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虚数のバベル  作者: 石田かのん
EPISODE1 「蜃気楼」
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プロローグ

その空間の中で、『それ』は墓石のように鎮座していた。

「分かってくれ、才川博士」

『それ』を見つめながら、一人の男が呟く。

白髪頭の壮年の男だ。短く切りそろえられた髪と身につけている淵の無い眼鏡が、知性的な空気を出す

「これは危険すぎる。一時期における核のようなものだ。制御の範疇の外にあるものを人間が手にするとロクなことが起きない」

「……」

一方、声を掛けられた男は無反応のまま『それ』を凝視していた。

そう、凝視だ。まるで何かに取りつかれたかのように『それ』に執拗な視線を送り続ける。

声を掛けた壮年の男よりいくらかは若いだろう。どんなに年を多く見積もっても中年の域は出ない。

しかし、彼の身体にあるのは、大きな隈を作った眼と痩せこけた頬、数日間手入れされていないであろうぼさぼさの黒髪。となりの知性的な壮年男よりも老けこんでいるようだ。これが才川と呼ばれた男だ。

彼らがいる部屋には数多くの機械で埋め尽くされており、そのどれもが近代的なタッチパネルやモニターを装備した高級そうな設備だった。一見するとどこかの大学の研究室の内部に見えなくもない。しかし、窓一つ無い壁と、異様なまでに密集した機器が、この部屋の人間たちが感じる息苦しさを無駄に増大させる。まるで、監獄だ

隣の壮年男は言葉を続ける。

「これは本社に移送される。あそこならここより良い管理ができるだろう」

彼らが見つめている『それ』。

彼らがいる部屋の中央にそれはあった。

重々しい金属で作られた外壁が『それ』の外観だった。滑らかな弧を描いた金属壁が『それ』の外部を覆っており、中の様子をうかがい知ることはできない。小さめの家具ぐらいの大きさである。鉄製のタンク、といったような表現がしっくりくる見た目だ。そんな中で卵型の『それ』は独特の存在感を放つ。いくつものパイプやコードが『それ』に繋がれているが、今は『それ』の周囲を動く人間たちの手によってそれらの一つ一つが丁重に取り外されていく途中だ。

『それ』の周囲の人間たちは皆、白い防護服で全身を覆っており、どこまでも暗い色の『それ』とシュールなコントラストを醸し出している。その誰もが慎重な手つきで作業している。まるで劇物を取り扱いように。

「……お前にとっては不本意かもしれないが、これが最良の選択なんだ。お前も内心では理解しているはずだ」

壮年男は才川に語り続けるが、才川はまるで興味が無いように数歩先の『それ』を凝視し続ける。

才川は、今日を最後に『それ』を目にすることは無くなるだろう、彼の本意とは反対に。

彼はもうかれこれ十年近く『それ』に携わって来た。寝食を共にしたと言っても過言でないほど『それ』に情熱を注いできた。妻子に縁を切られてもなお『それ』への情熱を捨てなかった。

そんな彼が『それ』と離別する心情は察するに余りあるものだろう。壮年男や周囲の作業員たちもそれは理解していた。しかし、彼が『それ』を管理し得ことが出来ないと決定された以上、彼らにはどうすることもできなかった。

なにせ、重要な問題なのだ。『それ』とは『開発者不在の大量破壊兵器』なのだから。

開発者不在、つまり、『それ』を開発した者は早々に『それ』の管理を放棄したのだ。

放棄された『それ』を発見したのがこの部屋にいる人物たちが所属する組織、複合企業ブルーホライゾンだ。

この壮年男、青葉航大はそのCEOにあたる。そして、『それ』の管理を引き受けていたのが才川だ。

そうこうしているうちに、『それ』の周囲で作業していた作業員の一人が壮年男に近寄って来た。

「会長、『ミラージュ』の移送準備完了しました」

「御苦労。よろしいな、才川博士?」

その言葉を聞くと作業員は、部屋の隅に用意されてた設備の一つに装備されていたタッチパネルを重々しい指の動きで二、三叩いた。彼らがいる部屋を埋め尽くしていた機械群の中に紛れ込んでいたその設備は、高さは人間の身長以上にあり、金属でできた胴体の周囲に枝のように数本のアームが装備されていた。作業員がパネルをたたき終えると同時に、その設備はその設備はぼーん、と機械的な音を立てて動き出す。動きだした設備、リフト型の移送用アンドロイドは、『ミラージュ』と呼ばれた『それ』の隣にホイールで移動した。

アンドロイドの外部に取り付けられていた爪に似たアームが展開し、『それ』を掴んだ。

『それ』を取り囲むような形で展開したアンドロイドが『それ』を持ちあげる場面でも才川は何も無言で見つめていた。

アンドロイドが移動を開始し、彼らのいる部屋から退出しようとしたとき、才川が初めて口を聞いた。

「待て」

周囲の動きが一瞬で止まる。

才川の言葉に青葉が言葉を返す。

「まだ何か?」

才川は『それ』を凝視したまま答える。

「……ヘリポートまでは見送ろう」

才川のこの期に及んでの反対意見を危惧した壮年男と作業員たちはひとまず安堵した。

「つらい思いをするだけだぞ?」

壮年男は戒めるように言った。

「あんたらの心配することじゃあないさ」

そう言うと、才川はアンドロイドに続いて部屋から出て行った。

その足取りは、とても重々しかった。


□□□□□□


才川が退出した後の部屋で青葉は考える。

(哀れな男だ。彼が家族を差し置いてまで手元に置いた研究対象を、これから奪われてしまうのだからな)

青葉は、少しだけ才川に同情していた。

そして、『それ』に思いを馳せる。

(まったく、あれを作った奴は何を考えているというのか? あのような危険なものを野放しにするとは……)

青葉は自分が内心ではひどく怒っていることに気付く。

(大量破壊兵器『ミラージュ』……その名の通り、あれが『蜃気楼』だったらどれだけ良かったことか……)

最後に、一言だけ。

周囲の作業員たちにも聞き取れないような言葉で呟いた。

「全ては、『マリアの意のままに』、か……ああ、穢れた本土に取り残された女神は、何を思うのか……?」


□□□□□□


まったく、情けない話だ。何せ、自分は自らの生涯を賭けた対象が奪われるのを黙視しているのだから。

才川来斗は心中で自分を罵った。

もっとも、ここでミラージュを奪取しようとしても側で待機している警備員に射殺されるのがオチだろうが。

彼は今ヘリポートへ向かうエレベーターの中にいる。

このビルはブルーホライゾン所有の施設の一つであり、屋上に大型のヘリポートがあるのだ。

才川はエレベーターの階数表示が増えてゆくのを黙って見ている。

(自分にはどうすることもできない)

改めて自らに言い聞かせた後、ミラージュの側に待機している二人の警備員を一瞥した。

ブルーホライゾンは警備用のアンドロイドを何百台も所有しているというのに、このような重要な場面で生身の人間を起用するのはCEOの青葉航大の意向か。

自分は今までこのミラージュの管理に全てを捧げた。

この地球上で『こいつ』を管理できるのは自分と『開発者』だけだろう。それだけの自信が持てるまでに『ミラージュ』のことは徹底的に分析した。

こいつが移送された後のことは何も聞かされていない。

娘の嫁入り間近の父親の気分というのはこのようなものなのだろうか?

いや、そう言うと自分の実子に失礼だ。家族に逃げられるのも納得というのもか。

少し、この『ミラージュ』のこれからについて案じた。

こいつはこれから『開発者』のもとに戻されるのだろうか?

いや、それは開発者自身が拒絶するだろう。

となると、残された手段は一つ。

封印、か。

さしずめ、重し付きで海底に沈められるのだろう。

それだけは、あってはならない。

才川は自らに再び言い聞かせる。

この兵器は、もっと拡散させるべきなのだ。

兵器を拡散させる。まるでマッドサイエンティストのような事を考えながら自らを奮い立たせたとき、その異変は起きた。


□□□□□□


誰かが指示を出した。

[作戦開始]


□□□□□□


ずうん、と建物全体が激しく揺れる。

そのビルにいた全員が一瞬はその揺れを地震と誤解した。

だが冷静な一部の職員は地震とは違う揺れであるとすぐに察した。青葉航大もそのうちの一人だ。

(この揺れ……)

足元を揺さぶられるような激しい振動の中、青葉は冷静に判断していた。

(建物のどこかで爆発でも起きたか……?)


□□□□□□


エレベーターの中でも相当な揺れが感じられた。

ミラージュの片側を固めていた警備員の一人は立っていられず、転倒した勢いで気絶していたようだ。

気が付いたときはエレベーターの天井のLEDは消え、足元で非常灯が不気味に点灯していた。

「よぉ、起きたか」

不意に頭上から声を掛けられた。

上を見ると、才川来斗が天井のアクセスハッチから顔を出していた。

「……っつぅ」

警備員は痛む頭を押さえて立ち上がろうとした。足元が生ぬるい感覚がするのは床に思い切り打ちつけられたか。

「無理すんなよ。お前、結構強く頭打ったらしいからな」

頭上の才川が警告する。

才川は自分の身を案じているようだが、自分には使命がある。この男から目を離す訳にはいかない……。

「ああ、そうそうそれと、あんまり目を凝らすな?」

才川は続けて妙なことを言った。

「……は?」

一瞬意味が分からなかった。

「……あんたまさか!」

思わず叫んで振り返り、自らが守護すべき兵器の安全を確認する。

そして、絶句した。

「……っっああぁ……」

「ほらな」

ミラージュは無事だった。

問題があるとすれば、移送アンドロイドごと傾いていることか。

だが警備員が絶句したのはその移送アンドロイドが倒れた先だ。

移送用アンドロイドのボディがひしゃげているが、それは大した問題ではない。

そこには『頭』があった。正確に言えば、『かつて頭だったもの』が。

護衛は、二人いた。だが、今は一人しかいない。

これが、答えだ。

それは、自分とともにミラージュの警護に就いていたもう一人の警備員のもの。

彼の頭は、アンドロイドのボディと壁に挟まれ潰れていた。

自分の足元の生ぬるい感覚は彼の血だった。

「……ぐぅうっぷえ」


警備員は吐き出すのをこらえるのが限界らしい。

そんな警備員を傍目に見ながら、才川はエレベーターの天井裏から飛び降りた。

研究者にしては身軽な動きで床に着地する。白衣がなければ野生の猿を思わせるような動きだ。

今の揺れが何だかは知らないが、このエレベーターは今ケーブルが切断され身動きが取れず、非常停止装置が発動して辛うじて落下を免れている状況だ。

今いるこのエレベーターもいつ落下するか分からない。

事実、数分おきに大きな爆発音と揺れが伝わってくるのだ。

いずれにしろ、これはミラージュを開放するチャンスだ。

生き残った警備員は、嗚咽をこらえることに必死で動けない。

移送用アンドロイドはミラージュのカプセルとエレベーターの壁に挟まれてボディが潰れていた。おそらく修理しない限り動くことは無いだろう。

今、才川の行為を止められる者はいない。

幸い、ミラージュのカプセルには破損は見当たらない。

才川はカプセルの側面のいくつかのボタンを手早くタッチした。

「才川!」

背後から怒声が浴びせられた。

生き残った警備員が復活したか。才川は自分の後頭部に銃口が付きつけられるのを感じた。

しかし、もう遅い。

ぷしゅうー。

そんな音を立てて、ミラージュの卵型のカプセルは開いた。

「……あ……あぁあ……」

警備員が絶句する声と、銃を床に落とした音がエレベーターの中に響いた。


□□□□□□


その数分後、この施設は完全に崩壊する。

原因は施設内部で連発した原因不明の爆発である。

爆発の特徴から考えて、外部の犯行であることは確実だった。

そして、瓦礫の中からミラージュは発見されなかった。

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