初めての副業
「今日は一人だな」
「…はあ」
貴人が再び現れることはまずないだろうという、ヘティの予想は外れた。
一発でルーを男と見抜いた件の貴人だったが、どうでもいいと言った言葉通り、屋敷の主にそれをばらすことはなかった。それは興味が失せたからだと思っていたのだが、そうではなかったらしい。
金髪の貴人の登場に呆気にとられつつも、ルーはすぐに立ち直ると素早く辺りを見回した。
「心配せずとも、他の使用人はいない」
そう言われても、ここはお屋敷の裏庭、しかもこの前と違い真っ昼間だ。どこに誰の耳があるかなど分からないではないかと、ルーは思った。下っぱのルーが貴人の話し相手をするのは分を越えた行為で、要らぬ嫉妬を呼びかねない。
ところが、ファレルは、それを見透かしたようににやりと笑った。
「私には分かるのだ。だから、警戒せずとも良い」
とはいえファレル自体もルーにとっては警戒の対象なのだが、それは互いに口に出さなかった。
「お前に用がある」
「…なんでしょう」
「あの娘は、ちゃんと魔法を使っているか?」
「…そんなこと、私には分かりません」
ヘティのことをファレルから尋ねられて、なぜかルーの気持ちは波立った。
「お前が一番一緒にいるだろう」
「…だからと言って、いつも一緒な訳じゃないですから。本人に聞いてください」
「待て」
頭を下げて立ち去ろうとしたルーを、鋭い声が呼び止めた。渋々顔をあげると、意外にもファレルは、暇潰しというには真面目な顔をしていた。
「いいか。これは大事な話だ。この前も言ったが、あの娘の魔力量は、人より多い。それなのにどういう理由か無意識の放出量が通常より少ないせいで、魔力が体内に蓄積されている。魔力放出が少なくとも魔力の生成は体内で続いていくから、これは問題だ」
ルーはいきなり始まった魔法講義に黙るしかなかった。
この国には、庶民が魔法を系統立てて学ぶような機関はまだほとんどなかったし、庶民の中でも底辺で生きてきたルーにとっては学問というもの自体が縁遠いものだったのだ。
ルーの顔から察したのか、ファレルはふむとあごに手を当てると、言い直した。
「簡単にいうと、魔力は役に立つが、貯め過ぎると体に害がある」
噛み砕かれて、やっとルーの理解が追い付いた。しかし、同時に目の前の人物への不信もわいた。
「この間、彼女は風魔法で速度をあげていると言っていたじゃないですか」
矛盾を指摘するが、ファレルは首を横に振る。
「無意識に使う走行補助の魔法位ではもはや追いつかない。このままだと、あの娘、近いうちに体を壊すぞ」
「そんなことが、本当にあるんですか」
「稀な例だが、生まれつき魔力放出が不可能な家系を知っている。ただ、あのヘティという娘は全く使えないわけではないから、精神的な原因か何かで放出が抑制されているのだろうが」
ルーは、黙りこんで宙を睨んだ。
ファレルの緑の瞳にからかいの色はない。それに、わざわざルーを騙して暇を潰すためと考えるには、手の込んだ話だ。しかし。
この話が本当だとしても、ヘティはただのルームメイトだ。年だって、もうすぐ大人と言えるし、体調管理は自己責任だろう。
それなのに、なぜこの男は自分にこんな話をするのか。本人に直接言えば良いものを。
そんな内心をまたしても見透かすように、ファレルがルーを指差して、言った。
「お前に話したのは、この前あの娘を構ったらお前が毛を逆立てたからだ」
自分が招いたことだと言われて、ルーは言葉に詰まった。
そんな気はなかった、と言っても、なぜかどこまでも確信をもっているらしいファレルには通じそうにもない。
それで、仕方なくため息を圧し殺して、訊ねた。
「どうしろと言うんですか」
これを聞いて、ファレルはにやりと笑って肩を竦めて見せた。
「どうしろとは言わない」
訝しげな目をするルーを、彼は上から覗きこむようにして、言った。
「お前が、思うようにしろ。あの娘を生かしたいなら、魔法を使わせろ。ああ、あの娘にはとりあえず風魔法以外は難しいぞ。風魔法を使えるだけ使って、貯まっていく魔力を少しでも減らせ。どうでもいいなら、倒れるまで放っておいてもいい。それなら、私がもらっていく」
「もらうって…!」
貴族がしがない庶民、しかも死にかけの小娘の身柄を引き受けて、そのあとどうなるかなど、考えれば考えるほど暗い想像しか浮かばない。ルーは頭に浮かんだ実験動物のように扱われる娘の姿にぞっと顔色を悪くしたが、ファレルはそれをおいてけぼりにするように、手を打って話を変えた。
「ああ、それと、お前」
とん、と置かれたものに、ルーは目を見張った。
「これはお前が作ったものか」
それは、小さな花の形の木彫り細工だった。
たしかそれなりによく出来たから売り物になったはずだ、とルーは記憶をたどった。ただし、この町で作った訳ではないし、自分で売ったわけでもない。
それなのに、ファレルはすでにルーの作品だと信じこんでいるかのように続けた。
「巧いものだ。誰かに習ったのか?」
「いや、それより…なぜ、あんたが持っているんだ」
敬語も忘れて指差したルーにも、彼は怒らなかった。
「言ったろう。私は目がいい。これは、ルルムの町の市で買ったものだ」
ルルム、とルーは呟いて、それから警戒するように押し黙った。遠く離れた地方都市とこの屋敷の下働きを、なぜ結び付けたのか。
訳のわからない言動に、ルーは冷や汗をかいてファレルを見上げた。
彼は、相変わらずルーの反応に頓着しない。なぞるように花びらの縁を触っている。
「手先と魔力の感覚が鋭い。何で作った?」
「…小刀で…材料はその辺の切れ端を」
隠すようなことではないから、答えた。けれど、尋ねられるようなことでもないはずだから、ファレルという人間の得体の知れなさに声がかすれる。
「ふうん。そうか」
ふいに、ファレルはポケットに手を入れ、取り出した何かを放ってきた。
思わずそれを受け止めて、ルーは首をかしげた。それは、綺麗な色合いをした木の切れ端だった。しかし、所詮は木っ端、とてもファレルのような貴族が持ち歩くに相応しいものとは思えなかった。
「良い木だ、固いがな」
どこか楽しそうに、ファレルの唇が持ち上がる。
「それで動物を彫れ」
「…はい…」
貴族の命令に対して、ルーのようななんの力も後ろ楯もない子どもが言えるのは、基本的に『はい』の一言のみだ。命じられた内容が、謎ではあっても、無理でも苦痛でもないなら、なおのこと。
「お前、名前は」
「ルーです」
「あの娘は」
ややためらったルーは、しばしの間手の中の木を転がして滑らかな感触を確かめていたが、結局答えることを選んだ。
「…ヘティです」
「そうか」
ファレルは一つ頷いた。
「また来る。ではな、ルー」
それから、この男は、ちょくちょくルーの前に姿を現すようになった。不思議なことに、これほど目立つ容姿で、主夫妻と同じくらいに屋敷の使用人の注目を集めているというのに、彼が現れるときには他の人間は来ない。そんな謎の客人に、会うたびに木切れやナイフを渡され、ルーは下働きの合間に、訳もわからぬままに細工物を作ることになるのだった。




