第四章 入室者と監視者
奏は水流の音を聞いていた。
数時間前、ライオスが一体のBAの目撃情報を入手した。
奏が入手したアドレスの中に、とある密造組織のBAのアドレスがあったのだ。
そのBAは、略奪犯とつながっている可能性がある。
しかも、目撃情報があった位置というのはライオスの学習塾のすぐ近くだった。
そして、その目撃情報を頼りに地下水道に潜った。
先刻まではそのBAの目撃情報のあった現場の近辺を調べていたのだが、そのすぐそばにあったマンホールの蓋に最近開けられた形跡があったのだ。
まさか、とは思ったが、街中で堂々とBAが出歩くのは流石に目立つ。もしこの付近にBAが潜伏しているのならば地下水道に潜伏していてもおかしくは無いだろう。
こうして地下水道に潜り込んだのだ。
水路としては大型なもので、水が流れるスペースのすぐ側に作業用の足場が設けられており、奏はその足場をしばらく歩いて行った。
そして、しばらく進むと奏は何かの気配を察した。
(ビンゴ……か?)
だが、妙だった。
通路の奥で何かが動く気配がしたが、その足音がアンドロイドのそれとは違っていたのだ。
(この足音は……人間?)
略奪グループの関係者である可能性を考えたが、どうやらこの人間は出来るだけ足音を立てぬように動いているらしかった。この先にいるのが略奪犯であったらこの行動は矛盾するだろう。
しばらく進むと、水路の先の方で重い金属が擦れる音がした。
(この先に部屋が?)
奏の推測が正しいことを示すように、奏の先にいた人物の気配は消えていた。
■■■■□□
水路の一定距離ごとに設置されている管理施設。
本来であればこの水路の関係者しか立ち入らないであろうこの施設に、一人の人間が入室した。
その入室者は何かから身を隠すように姿勢を低くしつつ、施設の中を進んでいた。
そして、その入室者を監視している者もいた。
その監視者は最初から施設の中におり、突然の入室者に動揺することも無く部屋の最奥から入室者をプログラム通りに監視していた。
監視者はそのまま入室者が去っていくのを待っていたが、思惑通りにはいかなかった。
入室者が監視者の姿を目に捉えたのだ。
そこからの監視者の行動は速かった。
監視者の右腕に装着されていた至近距離用の銃が火を噴く。
入室者の体が後方に飛ぶ。
入室者はすぐさま物陰に隠れるが、監視者は入室者に止めを刺さんとその物陰に向かって動き始めた。
その時だった。
入室者が入って来た扉が大きく音を立てて開き、そこから大きな銃声が響いて来たのだ。
その銃声を響かせた人物は、監視者に向けて銃を放ちつつ、負傷した入室者に駆け寄った。
■■■■□□
「大丈夫ですか?」
負傷者を前にした奏はそんな月並みな台詞を口にした。
そう言いながら、眼の前の負傷者を銃撃した者の方向に銃を放った。
奏が見たところ、銃撃者は至近距離用の拳銃を持ったヒューマノイドだった。
一見すると普通の人間と見分けがつかないほど人間に似せて作られたタイプであり、対象に接近することを目的とした暗殺用のBAであることが分かった。
(報告にあったBAか)
奏はそう判断した。
一方、負傷者は意識が無いらしく、奏の声に対する反応は無かった。
その人物はこの場にふさわしいとは言えないような女性だった。
一見するとひ弱そうな、普通の女性だ。
そこで、銃撃者の方向から銃声とは違う音がした。相手が移動する音だ。
(……逃げる気か……)
銃撃者は物陰に隠れつつ、扉に駆け寄っていた。
奏は逃がすまいと同じく扉に向けて走ろうとしたが、眼の前に瀕死の人間がいることを思い出した。
そう考えて、奏は銃撃者を見逃すことにした。
銃撃者が物陰から飛び出し、外の水路に消えた。
(仕方ないか……)
奏は冷静に、眼の前の女性をどうしたらよいか考えた。
■■■■□□
「で、僕の家に連れてきた訳か」
奏が考えた避難場所はライオスの家だった。
と言ってもライオスの家はすなわち彼の仕事場である。つまり、彼の経営する学習塾だ。
「どうして病院に連れて行かなかったんだい?」
「申し訳ありません。何かしらの事情を知っているようでしたので」
「こんなか弱そうな女の人が?」
奏が連れて来た負傷者はライオスの学習塾となっている教室の隣、ライオスの自宅となっている部屋に寝かされている。
ライオスと奏の手である程度の手当てはされてはいるが、意識はまだ回復していなかった。
突然の来訪者の対応をするため、ライオスは午後の授業を休講にまでした。
そして、ライオスと奏は生徒が来る前の教室で彼女の扱いについて話し合っていた。
「どうする? このまま意識が戻らなかったらここじゃ看きれないよ?」
「分かっています。ですが、彼女自身も私と同じものを探しているかも知れませんよ?」
と言いながら、奏はライオスに小さなカードを差し出す。
ライオスは、それがASDの警官証であると分かった。
「これは?」
「彼女が持っていました。失礼とは思いましたが、見させていただきました」
奏が渡した警官証には「砂島朱理」と言う名前と顔写真が記されていた。
「彼女はASDの人間らしいです。あの現場にいたのもBA略奪の関係かと。あと、拳銃も所持していました」
確かに、今回の件でブルーホライゾンと協力してASDが調査しているという情報もある。
「……とりあえず意識が戻らないようだったらASDか病院に連れて行くよ」
「ありがとうございます」
「で、その地下水道に潜った結果どうだった?」
「ええ、その件なんですが、彼女、砂島朱理さんを襲っていた対象はライオスが調べたアンドロイドに間違いありません」
「そうか……実はあれから調べたんだけどあのアドレスのアンドロイドは略奪の被害に遭っているアンドロイドらしい」
「略奪されたアンドロイドが犯人側の戦力として使われていると?」
「そうだ。それどころか、君が昨日仕入れて来たアドレスの一覧に載っていたアドレスは、どうやら全て略奪されたBAらしい。一つの例外を除いてね」
「星山武のアドレスですか」
「そう。こうなると、疑いたくないけれど、彼が怪しくなってくるね」
「とてもそうは見えませんでしたが……」
と、そこで隣の部屋、ライオスの自室で物音がした。
「どうやら彼女の意識が戻ったかな?」
■■■■□□
砂島朱理が目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋だった。
一瞬、病院かASDに収容されたと思ったが、部屋の雰囲気からその可能性は薄いと判断した。
(ここはどこ?)
そこで、砂島はひとつの可能性について考える。
(まさか、連中に捕まったの?)
思慮していると部屋の扉が開いた。
「お目覚めですか?」
現れたのは、金髪に黒い瞳を持つ誠実そうな青年だった。
■■■■□□
田中はコンピューターをアーカイブ・アイズに接続していた。
画面には、求められている情報の一覧。
(自分が知っている情報は求められていないか?)
情報を求めている者に情報を提供すれば大なり小なりの報酬が手に入る。
田中とて元マフィアの構成員で、今もとある集団に協力している人間だ。アーカイブ・アイズでやり取りされるような裏社会の情報には、人並み以上に詳しいと自負していた。
その情報を生かして金儲けができないか?
それがアーカイブ・アイズ利用者の大半が思っていることだった。
そして、一つの依頼が田中の目に止まる。
その依頼を見た田中は呟いた。
「……何じゃこりゃあ……」
彼の額には冷や汗が浮かんでいた。
■■■■□□
彼らは戦闘態勢を整えつつあった。
昨晩のKブロックの保管所が壊滅させられたことを機に、かつてのトップだったアックスを排除することを決定した彼らだったが、ここにきて状況に進展があった。彼らの一員が襲撃されたのだ。襲撃者は二名。
昨晩の奇襲に加えての攻撃。
だが、今回は襲撃を受けたBAが破壊されずに残ったのだ。
それはつまり、襲撃者に関する情報が手に入ったということ。(Kブロックの保管庫にあったBAは襲撃者の情報を記憶する前にCPUが破壊されたため、彼らからもたらされる情報は無かった。)
襲撃されたBAが得たのは、襲撃者の画像データ。
このデータはすぐに彼らに出回った。
そして彼らは襲撃者の更なる情報を求めるため、その画像データをとあるツールにかけた。
アーカイブ・アイズという、効率的に情報を得るためのツールに。
■■■■□□
[課長、俺、今日の午後休みます]
「んん、何かあったのか?」
昼過ぎのASD本部のオフィスで上司が部下と電話で会話していた。
[少し個人的な用事が出来たもので]
上司、鍵坂健太郎は電話の向こうの部下、皆里真生から用件を聞いていた。
「ふーむそうか。お前が休みとは珍しいこともあるもんだな。少しは俺の気が分かったか?」
鍵坂の問いかけに、真生は皮肉で返す。
[安心して下さい。あなたのサボり癖が俺に移った訳ではありませんので]
そう言って、真生は一方的に通話を切った。
「どういうことだ!」
部下との通話を終えると同時に、鍵坂の耳に遠くから喧騒が聞こえてきた。
突然の怒鳴り声に公安部のオフィスが静まり返る。
見ると、怒鳴り声は四課の島から発せられたらしい。
「……何かあったのかあ?」
その中心で、今朝方自分たちを現場から追い出した四課課長が何か大声で指示を出していた。
「なーなーメーちゃん、あいつら何ぎゃーぎゃー言ってんだ?」
鍵坂は、横にいた自分の部下に声をかける。
メーちゃんと呼ばれた女性ははきはきとした声で返答した。
「四課の女の人が一人連絡がつかないみたいです」
「へえ……」
その答えを聞いた鍵坂は、四課の課長に少しだけ同情的な視線を送った。
「どういうことだ!」
その怒鳴り声にオフィスが静まり返る。
捜査会議を終えてデスクに戻った四課課長。すると間髪入れずに部下の一人が消息不明であると聞かされたのだ。
消息不明になった部下というのは、今朝廃工場で会話した女刑事だ。
(まったく、何をやっているんだあいつは……)
報告によると、その刑事は数時間前から携帯の呼びだしに出ないらしい。
「……すぐに彼女の現在地を突き止めろ。携帯のGPSと今朝からの彼女の足取りを洗うんだ、いいな!」
課長は部下に指示を出した。
周囲の刑事たちは、たかが数時間連絡が取れないだけで何をそんなに心配しているのか、と首を傾げた。
しかし、課長の切迫した形相に部下たちは何も言いだせなかった。
課長の頭に、数時間前のKブロックの廃工場での会話が思い出される。
「ご安心ください。アーカイブ・アイズは使用いたしませんので」
女刑事は課長に言う。
六課の刑事たちを現場から追い出した四課課長は、部下である女刑事に調べ物の打診をされたのだ。
調べ物、と聞いて、アーカイブ・アイズを連想したのだが、どうやらその心配は杞憂だったようだ。
「なら、お前の言う『調べ物』というのは何なんだ?」
「知り合いを当たってみようかと」
「……知り合い?」
「これだけの騒ぎが起きた直後なので、マフィアの間でも何らかの動きがあるはずです。知り合いにマフィアの事情に詳しい人間が何人かいますので、その人物たちに接触を」
「それは、マフィアの人間か?」
「違います。まあ、遠からざる人物ではありますが」
「……そうか、まあ、気をつけろよ」
「分かりました」
そう言って、女刑事は課長と別れた。
(だから、気を付けろと言ったのに!)
四課課長は叫び出したい気分だった。
女刑事はコンタクトをとる人物の明言は避けた。
しかし、課長は理解していた。彼の部下は、マフィアの関係者と接触したのだ。
直接の構成員ではないにしても、遠からざる人物であることは確実だ。
刑事にとって、マフィアの関係者に白昼堂々とコンタクトを取るのは危険極まりない行為だ。
マフィアにしてみれば、ASDは敵対組織の筆頭格だ。最悪、拷問を受けて殺害されてもおかしくは無い。
そんな危険行為を、この課長は気を付けろの一言で許可した。
なぜなら、この刑事がこのような危険行為をとるのはこれが初めてではないのだ。
令状無しで容疑者の家に押し入ったこともあれば、マフィアを相手に脅迫したこともある。
そして、そのような危険な捜査でもこれまで成功させてきた。
何度か処分されかけたこともある。しかし、それらの強引な捜査がこれまで確かな成果を出してきたことで、今までは処分をギリギリのところで回避できていた。
だからこそ、そのような信頼もあって許可を出した。しかし、今回は上手くいかなかったらしい。
(あのとき止めていれば……)
ポケットから携帯を取り出していた。
上層部に報告して捜査を行おうと思った。だが今回はマフィアが絡んでいる可能性があるため、彼女を捜すための捜査は出来ない。
(打つ手なしか……)
ならば、自分と四課内部で事を済ますしかない。
だが、そんなことが果たして可能か?
実際にマフィアが絡んでいたらどうする?
(仕方がないか)
四課課長は、携帯をとあるサイトに接続する。
(『探し物でお困りのようでしたらアーカイブ・アイズをお使いになることをお勧めしますよ』)
数時間前の、憎き鍵坂の言葉が頭を過った。
(正直、このサイトは使いたくないのだがな……)
そう思うも、渋々アーカイブ・アイズに接続した。
■■■■□□
奏は立っていた。
廃棄されたビルの中に。
昨晩も廃棄された建物に侵入したが、そこではBAを何体か破壊するという結果が出せた。
だが今回侵入したビルの場合は違った。
「何も無いな……」
文字通り、なにも無かった。
彼女がこの場にいるのは数時間前に得た情報がきっかけだった。
■■■■□□
同時刻のライオスの学習塾。
「大丈夫ですか?」
普段はライオス以外に誰もいなであろう彼の自室。そこに全くの部外者がいた。もっとも、この時点では部外者と言う呼び方が適切で無いかもしれなかったが。
「ありがとうございます。しかし彼女一人だけ行かせて、本当によかったんですか?」
砂島朱理。奏が連れて来た負傷者は、か細い声で問いかける。
「彼女なら大丈夫ですよ。それより、本当ですか? その廃屋に略奪犯の拠点があるなんて」
数時間前に目を覚ました彼女。最初はライオスたちを警戒していた彼女だったが、彼らに敵対意思が無いと分かったのか、彼女自身の素性を明かし始めた。
彼女はASDの刑事で、行方不明になったBAの行方を探していたのだ。
そして略奪犯について探っている過程で件の地下水路の部屋に入ったらしい。
彼女は奏もBAの略奪犯を追っていると知ると一つの情報を提示した。
彼女たちの組織、ASDがつかんでいる情報。それは略奪犯が使用しているもう一つの保管所の場所についてだった。
「それに、部外者にあんな情報を提供してもよろしかったんですか? 略奪犯の拠点の在りかなんて機密事項なのでは?」
「形振り構ってはいられませんよ。あんな兵器が絡んでいるとあってはね」
目覚めたばかりの彼女は案の定、ライオスたちに大きな不信感を持っていた。
「……誰だ?」
彼女の第一声はこれだった。
「御安心ください。私たちはあなたの敵ではありませんよ。私はライオス霧瀬と申します」
眼の前の青年は砂島が発する敵意をものともしていないらしかった。
「ここは?」
「私の自宅です。場所は明かせませんが、一応は安全な場所です」
そこで、砂島は自分の傷が手当てされていることに気がついた。
「……これは……」
「その傷は私が治療しました。後で病院で本格的に治療することをお勧めします」
「……あんた、何が目的だ?」
砂島はライオスに問いかける。
その問いかけにライオスはこう答えた。
「あなたと同じですよ。私たちもBAの略奪犯を探しているのです」
ここで砂島は理解した。
このライオスと名乗った青年は、自分を利用するために自分を保護したと。
そしてもう一つ気がかりなことが。
「私をここに連れて来た奴は?」
「ああ、あいつですか。奏! 彼女が君を呼んでるよ!」
ライオスが声を上げると彼が入って来た扉から一人の少女が入って来た。
「……どうも、氷咲奏です」
その少女は丁寧に名乗った。全身を黒ずくめで覆っている以外はどこにでもいるような少女だ。
砂島は驚きつつも最低限の礼を口にした。
「……とりあえず、ありがとうと言っておく」
だが、疑問が消えることは無かった。
(本当にこんな女の子が私を助けたの?)
「やっぱりそういう反応になりますよね」
自分の心情をライオスが察したのか、やれやれと言った口調で言われた。
だが、その後ライオスの口から出た言葉は、自分の予想のはるか上を行くものだった。
「彼女は優秀ですよ。何といっても、略奪犯の拠点を一つ昨晩壊滅させたんですから」
「……何だと?」
砂島はこの言葉をすぐに信用できなかった。
同時になぜこの人物が昨晩の出来事を知っているのか、という疑問が自分の中で芽生えた。
この案件はASD内部においても特秘事項として扱われている。
答えは明白だった。
この人物たちが略奪犯の拠点陥落に関与しているから。
それが一番矛盾の無い答えだった。
事実、自分が潜入した拠点に彼女も居合わせたことからも彼らの情報力の高さが窺える。
彼女一人がKブロックの拠点を壊滅させたということは事実かどうか疑わしかったが、彼らが今回の件において重要な位置にいることは事実のようだった。
砂島は自分がとんでもない人間と関わってしまったことを理解した。
同時に、彼女は思った。彼らはとてつもなく頼りになる人間であると。
そして現在に至る。
「あんな兵器……ミラージュのことですか?」
ライオスは相変わらずの誠実な口調で話していた。
「……そこまで知っていましたか」
彼らは砂島の予想以上に力のある人間らしい。砂島は素直に感嘆していた。
「伺いますが……あなた方はミラージュについてどこまでご存じなんですか?」
ライオスは砂島に問いかける。
「ブルーホライゾンから奪取された試作兵器と聞かされています。十分に管理ができなかった場合、民間人に危害が及ぶ可能性があると」
「形状や特徴については?」
「……正直、詳しい特徴については何も分からないんですよ。とりあえず、略奪されたBAを発見した場合はその特徴をASDの上層部に報告するよう言われています。おそらく、上層部はミラージュの特徴は一応掴んでいるとは思いますが……」
砂島自身、事実を言ったつもりだがこの答えでライオスが納得するとは思えなかった。
しかしライオスは理解したというような表情で答えた。
「なるほど……どうやら、ブルーホライゾンとASDは徹底的にミラージュの存在を隠したいらしいですね……」
今度は砂島が問いかける。
「あなた方はミラージュの詳細については?」
すると、予想しなかった答えがライオスから返って来た。
「全て掴んでますよ」
■■■■□□
(頼む……頼むから無事でいてくれ……)
四課課長は、藁に縋る思いでアーカイブ・アイズに書き込んだ。
ASDの人物がアーカイブ・アイズを使うのは御法度とされている。
正義感が求められる職業上、そのような違法サイトは利用しない、というのが鉄則としてあるからだ。
しかしこの四課課長のように、内密にアーカイブ・アイズを利用している人物は多い。なぜなら、捜査にもアーカイブ・アイズは役に立つからだ。
そして、アーカイブ・アイズを利用している刑事が存在することは、全ての刑事の暗黙の了解のもとである。
アーカイブ・アイズに情報を送信した課長は、急いで外出の支度をした。
これから行方不明になった部下の行方を捜すのだ。
いざ出発しようとしたときになって、携帯に着信が来た。
(誰だこんなときに……?)
携帯を見ると、見知らぬ番号からの着信だった。
画面をタッチし、通話を始める。
電話の向こう側から聞こえてきた一声は思いもよらないものだった。
[コンニチハ、ND4024]
課長は驚愕した。その呼ばれた名は、この課長の、アーカイブ・アイズ上でのIDだからだ。
「……変声機越しの会話とは随分粋じゃないか」
課長は、辛うじて声を出す。
相手の特殊な声は、明らかに変声機を使ったものだ。年齢はおろか、性別すら判断できない。
[オ褒メノ言葉アリガトウ。随分強張ッタ声ガ気ニナリマスガ]
とりあえず、このふざけた野郎に皮肉が通じないことは分かった。
「お前は一体何者だ? その名前を知っているということは、俺に情報を売ってくれる人間か?」
相手は自分のアーカイブ・アイズのIDを知っていた。ということはアーカイブ・アイズの関係者であることは明白だ。
では、自分にコンタクトをとって来た目的は何か。
課長は、相手が先程アーカイブ・アイズに送信した内容に対する情報提供者である事を考えた。
しかし、だとしたら妙だ。
通常、アーカイブ・アイズで情報の売り手が見つかった場合、アーカイブ・アイズ内でメッセージが来る。
今回のように、直接電話がかかって来ることはまずない。
事実、この予想は違ったようだ。
[残念ナガラ違ウンデス。少シ君ニ協力シテモライタイ]
「頼みごとか。残念だが、俺が素性の分からん奴に協力はしない」
[マアソウ言ワナイデクレマス? 協力シテイタダケルナラ、アナタガアーカイブ・アイズヲ使ッテイルコトハ内緒ニシマスヨ?]
「……卑怯者め」
確かに、自分がアーカイブ・アイズを使用している事を口外されようものなら、自分は刑事でいられなくなる。
[アナタニ卑怯者ト言ワレル筋合イハアリマセンネ。刑事デアリナガラ違法サイトを利用ナサッテイル方ガ何ヲオッシャイマスカ]
確かに、相手の言うことは正論だ。
捜査や部下の捜索のためとはいえ、自分が違法サイトを利用していることは事実だ。咎められても何も言い返せない。
相手に絶対的な弱みを握られている以上、自分には相手に逆らえない。
「……お前、一体何者だ?」
課長は、辛うじて言葉を絞り出した。
[私? 私ハアナタガ使用ナサッテイルアーカイブ・アイズノ管理者デス。フィクサーXナドト呼バレテオリマスガ]
■■■■□□
「はーあぁ、マッキーがいないと超絶寂しいなぁ。まるで心に空洞ができたようだぜえ」
鍵坂はASD本部庁舎の廊下を歩きながら呟いていた。
「マッキーはどこ行ったんだあ? 俺を残して仕事サボってんのかなあ……だとしたら許せんなあ、俺も一緒にサボらせやがれってんだ」
そこで、廊下の反対側から一人の人間が歩いて来るのが見えた。
「おや、あいつは……」
その人物は、自分の脇を通り過ぎ、そのまま自分の後方へ消えて行った。
「今の奴……誰かと思えば今朝方俺らを工場から追いだした鬼神様じゃねえか……死にそうな顔してたが、大丈夫なのか?」
■■■■□□
四課課長は、人通りが少ない路地に来た。ASD本部庁舎に程近い裏道だ。
ビルの隙間に入り込むようなその路地は、壁に落書きがされ、ゴミが散乱している、荒れた道だ。
きっと夜になれば浮浪者の寝床か、不良の溜まり場になるのだろう。街灯がまばらなので、暗くなれば汚らしさはある程度緩和されるかも知れない。しかし、今は晴れ晴れとした真昼間。その道の荒れ具合は如実に観察できる。
(何だって俺はこんな所に……)
そんなことを考えていると、ポケットの中の携帯が鳴った。
携帯を取り出し、通話する。
「約束の場所まで来たぞ」
相手は、先程のフィクサーXだ。
[例ノ物ハ持ッテ来マシタ?]
相変わらずの変声機越しの声。
「ああ、持ってきた」
答えると、フィクサーXからの指示が来た。
[設置サレテイル消火器ガ見エマスカ?]
周囲を見渡すと、隅に消火器が設置されているのが見えた。壁にくくり付けられた箱に入っているタイプのものだ。
設置されている路地の状況と同じく、箱の表面は汚れ、大きな凹みまで見られる。
「ああ、見える」
[ナラバ、ソノ箱ノ中ニ例ノ物を入レルンデス]
課長は、消火器の上に付いている蓋を開けた。
中には消火器の本体がある。不良たちが屑入れにでも使用しているのか、底の方にゴミも見えた。
課長は、懐から『ある物』を取り出し、消火器の箱の中に入れた。
「入れたぞ」
[御苦労様。デハ、アナタノ仕事ハ終ワリデス。消火器ノ蓋ヲ閉メタラ、ソノ場ヲ去リナサイ]
「……『これ』はいつ返してもらえるんだ」
課長は尋ねる。
もともと、良い答えは期待していない。
『これ』は自分になくてはならないものだ。しかし、そんな事情を酌んでくれるような相手である保障は無い。
しかし、予想外の返答が返って来た。
[コノ事件ガ解決シタラ返却イタシマス。アナタハ、『彼女』ノ捜索ニ全力ヲ尽クセバイイ]
そう言うと、通話は切られた。
四課課長が去ってから数分後の裏路地。
荒れた道に一人の人物が立っていた。
男とも女とも見分けられない中性的な容姿の人物だ。
その人物は路地を一歩ずつゆっくり歩く。踏みしめるように、ゆっくりと。
そして、道の片隅に設置された消火器の前で止まった。
真っ赤な箱の蓋を開け、中に手を突っ込んで漁る。
(あった)
確かな感触を覚え、手を出す。
その手には、数分前に四課課長に準備させたものがあった。
■■■■□□
一人、ライオスは教室に移った。
「さて……奏の様子はどんなかな……?」
ライオスは砂島を自室に残したまま、一人教室で奏に連絡を取ろうと携帯を取り出した。
そこでライオスは自身の携帯がすでに奏からビルの様子のデータを受信してることに気が付くた。
その内容を見たライオスは顔をしかめた。
(本当にあの刑事は信頼してもよかったんだろうか……)
ライオスは自分に問いかける。
そこで、携帯に着信が入った。
発信者の名前を見たライオスは呟く。
「……田中さんから……?」
ライオスは珍しい人物からの着信に驚きながらも、いつも通り着信を受けた。
■■■■□□
彼らはアーカイブ・アイズからの返答の速さに驚いた。
彼らがアーカイブ・アイズに流した襲撃者の画像。それが手掛かりとなり、二人の襲撃者が潜伏しているビルの位置が判明したのだ。
彼らは行動も早かった。
すぐさま、その襲撃者が潜伏しているビルに部隊を送り込んだのだ。
彼らの総力を挙げた戦闘部隊を。
■■■■□□
(何も無いじゃないか)
砂島から得た情報をもとに、略奪犯の拠点とされるビルに潜入した奏だったが、そのビルがもぬけの殻となっている状況に少しだけ苛立っていた。
(まあ、元々あの砂島とか言う刑事が信用できるか分からなかったんだ)
そこまで思って、奏は一つの可能性について思い当たる。
(もしかしてどこかに出撃中だったか?)
■■■■□□
彼らは情報が示すビルを包囲した。
包囲している部隊は彼らが略奪したアンドロイドの総力が結集されていた。
なにせ、相手の一人は自分たちの基地の一つをせん滅させたのだ。万全を期すべきだろう。
その中には地下水道に潜伏していた暗殺用ヒューマノイドも含まれていた。
そして、彼らの新しいブレインであるスパイクが指示を出す。
突入、と。
■■■■□□
携帯の向こうから田中が知らせる。
[少し厄介なことになったぞ]
「どうしました? ご依頼の泥棒退治でしたら現在今遂行中です」
ライオスは、田中が仕事の催促の電話をかけてきたと考えた。しかし、どうやら違うらしい。
[いや、その件じゃない]
電話の向こうで田中は淡々と告げた。
[あんたの相方……氷咲とかいったか? あいつの画像がアーカイブ・アイズに流出している]
■■■■□□
彼らはビル中を虱潰しに探していた。
ビル中のドアを強引に開け、内部のスキャンして、その繰り返しだった。
■■■■□□
奏は考える。
(今の略奪犯が向かう可能性がる場所といえば……)
奏は、地下水道で略奪犯の手中にあるBAに遭遇している。
(まさか私たちを探しに出ているのか?)
もし連中が自分が出入りしている場所を突き止めていたら?
そんなすぐに自分たちの居場所が連中に知れるとは思えなかったが、奏は思い出す。アーカイブ・アイズの存在を。
自分が出入りする場所と言えば二か所しかない。それらの場所であれば自分の姿を目撃している人間が何人いてもおかしくは無い。
アーカイブ・アイズ経由で連中に知れる場所といえばその二か所のうちどちらかだろう。
一か所目は奏自身の住居。
もう一か所はライオスの学習塾だ。
(まさか)
■■■■□□
田中からの通話を終えたライオスはパソコンの前に歩み寄った。
(まずいな……アーカイブ・アイズから僕たちの情報が漏れたとしたら……)
「ここを襲撃してくるなんてことは無いよな……」
ライオスの学習塾はビルの一室に位置している。ここに略奪犯たちが襲撃してきたらこのビルにいる他の人間にも迷惑がかかるだろう。
そのままアーカイブ・アイズにアクセスしようとしたが、その前に教室のドアが開けられた。
■■■■□□
彼らの間に情報が走る。
「対象発見」
「対象を確保せよ」