初めての副業2
「あのね、でもね、カミラが一緒に拭いてくれたの」
にこにこと笑いながら、ヘティが本日のいびられエピソードを語る。
笑い方は控え目ながら、明らかに柔らかく、この顔を見て、『鉄面皮』だなんていう人間はまずいないだろう。それどころか、人見知りだということも疑うかもしれない。ついでにいうと、緊張していないときの彼女の声はいつもより高く子どもっぽい。
同室ルールを定めたあの日から、ヘティは以前にもましてルーになついている。
一度、何でそんなに楽しそうなのかと聞いたルーに、彼女ははにかみながら、『寄宿舎ってこんな感じかと思って』と気に入りだという本を見せた。表紙の少女たちを見て、ルーはげんなりしたものの、ヘティの思考回路に納得もしたのだった。
今もルール通りに行水を済ませたヘティは解いたままの髪をタオルで拭きながら、寝巻き姿で話しかけてくる。
何度も言うが、使用人部屋は、狭い。髪を洗うのに使ったのか、石鹸の匂いまで届く始末だ。
この状況を、どうしろというのか。ルーは遠い目をして直視を避けた。
「俺、もう寝るから」
何かが限界値に到達しそうな気がして、ルーはそう言った。カーテンを閉めてしまおうと、そう思ったのだ。
そんな彼の内心を嘲笑うかのように、ヘティが言った。
「あ、待って」
そうして、カーテンに手をかけていたルーの方へ一歩近付く。
「何、」
「髪、びしょびしょだよ」
「は?」
「ちゃんと乾かさないと、風邪引いちゃう」
その手にタオルを構えているのは、まさか拭く気か。
「乾くし」
「全然乾きそうもないじゃない。乾かしてあげる」
にこにこされて、ルーは気が遠くなった。そして断固として断ろうと口を開いたのだがヘティが一拍早くこう言った。
「あ、そうだ、あのかわけーっていうの、試してみようか」
一拍おいて、ルーは理解した。『かわけーっていうの』とは、例の風魔法のことだろう。
「…」
ルーの頭に、ファレルとの会話がよぎった。自分には関係がないことのはずだ、と思いつつ、魔法の実験台になってぼろぼろにされた想像の中のヘティの涙で潤んだ黒い瞳から、目をそらせない。
隠しようのないため息が、こぼれた。
「仕方ないから練習台になってやるよ…って、待った、乗るな、俺が下りる」
ぱっと何故かヘティの顔が明るく輝き、ルーは早くも自分の選択を後悔した。それから、いそいそとルーのベットに上がろうとするヘティを制して、床に滑り下りることでわずかながら距離を保った。
「乾け~」
タオルを肩にかけながら、ヘティがすっと髪をすく。その手からふわっと暖かい風を感じて、ルーはぞくりと背筋を震わせた。
「あ、ちゃんと出たみたい?」
「…」
今度は覗きこんだヘティの息が耳にかかる。
「もっと強めのイメージを持てば、早く乾くかもってことだよね」
自分以外の温かい体温に、ルーは目眩がしそうだった。
「…もう、何でもいい」
そう?と首をかしげたのか、さらっと銀の髪が肩に当たる。
ルーはそれを、自分の両手を見下ろすことでやり過ごした。
柔らかな指先が、髪をすくっていく。それがかすかに首筋を掠めるたび、ルーは居心地悪く身じろぎする。
「うちの妹も、髪を拭くのが下手なの」
「へぇ」
「もう、10才になるんだけどね、面倒がって必ず私のところにくるの」
「そぅ」
短いながらも返事を返したのは、世間話でも何でも何かしていないと身がもたないと思ったからでもある。ヘティはそっけない返しにもめげた様子なく続ける。
「弟も前はよく拭いてやったの。あ、もう14だから最近はしないけど」
その弟すらもうやらないことを、赤の他人にするおかしさに気付いてほしい。切実に願うルーの死んだ目は、幸か不幸かヘティからは見えない。
「乾け~」
たまにイメージを固め直すためか、どこか緊張の漂う声で唱える。このくらいの初歩的な魔法なら、適性が合えば無言でも可能なものだが。やはり、あのファレルという男が言っていた通り、ヘティは普通よりも魔法に抵抗を持っているのかもしれない。なぜそんなことを、知り合い以下のあの男が見抜けるのかは置いておくとして。
「乾け~…と、こんなものかなぁ」
仕上げとばかり綺麗に手ぐしで整えて、ヘティが言う。その声にどこか満足げな響きを聞き取って、ルーは複雑な気持ちになった。
「どうも」
「どういたしまして」
今度こそ、明らかに嬉しそうな声が返ってきて、ルーは色々なものを見ないために瞑目した。けれども、漂う石鹸の香りと、布団に残るほのかな温もりからは、いかに硬く目を閉ざしても、逃れることができなかったのだった。




