八千代先輩のお迎え
雪輔には悪いけど、急がなきゃ。
なにげにもう約束の夕方。
「ごめん、私今日急ぐから…先帰るねっ」
背を向けると、雪輔が手をつかんできた。
その眼差しはやっぱりすべてお見通し。
鬼気迫る表情だった。
「おまえ、まさか…やめとけよ。
何されるか分かんねぇぞ!」
確かに。
八千代先輩の館に行くなんて、生け贄みたいなものだ。
それでも心は変わらない。
私を動かしているのは何なんだろう、―――分からない。
でも…行かなきゃ、八千代先輩が呼んでる。
「ごめん、行くわ」
引き止める手を振りほどき、私は駆け出した。
『夕方、月が出る頃』
確かそう言っていた。
でも私…八千代先輩の家、知らないんだけど。
と、固まっていた私だったが、インターホンを押す音に我に返る。
外に出ると長い車が止まっていた。
車種は全然知らないけど、胴体の長い、金持ちって感じの車。
「おや可愛らしいじゃないか。
それは僕が贈ったドレスだね。
気に入ってくれたのかな?」
つらつらと話ながら淀みなく言葉をまくしたてる彼、八千代先輩。
学校の外で会うのは初めてなので、少し緊張する。
「…打ち上げパーティって聞いたので着たんです」
私の前でにやにや笑っている八千代先輩も、スーツ着てるし。
しかも高そうだ。
八千代先輩はお金持ちなのかな?
「ご明察かな、まだ僕の金ではないけれども。
さてこんな夜道に立ち話もなんだ。
狭いけれど車に乗るといい。
ささやかだけど先に祝杯をかわそうじゃないか。
―――さぁ、乗り給え」
車のドアを開け、中に手招きする。悪魔みたいに。
私は自分の家に心の中でさよならをし、黒い車へと足を踏み入れた。
ばたん、とドアは自動で閉まる。
動きだす車の音はとても静かだ。
「ようこそ僕の屋敷へと歩む馬車へ。
とは言っても全て僕のものではないけどね。
これでもまだ高校生の未成年だから責任は背負えないのかな。
とはいえ、この馬車に乗ってくれたということは僕のお願いを考えてくれるということかな?」
私は黙る。
私と八千代先輩は向き合って座っていた。
まるで敵対するかのように。
八千代先輩はそんな私の様子を満足そうに見入っている。
「君は僕が話しだすと黙ってしまうのかな。
あまりお喋りは好きじゃないのかな?
見た目もそんな感じだけど違ったらすまない。
さて僕のお願いを聞いてくれたというなら話は早いかな。
そんなに話すこともなくなってしまうくらいに…
…一言で終わる」
すると細い指が私の顎を捕らえる。
真面目な瞳は真っすぐ目線をそらさない。
私はごくりと唾を飲む。
「僕のものになれ、くきら。
そうしたら爪の先から骨の付け根まで、余す事無く完璧に愛してあげよう。
…僕のものになるかい?」
否とは言えない。
でもどうしてなんだろう、怖いから?
そうじゃない…
「私から一秒でも気をそらしたら、殺すわよ」
私の言葉に、八千代先輩は満面の笑みを浮かべる。
唇を引き寄せ、口付けをした。
「さぁ、…おいで」
互いに引き寄せられるようにきつく抱き締めあう。
私は気付いた。
この恋は必然だったのだと。
二人はお互いに引き合っていた。
寂しさを捨てたいと願っていて、それを達成したのだ。
「くきら、君だけは僕のものにしてあげよう」
「永遠の約束よ」
無論だよ、と私たちは何度目かの口付けをかわす。
はたして月夜の館の扉が開く。
それは寂しさの終わりであり、全ての始まりだった




