五
誰かと一緒に山登りをしたことはあるが、自分よりも経験のない人と二人というのは初めてだった。だから、浮き足だっていたのは私の方かもしれない、と鷹見は思った。
ペース配分を考えないで歩くと途中でバテるだろうと考え、速くなりすぎないように注意して歩いてきた。しかし、あんな痛い思いをしては山登りが嫌になってしまったかもしれない。
食事をしたところで座って、周囲の景色を眺めながら鷹見はここまでの道のりを振り返っていた。天水はここに来たことを後悔していないだろうか。それが一番の気がかりだった。
「ここにはロープウェーで上がってきた人も多いですよね」
隣に腰を下ろしている天水が尋ねた。
「そうだね。半数ぐらいはそうじゃないかな」
「ロープウェーを使っても、歩いて登ってきても、見える景色は同じなんですね」
隣の、頂上が切り立った岩の山を見ながら言った。
「うん。変わらない。山頂に来るだけならロープウェーの方が楽だし、早い」
「登っているときに、上を過ぎていくのを見てそんなことを考えてたんです」
「乗ってきた方がよかった?」
「何度かそう思いました。特に最後の方は。そのときはたぶん頂上のことしか考えていなくて、今いる場所はただの通過点なんだって思ってました」
「今は?」
「あの山道を登ってきたから、休憩した場所からの景色が見られたんですよね。あそこからの景色が印象に残ってるのは、達成感もあると思いますが、それだけじゃない気がします。きっと自分の足で歩いてこなかったら味わえない感覚だと思うんです。だから、登ってきてよかったです。連れてきてくれて、ありがとうございました」
「どういたしまして」
鷹見は趣味でよく山に登る。登山いうほど本格的なものではないが、休みがあれば県内や隣県の山に出かける。
山道を歩いていて、つらいと感じ、こんな思いをしてどうして登っているのだろう、と考えることが何度もあった。
その疑問に、はっきりとした答えを未だに出せていない。しかし、天水の話を聞いて、それでもいいかと思った。無理に理由付けをすることはない。言葉にできないことなら、言葉に当てはめなくてもいい。
理由なんてわからなくても山頂は心地いいものだ。考えることはやめたくないが、急いで答えを出すことはない。
「なんか終わったみたいになってるけど、山登りは山頂についてやっと行程の半分だからね」
鷹見は感傷を悟られないように、話を変えた。
「下りですね」
「まあ、今日はロープウェーを使うけどね」
「えー、大丈夫ですよ。歩けますって」
「ダメ、無理はしない。下りのほうが大変なんだよ、山道って。疲れているから、怪我しやすくなるし」
天水は少し考えてから、
「わかりました。それなら時間がありますし、しばらくここにいましょう」
珍しくあっさりと引き下がったので、鷹見は拍子抜けした。それを見て、天水が、
「意外そうな顔してますね」
「のれんに右ストレートした気分だ」
「押すぐらいにしといてくださいよ。扉が閉まってたら壊しちゃいますって」
「果たして壊れるのは扉か、それとも私の拳の方かな」
「体を大切にしてくださいよ」
雪のないスキー場の斜面を蛇行して下りた。斜面の終わりにある階段まで来て、ふと振り返ると、天水がじっと地面を見ていた。斜面には青い小さな花が隙間をおいてたくさん咲いていた。
「登るときは気付きませんでした」
「いっぱいいっぱいだったからね。私も見落としてた」
ロープウェーの山頂駅まで来て、切符を買って乗り込んだ。さっきまで見上げていた場所に来たが、鷹見には格別の感慨もない。
「ロープウェーがあると、なんか、損したような気になりますね」
天水が山道を見おろしながら小さな声で言った。
「うん。わかる」
「次は、よかったらですけど、ロープウェーのない山に連れて行ってください」
「……わかった。考えておくよ」
麓の旅館で日帰り入浴をして、帰りの電車に乗った。山脈の上の方だけに薄赤い日が当たっていた。