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箱庭と猫 第一部 ―救国の英魂編―  作者: 山本陽之介
第5章 黎明ヲ謳ウ

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第59話 グルーネヴァルトの晩餐

 ベル歴995年、水の月23日深夜。


 アイゼン王国西端、クプファー公爵領領都「グルーネヴァルト」。


 領都を見下ろす公爵邸のダイニングルームには、豪奢な晩餐が用意されていた。


 上質なワインの芳醇な香りが漂う中、宰相アルブレヒト・クプファー公爵と、情報広報局長フリッツ・ペルレ伯爵――その中身である「虚飾」のマタド・ク・シアは、静かにグラスを傾けていた。


「……それにしても、ニクラウス王――いや、あの古狸にしてやられましたな」


 アルブレヒトがナイフで肉を切り分けながら、忌々し気に、しかしどこか感服したような口調で漏らす。その表情に敗走者の焦燥はなく、胸に刻まれた≪大罪紋マオンクレスト≫の影響で肥大化した自尊心が、彼を奇妙な落ち着きの中に留めていた。


「ええ。まさか自身の『死』すらも演出の道具に使うとは。あの放送での立ち回り、そして国民の感情を恐怖から熱狂へと誘導する手腕……。実に強かな王ですよ」


 フリッツもまた、ワインを光にかざしながら同意する。  彼らの脳裏にあるのは、王都の広場を埋め尽くした国民の前で、死んだはずの王が高らかに生存と反撃を宣言したあの光景だ。


「『我が愚息のサプライズを楽しんでいただけましたか?』……でしたか。フン、よくもまあ、あそこまで白々しく言えたものです」


 アルブレヒトは鼻で笑う。


「3年前からクロース家を死んだことにして匿い、我々の目を欺き続けていた。そして今日のクーデターすらも、あえて泳がせておいて、土壇場でひっくり返す。……我々は、あの好々爺の仮面を被った古狸の掌の上で、まんまと躍らされていたというわけです」

「フックックッ。まったくだ。あの演技力、役者としても一流ですね」


 フリッツは面白そうに喉を鳴らす。王都での計画は完敗だった。だが、彼らにとってそれは「アイゼン王国という盤面」での負けに過ぎない。


「しかし、解せませんな。国境の件です」


 アルブレヒトが話題を変える。


「王族配信には、グラナトやプラーティンら『テトラルキス』の姿が揃っておりました。彼らは本来、国境のスタンピード対応で王都には不在であるはずの戦力。それがなぜ、あのタイミングで王都にいたのか」

「部隊からの報告によれば、国境付近で発生させたスタンピードは、忽然と『消滅』したそうです」

「消滅……ですか?」

「ええ。痕跡すら残さずにね。誰がやったのか、何が起きたのか、目撃者すらいない。ただ、魔獣の群れだけがいなくなった。だからこそ、彼らは王都へ取って返すことができたのでしょう」


 本来なら不可解すぎて背筋が凍るような報告だが、今のアルブレヒトには「些細な計算違い」程度にしか響かない。


「なるほど。この国には、我々の知らぬ力がまだ隠されているということですか。……まあ、良いでしょう。所詮は時間稼ぎの駒に過ぎません」


アルブレヒトはワインを一口飲み、さらに重要な確認事項を口にする。


「では、もう一つの本命……聖域の方はどうなりましたか?」


 その問いに、フリッツは面白そうに口元を歪め、自身のこめかみを指先でトントンと叩いた。


「最期まで、この目で見ていましたよ」

「最期……ですか? まさか、破壊されたのですか?」

「ええ。私の魔法≪エンフォーサー・パペット≫は、人形の五感を共有しますからね。脳のタスクが少ないヒト属には理解は難しいでしょうけど」

「さすがでございます。その最期はいかがだったので?」

「フックックッ……実に鮮烈でしたよ」


 フリッツは、まるで美しい花火でも思い出すかのように目を細める。


「『器』に内蔵させていたマギリアクターが暴走し、臨界点を超えたのです。視界が青白い閃光に塗りつぶされ、その直後に信号が途絶えました。……おそらくは、周囲ごと吹き飛んだのでしょう」

「なんと……自爆、ですか」

「ええ。ですが、ただでは死ななかったはずです。あの至近距離での〝あの男〟が作ったリアクターの爆発です。『五重輪オクト・クインタ』の第一門はおろか、その場にいた邪魔者たちも道連れにしたことでしょう」


 フリッツは肩をすくめ、愉快そうに笑う。


「〝鍵〟は偽物でしたが、最後に一矢報いることはできた。……まあ、聖域『オスクネスケイブ』への侵攻自体は失敗ですがね」

「王都、国境、そして聖域。全ての盤面で我々は敗北したと?」

「完敗ですね。私の正体も露見し、ニクラウス王の健在も証明されてしまいました」


 フリッツは悪びれる様子もなく、ワインを飲み干して微笑む。


「まあ、ただ撫でただけですからね。これからが楽しみです」


 フリッツはグラスを置き、西の窓――国境の方角へと視線を流す。


「ついに、あの方々の元へ参るのですな」

「その通りです。彼らも、西の最果てでうずうずしているかもしれませんね。それと、今回お借りした鏡面ミラーたちとも合流せねばなりません」


 フリッツは懐中時計を取り出し、時間を確認する。


「彼らには王都での残務と撤収を命じてあります。順調にいけば、明日にはこの屋敷に到着するでしょう。それまでは、少しゆっくりできそうですね」

「ならば、今夜は英気を養うとしましょうか。最高のワインを開けさせましたので」

「ええ、いただきましょう」


 二人は優雅にグラスを合わせる。ニクラウス王の強かさに舌を巻きつつも、大罪紋に魅入られた公爵と、永劫の時を生きるマオンは、静かな晩餐を楽しんでいた。


 その時、フリッツがふとグラスを止め、怪訝そうに眉をひそめた。


「ん?」

「どうされました、マタド・ク・シア様?」

「いえ……今しがた、表で妙な気配がしたような」


 フリッツは席を立ち、足音を立てずに玄関ホールへと向かう。アルブレヒトも慌ててその背中を追った。


 重厚な扉の前に立つと、フリッツは警戒を露わにすることなく、流れるような動作で扉を開け放った。


 夜気が入り込む。石畳が敷かれた玄関ポーチには、誰の姿もない。


 フリッツは目を細め、闇に沈む庭の先――屋敷の門扉を越えた、通りを挟んだ向こう側へと視線を投じた。


 そこに、街灯のマナの光に照らされた、二匹の小さな猫がいただけだった。


 背後から覗き込んだアルブレヒトが、安堵と苛立ちの混じった息を吐く。


「どこぞの野良が紛れ込んだのでしょう。シッ、あっちへ行け!」


 公爵が遠くに向かって手を振るが、通りの向こうにいる猫たちは我関せずといった様子で、じゃれ合っている。


「……」


 フリッツは無言でその姿を見下ろした。瞳の奥で解析の光が瞬くが、返ってくる反応は皆無。マナの気配はおろか、知性すら感じられない。ただの脆弱な生命体だ。


 フリッツは鼻を鳴らすことすらせず、興味を失ったように扉をバタン、と閉ざす。重厚な音が響き、錠が下ろされた。


 フリッツは踵を返し、優雅な足取りでダイニングルームへと戻る。その背中を見送りながら、アルブレヒトが恐る恐る問いかけた。


「……やはり、ただの野良猫でしたか?」

「ええ」

「左様ですか。……それにしても、まさかこのような辺境の地でマタド・ク・シア様の知覚に触れる者が現れるとは、一瞬肝を冷やしましたぞ」


 アルブレヒトが恭しくその名を呼ぶと、席に着こうとしていたフリッツが、ふと苦笑交じりに片手を上げた。


「アルブレヒト公。その呼び名ですが……少し、長すぎはしませんか?」

「は? ……と、申されますと?」

「我々の関係も深まりました。それに、いちいちフルネームで呼ばれては、会話のテンポも悪くなるというものです」


 フリッツはグラスを手に取り、赤ワインの液面を見つめながら、どこか芝居がかった口調で告げた。


「マタド・ク・シアも呼びづらいでしょう。そうですね……、傀儡もなくなりましたし、本日から私のことを〝シア〟とお呼びください」


 その言葉に、アルブレヒトは一瞬目を丸くしたが、すぐに得心したように深く頷いた。


 先ほど自爆して消滅した自動人形の名前。それを今度は、本体である彼自身が名乗るというのだ。


「なるほど……。主を失った人形の名を、主自らが継ぐと。いかにも〝虚飾〟の王に相応しい」

「ええ。愛着もありましたしね。それに、呼びやすいでしょう?」


 フリッツ――いや、シアは、悪戯っぽく片目を閉じてみせる。その仕草は、フリッツ・ペルレ伯爵の肉体を借りていながらも、内なるマオンの傲慢さと愛嬌が混じり合った、奇妙な魅力を放っていた。


「承知いたしました、シア様。では改めて……我々の新たなる門出と、西での再起に乾杯を」

「ええ、乾杯」


 カチン、と澄んだ音がダイニングルームに響く。名を改め、心機一転を図る大罪のマオンと、それに魅入られた公爵。


 二人はグラスを傾け、夜の更けるまで美酒と野望に酔いしれるのだった。

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