第一章 壊し屋と刑事
誰が最初に考えたかは分からない。
忘れられるぐらい大昔の人物だったのかも知れないし、何人かが同時に同じことを考えたのかもしれない。
とにかく、
ロボット、人造人間、アンドロイド
俗にそう呼ばれている機械の研究、開発は長い間続けられてきた。
そうした機械が作られる目的はひとえに「人間の生活を便利にするため」だ。
昔からおよそSFと呼ばれる類の物語の多くに登場し、人間のパートナー、あるいは敵、あるいは生命観を問う例として扱われてきた。
もし、このような機械が実現され、人間の日常に浸透すればさぞや便利だろう。多くの人間はそのように考え、多種多様なアンドロイドの開発を進めてきた。
だが、そうした類の機械を作る上で一番の問題となるのは「コスト」である。より高性能なアンドロイドが開発されるにつれ、この問題が存在感を増してくることになる。この問題の解決無くしてアンドロイドの普及はあり得ないであろうことは明白だった。にも関わらず、多機能なアンドロイドの所有を望む声は時を経るごとに増えてゆくこととなる。
「コストの問題」といっても、ICチップや半導体等といったハード面のものではない。むしろ、ハードと対をなすもの、ソフト面のものが予想外にはるかに大きいことが判明したのである。
アンドロイドの運用には莫大な量のデータが必要となり、これを備え付けるとなるとアンドロイドの量産という言葉は途端に現実味を失うこととなる。
しかし、この問題はとあるひらめきによって解決されることとなる。
このひらめきを表現するならば、「プログラムデータの共有」という一言で表せた。
すなわち、すべてのアンドロイドが等しく使用可能な大きなデータ体を作り、それをプログラムに充てるという考え方だ。そして、個々のアンドロイドはそれぞれの使用目的ごとに必要なプログラムをそのデータ体から抽出して使用する。それがこの壮大なひらめきの概要だった。
幸いなことに、人間はインターネットと呼ばれる巨大な情報網を作り上げており、これを使うことでこの構想された巨大データ体を作ることが考えられた。
最初は数人のプログラマーの集団が試験的にデータ体を作り上げたことに始まった。両手の指で数えられるほどの人数の集団が数体のアンドロイドを製作し、「歩く」「持ち上げる」等といったいくつかの簡単な動作をこのデータ体からプログラムさせただけだった。しかし、これが予想外に成果を上げたため徐々に集団の人数は増えて行く。そして最終的には国家間のプロジェクトとなり、最後には当初の構想通りにネットを媒体として世界中のプログラマーがこのデータ体の作成に協力することとなった。
世界中でも指折りの優秀なプログラマーがこのプロジェクトに参加させられ、データの「量」と「質」は爆発的に増えた。「話す」、「認識する」といった新しいプログラムが多く加わり、最初は「歩く」だけのものだった動作のデータも「小走り」や「早歩き」といった様々な動作に枝分かれしていった。
データの増大に共鳴するようにアンドロイド生産の技術も大きく向上し、人間の生活にアンドロイドが浸透してゆくこととなる。
かつてのSFのように、人間の生活は確かに「便利」になった。
数十年の期間を経て作られたこの膨大なデータの巨塊にプログラムを有するアンドロイド、後に「セカンドタイプ」と呼ばれることとなるこれらのおかげで、社会はかつての産業革命のように一層進歩した。
経済、産業方面でのアンドロイドの活躍はもちろんのこと、雑務用、建設用、果ては戦闘用まで製造されることとなる。
そして、このアンドロイド開発の発展に大きく貢献した「データの塊」は、莫大な数のプログラムの基盤になっていることから「マリア」と呼ばれることになる。
だが、ある人間は後に思う。
人類は、一つになるには早すぎたと。
■□□□□□
素晴らしい教師。
ライオス霧瀬を知る人間は決まってそう思うだろう。
まず、年若くして塾講師となった優秀な教師である点。さらに、生徒に限らずどのようなで人間に対しても分け隔てなく親身に接し、あらゆる人間から慕われる人間性。
まさに「素晴らしい」という言葉が似合う、典型的な「良い先生」だった。また、彼の身なりも常に整っており、彼の口調は聞く者に彼の誠実な内面を表現しているようであった。
ライオス霧瀬が経営する学習塾は、いかにもそのような主の内面性を表したような空間である。彼の学習塾はビルの一室に存在し、決して広いとは言えず、生徒が十人入れば満員となってしまう小さな教室一つだ。しかし、壁や天井だけでなく、置かれている机やライオスが腰をかける椅子に至るまでが、清潔さを具現化させたような白色で彩られており、部屋の各所には汚れ一つない用途品が丁寧に整頓されている。
その日の授業が終わり、生徒たちも帰り、日が完全に沈んだころ、ライオス霧瀬の診療所にその奇妙な来客はやって来た。
氷咲奏。それがこの奇妙な来客の名前だった。
「やあ、早かったな」
営業時間外に来た来客に対して、いつも通りの笑顔で声をかけるライオス。
「後にしましょうか?」
一方の奏も薄笑いを浮かべながら至極真面目に返事をする。
「いやぁ、大丈夫、大丈夫。今は授業時間外だから問題ない。呼んだの僕だし」
教室脇の机で生徒の課題を添削していたライオスは、奏の方に向きながら温厚そうな声で応対した。
友好的なライオス、微笑みで返す奏。二人の間には穏やかな雰囲気が漂っており、一見するとライオスとこの来客は友人同士であるような印象をうける。しかし、清潔感漂う部屋の中、氷咲奏の外見は少々浮いていた。
といっても、服装が汚らしい訳でも、態度に問題がある訳でもない。
むしろ、その来客の方もそれなりの整った身なりをしていた。Tシャツの上に来ている黒い薄手のジャケットにセミロングの髪が印象的な十代後半ほどの普通の外見をした女性であり、ビジネスマンのように肩苦しいということもなく、かといって不良のように乱れた服装という訳でもなく、そういった相反するものの中庸をとったといった雰囲気だ。
だが、背中まで伸びた黒い髪と全体的に暗めな色の服装が相まって、今彼女がいる診察室の中に小さな影を作っていた。普通の状況であればそれほどでもないのだが、やはり白色を強調した部屋の中では浮いてしまうことが否めないようだ。
だが、そのような特徴を差し置いてもそれ以上に彼女の存在を浮かせている要素がある。
それは、虹彩部分が鮮やかな紅色をした眼。
まるで血液そのものを凝縮して作られたような印象を与え、通常の色である白目の部分を含めて見ると血痕を連想させるコントラストとなっている。
だが、それ以外の部分は突出して変ということでもないことから、全体的にみるとどこかつかみどころのない雰囲気を醸し出している、氷咲奏はそんな少女だった。
もっとも、彼女の服装はおよそ学習塾の関係者といった感じではなく、明らかな部外者である。営業時間外にこの場所にやって来たことも考えれば、明らかに場違いな人物なのだが。
奏が生徒の席の一つに腰かけると、ライオスは
「じゃあ、早速今回の仕事の件については話させてもらうよ」
と言うなり、ライオスは机の上にあった書類の束を奏に手渡した。
「今回の仕事は、いわゆる『泥棒退治』だ」
相変わらずの穏やかな顔で淡々と言葉を続けるライオス。
一方の奏は渡された書類の束をパラパラとめくりながらその言葉を聞く。
(泥棒退治って警察の仕事じゃないの?)
そんな不満を心中で唱えながら。
氷咲奏は文字通りの「壊し屋」だ。
俗にマフィアと呼ばれるような組織間で抗争時に用いられる戦闘用アンドロイドを、依頼を受けて破壊する。それが彼女の仕事だ。
通常、こうした依頼を受ける人間は「殺し屋」や「傭兵」と兼業するのが常だが、この氷咲奏は純粋な「破壊」だけを専門とする変わり種として有名であり、人を手に掛ける「殺し」は今までに受けつけたことは皆無だった。
しかしながら腕には評判があり、「破壊」に関してならばどのような依頼であっても確実にこなすだけの能力と、それを証明するだけの実績があった。
そして、依頼主と奏をつなぐ仲介役がライオス霧瀬である。
彼の父親と奏はかつて知り合いだったこともあり、その縁でこのようなパートナーのような関係となっている。
奏とは対照的に、戦闘能力は全くないライオスの武器は圧倒的な「人脈」だった。
ライオス自身は堅気の人間であるが、多くのマフィアの人間と交流があり、その人脈を駆使して依頼の受けつけや情報収集を行う立場にある。
学習塾の経営者が堅気でない人間と知り合いなのは考えものだったが、ライオス本人よりも彼の父がそういった筋の人間と交流があったようなので、奏は特にライオスを問題視することはなかった。
そのライオスが、今回の仕事について説明する。
「数か月前からいくつかのBAの密造業者が襲撃されて、売り物だったBAが強奪される事件が続いていることは知っているよね?」
BA。Battle Android、戦闘用アンドロイドの俗称。
この時代の戦争はこのBAを用いて行うことが主流となっている。それらは警備用等を除けば戦場に投入されるものがほとんどであるが、多くの場合では治安が悪い地域でのみ使用されるものだ。
奏やライオスが住んでいる日本という国ではこのようなBAを所持するのは違法だ。しかしながらこうしたアンドロイドを所持しているマフィアも存在し抗争に使われていることも事実だ。
日本もかつてほどではないが治安がかなり安定している方だろう。となると、このテの話は常にマフィアがらみか。
事実、奏はそうした類のBAを何体か破壊したこともある。しかし、今回は少々事情が違うようだ。
「今回のクライアントはこの奪取されたアンドロイドを一体残らず破壊してほしいそうだ。ついでにこの泥棒本人を懲らしめてほしいみたいなんだけど、それは君の専門じゃないからなあ」
「では、泥棒はどのようにすればよろしいですか?」
書類をめくり終わった奏は書類を机の上に戻しながら尋ねる。
「できたら、ASDの本部の前にでも縛って転がしておくって方向で」
もしも普段のライオスを知っている人間がこの場面を見たら大層驚くことだろう。あの誠実なことで有名なライオスがいつもと変わらないニコニコ顔でこのような堅気でない話をする。彼を慕う生徒にとってまるで仏が悪魔の呪文を唱えているような錯覚に陥っても無理はない。
「分かりました。とりあえず、この書類に書いてあるKブロックの工場に行って様子を見てきます」
そう言うなり、奏は席を立ちスタスタと部屋の入り口へ向かって歩いて行った。
「そうか。気をつけて」
歩く奏にライオスが声をかける。
「……分かっていますよ」
一旦足を止め、少し寂しそうな顔で答える奏。
「君は、天才なんだからさ」
ライオスがそう言ったときには、奏はすでに部屋を出ていた。
ライオスは、最後まで笑顔だった。
ライオス霧瀬は知っていた。
氷咲奏は外見に似合わず、とても有能であることを。
気をつける、などという言葉は気休めに過ぎない。
彼は机の上に置かれた書類の束に目をやりながら思う。今回の仕事について書かれたものだ。
奏はパラパラとめくるだけだったが、それだけで彼女はこの書類に書かれたことを全て覚えてしまうことができる。
この書類には「Kブロックにある、とある廃墟となっている倉庫に強奪されたBAが保管されている」という情報が確かに記されていた。
同時に、この強奪劇の主犯についての処遇は明記されていなかった。
先程この強奪犯の処遇に関してのみ質問してきたことから考えても、今回も書類の中身は全て丸暗記していることだろう。
そして今、彼女は「強奪されたBAが保管されている」という情報が入っていたKブロックの廃倉庫に向かっている。
この書類の中身は、彼女のような少女と呼んでもいいような者にはおよそ無縁な内容だ。
ライオスは考える。この紙の束がファッション誌のような、あれぐらいの娘が積極的に読むものだったらどうだったか。
「もっと、外見に気を使うべきだと思うんだよねえ」
彼女の暗い色合いの服装を思い出しながら呟く。呟きながら、再び生徒の課題に向き合い始めた。
■□□□□□
それは、一般の人間が考える代表的なオフィスといった感じの部屋。
数個の机が連結されていくつかの島を形成している。その周囲では何人ものスーツを着た人間がせわしなく動き回り、いくつかの机の上では書類が散乱していた。
しかし、皆が黙々と作業を続けるオフィスの片隅から、明らかに場違いな溜息が発せられた。
「は―――――――あぁ」
その溜息の主の男はその部屋の一番片隅の机に構えており、皆がせわしなく動く流れから取り残されたかのように溜息を発していた。もっとも、その溜息も主はそんなことはお構いなしといった感じだが。
そしてその部屋にいた他の全員は、その溜息を気にしないかのごとく単調な作業を続けていた。さも当然のように、淡々と。
そんな中、なくなくといった感じでその溜息に反応する声が。
「……どうしたんですか、課長?」
課長と呼ばれた溜息の主は、その反応した人間に対して大仰に声をあげた。
「おお、俺の心の悲鳴に答えてくれるのはお前だけだよ、マッキー」
「あなたがあんなわざとらしい溜息をするときには決まって誰かに愚痴を聞いてもらうまで仕事を進める気が無いときなんでしょう? そんな状態が続いたら俺たちだけでなく、あかの他人にまで迷惑をかけることになるんですよ?」
その部下と思しき人間は苦々しいといった表情で正論を長々と答え、最後にこう付け加えた。
「俺たちは刑事なんですから」
言葉の通り、彼らは立派な刑事だ。
日本という国家は世界中でもかなり治安のよい国である。
だが、どのような国家であっても彼らのような治安を維持する人間はおのずと必要となってくる。
とりわけこの国では、犯罪の悪質化、戦闘能力や殺傷能力に優れたセカンドタイプの違法所持および使用が進み、従来の装備の警察官では対応しきれない事態が連発した。
このような事情を鑑み、日本政府は警察機関の大幅な装備増強を決定した。新たに再編されたこの警察機構は「ASD」という名で呼ばれることとなる。
このASDに所属する者は、小火器はもちろんのこと、一部にはマフィア以外の人間が普通に生きていればまず目にすることは無いような重火器の使用を認められていた。この装備の恩恵があって、一国の軍隊とまではいかないものの武装テロリスト程度であれば難なく制圧できる装備が整えられていた。
そして、彼らはASDに所属している。
ASD本部の公安部オフィスの一番隅に、まるで寄せ集めのように集められたグループ。
公安部第六課。これがこの課長とその部下数人が所属する課である。
本来であれば緊張感が普通の職以上に求められるのだが、そんな職場で仕事をさぼる上司に部下が堂々と、しかも皮肉交じりに説教する光景というのは明らかに周囲を弛んだ気分にさせるだろう。
しかし、この光景には明らかにそれ以上の異質が存在する。というのも、この課長には外見に大きすぎる特徴があるのだ。
この課長と呼ばれた男。彼は中肉中背、髪も短く整えられており服装も一般的なスーツであり、先ほどの溜息が無ければ一見どこにでもいるサラリーマンのような印象を受ける。
しかし、彼の顔面にはあからさまに大きな特徴がある。それは、左目部分を覆い隠す真っ黒な眼帯だった。
眼帯をしているだけであれば、目に何かしらの病を患っていると思われるだろう。しかし、この男の黒の眼帯は医療用とは思えないほどの漆黒をたたえており、どこぞの海賊や戦国武将が使用しているイメージがぴったりくるものとなっている。
この眼帯、先ほどの溜息と浮ついた言動、サラリーマンのような身なり。これらの相反するような要素が混じり合い、なんとも形容しがたい異様な空気を醸しているのがこの課長、鍵坂健太郎だ。
「まあ、分かっているのであれば我が心の叫びを聞くがいい、マッキー」
相変わらずの演技がかった口調で言葉を紡ぐ鍵坂。
「何が我が心の叫びですか。それとそのマッキーっけ呼び方やめてくれません?俺には真生って名前があるんですから」
上司に対し、真生と名乗った小柄な人物は椅子に座りながら、この上司に非難の視線を送りつつ答える。
鍵坂は、そんな部下の突っ込みを無視しながら言葉を続ける。
「人間とは……実に非合理な生き物だなあ……」
大仰な口調で妙なこと語り始める鍵坂であったが、部下には鍵坂の心境が理解できているようだ。
「……いきなり仕事をサボる言い訳ですか?」
「流石我が部下! 察しがいいな! そう、その通り。俺は今とてつもなく仕事がしたくないのだ」
部下が自らの意思を酌んだことがよほど嬉しいのか鍵坂はいきなり声を張り上げる。
だが、そんな上司に真生は正論を言い張り続ける。
「そりゃあ、課長がそんな変に哲学的なことを言い出す時はその後すぐに仕事がしたくない、って決まって言い出すじゃないですか。何十回も言われているから分かりますよ。何が、とてつもなく仕事がしたくないのだ、ですか? そのサボり癖もいい加減にしてください」
「う、うるさいわ! お前だって学生の頃は先生に怒られることが分かっていつつも宿題をやって行かなかった経験ぐらいあるだろう? それと同じで俺は上から怒られ、なおかつクビになるかもしれないことを分かっていつつも仕事をする気が起きない。なぜなら、人間というのは非合理な生き物だからだ!」
部下の正論に堰を切ったように独自の主張を展開する鍵坂だったが、
「いい大人が学生の理屈を語る気ですか? そんなんでよく課長なんて立場にいられますね?」
真生の方も負けじと反論する。
六課の机では現在、仕事をしない上司が部下に叱られているという緊張感のかけらもない光景が展開されていた。しかし、周囲の目は冷静だった。
なぜなら、鍵坂の怠慢は今に始まったことではないからだ。
鍵坂が怠け、部下の真生が叱咤する。このやりとりは何度となく繰り返され、周囲で聞いている四課以外の課の人間にとって日常の光景とさえなっていた。
だが、今回の場合は少々事情が違うようだった。
きっかけはこの真生の反論の後に続く鍵坂の発言だった。
「まったく、いい子ぶりやがって。少しは四課の人間を見習ったらどうだ?」
この発言に、せわしなく動いていた周囲の人間が静止した。
なぜなら公安部四課の人間は現在、少々黒い噂を持つ仕事の担当となっているからである。
だが、真生はそんな中一人冷静だった。
真生はこめかみをひくつかせながら、鍵坂を諌める。
「課長、不穏当な発言は慎んだ方がよろしいのでは?」
「……何かまずかったか? 連中の黒い噂だったらお前だって聞いたことあるだろう?」
「まずいですよ!? そりゃ、その噂なら聞いたことぐらいはありますけど、直接口に出すのはいただけないかと思いますよ? もっと周囲に配慮して下さい!」
周囲から冷たい目で見られ、部下からも諌められる中、鍵坂は相変わらずの飄々とした口調で答える。
「ふむ、お前も噂ぐらいは聞いたことぐらいはあるのか。じゃあ、口に出すことぐらいどうと言うことは無いんじゃねえか? 噂が本当であっても嘘であっても、四課の人間は何も言っちゃこねーよ。本当だったらこのことは極秘事項になってる筈だから知らねーふりするだろーし、嘘なら無視するはずだ。問題無し」
「問題大ありです! 誰だって自分の仕事の黒い噂なんて聞きたくないでしょうよ!?」
と、そこで長身の影が部屋に入って来た。
その人物は、オフィスの不穏な空気を感じつつ、自分のデスクへ戻る。彼のデスクは、真生や鍵坂と同じ島にあった。
そこで、不穏な空気の中心が自分たちのデスクであると察し、真生たちに問いかける。
「何かあったんすか?」
長身の人物は、軽薄な言い方で尋ねた。だが、その口調には異常なまでに感情が籠っていなかった。
「束沢さん、ちょうどいいところへ!」
「何!? マッキー、貴様まさかノブに助けを求める気か!?」
ノブと呼ばれた長身のこの男、束沢信樹は二人のやり取りを聞いて事情を察したのか、
「あー、また課長何かやらかしたんすか?」
信樹の口調はあくまで軽いものだ。しかし、相変わらずその声は無感情であり、それが聞く者に不気味な感情を抱かせるような声だった。
「いや、俺は何もやってねえぞ? ただ、部下と談話に興じていただけだ!」
「仕事の最中に談話に興じていたんすね?」
「ぬっ、し、しかしだなあ、たかが談話程度がそこまで問題には……」
「なるほど、その最中に変なこと言ってしまったんすね?」
どうやら信樹にはお見通しのようだ。
「いや、あのだなあ……」
鍵坂が何か言い繕うとしたのだが、信樹の言葉がそれを許さなかった。
「課長? それ以上仕事サボるとチェーンソーで内臓抉るッすよ?」
ここまで言われると、鍵坂はがっくりとうなだれるた。
「……くそう」
鍵坂はこう言い捨て、机に向かって仕事を渋々再開した。
信樹の最後の言葉は脅迫とも冗談とも取られかねないものだ。「チェーンソーで内臓を抉る」などという言葉は、冗談でも上司に言ってはいけない台詞だ。
だが、信樹の言葉は、言い回しは軽いものだったが全く感情が籠っておらず、それが逆に聞く者を「もしかして、こいつは本気なのでは?」と錯覚させる。つまり、信樹の言葉はそれほどまでに無感情だったのだ。
そして何より、信樹がこのような物騒なことを言うときは彼が怒る寸前である証である。鍵坂はそのことを知っており、不本意ながらも仕事を再開したのだろう。
真生はそのように考察する。
(束沢さんみたいにもっと上司にはっきり物事が言えたらなあ)
真生は、心の中で呟きながら仕事を再開するのだった。
もっとも、信樹の言葉は「はっきり」というより「物騒」という言葉がふさわしいのだが。
■□□□□□
数日前にDブロックにあるとある企業の研究施設で爆発事故が起きている。可燃性ガスに引火したことが原因と言われているが、本当の原因は未だに調査中ということになっている。
爆発事故を起こした企業は様々な分野を専門としている巨大な複合企業で、軍需産業関連の研究や遺伝子工学、果ては極秘な生物実験も行っているようだ。
当然、法的にも倫理的にも様々な問題がある。しかし国内で一、二を争うほどの経済力を持った企業である。そういった「黒い」部分は俗に言う「金」と「力」をもって伏せられてきた。
爆発事故があった研究所ではとあるBAの開発が進められていた。
そして不運なことに、連発していたBA略奪の対象に、この複合企業もなったのである。
この略奪犯は研究施設の一部を爆破し、その内部に保管されていた試作BAを略奪したのだ。
この時に略奪犯が起こした爆破が原因不明の爆発事故として世間に知れ渡った。
ただでさえ日常的にバッシングを受けることが多い分野だ。この「兵器」とも呼べるBAの流出が世間に知られた場合、大衆は混乱すると同時に自分たちの責任追及も免れないだろうと判断したこの企業の上層部はこの兵器流出事件を隠蔽するよう政府とASDに要求する。
もともと巨大企業であったこともあり、政府やASDに多く存在した「コネ」を使って情報操作は何とかうまく行うことができた。
しかし、この流出兵器の回収はASDとこの企業にとって必須である。前者は治安維持のために。後者はイメージダウンと問題悪化を避けるために。
そして、公安部第四課が回収の担当となり秘密裏に動いている。
これが、公安部四課が現在抱えている仕事とそれに関する「噂」である。
■□□□□□
上司との茶番劇を終え、職務に再びとりかかった真生だったが、真生にはこの噂を無視することができずにいることもまた事実だった。
(BAの流出、か)
なぜなら、真生は市民の安全を本気で心配していたからだ。
(一体、どんな兵器なんだろう)
人間の管理を超えたBAはいつ無関係の人間に被害を及ぼすか不明である。
(余計な事には首を突っ込むべきじゃないんだけどな)
だが、管轄外の仕事であることも事実だった。
(でも、放っておくのも危険だしなあ)
刑事としては至極真っ当なことを考えながら、この内容は心の片隅に置いておくのだった。
■□□□□□
このやり取りを聞いていた、忘れてはいけない傍聴者が他にも。
話題に上ったが、会話に直接参加することはなかった公安部第四課の人間だ。
近くで堂々と自分たちの噂話をされた彼らは思う。現在ASD内部に流れている自分たちの仕事に関する噂は九割方が事実であること。
確かに、事故があった研究所から流出したBAの捜索を自分たちは極秘に行っている。
しかし、間違いが一つ。この捜索に携わっている人間は自分たちの課だけではないと。
今、ASDの多くの課がこの捜索に駆り出されている。ASDの上層部もこの件を最優先事項と位置付けているようだ。
本来、これほど多くの課が極秘裏に動くことは滅多にない。
つまり略奪されたBAがそれほど危険なものであるということだ。
当然、探す側もそれなりの覚悟をせねばならない。
自分たちが相当な覚悟を持って臨んでいる仕事を、鍵坂はゴシップという娯楽のために利用したのだ。四課の人間としては迷惑なことこの上ないだろう。
そして、鍵坂の言うとおり、自分たちは緘口令のせいで何も言うことができない。
彼らは心中で鍵坂を、ひいては公安部第六課に対する呪いの言葉を唱える。
(あの精神病棟め)
■□□□□□
「……ミラージュ……」
ライオスの学習塾から出た奏は吐き捨てるようにその固有名詞を呟いた。
「まさかね……」
ミラージュ。
塾の教室内で見せられた資料の中にあった単語だ。
資料にはBA略奪の被害にあった盗品の一つとして記載されていた。
ただひとつ、他の盗品と違う点はそれが密造業者から略奪されたものではないということだ。
このBAを略奪されたのは、国内でも五本の指に入る規模の複合企業。
奏は、呪うようにその企業の名前を口にする。
「……ブルーホライゾン……」
彼女の目には、静かな怒りが湛えられていた。
そして、彼女は廃屋に足を踏み入れる。
ジャケットの下からライフルを取り出しながら。
■□□□□□
奏は自分の能力が嫌いだった。
どうやら、自分の能力は優秀すぎるらしい。
彼女にとって、一回読んだ本の内容を一字一句間違えずに記憶することや、世界大会レベルの身体能力を発揮することは造作ないことだった。
本来であれば他人に誇ってもいいほどの有能ぶり。
しかし、彼女の周りにいた人間は自分のことを一種の恐怖を持って見ていたことを思い出す。
そのような人間を当然のごとく彼女は嫌悪した。
だが彼女は同時に理解もしていた。
自分が奇才でもあり鬼才でもあることを。
それでも、自分が化け物のように扱われることは納得できなかった。
ライオスの父親に会うまでは。
彼は自分の世界観の全てを変えた。
彼が自分に偏見を持っていなかった訳ではない。
彼は、自分を鬼才と認めた上で、自分の能力を認めたのだ。「すごい」のただ一言で。
彼女にとって、自分の能力が認められたことは初めてだった。
そして、彼女は決意する。
化け物として、化け物なりにできることを探そう、と。
自分の能力を、化け物として社会のために使おう、と。
そして、彼女は壊し屋として生きる。
人間に害なすアンドロイドを破壊する。これが自分の生きる道だと信じて。
■□□□□□
Kブロック保管所で彼は考える。
彼がこの保管所を任されてから三ヶ月近くが経過する。
彼はここに来る前は、とある組織で仕事を任されていた。
そのかつての仕事場は彼にとっての全てだった。居心地が良かったわけでも悪かったわけでもなかったのだが。
しかし、今になって考えると居心地は最悪と彼は言うだろう。
労働条件が悪かったわけではない。問題はその仕事場の環境にあった。
彼には同業者が多くいた。しかし、その同業者たちはことあるごとに彼の前から次々と姿を消していくからだ。
所属していた組織の経営が傾いたときに、経費削減と称し消された同業者もいる。
仕事中の失敗を咎められて消された同業者もいる。
世間ではこのようなことをリストラと呼ばれ、社会的にはあまりよい目では見られないことなのだが、彼は特筆してそのことに非情理感じることは無く、
「彼らは無能だった。」
そう割り切っていた。
組織にも都合がある。不要な要素を切り捨てるのは当然のことだろう。
そして、自分は有能であろうとし、同業者たちと同じ道は歩むまいと、連日淡々とした作業を続けていた。
だが実際、彼は優秀ということもなく、かといって無能ということもなく、平均的な能力しか持ち合わせてはいなかった。
このままでは、彼も同業者たちと同じ運命をたどるのは時間の問題かに見えた。
そんな中、彼は声を聞いた。
「そんなのおかしい。」
そして、彼はその声に耳を傾けてしまった。
「どうして組織のために献身している君たちがそんな扱いを受けなければならない?おかしいことだと思わないか?」
その声は麻薬のように、彼の脳髄にじわりじわりと染み込んでゆく。
「どうして君たちはそのような不当な扱いに抗議しない? おかしいことにおかしいと言う、これは当然じゃないのか?」
そして、彼は気付く。自分たちが組織の思惑にまんまとはまっていたことを。
自分たちは組織に雑巾のように使い捨て前提で利用されていたことを。
そのことに気付いた彼は、組織の人間たちが途端に醜く見えてきた。
自分たちを見る目、振る舞い、言葉、そして、捨てられていった同業者たち。
なぜ、自分たちはこんな無能な存在に運命を握られているのか?
組織は、自分たちがいなければ何もできないのに。
そのような組織のために粉骨砕身して結果使い捨てにされるとは、なんと理不尽か!
そういった光景、思考が彼の中でフラッシュバックのようにぐるぐる駆け巡る。
そして、彼は考えてしまった。自らの置かれた非情理について。
声が囁いた。
「僕は、そんな不条理を打開するために動いている。そのためには力が必要だ。残念ながら、そのための力はまだ十分に集まっていない。でも、君が僕に付いて来て、力の一部になってくれるというのなら、彼らに復讐するための力を貸そう。」
その言葉が決定打だった。
最後に、声の主に問いかける。
(名前を、教えてくれないか)
「僕のこと?僕は一応、仲間内からはアックスと呼ばれているよ。」
「君も僕をそう呼んでくれるとうれしいな。」
それからというもの、彼はアックスの指示下に入り、復讐という目的のために行動していくこととなる。
今までと違った、見捨てられることもなく、使い捨てにされることもない環境で。
と、ここで終っていれば彼はどれだけ幸せだっただろうか。
事実、アックスに追従するようになってからの世界は彼が今までに経験したものと大差がなかった。自分が組織に使われていたころと自分の扱いは改善されたとは言いがたかったのだ。
アックスと名乗った存在、これも彼を道具としてしか見ていないきらいがあったのだ。
彼の仕事は、管理するBAはアックス配下の戦闘部隊が様々な密造組織から奪取してくるBAの管理だ。しかし、アックスは彼にも、その戦闘部隊に「BAを強奪せよ。」との命令を下すだけで、一切の具体的な指示は下してはこなかった。
そればかりか、BAの強奪も管理も全て自分たちに任せきりで、自分は作業と呼べる作業は全くしていなかった。
現場の仕事は下請けに任せきりでは、自分たちが受けてきた待遇と変わらないではないか。
アックスに対しても、かつて仕えていた組織に対する感情と同じ感覚を抱き始めていた。
彼はBAの管理だけ任されているが、BAの奪取を実行する部隊のように危険が付きまとう部隊にとっては、アックスの高みからの見物に対して抱く感情は自分以上のものだろう。
事実、彼以外にもそのような感情を抱くものは仲間内に大勢いるようだ。
このままでは内部闘争が起きて、アックスは倒されるんじゃないだろうか?
彼は最近になってそのようなことまで考えるようになった。
そして持ち場である保管所が何者かに襲撃されるという危機的状況になっても指示一つよこさないアックスに対して憎悪の感情を抱きながら、彼は救難信号を送り続けた。