最後の天使
風呂から上がった俺は、リビングのソファーでぐったりしていた。
パジャマも母さんが買ってくれた、襟にヒラヒラのレースがついた可愛らしいパジャマだったが。もはや、そんなことを気にする余裕はなかった。
「あらあら、ずいぶん望に可愛がられたのね」
「あいつ、あんな性格だったか?」
俺は顔を横に向け、テーブルからテレビドラマを見てる母さんに言った。
「あら、あの子は私の前ではあんな感じよ。あなたの前でだけお淑やかにって頑張ってたの」
「え? なんで?」
「鈍感ね。まぁ、その方が助かるわ」
俺は何だかよく分からずに首を傾げた。
「明奈~羽根触らして~」
ドライヤーを終わらして上がってきた望が、再び俺の背中の羽根を狙ってきた。
「させるか!」
俺は、さっそうと立ち上がり望の突進を回避した。
「も~けちんぼ。それより、ちゃんと髪乾かしてないじゃん~髪痛むから、ちゃんと乾かしなって~」
「いや、だって長いし面倒くさいよ」
俺は髪に手をあてた。正直この長さの髪は、乾かすだけでもひと苦労だろう。
「自然乾燥させます」
「ダメ!」
「うにゃっ?!」
そう言いながら、とてつもない早さで俺の後ろに回り込み羽根を掴んできた。
「に、忍者か。お前はぁっ」
「じゃぁ、言うことを聞いてちゃんと乾かしてきなさい」
「わかった。わかっ……たから。触るなぁっ」
耐えろ、耐えるんだ。俺。
「えっ、私掴んだだけでもう触ってないよ?」
「はひぇ? じゃぁ、今触っ……てるのは、誰?」
そう言いながら、後ろを振り向くと。
「ぶひぃぶひぃ、手触り抜群ぶひぃ……」
ブタが執拗に俺の羽根を撫でていた。どうりで、気持ち悪いと思った。こいつには容赦しない。
「てめぇか!! ブタあぁぁぁぁ!!」
俺は、ブタの腹に後ろ蹴りをかましてやった。
「ブフゥ!!!」
ドゴォォォォン!!
ん? ブタの姿が見えん。で、なんだこの物凄い音は。
「ちょっ、明奈……」
望が目を丸くしていた。俺は訳が分からずブタの姿を探すと、なんとリビングを横切り壁に激突し、倒れていた。
「えっ? えっ、何……これ」
ついには、俺まで目をパチクリさせた。
何せ、朝は全く敵わなかったのに、さっきはまるで人形を吹き飛ばすようにブタを蹴り飛ばしたのだ。
しかし、驚いたのがそんな状態でも母さんはドラマを見ながらお茶をすすっていた。
どんな神経してるんだ、母さんは。
「羽根が生えてるからでしょ」
母さんが顔の向きを変えずに言ってきた。更に、冷静に分析まで。肝が据わっている。いや、と言うよりはドラマに釘付けなのか。
しかし、確かに母さんの言うとおり、朝は羽根を生やしてなかった。なるほど、今の所それが原因と納得するしかなかった。
その後、10分以上の時間をかけ髪を乾かした俺は部屋のベッドに横たわった。
「はぁ、髪長いのって大変だな」
そう言いながら、俺は足をパタパタさせた。ついでに羽根までパタパタ動いた。
「うわっ、びっくりした。まだ、感覚掴めないからな~」
俺は、自分の羽根を触り感触を確かめた。ダメだ、やっぱり敏感だ、変な声が出そうになった。
「とりあえず、寝るときはしまっておこう」
そう言いながら、俺は羽根を消し布団にもぐり込んだ。
「今日は色々ありすぎて疲れた。もう寝よう」
明日になったら治ってればいいな。そんな、淡い期待を抱きながら。
そして、徐々に意識が落ちていった。
「あ~あ~テステス、マイクのテスト中~なんちゃって~」
なんだ、この声。うるさいな。寝られないじゃないか。まったく。
俺は、布団をかけ直そうとしたが布団がない。あれ、布団どこに行ったんだ。
「お~い、聞こえるか~い。もしも~し」
だから、うるさい。何なんだ。
そう思って目を開けたら、そこは自分の部屋ではなかった。
見渡す限りの白い空間が広がっていた。
「え? どこ、ここ~?!」
「あ~やっと気づいたか~」
何だ。どこから、話してるんだこいつは。
「なんだお前は!」
「何だお前ってか。そうです、私が……いや、やらせないでよ!」
何一人ボケツッコミしてんだ、こいつ。
とにかくどこに居るんだ。辺りを見渡しても、誰もいないぞ。
「あれ? もしかして僕の姿見えない?」
「見えないね。SOUND ONLYです」
「え~~?! まぁ、いいやどうせ見えないと思ってたし」
何なんだほんとにこいつは。凄く軽い奴だな。
「とりあえず、信じる信じないは良いとして。ここは君の夢の中さ。そして、僕はミカエル。大天使ミカエルさ」
あ~なるほど。俺の頭もストレスでついにおかしくなったか。
よし、もう一回寝れば多分朝になってるはず。おやすみ。
「うぎゃあぁぁぁ!!」
何か、どこからともなく電撃が。何だこれ。
「君の脳に直接電撃を送らせてもらったよ」
「何するんだ!!」
「いや~これで信じるかなと思ってね」
大天使がこんなことするなよ。あ~でも、神話に出てくる神々も決して優しくはなかったっけ。
「さて、納得いったところで。今、君の体に起こってる事を説明していいかな?」
「何?! お前、俺が女になってしまった原因知ってるのか?」
「知ってるも何も、そうなったのは僕の仕業なんだよね~」
イマナンテイイマシタ。
「だから、君の体は僕がやったことなんだよ」
心を読むな。ってか、夢の中だから何でもありとかじゃないだろ。
「とりあえず、順を追って説明するとね。君達が、『天使の羽根症候群』とか言ってる症状もね、僕の仕業さ」
ナンデスッテ。
「頭がフリーズしてるね。もう一回電撃くらわせば動くかな?」
「やめろ、分かった。何とか理解するから」
冗談じゃない、そう何回もくらってたまるか。後遺症でバカになるわ。
「じゃ、続けるね。天使の羽根が生える症状の原因は分かってるよね?」
「確か、未知のウイルスがどうとか言ってたな」
「そうだね。そして、それは実は僕がこっそり隕石に付けておいたのさ」
おいおい、この天使は何て事しやがる。それで、どれだけの人が苦労したと思ってんだ。
「まぁ、それはこっちも事情があってね。ただ、僕は2種類のウイルスを仕込ませて貰ったんだよね」
「ん? 何だって? 2種類??」
でも、発見されたのは1種類だよな。どういうことだ。俺は訳分からずに首を傾げた。絶対、頭にハテナマークが大量に浮かんでるわ。
「まぁ、人間達は1つしか見つけられてないからしょうがないけどね。1つは血液の中を巡り、翼を作り上げる為のものさ。これは特殊な顕微鏡ですぐ見られるさ」
ほぉほぉ、つまり。人類達が見つけたのはそっちのウイルスか。
「そして、もう1つこれはとっておきさ。遺伝子にひっつき、遺伝子の配列を組み替える為のものさ」
「はっ?! 何だって?」
これには理解に時間がかかる。
つまりそのウイルスってのは、遺伝子を組み替えるのか。だとしたら目に見えるどころか、更に細かな物まで見る為の顕微鏡じゃなきゃ見られないだろう。
もう、その2種類ウイルスじゃないわ。あほ。
「え~?! でも、面倒くさいからウイルスってことにしといて。その方が分かりやすいよ」
仕方が無い。大天使だから、心も読めるとしておこう。
「じゃぁ。続けるね。とにかく、この2種類はね。人間を天使にする為に仕込んだのさ」
「なっ?! 人間を天使に? 何のために」
「そんなの、天使の数が減ってるからに決まってるじゃん」
天使の数が減るなんて、何かあったのだろうか。まぁ、とにかく今はこいつの話を聞くか。
「でも、意外と失敗しちゃってね。最初に言ったウイルスしか、人間は感染しなかったんだよね」
あぁ、それで無駄に羽根だけ生えたんか。良い迷惑だなほんとに。
「2種類感染する事により血液から発見されるウイルスの方が変異し、ようやく天使になれるんだけど。皆、1種類しか感染しなくてさ~失敗失敗。と思ったら君が初めて2種類感染してくれたんだよね。因みに変異したら、顕微鏡等で見つけられなくなるからね」
「なるほど、それでこの姿ですか」
「ただ、予想外なのが。羽根が黒いんだよね。多分君の性格が悪いからだね」
うるさい。ほっとけ。どいつもこいつも余計なお世話だ。
「まぁ、とにかく。このままじゃ天界に上がれないので、君にはその性格を直して貰うよ」
「なっ、なんだって!!」
性格を直すってこいつ、簡単に言いやがって。それが出来たら、こうも苦労はしないわ。
「あ、やっぱり。その性格直したかったんだ~」
「がっ……ぐ。うっ、うるさい。」
俺は反論しようとしたが先に言われてしまった。開きかけた口をパクパクさせながら、なんとか誤魔化したが……誤魔化せてないな。
「まぁ、すぐにとは言わないよ。はい」
奴がそう言うと、急に目の前が光り出し黒い石の付いたネックレスが現れた。俺は、それを受け取るとまじまじと見つめた。
「それは、君の性格を色で表してるのさ」
「へぇ~、じゃぁ俺の性格はどす黒いと」
「人を見下しすぎだからね~」
見事に俺の問題点を上げやがって。
「とにかく、性格がよくなればその石は白くなる。性格良くってのがよく分からないなら、一日一善を心掛けてみなよ」
うん、それは仏教の考えだ。いいのか、天使が使って。
「こっちにも1日1回は良いことをするって、よく言うからね。分かりやすく君達の国の言葉で解釈して上げたんだよ。そういう上げ足取りなとこも性格悪い所以だね~」
「悪かったな……」
「とにかく、石が白くなれば。羽根も綺麗な白になるからね~」
確かに、この性格は変えたいとは思っていたさ。丁度いいじゃないか。
「しかし、納得いかないのが。何故女なんだ?」
「簡単に言えば、ウイルスの副作用かな。天使の体にするために色々いじっちゃうんだけど。その時、染色体もおかしくしちゃうみたいだね。2種類感染した人は初めてだから、この変化には僕も驚いたよ」
大天使まで予想外だったわけか。じゃぁ、もう元に戻るのは絶望的だな。
「はぁ……」
俺はがっくりと肩を落としため息をついた。
「まぁまぁ、せっかくの美少女だし良いじゃん~」
「そういう問題じゃない」
「さて、ざっと説明はこんな所。そろそろ朝になりそうだし今日はここまでだね。あ、最後に1つ。その体、羽根が生えてなくても、ちょっとした怪我とかはしなくなるし、羽根が生えてる状態では、人間ではあり得ない力と能力が備わってるけど。使いすぎないように気をつけるんだよ」
「ん? 能力まであるのか? どんな?」
「それは戻ってからのお楽しみ~」
そう言うと、いきなり足元から落下する感覚に襲われた。というよりも落ちていた。
「うおぉぉぉぉお! こういうのは普通、目の前が真っ白になってくだけじゃないのか~!?」
「そういう仕様だから、“しよう”がないです」
「……」
いきなりオヤジギャグ言うから真顔になってしまい、そのまま俺は落ちていった。
「冗談はさておき、先の大戦でこの世界の天使は絶滅しちゃったんだ。この僕も今は思念体さ。君が最後の天使になるかもなんだよ。頑張ってね」
何か聞こえた気がしたが、意識が遠のいておりはっきりとは聞こえなかった。