初めての友人2
領主の館へと続く整備された石畳。
その大通りと交差する、店屋がたくさん並ぶ通りはこの辺りで青物通りと呼ばれている。
今は青物以外にも食堂やら雑貨屋やらが混在している。少し前まで重税で領民が疲弊していた名残で、高級店こそないけれども、街には活気が戻っている。もともと領主のお膝元のこの街には、国の派遣する魔法使いの駐在施設や領主の私設騎士団も存在するから、繁華街も広い。
青物通りはその中で下町、言わば庶民の台所といった場所だった。
「いやだ、イモが足りないかもしれない」
宿屋の食堂で、夜の仕込みをしていた女が木箱をのぞきこんで顔をしかめた。
「ちょっと、誰か行ってきておくれよ」
女はそう言って顔を上げ、子ども達を見た。
息子が一人と、娘が一人、それと手伝いに来てくれている妹だ。
そろそろ本格的に料理の修業を始めようかという14の跡取り息子と、忙しい昼時だけ手伝いに来ている妹。
そして最後に、無口な16の娘。
「ごめん、姉さん。今日はもう帰らなくちゃ」
妹のハンナはそう言いながら前掛けを外しているし、長男は聞こえなかったような顔をして賄いを食べている。
もう一人の娘はめったに買い出しに行かないので、母親は息子に照準を絞った。
「リック、さっさと食べてお行き」
「なんで俺なんだよ」
「ハンナは自分の家のこともあるし、ヘティが行く気になるまで待ってられると思うかい」
母親の指摘に息子は嫌そうに顔をしかめながらも反論を止めた。
叔母はとにかく、口べた過ぎる姉が厳つい八百屋の親父とちゃんと会話になるはずがないと、彼も考えたのだ。だから、行かせようとしていた母親も嫌がっていた息子も、少女の言葉に驚いた。
「…あたし、行こうか?」
小さな声をあげた少女は、銀色の髪をひっつめにしてぎちぎちの三編みに結んでいる。その顔は無表情ながら、家族が見れば頬と言わずへの字に結んだ口と言わず、全てが強ばっているのが分かる。母親は遠慮なく驚きを表した。
「ヘティ、お前急にどうしたんだい?」
問われた娘は強ばった顔の中、漆黒の目を伏せて言った。
「だって、おイモ、足りないんでしょ?」
「そうだけど、お前大丈夫なのかい?」
よく見れば、一見無表情のへティの目が潤んでいるのが分かるだろう。ただ、つんとして見える釣り目のせいで、家族くらいしかそのことには気付けないだろうけれど。
もう泣きそうじゃないか、と指摘すれば、うるうるとたまった涙が揺れる。
そこに割って入ってくれたのは叔母のハンナだった。
「まあまあ、本人が行く気になったんなら別にいいじゃない。ねえ、ヘティ」
そう言って姪の肩を抱くと、ほら、行こう、と買い出し用の籠やらなにやらを代わりにつかんで腕を引いてくれる。
表に出ると、二人はしばらく並んで歩いた。
「ありがとう、叔母さん」
「別に、買い出しに行かせるって礼を言われることじゃないんだけどねえ」
さらりと笑ったハンナの自然体の美しさにヘティは見惚れた。これで簡単なものとはいえ汎用性の高い火の魔法と水の魔法が使えるから、独身時代の彼女は引く手あまただったというのも頷ける。ヘティも人並みに魔力は持っているけれど、ささやかな土と風の魔力では商売人にはあまり売りにならないのだ。
そんな尊敬も込めて、ほう、と目を細めて見つめるのだが、残念ながら傍目には、嫌味に目を細めたようにも、見えてしまう。
ともあれ、この勝ち気でさばさばとした性格の叔母のことが、ヘティは大好きだった。
「叔母さんには、言うね。あの、買い出しにいきたかったの、素敵な人を見つけたからなの」
とたんに叔母が勢いよく振り向いたので、ヘティはびっくりして後ろにのけぞった。
「嘘本当に?!あんたが素敵な男?!誰よ誰よもうしゃべったの?」
口べたで、特に男性相手だとしゃべれなくなるほど緊張してしまうヘティだ。
なだめすかしておつかいに出しても、店に女の人が居ないと手ぶらのまま半泣きで帰ってくる…しかし周りには眉一つ動かさずに品定めだけして帰って行ったと思われる、ヘティだ。本当は口べたで内気すぎるせいで人前で笑うことすらできない緊張しいの娘なのに、世間には『鉄仮面へティ』と呼ばれている。
そんな姪が初恋をしたとなれば、興奮もするだろう。
ヘティは圧倒されつつも、なんとか口を挟む。
「違うよ、…女の子!」
「女の子ぉ?」
盛り上がっていたハンナはとたんにへにゃりと眉を下げた。
それから、本当に好きな男の人ではなく理想の女の子なのだということをへティがぼそぼそと説明するうちに、別れ道に差し掛かった。
「じゃあね。頑張るんだよ、ヘティ」
「ん。またね」
叔母と別れたヘティは、一つ深呼吸をすると、店で懇意にしている八百屋を目指す。
青物通りに八百屋はたくさんあるといっても、付き合いというものがあるから、ほいほい他の店で買うわけには行かないのだ。
ヘティはなるべく売り子に声をかけられないよう、急ぎ足で歩いた。このずんずんと効果音のつきそうな歩き方が、ますます彼女のあだ名を広めてしまうのだが、そんなことはへティには思いもよらない。ただ、話しかけられたが最後返事が思いつかずに走って逃げることになると分かっているから、必死で急ぐのみ、だ。
「安いよ安いよ~」
「旦那、いい男だから負けとくよ」
「いらっしゃいませー!」
街は様々な声で溢れている。
「お兄さん、お一つどうですかぁ?」
喧騒の中、その声が耳に飛び込んできて、ヘティはさっと顔を上げた。
声は、少し先の八百屋で客引きしている少女のものだった。目指す店を視界に捉え、ヘティは小走りになった。
店先で声を張り上げるのは、すらっとした娘だ。金茶の猫っ毛を頭の後ろで一つに束ねている。
彼女こそ、へティの憧れの少女だった。