焼き肉とお刺身
カフェテリアで一服を終えて、帰ろうとしていた狭山は、忘れものに気付き、半時間ほど前までいたゼミの部屋に戻った。講義が行われていない教室は誰もおらず、薄暗くて、しんとしていた。
狭山は、自分が座っていた、大学に入ってまでお目にかかるとは思っていなかった学習机に向かった。幸い、引き出しの中に、忘れていた文献が入っていた。
「……あれ?」
ほっとしたのもつかの間。彼が今いる席の、斜め前の席に、携帯電話が置きっぱなしになっていた。狭山が使っているのと同じ機種である。
一瞬、携帯電話も置き忘れたのか、と思ったが違った。自分の携帯はズボンのポケットの中にちゃんと入っていた。
ならこれは誰のだ? さっきのゼミの光景を思い浮かべるが、誰が座っていたか記憶にない。
彼は何気なく、置きっ放しの携帯を手に取った。待ちうけ画面は、何もないシンプルな壁紙だった。
「これだけじゃ、誰のか分からないか……」
狭山は惰性で、携帯を操作した。自分のと同じ機種だから操作は簡単である。
エロ画像が保存されていたら、面白そうだな。とそんな軽い気持ちだった。
画像リストが出た。赤と黒っぽい、カメラで撮った画像だろうか。小さくてよく分からない。適当に選択してアップにした。
「……うっ!」
狭山は反射的に視線を携帯からそらした。
人のつぶれた画像。いや、おそらく人だろうと思われるほど、原形をとどめていない死体……というより物体だった。
いわゆるグロというやつだ。
一枚だけなら、友人の悪戯で勝手に保存されたとか、一種の気の迷いとか、ないと思うがお身内の最後のお姿、という可能性もあるが。明らかに違うシチュエーションで、同様の画像が何枚もあった。動物の解体写真、不気味なほど膨れ上がった水死体、中に白い骨が見えるほどの深い傷……
見るのをやめよう。そう思いつつ手が止まらない。
一転して普通の写真があった。
どこも怪我していない大学生ぐらいの女の子が二人。顔を寄せ合って映っている。
自ら携帯で撮ったのか、画像向かって右側の子の右手が写っていない。
左側の子は見たことないが、その右側には心当たりがあった。
同じゼミに参加している、神奈だった。
黒髪ロングの、美女である。無口で大人しいが、不思議と存在感のあるタイプである。狭山と会話を交わしたことは、まだ数回くらいしかない。
彼女が……まさか。
そのとき、背後に人の気配を感じて、狭山は思わず携帯を落としそうになった。
「狭山くん、なに携帯見てるの」
「……なんだ、子安か」
狭山はほっとした。背後にいたのは、同じくゼミに参加している子安だった。
子安とは、それなりに話をする程度の関係で、お互いの携帯の番号も知らない。背が女性のように小さくて、あまり目立たない性質の男子学生である。
「ねぇ、これ……」
やばい、と思ったのもつかの間。子安が身を乗り出して、狭山の持つ携帯を覗き込んでいた。
「これって、神奈さんの写真だよね。狭山くんって、彼女と付き合ってるの?」
「違うって」
狭山は状況を説明した。
携帯が置きっ放しになっていたこと。誰の物なのか調べるため、画像を見ていたこと。
説明しているうちに、子安の様子を見て、狭山はふと思った。
「もしかしてお前、神奈のこと好きなのか?」
講義中、何度か彼が神奈に視線を向けていることは知っていた。
「……好きかどうかはよく分からないけど。彼女の、どこか神秘的な姿が、少し気になるかも」
もじもじとした反応を見るかぎり、神秘的、という評価の是非はともかく、子安が少なからず神奈に惹かれているのは事実のようだ。
狭山は無言で、携帯を操作して画像を切り替えた。例のグロ画像が表示される。
隣で子安の息をのむ音が聞こえたが、かまわず次のグロ画像に切り替えた。
全ての画像を見終わった後、子安がぽつりと言った。
「これ、神奈さんの趣味、かな……?」
「……さぁな」
「もしそうなら、僕、小指くらいなら、あげてもいいかも」
「お、おい。お前何言って……」
「冗談だよ。ははは。それじゃね」
子安は、さっき彼がいた席から、辞書を引き抜くと、逃げるようにいなくなった。
狭山と同じように、忘れ物を取りに戻ってきたのだろう。狭山もとっとと帰りたいのだが、問題なのは、まだ彼の手にある、神奈のものと思われる携帯電話である。
「どうっすっかな。これ」
「それ私の」
ボソッとした声に、狭山は今度こそ携帯を床に落とした。
声の主は落ちた携帯を拾いながら、狭山を見上げて言った。
「……見たのね」
神奈だった。
狭山はぶんぶんと首を振った。
こんな反応をしたら、肯定しているようなものだった。
「あの画像は私が趣味で集めているものなの。どう? 軽蔑するかしら」
狭山が答えられずにいると、神奈は続けた。
「でも、想像してみて。気にならない? 首を切ったら人ってどうなるのかしら。どのくらいの血がどばぁって出るのかしら。身体はまだぴくぴく動いているんでしょ? 目はどうなのかしら。飛びだしそうなほど白目向いちゃってるのかな。口蓋に手を突っ込んだら、どこから手が飛び出すのかしら」
「おい、やめろって」
「よくいじめとか虐待の話があるけど、私とても気になるの。聞いたことないけれど、虐待するなら、ピーラーで皮膚をずっと剥いていったら面白いと思わない? 理科室の標本みたいになるのかしら。興味あるわ。足の一本くらいなら、綺麗に剥いたって死にやしないよね」
「冗談でもそういうこと言うなよ」
「あら、本気よ。人間って、所詮は『肉』だもの。人肉は美味しくないって言うけれど、どうなのかしらね。美味しい部分もきっとあると思うの。熱したフライパンを見て思わない? ここに指を乗っけたらどうなるんだろうって。じゅっとして熱いというより痛くて。それでもずっと乗っけていたら? 痛みもそのうち麻痺していって。たぶんきっと美味しく食べられる瞬間があると思うの。そう思わない?」
狭山は気持ち悪くなって視線を逸らした。彼女はしれっと言う。
「あら、基本的にどんな肉でも、エ○ラ焼肉のたれ、を漬ければ大丈夫よ」
「駄目だろっ!?」
「あら? 日本○研の方が、お好みかしら」
「子安のやつが、小指くれるって言ってたぞ」
「……あんまり食べられる部分がなさそうね」
「食う事から離れろっ!」
「冗談よ。ふふっ」
彼女は笑った。まるで天使のようなほほ笑みだった。
狭山の力が一気に抜けた。そうか、冗談だったのか。彼女も冗談をいうような人間だったのか。
それにしても、今の笑顔。
先程までの会話とのギャップに、狭山は少なからず心ときめいた。
「それじゃ。失礼するわね」
ぼけーっと突っ立っている狭山を残し、神奈は教室を出ていった。
翌週、神奈は普通にゼミに出て、普通に課題をこなし、普通に友人と会話していた。
携帯電話の一件が、まるでなかったかのようだった。
次回のゼミも同様である。
だが……
あの日を境に、子安の姿は見ることがなくなっていた。
開講当初から学生が減るのは、どの講座でもあることだ。このゼミも、初日は埋まっていた席も、今では、3分の1くらい空席になっていた。子安もその一人なのかもしれない。
だが彼は真面目に出席するタイプの学生には見えたし、なによりあの出来事の後である。
狭山の心に引っかかるものがあり、ゼミの担当教授に聞いてみると、思いがけない答えが返ってきた。
「……子安? ああ、あの学生か。彼なら大学を辞めたそうだぞ」
「えっ、なんでっ?」
「いや、理由までは知らないが……」
教授は、あくまで事務局から知らされただけらしい。詳しい事情を知りたかったが、狭山は、子安の携帯番号も、彼の交友関係も知らなかった。いや、一人だけ心当たりはあった。
子安が、気になる、と言った人物、神奈である。
子安はあの後、神奈に会っている可能性がある。彼女なら何か知っているかもしれない。狭山は思い切って、神奈に尋ねてみた。
「子安くん?」
「ああ、彼が今どうしているか、知っているか」
「彼、ならもういないわよ」
あっさりと彼女は答えた。
狭山の不安が募った。
答えのニュアンスが、ゼミにいない大学にいない、というより、まるで、この世からいない、といった感じだったからだ。
狭山の脳裏に、意図的に封じ込めていた事実がよみがえる。
彼女の少し変わった趣味。冗談と笑って否定したが、人肉って美味しいのかしら、という発言。
「なぁ、どうして『いない』って言い切れるんだ?」
神奈は何も答えない。
「まさかお前が……」
殺したのか?
その一言は言えなかった。冗談でも言ってはならないことだ。
だが、狭山の反応は言外にそれを彼女に伝えてしまった。
「違うわ」
神奈は無表情に答えると、足早に教室を出ていった。
傷つけてしまったかもしれない。狭山は後悔した。
変な話だが、狭山は次第に、神奈に好意を抱くようになっていた。あの携帯画像が「吊り橋効果」を生んだのか、狭山は意識的に彼女を観察するようになった。そこから見える彼女は、いたって普通の狭山好みの美女であり、隠された趣味とのギャップが、また心を惹いた。
まだ思いは伝えていない。疑いたくはないが、子安の失踪に彼女が関わっているとしたら、告白どころではない。狭山自身の身も危ない。無関係だったとしても、同行方不明とは言え同じく彼女に気のある子安を差し置いて、彼女と付き合うのにも、少し抵抗があった。
そのまま時は過ぎていった。
大学の校門を出た所で、狭山は、誰かに肩を叩かれた。
振り返ると、女性が一人立っていた。神奈ではない。どこかで会ったような気もするが名前は知らない。同じ大学の学生だろうか。
彼女は、セミロングの黒髪に白い肌。同じく白の、ゆったりめのワンピースを着ていて、大人しめな印象を受ける。彼女が言った。
「久しぶり」
「……誰?」
「分からない? 子安だよ。ほら、同じゼミだった」
狭山の反応を見て、彼女はくすくすと笑った。その笑顔は何度か見た記憶があった。
だがしかし……
「って、本当にあの子安か? どこからどう見たって女だぞ、お前」
「実はね、手術したの」
「なっ――」
衝撃の告白だった。
少なくとも普通に見えた彼(彼女?)がなぜこんな思い切った行動に出たのか、狭山は混乱した。
思い当たる節が、ないわけでもなかった。
子安ときて、真っ先に連想されるのは、神奈のことである。
「もしかして、神奈って、そっち系の人なのか……?」
私、女しか愛せないの ⇒ じゃあ、僕女になる、という展開だ。
子安はあわてた様子で手を振った。
「ううん。違う違う。そうじゃないよ。彼女は、僕の隠された一面を見抜いて、背中を押してくれただけ。普通に男の人が好きなはずだよ」
慣れの問題かもしれないが、その容姿で「僕」は反則である。
「そうか……でも子安はそれでいいのか」
子安の幸せそうな様子を見て愚問かと思ったが、神奈を好きだった「彼」はどうなったのか。
「うん。もう僕、神奈さんのこと、そういう風には見てないから。むしろすごく感謝しているの。手術費用とかも援助してもらって……」
「へー」
人はみかけによらない。
俺はさりげなく、子安の両手を見た。小指はそのままだった。ミュールを履いていたので足の方も見ることができた。こちらも五指とも無事だった。
やっぱり神奈の言っていたことは冗談だったんだ。
狭山は少しほっとした。いや、かなりほっとした。
「そっか。まぁこれから大変だと思うが、頑張れよ」
「狭山くんも、がんばってね。神奈さんのこと」
「なっ」
「あ、冗談だったのに、まんざらでもないのかな? ――まぁダメだったときは、僕がいるからね」
「それは無理っ」
神奈の「彼はもういない」、という発言にも納得できた。確かに、『彼』はもう存在しない。
狭山の目の前にいる子安は、もう『彼女』だった。
子安と笑って別れ、狭山は決心した。
子安は子安の人生を歩んでいる。ならば今度はこっちの番だ。
狭山は神奈に頭を下げ、謝罪した。
「疑って悪かった。変なこと言ってすまなかった!」
「いいわよ」
続ける。子安のように小指を差し出す気迫(もちろん本気であげるつもりはない)で彼女に迫った。
「好きだ。付き合ってくれ」
「いいわよ」
「……え?」
拍子抜けするほど、あっさりとOKをもらえた。
告白した翌日には、早くも二人してホテルへと入った。
嬉しいことに、彼女から言い出したことである。
お互いシャワーを浴びて、一糸まとわぬ状態で互いの身体をまさぐり合う。
神奈の身体は妄想していた以上に綺麗だった。
「ねぇ、私ってやっぱり日本人なのよね」
「……は。何言ってるんだ」
「つまり、焼肉もいいけれど、お刺身の方がいいかなって思うときもあるってこと」
「なんじゃそりゃ」
狭山は笑った。こんなときの話題ではないだろう。
「大丈夫。医者は用意しているから」
「……は?」
不意に、彼女が以前言った、言葉が思い浮かんだ。
(あら、基本的にどんな肉でも、エ○ラ焼肉のたれ、を漬ければ大丈夫よ)
小指をあげてもいい、と宣言して彼女の元に向かった子安。再会したとき、子安の小指はそのままだった。けれど代わりに失くしたものはある。尊厳とか抽象的なものではない。具体的な身体のパーツだ。
その子安に、行動を勧め、手術の費用まで用立てたのは、誰か。
神奈は狭山のナニをつかんだ。ものすごい力だった。狙った獲物は逃がさない、そんな目をしていた。
「……生ってどんな味なのかしらね? 私とっても楽しみなの」
彼女は呟いて、手の中のソレに鋭い歯を思いっきり立てた。
またも下ネタ、失礼しました。
一部性的な表現が出ますが、たぶんR15で大丈夫かと思います。
ちなみに、作成中の仮題は「夏のホラー ち○こver」(笑)
よろしければ、もう一作投降した作品、仮題「夏のホラー ○んこver」も御覧ください。