第62話 国境の戦い
「よーし、みんな、がんばろー」
レオの気の抜けた合図と共に、八人の戦士が荒野を駆ける。
対するクプファー家の私兵と鏡面の構成員たちが、武器を構えて殺到した。
先陣を切ったルビアが、身の丈以上の大鎌を横薙ぎに振るう。深紅のマナを纏った刃が、前衛の兵士たちの盾ごと彼らの身体を吹き飛ばした。
続いてシャリーナが、滑るような足取りで敵陣の隙間へ踏み込む。白銀の長槍が繰り出されるたび、刺突箇所から絶対零度の冷気が広がり、兵士たちの関節を凍てつかせて動きを奪う。
後方からは、リエリーが風の弓を引き絞る。放たれた一本の矢は空中で無数に分裂し、不可視の風刃となって魔導兵たちの杖や詠唱を妨害する。
敵陣の中央では、フルーナがオリガタ刀を抜き放つ。流麗な剣閃が描く水流の刃は、変則的な軌道で敵の防御をすり抜け、意識を刈り取っていく。
その側面を、巨大な戦斧を担いだマロニーが粉砕する。振るわれた斧が地面を叩くと、隆起した土塊が敵の陣形を崩した。
生じた隙へ、大盾を構えたクレアが突進する。麻痺の電撃を帯びた片手剣が、体勢を崩した兵士たちを次々と無力化していく。
そして、前衛の最深部。
クララが素手で重装歩兵の懐へ飛び込む。白光を纏った拳撃は、鋼鉄の鎧を紙のようにひしゃげさせ、衝撃波だけで後続の兵士たちをなぎ倒した。
圧倒的な蹂躙。
戦場の只中を、ノイアーが静かに歩を進める。彼の手には、身の丈ほどもある黒曜石を思わせるほどの漆黒の大剣。
立ち塞がる鏡面の精鋭たちが短剣と魔法で迎撃を試みるが、ノイアーは表情一つ変えず、片手で大剣を振るった。
漆黒の暴風が生じ、精鋭たちが魔法障壁ごと吹き飛ばされる。
その圧倒的な武威を目にしたアルブレヒト・クプファー公爵の視線が、黒衣の青年に釘付けになった。
見間違いようもない。王宮の回廊で、常に影のように目立たず公務をこなしていた事務官の顔だ。
「あ、あれは……。事務官のノイアー」
アルブレヒトの声が裏返る。王宮の隅で膝を屈していたはずの文官が、なぜこのような場所に、しかも〝猫〟の化身として立っているのか。
さらに公爵の視線が、戦場を舞う赤髪とアイスブルーの髪の戦士を捉える。
「あの赤髪とアイスブルーの髪の女どもは、例のメイド。やはりか」
王宮に潜り込んでいた異物。その正体がこの圧倒的な武力を誇る〝猫〟たちであったという事実が、すべての情報が筒抜けであったことを雄弁に物語っていた。
迫りくるノイアーは、アルブレヒトの呟きになど答えない。ただ冷徹な紫色の瞳で、敵を見据えているだけだ。
その無言の圧力こそが、絶対的な死刑宣告としてアルブレヒトの背筋を凍らせた。
「馬鹿な……。たかが文官ごときが……?」
狼狽するアルブレヒトの横で、シアだけが薄く笑った。
「フックックッ……。なるほど、初めから筒抜けだった、と」
シアは眼鏡のブリッジを押し上げ、興味深そうに戦況を見つめる。
数で勝るはずのクプファー家私兵団と鏡面の混成部隊が、たった八人の戦力に押されている。
アルブレヒトは舌打ちをし、自ら腰の剣を抜き放った。
腐っても八英雄の国の公爵家当主。その剣身には高密度の風属性のマナが纏わりつき、鋭い切れ味を予感させる。
彼は躊躇なく、目前まで迫っていたノイアーへと斬りかかった。
風を裂く鋭利な一撃。
ノイアーは漆黒の大剣を盾のように掲げ、その斬撃を受け止める。
金属音と共に火花が散り、衝撃が周囲の砂塵を巻き上げた。
アルブレヒトは追撃の手を緩めない。剣技に魔法を織り交ぜ、風の刃≪ゼフィレン≫を至近距離から放つ。
ノイアーは表情一つ変えず、大剣に闇属性の魔力を流し込む。刀身から溢れ出した闇が、迫りくる風の刃を飲み込み、相殺した。
攻防は続く。アルブレヒトの剣技は洗練されており、並の騎士であれば数合で沈むほどの腕前だ。
しかし、ノイアーは冷静に、事務的に、すべての攻撃を大剣一本で捌いていく。その瞳には、かつて数百年もの間、アイゼン王国の歴史を影から見守り続けてきた者としての底知れぬ深淵が宿っていた。
一方、シアの前に、一人の青年が歩み出る。
銀色の髪に茶色の瞳。レオ・クロース。
シアは、フリッツ・ペルレ伯爵の顔で、三日月型に口を歪めた。
「素晴らしい。私の正体、そしてこの逃走ルート。全てを把握した上で、ここで待ち構えていたというわけですか」
シアの背後から、禍々しい気配が立ち上る。彼が纏う上質なジャケットの背中部分が不自然に盛り上がり、そこから漆黒の片翼が顕現した。
虚飾のマオン、マタド・ク・シア。その力の片鱗が、荒野の空気を歪ませる。
レオは腰の剣に手をかけ、静かに構えた。
「へえ……。これは気張らないと、負けそうだ」
レオの全身から、虹色の光を帯びた時空属性のマナが立ち昇る。
虚飾と時空。
因縁の二つの力が、国境の荒野で激突しようとしていた。




