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歴史とDNA

出アフリカ3

作者: とびうお君
掲載日:2026/06/27

 人類は東西で大きく遺伝的に距離がある。そのルーツ、これが一番気になっていて解けない謎。日本人はもうほぼ謎はない。一点だけあるなら日本人の南方成分はどの集団なのか?になる。これもどれか絞れないだけでほぼ分かってる。おそらくYDNA、D系統の集団とmtDNA、B系統の集団。後九州特化で南方成分が2度ほど流入してる。


 弥生人も問題だったO1B2が最近解けた、彼らは確かに南方から来たが、かなり前なので、周りと混血して日本に来るときはほぼ南方成分を失っている。じゃ長江から稲作を持ってきた集団は?そもそも長江ルーツじゃない、山東半島。熱帯ジャポニカが変異して温帯ジャポニカになったものが新石器早期から密かに育てられ来たもので長江から直接来たものじゃない。


 あほの一つ覚えみたいに弥生=長江起源っていう人多いが無知が理由。彼らは北方で稲作をしてた集団。かつO1B2じゃない。O1B2は2次的に稲作を受け取っただけ。日本人は縄文からずっと北方系が強い民族。


 以前から唱えていた、インド北西部が重要で、あれにイランを加えて、広く取って、イランからインド北東部までの広い地域。ここがユーラシア人のルーツだと見てる。今までの常識だった中東、イスラエル、アラビア半島付近から分岐していく人類移住のイメージはもう捨てたほうが良い。


 ただイランはそれなりにあるが、インドは古代DNAがかなり少ない。ある事はあるが、旧石器について言える物はない。イランも発見年代は新石器。でもあまりに特異な集団だったため、これは旧石器からずっと隔離されてきた集団だと決定されてる。他は移動が激しくて、新石器までは終えるがその前は怪しくなる。


 じゃ何故インドを加えるのか?現代のDNAで古い分岐の物が大量に残っている。このためひょっとしたらそれがかなり前の時代から連続してる可能性が考えられるのと、イランが人類の供給源なのは確実なので、インドもおそらく似たような状況だったと考えられる。


 じゃ何故今までイスラエルに近い中東が人類移動ルートの供給源だとも思われてきたか?インドの石器が皆無だから。インドは石器の研究が極端に薄い。現地の研究者がちっとも研究してないと言ってるんだからほぼ確実だろう。こうやっていうのは掘れば出るはずなんだと辺りを付けていて、私もそう思う。いろいろ問題があって活発ではない。


 ここ最近ペルシャ湾岸の人類研究が暑い。様々な新発見があって、私の提唱するインド北西部が信ぴょう性帯びてきた。本来はイランは、インド北西部と近い文化圏で中東文化圏じゃない。旧石器からずっと人類集団としてもインドの近い。イスラム教がすべを変えただけ、イランは中東じゃなくて、インドとセットで見るべきなんだ。


 大きな発見はIUPと言われる旧石器初期の石器群がここ起点と言う話。何がすごい発見なのか?これまでレヴァント、イスラエルの近くが常識だった。アフリカとアジアの通過点になる。起源的にイランがルーツでレヴァントが後継である事が分かった。起源が大きく変わった。


 この何がすごいか?と言うと中東のこれまで考えられていたレヴァントから人類が広がる移動ルートが大幅に変わった。おそらく人類の供給源はイランより東になる。といっておIUPを運んだ人類は東西で痕跡だけ残してすべて絶滅してしまった。何故か?ネアンでタールの地域にいたため寒冷化で一緒に滅んでしまった。


 東は田園直系じゃないが近縁種が現代のアジア人に薄くつながっている。西はスペイン付近に薄く残っている程度。ほぼ現代人に影響を与えてない。この絶滅の後人類は新しくなる。この集団こそが、現代の東西に分かれた西洋人東洋人のルーツになる。これらがこのイランからインド北東部までの領域から出てきたとみている。


 イランは今熱いと言うのは、ネアンデルタールとの混血もここだったんじゃないか?と推測されてる。推測?推測、もともとレヴァント辺りで混血したと言うの推測だったんだ。その推測に従って古代DNAを調査すると、どうもこの辺り、ネアンデルタールを含まない基底ユーラシア人ばかり出るんだ。


 ネアンを含む集団はすべて新しくこの中東に移住してきた集団ばかり。えじゃアフリカの出口で混血したモデル間違ってたんじゃない?でイランが候補になったとなる。いきなり飛ぶなとなるが、これが意外とまとはずれじゃないのは、ザクロス山脈と言うイランを縦断する山脈によって、人類集団が断絶している。


 そのため、この山脈の東西の人類集団で分けると、東側で混血したんじゃないか?と結論付けるようになった。そのためあっちこっち中東で基底ユーラシアが溢れてるのは、新しい集団が現れるまで、中東はネアンデルタールとの混血が無い集団のたまり場だったのじゃないか?という話になった。


 ただし、これは、直接旧石器でDNAがわんさか取れたわけじゃない。そのため旧石器の基底ユーラシア集団は、沈んだペルシャ湾岸にいたとの仮説が誕生して、そこが調査できないため、大量の居住区を発見できないという理屈になって今に至る。


 ええじゃ、ネアンデルタールの混血が同じイランで全くない、混血地域と分かれたとなるの?ならそうなる。山脈によって移動が制限されていたため目の前にいるのに混血について180度違う集団が隣接すると言う奇妙な状況になってる。


 だがこれとんでもなく都合がいい。以前この付近にコステンキ=西方集団の起源があるのじゃないか?していたが、問題があった。コステンキは基底ユーラシア集団と含んでる。要するにネアンが薄い。以前のアラビア半島なら離れすぎていた。でも同じイランならうろうろしていれば混血するはず。


 混血場所はどこか?は分からないが、基底ユーラシアは北部にはガンガン広がっている。コーカサスあたりにも広がっている。そのためコステンキは北上後に混血した可能性がある。山脈は北部で、峠となってる部分や通りやすい場所がわんさかあるようで、古代からこの辺りは通り道になっている。


 まあローマ帝国が領地にしていたので、難所なら考えにくいだろう。


 そこで後はANA(古代北方アムール集団)はどこにいたか?で、彼らはインド側にいたんじゃないか?と見てる。大きな母集団から、イランとインドで東西の偏りが出来て、西の端と東の端で別集団になって互いに北上したのじゃないか?と見ている。


 同じイラン発じゃないのか?なら分からない。やっぱり偏りが出来るので、ある程度東西の距離があったのじゃないか?と見ている。現在こういった勾配は残ってるのか?なら残ってないが、わずかにイラン集団とインド集団の古層は違うようだ。その違いが、大きくなった可能性はある。


 ただ現代のインド集団は、このイラン集団が混血してしまったので近くなってしまっている。現代のイラン集団は全く違う。古代DNAで隔離された地域でたまたま取れたもので、現代はイランの古代集団残ってない。現在イランが西方よりなのは、新西方集団の流入が大きい。


 コステンキとANAがどうやって西寄り東寄りの、形質DNAになったのか?は良く分からない。ただ現代の西洋人東洋人の形質的特徴は、この2集団がすべてのルーツになる。後は混血したが大きな特徴は与えていない。敢えて付け加えるなら。これに寒冷適応による一重まぶたが東方集団で追加されただけ。


 根本的な骨格は、ほぼこの旧石器のときのこの2集団に起因する。東アジア人の骨格的特徴は寒冷適応じゃない。西方集団は、横から潰された顔。東方集団は横に広げた顔。この正反対の骨格の特徴が東西の顔を決定した。何度も書くがこれは寒冷適応じゃない。



2026/6/28追記:

 大幅な手直しになる。なんで?ANAってものすごくややこしいってのがその答えになる。前の内容も迷いに迷って得たものだから。そしてかつこれからの内容は世界で誰も唱えてない大胆なものになる。そんな怪しげじゃないか?と言うとある一点研究者は重要な事を無視してるんだ。


 ええそんな事ある?ならDNAと人類ではこれがしょっちゅうある。考古学は科学は道具であって科学そのものじゃない。まあDNAだけなら科学的だが、科学的ならこれ以上言えないって部分がある。それを私は言ってしまう。問題ないか?なら無い。沈黙によって誤魔化すって手法が古代DNA研究ではよくあるんだ。


 その誤魔化してる部分に触れる。ANAが東アジアを決定してるのだが、実はANAの東アジア的な部分って、別の集団由来なんだ。これをDNAと考古学は誤魔化してるんだ。何故こんな誤魔化しが?となる、未知の集団Xが見つかってないからになる。ANAが2つの集団から成り立ってるのを証明するのは難しくない。


 ANAはC2と言うYDNAを代表とする集団だが、この集団に古代北東アジア古層集団が混じってるのが分かる。この集団すでに絶滅してしまい。現在は近縁集団が東アジアに影の様に影響を与えている。この集団に近いんだ。でも同一じゃない。同一じゃないため、研究者敢えて触れないんだ。


 多分研究者は真剣に考えたら矛盾があるのを知っている。田園と言う集団は世界中に広がったIUPと言う石器文化を伴った集団になる。この田園広がった時代が明らかにC集団とずれるんだ。この集団K2AというY染色体が主に出やすい。一部欧州でC1a2と言う集団もあるが、基本C集団の移動とはずれてる。


 他にもこの集団mtDNA、Mを含んでない。ANAの豊富なMはどこ由来なのか?となると、おかしくなってくる。ANAの元になったC2集団と、田園に近いIUP集団が混血したのがANAであるという答えになる。こんなの突き詰めればすぐ答えが出るが何故研究者が避けるのか?


 この田園に近い集団は田園と一致しないため、謎の集団xだからそれが見つからない限り論理的には導き出せるが、避けたほうが無難だから、敢えて言わないんだ。


 東アジアにいかにも東アジア的遺伝子、形質どっちももたらしたのは、田園に近い集団である。YDNA、C2、mtDNA、MNを中心とした集団ではない。絶滅してほとんど影になってしまった田園に近い集団こそ、東アジア的な要素を作った本体である。


 余談として、C2集団の移動ルートは決定できないが候補は絞られる。アジア早期移住、これは南方を使ってC1Aと共に来た可能性が高い。根拠はANAに古いC1Aの分岐が残っているから。この場合C2は生まれてない。Cそのものを持っていた集団で、ここから後にアムール到着とともにC2が生まれたとなる。


 このアムール集団が到着後に後から田園に近い集団と混血したとなる。


 もう1つはアジア後期移住。これは北方ルートになる。理由はANAは南方成分が無い、南方成分があっちこっちに溜まっていた雲南あたりを通ったらおかしな話になる。早期は無人のアジアを進んだから混ざらなかった。そのためほとんど人がいない北方ルートに絞られる。


 この場合田園に近い集団が先に北方アジアのどこかにいて混血したとなる。この2つの時期移動ルートの違いはどっちでも良い。あまり重要じゃないから余談。


 重要なのはIUPを伴った田園集団は、多分イランから出発したと思われる。これで以前話した、東アジア成分が抜けたから、おそらくイラン発のコステンキDNAは西方成分が濃くなったという理屈が成り立つ。私以前考えたモデルをそのまま使える。東洋人と西洋人は凸と凹の関係にある。両者を混ぜると、中間の過去のイランインドあたりの集団になる。


 以前これをやめたのは、ANAにあるmtDNA、Mの存在があったから、でもC2集団が東アジア成分の本隊じゃないなら何の問題もない。世界初の私だけの理論だが、これは高い確率でDNAの証拠さえ見つかればこの説通りになると確信してる。



2026/6/30追記:

 ちょっと修正したい。またかとなるけど、イラン高原人をちょっと勘違い。ザクロス山脈人だった。イラン高原には旧石器に人はあまりいない。何故ならここ水が無い。テヘランってなんでこんな場所に?テヘランだけ水がある。これは水だけあると言う事で狩には向いてない。


 その為狩猟採取が中心だった旧石器にはイラン高原は人類の遺跡は余りない。イラン高原ぎりぎりの端に基底ユーラシアは住んでいたとなる。ネアンデルタールと混じったユーラシア人の祖先はザクロス山脈に住んでいたが、このザクロス山脈孤立した集落になりやすく、かなり後の時代まで、ネアンデルタールとの混血が無い基底ユーラシアも同時に住んでいた。


 中東はほぼ全域基底ユーラシアの領域で、それらがネアンのいる時期いない時期で住み分けていた。人類は避けていたなら違う。なら混血してない。ネアンが入り込めない場所に器用にサピエンスは住んでいた。


 要するにネアンと混血したら非基底ユーラシア人で、混血しなかったら基底ユーラシア人と言うだけに過ぎない。初期両者は同じ集団だが、ザクロス山脈の閉鎖性の為後世別の集団になりやすかっただけ。


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