、長いまつげの陰では瞳が揺れていた。
「バッフル家だっけ。…ほら、固まった」
ルーの指先が、ヘティに向けられる。
一瞬あげてしまった目を、ヘティは慌てて洗濯物へと向けたが、隠し事が有りますと宣言しているも同然だった。
ルーは、側の壁に寄りかかると、意識するようにゆっくりと、たずねた。
「何があるわけ?」
「なんにも、ないよ」
ヘティは外したシーツをばさりと受け止める。白いシーツの日向の臭いも、気持ちを落ち着かせてはくれない。それでも、顔は隠してくれるから、また次へと手を伸ばす。
「そんな顔して何言ってるんだか」
「なんにも無いったら」
「…あっそ」
重ねてはっきりと否定すれば、ルーの声が変わった。その冷たい響きに、ヘティははっとして振り返って、目をみはった。
ルーは笑っていた。すみれ色の瞳に浮かんでいたのは、冷笑と言ってもいいようなものだった。
弧を描いた唇が、毒を注ぐように刺々しく言葉を放つ。
「そうか、そうだったね。あんたの言う親友ってのは、確か『言わなくても信じる』んだっけ。でもそれって結局、お互いに踏み込まないことの免罪符ってやつじゃないの?」
違うと、ヘティは言えなかった。そんな彼女を、ルーは突き放した。
「もういい。好きにすれば」
ヘティは悲しくなった。
しかしそれは、冷たくされたからではなかった。ルーが、傷ついているように見えたからだ。何故かははっきりわからないが、自分の態度がルーを傷付けたのだと悟って、ヘティは悲しくなったのだ。
それでも、何をどう説明すればいいのか分からなかった彼女は、黙ってルーの後ろ姿を見送った。