第65話 レオと猫たち
聖猫たちが、それぞれの武器を構え、主を守る鉄壁の布陣を敷いている。
レオが安堵の息を吐こうとした、その時だった。
「レオ様。少々お耳に入れておきたいのですが」
背中を向けたまま、ノイアーがいつもの冷静な、しかしどこか棘のある声で切り出した。
「わたくしが目を離したのは、わずか数分。紅茶の茶葉すら蒸らせない時間でございます」
「……そうだな」
「その短時間で、これほど見事にボロ雑巾のようになられるとは。主の『やられっぷり』の良さに、執事として感動すら覚えますよ」
「皮肉がきついぞ、ノワル」
レオが苦笑すると、堰を切ったように他の猫たちが口を開いた。
「ホントっスよ! マスターはよわっちいんだから、無茶しないでほしいっス!」
ルビアが大鎌を担ぎ直しながら叫ぶ。
「見てくださいまし、この無様な恰好。わたくしたちが選んだ服が砂まみれですわ。これでは『クロース家の次男』としての品格が台無しですことよ?」
リエリーが弓を構えたまま、優雅に、しかし辛辣に指摘する。
「いや、相手はマオンだぞ? 命のやり取りをしてたんだ、服の汚れを気にしてる場合じゃ――」
「言い訳は聞きたくないわね」
シャリーナが冷ややかな声で遮る。氷の槍を構えたまま、肩越しに冷徹な視線をレオに投げた。
「アナタが弱いから汚れるのよ。洗濯するのは誰だと思っているのかしら」
「……いつも自分で洗ってるよ」
レオがボソリと呟くが、シャリーナは聞こえないふりでツンと顔を背けた。
「アチキたち抜きで格好つけようとするからでありんす。罰が当たったんすよ」
フルーナが煙管を吹かし、艶然と笑う。
「湿っぽい顔すんなって、相棒! 生きてんだから儲けもんだろ? ま、オレたちが来たからには大船に乗ったつもりでいろよ!」
クララが快活に笑い飛ばし、マロニーが「なのです!」と大きく同意する。
次々と浴びせられる言葉の礫。レオは痛む脇腹を押さえながら、呆れたように天を仰いだ。
「……お前らなあ」
レオががっくりと肩を落とした、その時だった。トコトコと歩み寄ってきた小さな影が、レオのズボンの裾を強く握った。
「クレア?」
普段は「ん」としか言わない幼女が、たどたどしく口を開く。
「……あるじ、痛い?」
金色の瞳が、瞬きもせずレオを見上げている。
「ん? 」
「あるじ、痛い?」
「え?あ、ああ、クレア。……痛いなあ」
「そう……」
大気が裂けるような鋭い音が鳴り響き、クレアの小さな身体から黄金色のマナが爆発的に膨れ上がった。
「……ンガァァァァァァァッ!!!」
「――っ!?」
少女の喉から迸る、獣の如き咆哮。その瞬間、雷を纏ったクレアが、音速を超えてシアへと突っ込んだ。
凄まじい衝撃音が荒野を震わせる。大盾ごとの体当たりを受け、シアの身体が後方へと弾き飛ばされた。
「あら? 何百年ぶりかしらね、クレアのキレた姿をみるのは」
「そんな呑気なこと云ってる場合じゃないのですわ!!」
「まあ、ついででありんす。クレアに続いて、アチキたちも行くでありんすよ」
「そうね。あの子一人に行かせるわけにはいかないもの」
「まったく……! マスター、あとで説教っスからね!」
「みんな、いこうぜ!」
「なのです!」
聖猫たちが一斉に大地を蹴り、主を傷つけた敵へと殺到した。
シアが体勢を立て直す隙を与えず、頭上からマロニーの巨大な戦斧が降り注ぎ、リエリーの矢が風の檻となって退路を断つ。
ルビアとシャリーナが炎と氷の双撃で障壁を削り取り、フルーナとクララがその亀裂をこじ開けた。
その頼もしい背中を見つめるレオの隣に、いつの間にかノイアーが歩み寄ってきていた。
彼は大剣を担ぎながら、静かに口を開く。
「今までのレオ様がおかしかったのです。元々優秀ではございましたが、ショウ様の記憶を受け取ってからというもの、常に〝完璧〟であろうとしておられました」
ノイアーの言葉に、レオは虚を突かれたように瞬きをした。
「……俺が?」
「ええ。かつての主、英雄ショウ様は、たしかに一人で世界を救えるほどの天才でした。ですが、それは彼が『孤独』だったからに他なりません」
ノイアーは紫色の瞳でレオを見据える。
「記憶に引きずられ、無意識にショウ様のように一人で完結しようとしていた。……違いますか?」
「それは……」
「きっと……、彼女たちも同じ想いを抱いている。だからこそ、先程の言葉を吐いたのでしょう」
レオは言葉に詰まった。シアとの戦闘。一人で全てを捌ききろうとした思考。それは確かに、自分の中に根付いた「英雄の記憶」が導き出した最適解だったのかもしれない。
だが、今の自分はショウではない。
「……参ったな」
レオは苦笑して頭をかいた。
「そうだな。俺は一人じゃない」
「左様でございます。我々は、貴方様が『完璧』であることなど望んでおりません。ただ、生きて、我々の主であってくださればそれでよいのです」
ノイアーは恭しく一礼すると、スッと視線を前方の敵へと戻した。
「それでは、わたくしも」
言い終わるや否や、ノイアーの姿がかき消える。
次の瞬間、彼は前線で体勢を崩したシアの背後に音もなく出現していた。
「――失礼」
振り下ろされた漆黒の大剣が、シアの無防備な胴体を深々と捉えた。
ズドンッ、という重い衝撃音と共に、シアの身体が地面へと叩きつけられ、土煙が舞い上がる。
八匹の聖猫による、見事な波状攻撃だった。
「おー、素晴らしいねー」
その完璧な連携を見届け、レオは感心したように呟いた。
かつてショウの記憶の中では、ただ愛らしく鳴くだけの「猫」だった彼女たち。それが千年の時を経て、こうして自分を守る最強の矛となり、盾となっている。
「一人じゃない、か――でも」
守られてばかりでもいられない。そうレオは心に誓う。
相手は八大罪のマオンだ。聖猫たちの連携は見事だが、これだけで終わるような相手ではないことを、レオ自身も理解している。
砂煙の奥で、禍々しいマナが再び膨れ上がる気配を感じ取った。
レオはスッと表情を消し、虹色のマナを全身に循環させる。
現在のレオは聖霊王の加護を持たないため、第六位階以上の『聖霊魔法』を行使することはできない。
だが、その理論と構築式は、継承された記憶の中に鮮明に焼き付いている。
加護なき身のレオ・クロースが、英雄ショウの知識を「素材」とし、現代の技術と自身のマナで再構築した、彼だけの新たな術式。
レオは静かに右手をかざす。
それは英雄の模倣ではない。レオ・クロースという一人のヒトが導き出した、新たな可能性。
レオは誰にも聞こえぬほどの声で、その言葉を口にした。
「固有魔法」
掲げたレオの掌に、時空のマナが収束する。




