初めての副業3
ファレルの訪れは、いつも通り唐突だった。
もう何度目かのことで慣れっこになっているルーは驚きもせずに顔を向けて会釈したが、ヘティの方は大いに慌てて、運んでいた洗濯籠ごと飛び上がった。
もっとも、表情はかちんこちんに強ばって、引き結んだ口元がたいそう不機嫌そうに見えるのだったが。その失礼な表情に、今度はルーの方が慌てかけたのだが、ファレルはというと、片手をひらひらと左右にふって
「そう焦らずともいい、ヘティ」
と言った。
何故か、ファレルには、誤解されやすいヘティの心が正確に読めるようだった。どこをどう見て焦っていると読み取ったのか、ルーは驚いた。謎だらけの上、たいてい好き勝手していて貴族の道楽者といった様子の男だが、たまにこういう鋭いところを見せる。これだから、ルーはファレルとの距離を図りかねていた。
「ルー、この前の石は彫れたか」
「はぁ」
手を出されて、ルーはそこにポケットに入れておいた石の彫り物をのせる。
「わ…」
ヘティが思わずといった様子で声をあげた。きらきらと輝く瞳の先にあるのは、ルーの出した石だ。
やや青みがかった乳白色のそれは、ほとんど楕円をしており、周囲を見事に細かな蔦が囲んでいる。その小さな蔦の端には、一羽の小鳥が身を乗り出すようにとまっていた。
「ほぉ。石の細工は初めてだと言っていたが、なかなかのものだな。元の形を生かしているし、彫りもなかなか精緻だ」
「ただの素人芸です」
誉められれば悪い気はしないものの、この行為の意図が分からないので、ルーは気を抜かずにそう答えた。実際、もっとうまい職人はざらにいるはずだ。貴族の御用達ならば、なおのこと。それなのに、ファレルは満足げに言うのだ。
「石を生かしている」
と。
その間、ヘティはというと石を鋭く睨みつけ、最後にははぁっとため息をついた。
早く終われとか興味を失ったとか、そんなふうにも見える素振りだったが、よく『ルーお姉様』に向けられる眼差しとため息だったので、これは見惚れているのだと、ルーには分かった。
ヘティはあまり物欲を見せない人間だから、こうして物に見惚れるのは珍しいことだ。そこまで気に入ったのならルーとしてはやってもいいくらいの気がするが、残念ながらこれは今までの流れからいって、ファレルに回収されるものだ。しっかり契約したわけではないが、材料を用意したのは彼だし、おまけに加工のための道具まで与えられたのだから、これは仕事だ。商品は、雇い主のものだ。
そんなことを考えていると、からからとファレルが笑い出した。
「そんなに気に入ったのなら、これはお前にやろう」
「え」
驚いたのは、渡されたヘティだけでなくルーもだった。
目を見開いて見つめると、ファレルはからかうようにわざとらしく首をかしげた。
「いらないのか?」
「!いりますっ」
ヘティは引っ込められかけた石へ、両手を伸ばす。
その瞬間、ファレルがにやっと人の悪い笑みでルーを見るのが、腹立たしい。
それにしても、とルーは考えた。
やはり、このファレルという人間は、ヘティの分かりにくい感情を見抜いている。
それはヘティにとって、随分と衝撃的な出来事だったらしく、珍しく頬を紅潮させた彼女は、真ん丸にした目でほぉっとファレルを見つめた。
そしてルーにも、少なからぬインパクトを与えた。
ファレルを見上げ続けるヘティに、ルーは小さく息を吐いた。
その何か面白くない気持ちは、夜まで続いた。
いつものようにヘティは長い髪を洗ったあと、手早く櫛けずる。そしてそのまま、ルーの髪を乾かそうとする。
「ちゃんと乾かさなきゃ、風邪引いちゃうよ」
「引かないよ」
「ルーったら」
「面倒くさい」
「風邪引いたら、お医者様に男の子だってばれちゃうよ。もう」
ヘティはそう言いながら、両手をルーの頭にかざした。
指先で髪をすくようにして、そこに風を当てていく。払おうとするが、こういうときの彼女は意外なことに押しが強い。長女として育まれた性質がそうさせるのか、断っても気にせず世話を焼こうとするのだ。
「じっとして」
「…あんたって、何考えてんの」
結局、今日はさせまいと思ったルーの意地も16年の長女経験には及ばなかった。
こっそり目をあげると、肩からこぼれた銀の髪がさらさらと揺れているのが目に入る。
最近大幅に改善された労働環境のせいか、成長期のせいか、ヘティは少し娘らしくなった。体つきも棒のようだったのが少し娘らしい曲線が出てきたし、銀の髪は艶が出てきらきらと輝き、もうたとえお下げにしても針金などと揶揄することはできないだろう。
洗ったばかりの髪を下ろしているヘティを見てルーはそう思う。
ヘティは知らないかもしれないが、ルーは風魔法だって初歩のものなら使えるのだ。だからこういう使い方もあると知った今では、自分で乾かしてしまうこともできるのだ。
それでも、結局不要だと言いながら、ヘティの世話を受け入れる。そこに、魔法を使わせるという大義名分を得て。そうしながら、ルーは銀糸の髪を間近で盗み見る。
そんなずるい自分の髪を、彼女は懸命にすいていく。決して器用ではないその手つきがなぜか心地よくて、ルーはささくれた気持ちが修復されていくのを感じた。




