始めてのルームメイト…
ルーは苛立ちをぶつけるようにフォークをトマトに突き刺した。乱暴に皮を破られたトマトは、ぐちゅっと嫌な音をたてて潰れた。
「…さいてー」
トマトの赤い汁が手の甲にまで跳んだのを、服で拭いかけて、真っ白いエプロンに気付いて乱暴に布巾でこすった。
いらいらしていた。
ルーには、自分の苛立ちの原因がよく分からなかった。誰に、かは分かっている。言わずとしれたヘティだ。
しかし、なぜこんなに彼女の一言くらいで気持ちを乱されねばならないのか、自分のことが理解できなかった。
ただ、彼女はおつかいを無事に終えた、それだけの話だったはずだ。
ルーには、なんの関係もない。そもそも、ヘティはただのルームメイトだ。なりゆきで秘密を知られはしたが、それを人に伝えようとしない限り、どこで何をしていようが、どうでもいいはずだ。
それなのに、どうしてわざとヘティが叱られるように誘導したのだろう。
訳のわからない自分の行動に、ルーは戸惑っていた。
大体にして、わざわざ慌ただしい昼休憩中に話しかけたことから、自分で自分が謎だった。
これまで通り、無視でよかったのに。
それで、さっさとあっちがギブアップするか、不干渉を貫くか、どちらかだと考えていたのに。
はあっと、大きなため息がこぼれた。
ルーは気付いていなかったが、彼にとって、ヘティは他とは少し違う枠の中の存在になっていた。
仮の姿でお姉様と言われたときから、内心変なやつだと思っていたにしろ、慕われたこと自体に悪い気はしなかった。もうずっとたった一人で生きているルーにとって、そうして寄ってこられることは初めての体験だったのだ。
けれど、それはあくまで偽物の自分に対してのことであって、本当の自分に向けられたものではないという意識は、常にあった。ヘティが嘘のない不器用な子で、慕ってくる気持ちに偽りがないことは分かっても、どうしたってそれは、『本当』にはなり得ない。彼女の慕うルーが、偽物なのだから。
そして、とうとう秘密がばれた日のこと。
衝撃から立ち直ったルーは、理想のお姉様が実は男だったと知れば、怒ったり罵ったりするのだろうと想定して、そうくる気なら嘲笑ってやろうと思った。
ところがヘティは、必死でルーを繋ぎ止めようとしてきた。
これには、度肝を抜かれた。
罵られることには、慣れていた。
厄介者扱いされることにも、だ。
けれども、どこかへいくなと引き留められたことなど、なかった。
それで、試すようなことをしてみた。お屋敷の住み込み下女に、推薦したのだ。
幸いヘティは、周囲の評判ほどまずい容姿ではない。吊り気味の目と塗りものめいた真っ白い肌は、固い表情と相まって冷たげに見える。しかし、それなりに整ってもいる。それに髪だって、ぎちぎちの針金のようなお下げが顔のわきから二本ぶら下がっているのはいただけなかったが、ほどけば輝く銀髪はむしろ綺麗だった。
それに、不器用そうだが働き者に見えたし、折れそうな割に意外と力もある。
そんなわけで、商工会は案外あっさりルーの推薦を飲んだ。
これをヘティがどうするか、ルーは目も合わせないふりをしながら、注意深く伺っていた。
拒否するなら、やっぱりねと嘲笑って去ればいい。
十中八九そうなるだろう、と思っていた。
しかし、ヘティは断りたそうにもじもじ…はたから見れば不満ありげに…しながらも、結局断らず、そのままお屋敷まで来てしまった。
そうして、寝たふりをしているルーに気付きもしない様子で同室生活を送っている。むしろ、この屋敷に着いてからなど、忙しさに追われてルーの性別のことなんて忘れてしまっているようだった。
ルーには、もうなんだかよく分からなくなっていた。
ルーには、何よりも大切な目的がある。だから、元々そのために必要ならば女のふりなど痛くも痒くもない。それにお金もいるから、下働きとはいえそれなりに良い賃金が貰える今の仕事は、魅力的でもあった。男だとばれたら半殺しだが、そこは年をごまかすために性別詐称を重ねていればどこだろうと同じことで、まあ覚悟している。
でも、ヘティはそうではないはずだ。
お金が欲しいにしろ、ここでルーとの同室がばれてダメージが大きいのは、女のヘティなのだ。さすがに、それに気づかないほど馬鹿ではないと、思う。しかし、そうなると。
「…なんなんだ、あいつ」
廊下を走ったことで叱られているだろう銀髪の少女の影を振り払うように、ルーは頭を振った。