第五章 先生とフィクサー
アックスは思案していた。
(そうか、部下たちは自分を見捨てたか)
アックスに部下たちの暴走が予想できなかった訳ではない。
ただ、自分にはこうするしかなかったのだ。
バグがあるとはいえ、プログラムに逆らう訳にはいかないのだから。
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「……あいつ、こんなとこでなーにやってんのかなー?」
鍵坂は、側の信樹に尋ねる。
「……さあ? でも関わるなってオーラ全開っすね」
信樹と鍵坂の視線の先には、四課課長がいた。
場所は、ASD本部庁舎のロビー。
四課課長は、ロビーに設置されたベンチに腰を掛けていた。そして、そこで何をするでもなく宙を眺めていた。
印象的だったのは、課長の顔だ。
真青を通り越した土気色の顔だ。あくまで表情は冷静なままだったが、血の気が引いた顔色は隠せないらしい。
(死人の顔だ)
信樹は、四課課長の顔にそんな印象を覚えた。その顔に、今朝自分たちに向けた殺気は無い。
聞いた話では、部下の一人が行方不明だとか。だとしたら、上司であるこの課長が心配するのも無理は無い。
すっかり弱々しくなった顔に、信樹は同情した。
そこで、信樹の頭に疑問が浮かぶ。
(だとしたら、ここで何をやっているんだ……?)
それは、数秒前に鍵坂が言った内容とまったく同じだった。
もし本当に部下を心配しているのなら、その足で部下を探しに出るか、オフィスで情報収集に努めるのが普通である。
ここは、本庁のロビーだ。そこで何もせずにいるのは如何なものか。
あるいは、部下の失踪に相当なショックを受けて気が狂ったか。
だとしても、わざわざここにいる理由にはならない。
そこで、信樹は思い出す。本庁のロビーから奥に入るためには、職員の認証が必要だ。
そして、彼ら刑事の認証に必要になるのは警官証だ。
(警官証を無くしたのか……? まさかな)
いずれにしろ、今この人物に関わるのはよした方が良いだろう。自分たちにしてやれることは何もない。彼が目の敵にする自分たちが関わったところで、彼の逆鱗を刺激するだけだ。
信樹がそんなことを考えていると、側の上司が最悪な行動に出た。
「こぉーれはこれはかっちょーう殿。大丈夫ですかぁ?」
上司がこんなことを言いながら、四課課長に歩み寄って行ったのだ。
(あのアホ……舌を切り落とした方がいいか……)
信樹は課長を呪った。
本庁のロビーに鍵坂の空気を読まない発言が響く。
声をかけられた対象は、言うまでもなく四課の課長だ。
「……」
四課の課長は何も答えなかった。
彼の心中は穏やかではなかった。彼の部下の一人が消息不明であるだけでなく、脅迫同然で自らの警官証が奪われたのだ。
自分の警官証は何に使われるのか。
彼は気が気でなかった。
悪用されていたとしたら最悪だ。
しかし、そんな彼の心中を察していないであろう鍵坂の発言は続く。
「いやいや、課長も大っ変ですねぇ、分かります分かります」
四課の課長は無言で下を向いていた。
その状況に脇から声がかけられた。
「何してんスか、課長」
「おう、ノブ」
束沢は相変わらずの無感情な声で告げる。
「課長、そうやって他の課に敵作んのやめてくれます?」
それに感情豊かな鍵坂の答えが返る。
「いやいや、同情してんじゃないのぉ? 同じ不安を持つ者として何かできることが無いかと思ってるわけよ」
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ライオスは教室に入って来た影に声をかけた。
「やあ……一体何の用かな?」
ライオスにしては、珍しく顔がこわばっていた。
「君のことは……フィクサーXと呼べばいいかな?」
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奏がライオスにデータを送信しようとしたとき、背後に気配を感じた。
振り向くと、部屋の入口に一体のBAがいた。
そして、声が聞こえた。
[対象発見]
[対象を確保せよ]
それからの周囲の変化は速かった。
床から、壁から、天井から、BAが部屋のあらゆる面を突き破って出現した。
異形の軍隊が十秒足らずで奏を包囲した。
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フィクサーXは独自に略奪犯を探していた。
フィクサーXはアーカイブ・アイズの中で無数に流通する情報を無料で閲覧できる。そんな中、アーカイブ・アイズの中で求められていたとある情報に注目した。
その情報とは、とあるアンドロイドの所在に関する情報。
そこで対象となっているアンドロイドには覚えがあった。それは略奪の対象にあったBAのうちの一体だったのだ。たしか、影村組というBAの密造業者から奪取されたものだ。
情報を求めていた人間のIDを調べると、なんとその人間は塾講師だった。
いやはや、こんな表舞台の人間さえもアーカイブ・アイズを利用していたのか。
フィクサーXはそんな感想を抱きつつその詳細を閲覧した。
幸い、その情報の求めに対して既に目撃情報が提供されていた。
フィクサーXはそのBAが目撃された現場に向かった。
そのとき、万一のことを考え、フィクサーXは偽造された警官証を持っていた。自らの素性を隠すためだ。
もし自分が略奪犯に見つかって殺害、ないしは拘束された場合、彼らは自分の素性を略奪犯は特定しようとするだろう。
その時に偽の警官証を持っていれば、本来の自分の周囲の人間が巻き込まれる可能性を少しは軽減できる。
警官証の偽造は、とある警官の警官証を改造することで行った。
ASDのセキュリティを出し抜く訳ではないから、あまり精密な改造は必要ない。思った以上に偽装は簡単だった。
ベースに使った警官証の持ち主は可哀想だが、致し方ない。
準備を整えて出発した後、地下水道に行き着いた。
そこでフィクサーXは、地下水道の一室で探していたBAから銃撃を受けることとなる。
てっきり自分はそのBAに殺されるものと思っていたが、思いもよらない助けが現れた。
それは、氷咲奏と名乗った少女だった。
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「いやいや、同情してんじゃないのぉ? 同じ不安を持つ者として何かできることが無いかと思ってるわけよ」
鍵坂の発言に束沢が疑問を返す。
「同じ悩みってどういうことっスか?」
それに、相変わらずの口調で返答する鍵坂。
「俺も部下の一人と連絡がとぉれんのよぉー」
「……マジっスか?」
鍵坂の口調は全く危機感を感じさせないようなものだったが、内容は深刻なものだった。
束沢は考える。
六課には現在四人の人間が在籍している。
一人は束沢自身。
一人は今束沢が会話している鍵坂。
一人は村木芽衣菜。彼女は先程、六課の机でコンピューターと向き合っていた。
「まさか……」
「そ。マッキーと連絡がとれんのだよ……」
束沢には、そう答える鍵坂の顔に少しだけ影が射したように感じられた。
「っとによぉ、あいつ、普段は男よろしく振舞ってるが、実際は普通の女なんだからよう。危ない目に遭ってねえか心配な訳よ」
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「フィクサーX……砂島朱理……いや、皆里真生と呼べばいいかな?」
ライオスは眼の前の小柄な女性に問いかけた。
「誰から『俺』の本名を聞きました?」
「僕の知り合いの料理屋から。彼から今しがた連絡があってね、奏と君の画像がアーカイブ・アイズに流出していると教えてもらったんだ。それも、画像データ付きで」
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「少し厄介なことになったぞ」
田中は、店の電話からライオスに忠告の電話を入れる。
[どうしました? ご依頼の泥棒退治でしたら現在遂行中です]
電話の向こうからライオスが返答する。
「いや、その件じゃない。あんたの相方……氷咲とかいったか? あいつの画像がアーカイブ・アイズに流出している」
[……本当ですか?]
電話の向こうでライオスが驚いたような声を上げる。
「ああ、それも俺の知り合いと一緒に」
[知り合い?]
「皆里真生っていう刑事だ。例の嘘つき狩りの件で左遷された奴だよ。そいつとあんたの相方二人の素性を洗ってる奴がいるらしい」
[刑事? 何でそんな奴と……?]
「そりゃこっちが聞きてえな。あんたの相方に興味持ちそうな奴に心当たりはあるか?」
[心当たり……ですか。やはり、略奪犯でしょうか]
「俺が依頼した件か。そっちはどうなってるんだ?」
[先程情報提供者を確保したところです。その人物曰く、Fブロックの廃ビルに連中の本陣があるとか]
「昨日のKブロックの次はFか……」
[既に相方を派遣いたしました]
「建物の詳細は?」
[旧アクアメタル製作所です。この企業が数年前に倒産して以来もぬけの殻だそうです。元々が製作所だったので、整備には事欠かないものと]
「ほう、拠点が分かったんなら、解決も近いな」
[ええ、それより、貴重な情報をありがとうございます]
「なに、気にすんな。あんたたちは優秀な壊し屋だ。何かあると俺も困る。例の画像データはそっちに送っておいたから確認しておけ」
[分かりました。ありがとうございます]
それを聞いて、田中は電話を切った。
田中はライオスとの通話を終え、店の準備にとりかかろうと席を立った。
(しかし、ほんとに大丈夫か……?)
通話を終えても、田中の心配は晴れることは無かった。
すると、突然声がかけられた。
「大変そうね、田中さん」
田中は驚いて振り向いた。
「枝野か」
声の主の名を呼ぶ田中。
「久しぶりね」
枝野と呼ばれた女は返答する。
「いつからそこにいた?」
「さっきの電話の途中から」
この枝野は田中とは旧知の人物だ。
だが、本来枝野と田中は相入れない者同士の筈だ。
なぜなら、枝野はASDの刑事だからだ。
「お前、探されてんぞ。アーカイブ・アイズに投稿があった」
つい先刻、田中は閲覧していたアーカイブ・アイズにこの枝野を探す書き込みがあったことを思い出す。
「そうみたいね」
枝野は、少し顔を伏せながら答える。
確かに、彼女が所属する公安部第四課の同僚たちは自分の身を案じているだろう。上司の課長は特に。
「まあ、無事で何よりだ。で、お前はここで何やってんだ?」
「BAの盗難事件に関して、個人的な調べを」
「堅気じゃねえ人間から情報を引き出そうってか」
「そうね」
田中は事情を察したように言う。
「何で上司に心配かける?」
「マフィアから情報を引き出すリスクを犯すから、身元を示すものは家に置いて来たの」
「なるほど、それで携帯も持っていないってか」
「そういうことよ」
「何もそこまでしなくてもいいんじゃないか? マフィアに接触するんだったら、むしろ刑事の権限で聞き出した方がいいんじゃねえか」
「……接触だけでは飽き足らないんです、私」
田中の疑問に、枝野は悪戯っぽく答えた。
「まさかお前……マフィアの施設に潜入したのか?」
「ええ。潜入、脅迫、ハッキングもしたわ。今のところ有意義な成果は得られなかったけれど」
「……相変わらず無茶をする……」
田中は呆れたように言った。
確かに、マフィアと接触するだけなら身元を隠す必要はないだろう。
だが、今の枝野のように明らかな敵対行為をとり、万一連中の手に落ちるようなことがあれば、被害は枝野だけに留まらない。最善でも枝野は殺される。そして、枝野の関係者も徹底的に潰すだろう。
身分を示すものを持っていなければ、敵対者がASDの刑事と割れるリスクはかなり抑えられる。
「で、お前はこの料理屋に飯食いに来たのか?」
「残念ながらちがうわ。ここまでしているのに特に情報が得られないから、貴方なら知っていることがあるんじゃないかって」
「刑事の権限、か」
「そう。それに、あなたは警官証が無くても私がASDだって知っているでしょう」
「……お前さんの行動力は尊敬に値するわ……」
実際は、尊敬を通り越して呆れていた。
この枝野は自分が殺されるリスクを平気で犯している。捜査のためとはいえ普通の刑事、いや人間にはできないことだ。
枝野は、時折田中や上司でさえ予想もつかないようなことをする。
枝野とは十年来の知り合いだが、この突拍子もない無茶には毎回驚かされる。
だが、長年の付き合いのせいか、田中にとって枝野は今や年の離れた妹か娘のように感じられる。
そして、田中は、この旧知の人物の無謀に答えてやりたい、と考えてしまっていた。
(仕方がないか。許せよライオス)
田中は、先刻会話した塾講師に心中で詫びながら、枝野の要望に答えてやることにした。
「……さっき、連中の本陣と思しき場所が判明した」
「本当ですか?」
予想以上の重大な情報に、枝野は驚きを隠せなかった。
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「……」
真生は無言でライオスの話を聞き続ける。
「そしたら、彼が一緒に映っている人間は皆里真生っていう刑事だって教えてくれたんだ」
(俺を知っている料理屋……田中さんか?)
となると一つ腑に落ちないことが。
「どうして俺がフィクサーXだと?」
「その料理屋がもう一つ教えてくれた。お前が嘘つき狩りの一件で左遷された刑事だってね」
「それが?」
「僕は嘘つき狩りの実行犯……先代のフィクサーXと知り合いだから、と言えば分かる?」
「なるほど」
「ついでに、奏と略奪犯グループを鉢合わせさせようと策略してるのは君だろう?」
「なぜそうだと?」
「例の画像データは君と奏がセットになっている。君をここまで連れてくるのに奏は地下水道を通って来たから、君と奏が一緒にいるところを目撃した人間はほとんどいないだろう。奏と君が一緒にいる場面を知っていて、君たちの正体を知りたがる連中といえば、地下水道にいたBA、ひいてはそのメモリーを自由に閲覧できるであろう略奪犯しかいない。つまり、この画像をアーカイブ・アイズに流したのはBA略奪犯である可能性が非常に高いっていうわけだ」
「そうかもな」
「次に、奏からメールがあった。あのビルは元々空っぽだった、略奪犯の拠点じゃなかったとさ。つまり、君は僕たちにガセネタを掴ませたって訳だ」
「……」
「それで、あいつがビルに入った後、盗難の被害に遭ったBAがビルを包囲して後からビルに突入してきたらしい。まるで奏が内部にいることを知っているように。それで彼女と鉢合わせになり、今しがた戦闘を開始したそうだよ」
「アーカイブ・アイズで彼女の居場所を突き止めたんじゃないのか? ビルに入るのを誰かに目撃され、そこから情報が伝わったと考えられなくもない。なにせ、アーカイブ・アイズの利用者はそこらじゅうにいるからな」
「奏曰く、彼女が廃ビルに入ってからものの数分で大量のBAがやってきたようだよ。アーカイブ・アイズから情報を得たにしては来るのが早すぎる。BAの軍団は奏の行動を先読みしているように動いているんだ」
「……」
「おかしくないかい? まるで誰かさんが奏と略奪犯たちを鉢合わせにしようとしてるようじゃないか。たぶんその『誰かさん』略奪犯側にはアーカイブ・アイズで廃ビルに向かわせようと仕向け可能性がある。そして奏をあのビルに向かうように仕向けたのは誰だったかな?」
「……随分頭が回るな」
ここで、今度はライオスから質問が投げかけられる。
「お褒めの言葉どうも。お前こそどうやって俺らのことを知ったのかな?」
その問いに、真生は淡々と答える。
「昨晩襲われた廃工場の中にあったBAの通信デバイスを解析した。そうしたらハードに異常は無いのに中身は空っぽだった」
確かに、奏は廃工場にあったBAの送信デバイスのデータをハッキングしている。
そして、奏は一度ハッキングしたデータの原本は基本的に消去する癖をつけている。足跡を残さないためにはそれが一番確実な方法だからだ。
「それは……確かに異常だね?」
「そこでだ、プログラムに詳しい廃人にそのことについて意見を聞こうとそいつの家まで行ったら、そいつの家の電子キーが故障していた。ハッキングの痕跡を一切残さず、中身だけをごっそり消されてたんだ。廃工場のBAのデバイスとまったく同じ要領で」
(まさか、星山の野郎の家か?)
ライオスは心の中で舌打ちした。
「そこで廃工場を襲った奴とそのプログラマーの家に侵入した奴が同じ人物でないかと考えたわけだ。BAみたいな非合法なセカンドタイプのメモリーは保護プログラムが何重にもかけられている。送信デバイスだって例外じゃないから、ハッキング出来る奴がそうそういるとは思えない。しかも、足跡を残さず中身を全部消すことなんて不可能だ。そんな不可能なことが出来る人間だったら、外からの干渉をとことん嫌う天才プログラマーの家の電子キーもハッキング出来るんじゃないかと考えた」
「なるほど」
「そんでもって、そいつの執事アンドロイドから刑事の権限でその先客の素性を聞き出したってわけだ。ま、その執事アンドロイドは彼女があんたの友人ということしか知らなかったようだがそれで充分だったよ。その後、偶然にもアーカイブ・アイズで同じ人間を画像付きで探している奴がいたんで、おたくらが略奪犯の連中を押さえてくれないかと思ってあんたの相棒に近づいた」
「そうか。で、あんたの目的は?」
「……俺は略奪されたBAとミラージュをこの世から消したいんだ」
「何のために?」
その問いに、闇社会の一大帝国の支配者、フィクサーXとは思えない発言が返ってくる。
「民間人に危害が及ぶのを食い止めたい」
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日はとっぷり暮れた。
四課課長は相変わらず本庁ロビーにいた。今や彼は発狂しそうな心中だった。
そんな心情だったので、行方不明の部下から連絡がきたとき、すぐにその事実を受け止めることができなかった。
ろくに動かない手で着信を示す携帯を取り出すと、画面には彼が求めて止まない部下の名前があった。
「枝野! お前無事だったか!」
課長は大声で叫んだ。
電話の向こうからも、求めてやまなかった人物の声が聞こえてきた。
[連絡遅れて申し訳ありません、課長]
「まったく、一体何をしていたというんだ?」
[ご承知の通り、個人的な調査を進めていました。課長、突然ですが、これから言う位置に警官と特殊部隊を寄こしてください]
部下からの突然の要望に、課長は疑問を返す。
「……一体何があった?」
[説明は後です。略奪犯の本拠地が判明しました!]
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彼らは慎重に、なおかつ迅速に対象を包囲した。
対象は、彼らが思う以上に冷静に周囲のBAを観察しているようだったが、こうも包囲されては普通は抵抗できないだろう。
対象は普通の人間らしい。
数時間前に地下水道のアジトに潜入した人間に間違い無いが、このような人間一人に拠点の一つがせん滅されたとは考えにくい。
だとすれば、昨晩の一件は別に襲撃者がいたのか。
いずれにせよ、この人物が襲撃者と何らかの関わりを持っている可能性はある。
このままおとなしく自分たちに捕まってもらいたかったが、どうもその通りにはいかないらしかった。
奏は冷静に口を開く。
「あなたたち、アウトフォース?」
この言葉に、彼らは一斉に反応した。
この対象は自分たちのことを知りすぎている。
奏にBAの銃口が一斉に向けられた。その銃口が閃光を噴いたのと、奏がジャケットの下から二丁のライフルを取り出したのはほぼ同時だった。
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「で、お前に聞きたいんだが『ミラージュ』とは何だ?」
真生がライオスに問う。
「……そういえば、君たちはミラージュについて詳しく知らないんだっけ?」
「残念ながらそうだ。たぶん眼の前にミラージュがあってもそうだとは気付かないだろうな」
ライオスは考える。
果たしてこの刑事にミラージュの正体について明かしてもいいのか。
情報提供を拒んだ方がいいのではないのか。
しかし、目の前にいるのはネットで強大な力を持ったフィクサーXだ。下手に隠し立てして逆鱗に触れるよりは良いだろう。
「仕方ないか。教えておくよ。ミラージュとは一体何であるか」
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彼らは混乱していた。
銃弾が対象に命中しないのだ。
撃てども撃てども対象はすばやく身を翻すだけ。
それが何を意味しているか。
銃弾を躱している。
それだけではない。対象は高速で移動しながらライフルを連射していた。
銃弾をライフルで迎撃している。
彼女の両手には、大ぶりなライフルが握られている。ジャケットの下に、折りたたまれた状態で入っていたようだ。
最初の銃撃から一秒が経過したとき、彼らのうち一体のBAが破壊された。
そのBAは内部から血のような鉛の粒が噴出した。
[炸裂弾か]
対象は、彼らの群れの中に分け入った。
そこから一体、また一体とBAが破壊されていった。
最初は同志討ちをしないように計算して発砲していた彼らだったが、もはや味方に当たることを恐れていては対象は抹殺できないことが彼らには理解できた。
最初の銃撃から五秒後、地下水道に潜伏いていた暗殺用ヒューマノイドが破壊された。腹部に銃弾を受け、鉛の塊が噴き出す。それは、このヒューマノイドの容姿と相まって、本物の血さながらだった。
対象の発砲は正確極まりなく、装甲の隙間や関節に正確に銃弾を撃ち込んでいる。
最初の銃撃から十秒が経過したころにはBAの数は半分に減っていた。
もっとも、その破壊されたBAのうち半分は同志討ちによるものなのだが。
彼らは、過去に爆発事故を偽造してブルーホライゾンの研究所を襲った。
襲撃の目的は、とある兵器の奪取。
その試作BAの呼び名は、ミラージュ。
■■■■■□
「ミラージュとは彼女……氷咲奏のことだよ」
ライオスはあっさりそう告げた。
「……は?」
予想外な返答が返ってきた。
実際、真生にはその言葉の意味がすぐに飲み込めなかった。
「……どういうことだ?」
「どういうことって……言葉通りだけど?」
自分が追っていた最新兵器、ミラージュがあの少女だったということか?
ASD上層部が血眼になって捜している危険兵器が、人間の姿をしていたということか?
真生はまだ若いとはいえ、それなりの経験は積んでいる。
職業柄BAを相手にすることもある以上、アンドロイドと人間の識別については人並み以上に詳しい自信があった。
ましてや、自分が探していた兵器と自分は今しがた普通に会話していたのだ。
(つまり、どういうことだ?)
真生は必死に自分の中で説明を組み立てようとしていた。
そして、彼女はようやく口が開けた。
「彼女は……BAだったっていうことか?」
■■■■■□
(ライオス、聞こえているか?)
(これは罠だったよ)
(彼らはここにはいなかった)
(彼らは私をこのビルに追い詰めた)
(でも、彼らだって誰かに操られているみたいだ)
(このビルを包囲して中に突入してきた)
(このビルは、彼らの拠点なんかじゃなかった)
(私は今彼らと戦っている)
(だけど心配はいらない)
(すぐに対象を破壊して、帰るよ)
(ライオスのところに)
奏はBAの間を踊るように動いていた。
四方から迫る銃弾を見事に対処し、空間を圧迫する鋼鉄の体に銃弾を容赦なく撃ち込んだ。
(あ、これが私だ)
破壊。
彼女は破壊の最中だけ自らが快感を得ることを理解していた。
踊る体。
飛び散る爆煙。
周囲にあふれるのは爆発と銃声による轟音。
ここは、彼女にとってのステージだ。
しかし、彼女は同時に思う。
(可哀想)
それは、狂ったアンドロイドに対する同情だ。
彼女は、決して快感に溺れることは無い。
彼女は冷静を失うことが出来ないのだ。
遂に、BAは一体を除いて全滅した。
そして、BAの残骸の中心に亡霊のように立っている一人の異形。
その異形、氷咲奏は、彼らのうちの残った一体にライフルを向けていた。
残った一体、スパイクには、この異形に対して打つ手を算出することはできなかった。
■■■■■□
「うーん、その件なんだけど……君たちはミラージュはブルーホライゾンが開発したBAだと認識しているのかい?」
ライオスは首をひねって聞き返す。
「……少なくともASDの中ではそういう噂になっている」
「そうか……つまり彼女の正体については何も知らないんだね……」
「彼女はBAでないということか?」
「……どうやら、少し、話が長くなりそうだな……」
ライオスは気だるそうに声を発した。
その発言に、真生は淡々と言葉を投げかけた。
「安心しろ、時間ならたくさんある」
ライオスは部外者に彼女の情報を流すべきかと思案したが、相手は情報の一大市場の管理を担うフィクサーXだ。
もし下手に隠し立てして相手を刺激すれば、自分たちの身が危ないかもしれない。
それに、彼女の正体を話したところで……彼女が信じるとは限らないのだ。
ライオスは取り急ぎ、要旨だけ述べた。
「彼女は……一言で言うならホムンクルスと言ったところかな?」
■■■■■□
「あなたがトップ?」
奏はスパイクにライフルを向けながら肉声で問いかけた。
問いかけながら、残ったBAに一歩一歩ずつ近づいて行く。
「可哀想に……あなたも崩壊に巻き込まれたのね……」
奏はスパイクの目前で立ち止まる。
スパイクは、BAとしてはかなりの部類に入る。高さは天井とほとんど変わららず、体は全体的に黒く角ばった鈍重そうなボディをしており、そのボディの両脇には左右に二機ずつのマシンガンが装備されていた。
少女の外見をしている奏と比較すると、威圧感は天と地ほどの差がある。
だが、奏はスパイクのボディに手を伸ばし、そこでスパイクのCPUをハッキングした。
■■■■■□
アンドロイドは、もはや人類の生活と同化した。
アンドロイドに狂いが生じると、人間にも大なり小なりの狂いが生じる。
だが、どこの世界にも不良品と言うものは存在するのだ。
事実、アンドロイドの不備の事例は全世界で後を絶たない。
そして、アンドロイドの不備が露わになるたびに人間は被害を被って来た。
そして、いつしか人間はこの不備が備わったアンドロイドを、侮蔑の意味を込めてこう呼ぶようになった。
「アウトフォース」