再会
天野はどうして良いか分からず、ただ泣きじゃくっていた。
目の前で上司が人を轢いたのだ。正確には人ひとりとロボット一体である。自分はどうすることも出来なかった。直前で止めには入ったがまるで駄目だった。
間違ってると決められると自信がなくなる。昔から天野はそうだった。だから、何となく流されて生きてきた。多数決の多い方に流されて生きてきた。楽な生き方ではあった。しかし、得られるものもなかった。
もっと自分が化粧坂に強く反対していれば、こんなことにならなかったのではないかと後悔だけが頭を駆けめぐる。何が出来たかと言われればきっと何も出来なかったかも知れない。事情を聞いた人は「頑張ったよ」と励ましてくれるかも知れない。だが、そんなことよりも自分の意志の弱さが悔しかった。
突然、ブルドーザのエンジンが咆吼を上げた。
天野はびくりとなった。事態は終わったのではないのか?
止まっていた時間が再び動き始めたように、不安と混乱が公園全体を包み込む。
ブルドーザがさらにぐるるとうなった。アクセルをさらに踏み込んでいるようだ。
「こいつ、また!」
運転席から化粧坂の声がした。
まさか…!
天野は恐る恐るブルドーザの前方へと移動した。
そこには信じられない光景があった。
楠山とピノがブルドーザを懸命に受け止めていたのだ。
楠山はもちろん普通の人間である。ブルドーザを受け止められるわけがない。
そのほとんどの負荷をピノが背負っているのだ。
故障して動かないピノの負担を軽減する形で楠山がブルドーザを支えている。
化粧坂がさらにアクセルを踏む。楠山たちはじりじりとブルドーザに押され始めた。
「クスヤマさん! 早く!」
ピノが叫んだ。
「分かってる! だけど…あまりにも強すぎる!」
楠山は顔を真っ赤にして叫んでいる。
何を…何をしようとしているのだ…。この二人は?
「あのう!」
天野は思わず声を上げた。
楠山とピノはこちらを見る余裕がないようだ。前方を向いたまま必死でブルドーザを押さえている。
「あのう!」
天野はもう一度呼んだ。
「なんだ!」
真っ赤な顔で楠山が叫んだ。
「な、何かお手伝い出来ること、ありますか?」
口にして初めて自分の思考を理解し、天野は驚いた。
「止めてくれ!」
楠山が叫んだ。
「と、止めてくれって、何を!」
「決まってるだろ! コイツだよ!」
「でも…どうやって!」
「鍵を引き抜くんだ」
「鍵…?」
「俺とピノがコイツを受け止めてるから、だから鍵を!」
そこまで聞いて、天野はようやく二人の作戦を理解した。
当初はピノが受け止めて、楠山が鍵を奪う作戦だったのだろう。が、思いの外負荷が大きくて二人とも動くに動けなかったのである。
「ピノの身体が限界なんだ! 後どれくらい保つかも分からない! 早く!」
見るとピノの腕がバチバチと火花を上げている。ピノは先ほど一度ショートを起こしてブルドーザに撥ねられている。再起不能ではなかったとは言え、身体は既にボロボロであろう。その状態で、再びブルドーザを受け止めているというのは想像を絶する負荷が彼の身体にかかっていると言うことになる。楠山に至ってはただの人間だ。ピノが活動を停止したら彼はひとたまりもない。あっという間にブルドーザの下敷きになってしまうだろう。
私が。
私がやらなければ。
天野は立ち上がった。先ほどまで情けなくだらしなく腰を抜かしていた身体が嘘のように動く。
大切なことにようやく気づいた。
化粧坂の言う通り、理屈では自分は間違っているのだろう。おかしいのだろう。だが、正しいだけが全てではないのだ。
世の中は白か黒かなんて二分出来ない。常にグレイゾーンがあって、その中で自分の正義を信じて選択するしかないのだ。天野は自分の正義を信じて行動することにした。少なくとも、今の化粧坂がしていることは間違っている。どんな理屈があろうとも、どんな背景があろうとも、彼女を止めなくてはいけない。
天野はブルドーザに駆け寄り、運転席の窓を叩いた。
「化粧坂さん! 開けてください!」
しかし、化粧坂は天野の方を見ようともしない。
天野は公園を見渡した。
何か…何か使える物はないか。
と、遠くに大きなコンクリートの塊が落ちているのが見える。削岩機で壊された滑り台の一部である。急いでそれに駆け寄り、持ち上げようとするが重くて持ち上げられない。
「誰か!」
天野は力の限り叫んだ。
「誰か手伝ってください! お願い!」
必死の声に作業員が数名駆け寄ってきた。
「運ぶのを手伝って! お願い!」
天野の形相を見て、わけも分からず作業員たちがコンクリートの塊を持ち上げる。
天野は重いコンクリート塊を持って再びブルドーザへと戻った。
化粧坂に直撃しないよう、助手席側のドアにつく。
「投げ込んで!」
コンクリートを持っていた作業員たちが明らかに動揺した。一応彼らは化粧坂側の人間なのだ。そんなことして問題にならないかとひとりが口を開く。この期に及んでまだそんなことを言うのかと天野は呆れた。
「人命がかかってるの! 早く!」
「人命」と言う言葉を聞いてようやく作業員たちは決心がついたらしく、コンクリートをブルドーザの助手席目掛けて投げ込んだ。派手な音がしてガラスは粉々に砕かれ、ドアにぽっかりと空間が開いた。天野はその中を覗き込んだ。
ガラスまみれになった化粧坂が茫然自失としている。
天野はガラスに気をつけながら、ドアロックを解除し、ブルドーザの中に入った。
何が起こったのかをようやく理解した化粧坂が、ぎらりと目を細めて天野をにらみつけた。
「天野…あなたねぇ…」
「エンジンを停止して鍵をこちらに渡してください」
「自分が何をしたか分かってるの?」
「早く停止してください! 化粧坂さんこそ、何をしているか分かってるんですか!」
化粧坂は下唇を噛んだ。
よく見ると飛んだガラスであちこちに細かい切り傷を作っている。
「これ以上続けるというなら、警察を呼びます。お願いだから、鍵を渡してください」
化粧坂はふてくされた顔でエンジンを停止し、鍵を抜いて天野に渡した。
「何でよ…」
声を震わせながら化粧坂が静かに呟いた。
「なんでこうもうまく行かないの!」
車内に化粧坂を残し、天野は楠山とピノの元へと戻ることにした。二人がどうなっているか心配だった。ブルドーザの前の方に行くと、楠山がピノを抱きかかえて泣いていた。
天野は息を飲んだ。
ピノの損傷は想像以上にひどい。
腕はボロボロに崩れて、肘から下がない。
足も負荷に耐えきれずに壊れてしまい、いびつな曲がり方をしてだらりとぶら下がっている。
間違いなく瀕死だ。このままだと助からないのは目に見えて明かであった。
「あ、あの! 大丈夫なんですか!?」
分かっていても声を上げずにはいられなかった。楠山はゆっくりと首を横に振る。
既に目が見えていないのであろう。天野の声に反応してピノが答える。
「もう体のあちこちが言うことを聞きません。90パーセント以上の機関が大破しています」
「無茶するからだよ、馬鹿野郎」と楠山が涙声で言った。天野もつられて涙が出てきた。
「時間です」
楠山の言葉を無視してピノが突如として口を開いた。
「え?」
「タイムホールが開きます。はやく、この場から離れてください」
突如として砂場の上に小さなひかりが発生した。野球のボールほどの大きさのものだが、ひどく眩しい。天野は凝視出来ずに目を背けた。
「な、なに? この光」
それを見て楠山が慌ててピノを背負い、天野を引っ張る。
「この場を離れないと、こっちに来て」
「何なんですか? これ?」
「早くしないと巻き込まれるぞ!」
楠山の必死の形相に天野も慌てて立ち上がる。
「あんたたちも早く逃げろ!」
楠山の声に反応して、まわりにいた作業員たちもわけも分からず逃げ出した。どうあれ、あの光が尋常なものでないことは間違いない。
楠山はブルドーザから力無くうなだれてる化粧坂も引っ張り出した。が、化粧坂はどうでも言いように立ちつくしている。楠山が天野を呼ぶ。
「この人を頼む。俺はピノを背負ってるから」
長身の化粧坂をひとりで運ぶのはとても無理だったので、天野は近くの作業員に声をかけて数名で化粧坂を運び、滑り台の影に隠れた。
光の玉はどんどん大きくなり、限界まで膨張したかと思うと、一瞬収縮した後音もなく弾けた。まばゆい閃光が辺りを白い世界へと変える。
光がようやく治まり、ようやくまわりの風景が見えだしたので、楠山は砂場の方へ目をやった。放置されていたブルドーザは忽然と姿を消し、代わりに初老の男性が座り込んでいた。学生の頃に何度か教科書で見た顔だ。間違いなく瀬戸平助博士その人だった。
瀬戸博士は状況がまだ把握出来ていないようで、辺りをきょろきょろ見回している。
楠山はピノを再び背負い、博士の下へと向かった。
「瀬戸博士ですね」
楠山に呼ばれて博士は振り返った。怪訝な表情をしている。
「そうだが…君は?」
「楠山と言います。あなたが来るのを待っていました」
「私を待っていた?」
「正確に言うと待っていたのは僕ではありません。コイツです」
そう言って楠山は背中に背負っているピノを静かに下ろした。
「ピノ!」
博士は驚いた表情でピノに駆け寄った。
「ひどい壊れ方だ。何があったんだ」
博士は楠山を見上げる。
「ピノがいると言うことは、今はいつなんだ? 私は10年前に遡ろうとしたはずなんだが」
楠山が口を開こうとしたその時、ピノが消え入りそうな声で「博士」と呼んだ。
「どうした、ピノ。何があったんだ」
「今は、博士がタイムマシンの実験をしてからちょうど100年後の世界です」
「100年後? 実験は失敗したのか?」
「そうです。博士がいない間に時間が遡れないことが証明されました。だからワタシはずっと待っていました」
「待っていた? 100年もずっとここでか?」
「はい。ワタシは博士の家族ですから」
博士の表情が悲しげにゆがんだ。
「ピノ…、すまない…私はお前を…」
その先は楠山にも分かった。
彼はピノを捨てようとしていたのだ。いや、正確に言うなら「博士の知っているピノ」を捨てようとしていた。タイムマシンで10年前に戻って、妻と娘を救うことに成功すれば、ピノは必要ではなくなる。例え二度目の歴史の中でもう一度ピノを作ったところで、それは「博士の知っているピノ」ではない。ピノは博士との生活の中で「ピノ」としての人格を育んだのだから。
博士は、ピノよりも家族を選ぼうとしていた。だが、ピノは博士の「家族」と言う言葉を胸に待っていたのだ。
必ずまた逢えると信じて。
だから、もう二度と別れさせてはいけない。楠山は強くそう思った。
「詳しい話は後にさせてください。博士ならピノを直せるでしょう? お願いです。早く直してやってください」
博士はゆっくりとうなずいた。
「どうやらその方が先決のようだな。だが、これは難しいぞ。ボディのほとんどが使い物にならない。この時代のテクノロジィを俺は知らない。第一部品があるかどうか…」
「そんな…」
楠山は絶望的な気分になった。確かに新しいものよりも古いものの方が手に入りにくい。100年前では容易に手に入ったものでも今では入手困難なものもいくつかあるだろう。
そんな二人の会話を聞いて、ピノはゆっくりと首を横に振った。
「別に良いです。もう一度博士に会えたのだからワタシは幸せです。幸せという概念を少し理解できた気がします」
「何言ってるんだ。絶対直る」
楠山は励ましたが、気休めにもならないことは自分でも分かっていた。
ピノは楠山の方を向く。既に視力を失っている彼は声にのみ反応をしている。
「それにワタシは少し疲れました。100年も待っていたんですから。少し眠らせて下さい。疲れる。博士が言ったとおりですね。体が重たいです」
楠山はもう返事が出来なかった。返事をすれば、全てが崩れてなくなってしまいそうだった。また逃げるのかと心のどこかで冷静な自分が訴えかけていたが、今の楠山には何も出来なかった。
「ピノ」
徐々に反応が弱くなるピノの手を握り、博士はゆっくりと話しかけた。
「何ですか? 博士」
「…ありがとう」
「何故、礼を言うのですか」
「人間は複雑なんだよ」
「そう、思います」
「お前は、間違いなく私の家族だ」
「定義の問題ですね。以前博士から聞きました」
博士の頬に一筋の涙が零れ落ちる。
「すまない。その点は訂正しよう。お前は、私の大切な息子だ…。血のつながったな」
その瞬間、消えかけていたピノの目に微かな光が宿った。
「博士」
「ん?」
「ワタシは、ピノキオなんですか」
博士は楠山を見る。何故、こんな質問が出てくるのかわからなかったのだろう。
「クスヤマさんから聞きました。木で作られた人形が命を持つと。ワタシは命を持つことが出来たのでしょうか」
ワタシは、生きていたのでしょうか。
ピノは、静かに問いかけた。
無論、その答えをピノは知っている。
それは、おとぎ話なのだと。
知っていて、尚、問いかけている。
確認するように。
納得するように。
嘘を、信じたいと願っている。
それは、人間のすることであるはずなのに。
博士はピノを起こし、強く抱きしめた。
「そうだよ。お前は、人間になれたんだ。だからもう、どこにも行かないでくれ」
私も、もうどこへも行かないから。
これから一緒に暮らそう。
ずっと。
ずっと。
100年先まで。
1000年先まで。
失った時間を取り戻そう。
二人の時間を取り戻そう。
最後の部分は、言葉になっていなかった。
涙が、言葉を遮っていた。
それでも博士は、精一杯叫んでいた。
ピノに伝わるように。
ピノに届くように。
何度も、何度も。
ピノの肘から下のない腕がゆっくりと上がった。
博士の頬に触れようとしたのかもしれない。
「博士」
「ん?」
「おかえりなさい」
それが、ピノの最期の言葉だった。
ピノの身体はがくりと力無くうなだれ、全ての反応が停止した。
「…ピノ」
博士が呼びかけたがピノは答えなかった。
「ピノ!」
何度呼んでも、ピノが動き出すことはなかった。
鉄の肉体は朽ち、0と1で構成された人格は消え、ピノは完全にこの世界から消えた。
100年間待った彼の心も。
100年間刻んできた彼の信念も。
それを見守ってきたこの土地の記憶も。
全てを連れて、ピノはいなくなった。
人間のように、彼は死んだのだ。
人間のように、彼は消えたのだ。
博士はそれから一言も喋らなかった。
楠山は、ただはらはらと泣いた。
ピノの上に涙を落とすのが申し訳なくて空を見上げた。
嫌味なほど青い空が、そこに広がっていた。
ロボットも死んだら星になるのだろうか。
そんなことを考えた。




