衝突
化粧坂多賀子の機嫌は最高だった。
一年にわたって彼女の頭を悩ませ続けて来た問題が今日遂に決着を迎えようとしている。
強制執行の手続きはそれほど手間取らず、一週間ほどで許可が下りた。施行の日程も業者と相談して段取り良く進めることが出来た。今までの停滞が嘘のように物事が進んで行く。全てが彼女の追い風になっている。決断は正しかったと化粧坂は確信した。
今朝も目覚めは健やかだったし、寝癖を直すのも手間取らなかった。化粧のノリもここ数ヶ月では一番だ。出勤も道が渋滞していなかったので楽々だった。鼻歌のひとつでも歌ってやりたかったが、流石にそれはやめておいた。やめておいたが無意識に何か歌っていたかも知れない。
公園の前にはブルドーザやショベルカーが数台と、屈強な男たちが数名待機している。普段ならむさ苦しくて一緒にいたくないが、今日だけは頼もしく見える。先ほどまで現場チーフと打ち合わせをしていた天野が、時計に目をやりつつ化粧坂の元にやって来た。今日は安全用のヘルメットを被っている。
「午後12時です」
「時間ね。始めようかしら」
化粧坂は拡声器を使って公園の中へ呼びかけた。
「オンボロロボット! 聞こえる!」
わんわんと音が反響して空に消えていく。
しばらくしてトコトコとピノが公園の入り口に現れた。
「ワタシにはP-NO1と言う製造番号があります」
いつもの口調でピノが答えた。これから公園から追い出されるというのに、実にのんびりとした返事で何だか間抜けだ。こいつには危機感というものがあるのだろうかと化粧坂は少しイラついた。
「ロボットの癖に口が減らないわねェ」
「化粧坂さん、落ち着いて」
ハラハラと状況を見守る天野が口を挟む。見た目よりも化粧坂はずっと冷静だ。
「わかってるわよ。あなたは例の物用意しておいて」
「分かりました」と返事をして天野は業者のチーフの方へ向かった。
化粧坂はピノの前に一歩踏み出し、懐から市の許可証を出すとそれを突きつけた。
「これから強制執行を執り行います。もう一度だけ確認するわよ。本当にそこを立ち退く気はないのね?」
「ありません。ワタシはここを離れるわけにはいかないのです」
やはり返事は変わらない。話すだけ無駄だったかと化粧坂が背を向けた途端、予想外の言葉が背後から飛んできた。
「どうしてもあなた方がここを壊すというならワタシにも考えがあります」
ゆっくりと振り返るが、そこには見慣れた薄汚れたロボットが一体ぽつんと立っているだけである。どうやら今の言葉はピノから発せられたものと考えて間違いないだろう。予想外の反応に化粧坂の頬がいびつにゆがんだ。
「へえ。どうしようって言うのかしら」
今さら何が出来るのかと半ばさげすむようにピノに嘲笑を飛ばす。ピノは少し首の位置を上げ、化粧坂をじいっと見た。まるでにらみつけているようだ。
「闘います。ここから追い出されるわけにはいかないのですから」
「面白いじゃない、受けて立つわ」
宣戦布告とばかりに、化粧坂はパチンと指を鳴らした。その瞬間、待機していたブルドーザーとショベルカーのエンジンが一斉にかかり、獰猛な獣の如くうなり声を上げた。その後ろには削岩機やワイヤーソーを持った男たちが控えている。この従順な兵隊たちは、化粧坂の次の合図で一斉に公園を叩き潰す。今の化粧坂は獣使いそのものだ。
「な、何ですか?!」
あまりの騒音に一瞬ピノがひるんだ。無感情だと思っていたピノがひるんだのを見て、化粧坂は自分が圧倒的に優位に立ったのを実感する。
「良く言うでしょ? ウサギを殺すにも獅子は全力を尽くすって、私ってそう言うタイプの人間なのよ」
指揮者のように軽く指を振ると巨大なブルドーザが化粧坂の横にやって来た。中には天野も既に乗り込んでいる。さあて、どこから取りかかろうか、ゆっくりと唇をなめ、突撃の合図を出そうとしたその時である。
突然男が軍団の前に立ちはだかった。いや、立ちはだかったという表現は微妙である。公園と化粧坂の間に割って入ったことには違いないのだが、ゼエゼエと息を切らせて地面にへたり込んでいる。エンジン音で気づかなかったが、どうもこの事態を見て慌てて駆けつけたらしい。よく見ると知っている顔だ。確か、最後通告の時にこの公園で会っている。名前は確か楠山。三流以下の出版社に雇われているしがないフリーライターのはずだ。
「あら、この間の物書きさん、こんにちは。どうしました? ずいぶん急いで来られたみたいですけど」
思わぬ邪魔が入ったことがシャクだったが、自分が優位であることには変わりない。それに相手は腐ってもライターである。化粧坂は今回は前回より幾分丁重に扱うことにした。
ゼエゼエとへばっていた楠山はようやく呼吸を整えたらしく、ふらふらと立ち上がる。
「坂の下で物凄いエンジン音がしたから何事かと思って走ってきたんです。それにしても一体何の騒ぎですか、これは。 ロボット一体を追い出すのにこんな物が必要なんですか?」
「ここは市が管理している土地なんですよ。私がどうしようが勝手でしょう」
「しかし、これではあまりにも横暴じゃありませんか? 強制執行をするにしてももっと他にやり方があると思います」
横暴という言葉が化粧坂の逆鱗に触れた。顔色が見る見るうちに赤くなる。
「横暴? 冗談じゃないわ。あいつはここに勝手に住み込んで自分の家みたいな顔をして、工事を一年も遅らせているのよ。横暴というならどっちが横暴かは、自明の理だと思いますけど」
物凄い剣幕に後ろにいる男たちもひるんだ。化粧坂がこういう状態になると反論出来るものなどほとんどいない。壮絶なまでの迫力が有無を言わせないのだ。普段ならここで会話は終了するところである。しかし、ひるみながらも楠山の目は死んでいなかった。
「ピノにはピノなりの理由があるんですよ。ここは、あいつにとっては何か大切な土地なんです。だから居座り続けたんだ」
「大切な土地? 何ですか、大切なものって」
ううっと楠山はうなった。どうも自分の考えに自信がないようだ。いや、この男の場合、自分の人生や存在そのものに自信がないと言っていいかも知れない。常時おどおどしている。そんなに自信がないなら口を出すなよと化粧坂はさらにイラついた。
「それは、分かりません。ピノには昔の記憶がないらしいんです」
絞り出すように楠山が言う。こいつは馬鹿だと化粧坂はこの時点で見限った。
ロボットが記憶喪失というのもくだらないし、そんなロボットの話に耳を傾けるこいつもこいつである。何を血迷ったかは知らないが、こんな世迷い言でまた工事を先延ばしにされたらたまったものではない。思わず、馬鹿馬鹿しい!と吐き捨てるように怒鳴った。
「いいですか、今この町は成長している最中なんです。色んな所から入居したいと思っている人が集まってきています。それらの人達を受け入れて、住む場所を確保して与えてあげるのが私の仕事です。たった一体のロボットの勝手に振り回されて大勢の人の期待を裏切ることは出来ません」
「しかし…」
楠山はまだ納得が行かないようで、ごにょごにょとまごついている。ぐうの音も出ないくらい言い負かす必要があるようだ。
「聞いていれば、さっきからあなた、あのロボットの肩を持つようなことばかり言いますね。どうしてですか。あのロボットの味方なんですか」
最後の部分は業者に聞こえるように強調した。後ろに控えている業者は皆、ピノのせいで工事を一年遅らされた連中である。曰ば、化粧坂と同じ被害者である。この作戦は功を奏したようで、突然の珍入者に戸惑っていた彼らの目に一様に怒りの色が映った。誰も彼も「ロボットの仲間ならタダでは帰さない」と言わんばかりに殺気に満ちている。
それを見て「そういうわけじゃ」と楠山が口ごもった。
「じゃあどういうわけでしょう」
化粧坂のたたみかけに楠山はううっと叫んだ。少し泣きそうな顔をしている。どうしていいのか分からないのだ。化粧坂は勝利をほぼ確信した。ここまで追いつめられれば反論の余地などあるまい。このままピノの味方を続けていれば間違いなくタダでは帰れない。そのリスクを背負う度胸などこの男には絶対ない。
楠山は苦悶の表情を浮かべたまま何も言えない。
化粧坂は最高の笑顔で微笑みかける。
「それでは初めてもよろしいですか?」
「…興味があるんです」
「…は?」
「僕は記者です。興味で調べてはいけませんか?」
「…興味?」
楠山がきっと化粧坂をにらむ。その目には力が宿っていた。マズい展開だと化粧坂は思った。
「なんでピノはあんなにこの公園にこだわるのか。そうまでして守りたい物は何か。この公園にどんな秘密が隠されているのか、僕はそれが知りたいんです」
「秘密なんてありません。あったところで壊して地面を掘り返してみれば分かることです」
「だったら追い出されることに対してあそこまで抵抗しないはずだ」
「では見つけられたらまずい物でも埋まってるんじゃないですか?いずれにしても掘り返せば分かります」
「本当にそうでしょうか」
「ああ、もう。時間の無駄です! あなたと話をしていてもらちがあきません。どこまで行っても平行線。いいですか、あなたがどう言おうが、私は市の命令で動いています。本日の強制執行はちゃんと許可を得てやってきました。あなたに止める権利はないんですよ」
いい加減邪魔はよしてと化粧坂は金切り声を上げた。辺りが一瞬にして静まりかえる。
「クスヤマさん」
静寂を打ち破ったのは、化粧坂でも楠山でもなかった。楠山は呼ばれた方を見る。ピノが公園から出て、楠山のすぐ後ろまで来ていた。
「クスヤマさんですよね。あなたの名前」
「ああ」
「名前の概念を少し理解しました」
そう言うとピノは身体を45度傾けた。おじぎのポーズである。
「ありがとうございます。ワタシのために」
「…別にお前のためじゃ」
傾けていた姿勢をを元に戻し、首だけ上げてピノは楠山を見た。
「でも、もう良いんです。人の土地に勝手に上がり込んでいるのはワタシの方なんですから。悪いと言うことも分かっています。追い出されたのなら、それはそれで仕方のないことです。ただ、ワタシはどうしてもここを離れるわけにはいきません。例え追い出されたとしても最後まで抵抗してここに居続けようとすることしかできません。そうインプットされているのですから」
そう言われて楠山は何も言えなかった。そうなのだ。これはピノと化粧坂たちの問題なのだ。部外者の自分が口を挟むべき問題ではない。
うなだれる楠山を通り過ぎ、今度はピノが化粧坂たちの前に立ちはだかる。
「ここから先はワタシ一人の戦いです」
「へええ。威勢がいいじゃない。覚悟が決まったという事かしら」
サディスティックな笑みを浮かべ、化粧坂が言った。先ほど楠山とやり合ったおかげですっかりヒートアップしているようだ。
「覚悟という概念が理解できません。私はここを離れるわけにはいかないだけです」
「ふん。その減らず口も今日までよ」
そう吐き捨てると、化粧坂はステップを上り、ブルドーザに乗り込んだ。後部座席では天野がすっかり怯えている。
「エンジン全開で、このきゃしゃな公園を叩き壊してちょうだい」
運転手は分かりましたとだけ答え、思いきりアクセルを踏み込んだ。情けも容赦もなく、冷酷に冷徹に、ブルドーザーが猛スピードで発進する。まだ入り口付近に楠山がいるにも関わらず、猛獣のような勢いでブルドーザーは突っ込んでくる。楠山は慌てて飛び退いて思わず目を伏せた。これから起こる惨状を見るのが怖かった。いや、それよりも自分のふがいなさが悔しかったのかも知れない。
が、楠山の予想に反して物を壊すような音が聞こえてこない。それどころか業者の人間たちが驚嘆の声をあげているようだ。恐る恐る目を開くと、巨大なブルドーザーをピノががっしりと受け止めていた。
「ピノ!」
思わず叫ぶ。信じられない光景だ。ブルドーザーはピノの何倍もあるというのに。
「ええい。往生際の悪いロボットめ。もっとアクセルを踏みなさいっ!」
化粧坂が助手席で吠えている。流石に受け止められるとは思ってもいなかったらしい。運転手は一瞬ためらったが、物凄い剣幕の迫力に押されさらにアクセルを踏んだ。じりじりとピノが押される。
どう見てもピノの方が分が悪い。あの小さな身体にブルドーザー一台を受け止められるほどの力が備わっていることは予想外だったが、比重の差から見てあれだけの負荷を受け止められ続けるとは到底思えない。それにピノの身体はかなり疲弊している。全身にかかるダメージは相当大きいと思われた。現にあちこちから火花が出ている。
「ピノ、やめろ! バラバラに壊れるぞ」
「分かってます。負荷がとっくに限界を超えています」
声も絶え絶えにピノが答える。苦しそうだ。ぎぎぎぎとどこかが軋む音がした。ボンと音を立てて、脇下の辺りから煙が吹き出す。ネジも数本飛んで地面に落ち始めているようだ。楠山は見ていられなかった。
「頼む、やめてくれ!」
「それは出来ません。ワタシはこの公園から離れるわけにはいかないんです」
「お前が壊れたら元も子もないだろう」
「私が待っていなければ…」
「何?」
「待っていなければ行けないんです」
「待っている? 誰をだ?」
「分かりません。時々思い出すんです。懐かしい顔なんです。きっとその人を…」
そこまでだった。遂にピノの腕が限界を超え、ショートから小さな爆発を起こした。
それと同時に今までの拮抗が一気に崩れ、ブルドーザーは意図も簡単にピノを跳ね上げた。
全てがスローモーションのようにゆっくりと放物線を描いてピノは宙を舞い、そのゆるやかさからは想像も出来ないほど、残酷で無情で無慈悲な加速度と衝撃をもって地面に叩きつけられた。彼はぴくりとも動かない。時間が止まったかのように、彼は動かなかった。
惨劇に場が凍りつく。
「ピノ!」
楠山は声の限り叫んだ。しかし、もうピノの耳に届いていないことは誰の目にも明かであった。