第64話 時空と虚飾
乾いた風が吹き抜ける荒野の中心で、二つの影が対峙していた。
シアの背中から生えた漆黒の片翼が不気味に蠢く。聖霊の対極、八大罪のマオン。その圧倒的なマナの重圧が、肌を刺す悪寒となって押し寄せる。
レオはへその下にあるチャクラ器官に意識を沈めた。 熱いエネルギーを全身に行き渡らせ、肉体の強度と反応速度を極限まで高める。魔法障壁だけに頼らず、即死の攻撃を〝避ける〟ための構えだ。
シアが嘲笑と共に、その姿を陽炎のように揺らめかせた。
次の瞬間、レオの鼻先数センチにシアの指先が迫る。 魔法ではない。純粋な身体能力とマナ放出による超加速。
レオは思考より速く、脊髄反射で上体を反らした。 風切り音が遅れて鼓膜を叩く。回避したはずの頬が衝撃波だけで浅く裂け、血の珠が舞った。
レオはバックステップで距離を取りつつ、右手の剣を振るう。
第二位階時空属性攻撃魔法≪ヴェロス≫。 無数の小さな時空の裂け目が不可視の刃となって襲うが、シアは身に纏う装飾品を輝かせ、それらを皮膚に触れる直前で弾き返した。
シアが片手をかざす。掌にどす黒い輝きを放つ宝石弾が無数に生成された。
虚飾の大罪魔法≪ジュエル・ストライク≫。弾丸の豪雨がレオを死地へと追い込む。
レオは走った。指先で空間を切り裂く。
第三位階時空属性魔法≪ポルタス≫。空間が次々と口を開け、迫りくる魔力弾を飲み込んでいく。次の瞬間、シアの背後、頭上、死角の空間が裂け、飲み込んだ数千の弾丸が主へと射出された。
全方位反射攻撃。
だが、シアは振り返りもせず、片翼を大きく羽ばたかせた。 黒い風圧が、自身の魔力弾ごと空間の裂け目を吹き飛ばす。
シアの姿がブレる。
第六位階虚飾の大罪魔法≪鏡像の虚像≫。 三体に増殖したシアが、それぞれ異なる軌道で殺到する。マナの波長も殺気も、すべてが本物。
三方向からの同時攻撃に、レオは地を蹴り、爆発的な脚力で包囲網から離脱した。
三体のシアの爪撃が、レオのいた空間を虚しく切り裂き、交錯する。
直後、シアたちの頭上が裂けた。 レオが展開した≪ポルタス≫の裂け目から、特殊魔法≪アトリオス≫によって生成された紅蓮の火球。第四位階火属性攻撃魔法≪ヴォルク≫が降り注ぐ。通常なら即座に枯渇するほどの物量を、レオは呼吸をするかのように展開した。
数十発の火球が豪雨となって叩きつけられ、爆炎が三体の影を飲み込む。だが、炎が晴れた後に立っていたのは、無傷のシアだった。二体の幻影は消え、本物は片手で炎を受け止めている。
シアが腕を振るうと、炎が霧散し、衝撃波が襲い来る。空中にいたレオはとっさに第五位階時空属性防御魔法≪ヘキサガード≫を展開。 ハニカム構造の光壁を瞬時に幾重にも重ねる。 障壁は数枚割れたが、残りの層が威力を殺しきった。
着地したレオは、再び走り出しながら≪ポルタス≫を乱発する。 あらゆる角度から、氷の礫、風の刃、雷撃が嵐となってシアを襲う。 シアは鬱陶しそうに障壁で弾き返す。
その瞬間、レオが剣を投擲した。 魔法の嵐に紛れ、回転しながら飛来する剣。シアは冷ややかな目でそれを見据え、弾こうとする。
だが、剣が届く寸前、空間が裂けて剣を飲み込んだ。シアの指先が空を切る。
刹那、シアの懐、心臓の目の前の空間が裂け、切っ先が飛び出した。物質転送によるゼロ距離刺突。
シアが驚愕に目を見開き、反射的に体を逸らす。刃が豪華な衣装を裂き、皮膚を浅く切り裂いた。 初めて、シアの体に傷がついた。
レオは転移から戻ってきた剣をキャッチし、チャクラを練り直す。だが、表情は険しい。
攻撃は通る。だが、決定打には程遠い。マナ出力と肉体強度の差で、持久戦になれば押し負ける。
そう判断した瞬間、シアの気配が変貌した。
余裕と慢心が消え、純粋な殺意となったマナが大気を歪ませる。
シアの姿が陽炎のように消えた。速い。先程までとは次元が違う。レオが視認する前に、シアは懐へ肉薄していた。
回避も防御魔法も間に合わない。シアの掌が、レオの腹部に押し当てられる。 ゼロ距離からの大罪魔法。
死の予感に、レオの本能が肉体を動かす。脊髄反射のみで身体をねじった。 直後、光と衝撃が炸裂する。
脇腹を抉るような衝撃波が、内臓を揺さぶる。レオの身体は吹き飛ばされ、岩盤に叩きつけられた。
激痛と衝撃で視界が明滅する。追撃の予感に、霞む意識を強制的に覚醒させて顔を上げると、シアが空間を削り取るような踏み込みで、目前に迫ってくる。
シアが右腕を振りかぶる。その手には、黒曜石のような禍々しい杭が握られていた。 回避は間に合わない。
死の冷気が肌を撫でた、その刹那。
雷のごとき閃光が、戦場を横薙ぎに走った。黄金の光条がレオとシアの間に割って入り、大気が爆ぜる音と共に衝撃波が拡散する。
シアの黒い杭が弾かれた。予期せぬ横槍に、シアは優雅な動作で後方へと跳躍し、距離を取る。
土煙と放電が舞う中、レオの前に小さな影が立っていた。身の丈ほどもある重厚な大盾を構え、その隙間から眠たげな、しかし鋭い金色の瞳を覗かせる少女。
「ん」
雷の聖猫、エクレア――ヒト化した姿であるクレアが、大盾を地面に突き立てていた。全身に第五位階雷属性防御魔法≪アジリティル≫の蒼白い稲妻を纏わせ、超高速で主の危機に駆けつけたのだ。
「フックックッ……。随分と乱暴なお子さんですね」
シアが呆れたように眼鏡の位置を直す。 周囲の私兵や鏡面の部隊は、すでに動くものがいなかった。
「私の可愛い駒たちが、瞬く間に全滅ですか。……まあ、もともと処分するつもりでしたし、手間が省けたと思えば、感謝すべきでしょうか」
シアの嘲笑に対し、クレアは表情一つ変えない。ただ、大盾の裏から片手剣を引き抜き、切っ先をシアへと向けた。刀身にはバチバチと激しい火花が散っている。
「ん」
主であるレオを守るという、絶対的な拒絶の意思。
レオが痛む脇腹を押さえながら周囲を見渡すと、空間が次々と揺らぎ始めていた。 風が渦巻き、炎が舞い、氷が輝く。それぞれの属性を纏った七つの影が、レオを守るように円陣を組むように取り囲んでいた。
漆黒の大剣を担いだ執事服の青年、ノイアー。
身の丈ほどの大鎌を構えた赤髪の少女、ルビア。
白銀の長槍を携えたアイスブルーの髪の女性、シャリーナ。
風の弓を引き絞るエメラルドグリーンの髪の女性、リエリー。
オリガタ刀に手をかけた着物姿の女性、フルーナ。
巨大な戦斧を軽々と持つ幼女、マロニー。
そして、白光を纏った籠手と脛当てを装着した白髪の少女、クララ。
「匠聖」オスヴァルトの手による至高の武装に身を包んだ、八聖猫たち。彼らは主であるレオを中心として、鉄壁の布陣を敷いていた。
「遅くなって申し訳ございません、レオ様」
ノイアーが、シアから視線を外さずに告げる。その紫色の瞳は、かつてないほど冷徹な光を帯びていた。
レオは口元の血を拭い、頼もしい背中たちを見上げて、苦笑交じりに息を吐いた。
「いや、ありがとう。マジで助かる」




