第58話 人工マナ器官
聖域守護結界『五重輪オクト・クインタ』第一門前。
視界を埋め尽くす白濁した衝撃波が、翠緑の光を放つ球体によって遮断されていく。
第六位階聖霊風流防御魔法≪ホーリレン≫。
聖なる風のエネルギーで構築されたその結界は、物理・魔法を問わずあらゆる衝撃を拒絶する絶対の防壁となっていた。
荒れ狂う爆風の外側とは対照的に、結界の内側は無風の静寂に支配されている。
死を覚悟して瞼を閉じていたダミアン・アイゼンは、訪れない痛みに恐る恐る目を開けた。
土煙が晴れ、彼の視界に鮮やかな色彩が飛び込む。
エメラルドグリーンの髪をなびかせ、背筋を伸ばして優雅に佇む一人の女性。彼女の両手からは、美しい風のマナが放出され、ドーム状の結界を維持している。
ダミアンの思考が停止した。
常に論理と分析を重んじ、感情を排して事実のみを観測してきた第二王子の脳内から、計算式が消え失せる。
胸元にある【探求の護符】が熱を帯びている。だが、それが危機を告げる警告なのか、それとも自身の早鐘を打つ心臓の鼓動によるものなのか、今の彼には判別がつかなかった。
非論理的な熱量が、彼の胸を満たしていく。
「ごきげんよう。怪我はございませんこと? ハンス様、ダミアン様」
リゼ――リエリーが、結界を解きながら振り返り、鈴を転がすような声で微笑みかける。
ダミアンは、ずれた眼鏡の位置を直すのも忘れ、無意識に口を開いた。
「……あ」
言葉にならない吐息が漏れる。それは、彼が生まれて初めて「計算外の事象」に直面した瞬間であった。
一方、ダミアンがリゼに見惚れている少し離れた場所で、瓦礫の山が崩れる音がした。
瓦礫を押しのけ、ハンターの装いをした青年が体を起こす。
「あー、あぶなかった」
とっさに展開した時空属性防御魔法≪グラヴィス≫によって直撃は防いだものの、至近距離での爆発の衝撃は凄まじかった。青年の顔には擦り傷があり、何より、彼が掛けていた【誤認の眼鏡】は粉々に砕け散り、フレームだけが残っていた。
露わになった素顔。銀色の髪と、茶色の瞳の青年レオ。
レオは立ち上がり、砂埃を払う。それを見たハンスが、安堵の息をつきながら駆け寄る。
「レオ! 無事か!?」
「ええ、なんとか」
「危なかったどころではなかったぞ、レオ。君が死んだら、私は姉上に顔向けできないではないか」
ハンスが、安堵と叱責の入り混じった溜息をつきながら、レオの肩を強く掴んだ。
「すみません、ハンス叔父上。予想外のことだったので」
レオは悪びれながら頭をかき、ポケットから壊れた眼鏡の残骸を取り出して苦笑する。
「ああ、眼鏡が……」
そのやり取りを、傍らで呆然と見つめていたダミアンが、震える声で割り込んだ。
「……レオ?」
ダミアンの視線が、青年の顔に釘付けになる。
記憶にある幼い甥の面影と、目の前の青年の顔が完全に合致する。そして何より、これまで「リオン」として振る舞っていた彼が放つマナの波長が、あの日「死んだ」はずの甥と同一であることを、胸元の【探求の護符】が強烈な熱量をもって肯定していたのだ。
レオはバツが悪そうに頭をかき、壊れた眼鏡をポケットにしまう。
「お久しぶりです、ダミアン叔父上」
ダミアンは、ずれた眼鏡の位置を直しつつ、呆然と呟く。
「……君だったのか。道理で、計算が合わないわけだ」
死んだはずの甥が生きていた。そして、ハンターとして自分を守り続けていた。
論理的思考を信条とするダミアンの脳内で、数々の矛盾が一気に氷解していくと同時に、かつてない感情の揺らぎが押し寄せていた。
「ハンス。お前は……知っていたのか?」
ダミアンの問いに、ハンスは申し訳なさそうに、しかし力強く頷く。
「はい、兄上。レオは……私たちを、この国を護るために、ずっと影で戦ってくれていたのです」
ハンスはレオの肩に手を置き、誇らしげに微笑んだ。
「レオ。君のおかげで助かった」
「いえ。ハンス叔父上にダミアン叔父上も、ご無事で何よりです」
二人のやり取りを見つめるダミアンの視界の端で、リエリーがくすりと笑う。
「感動の再会ですわね。でも、まだ終わってはいませんわよ?」
リエリーの言葉に、ダミアンが思い出したかのようにレオに問う。
「ところでレオ。こちらの ……美しい女性は、どなたかな?」
「彼女はリエリー……いや、リゼです。風の大聖霊ウィンリーフ様の加護を賜った聖猫……まあ、猫ですよ」
「ね、猫……?」
ダミアンが再び絶句し、リエリーを凝視する。
「猫……猫なのか? この、美しい女性が……?」
ダミアンの脳内で、未知への探求心と、先ほどの非論理的な熱が複雑に絡み合い、新たな葛藤を生み出していた。
「ええ。リゼ」
「かしこまりまたわ」
返事をしたリエリーは、元の長毛猫の姿、リゼに戻って見せた。
「本当に猫なんだな……」
まだ納得しきれていないダミアンを横目に、ハンスが前に出る。
「それにしてもレオ。先程の爆発は――」
「マギリアクター……、えっと、かつてのエネルギー発生システムで、まあ、先程の現象は、そのマギリアクターの……、端的に云えば〝エネルギーの暴走〟です」
「それが、ヤツの胸部に内蔵されていた、と?」
「ええ。結晶型は、俺も初めて見ましたが、まず間違いないでしょう」
「マギ・デシメートってやつだね?」ダミアンが言った。
「……マギ・デシメート。かつて世界を恐怖に陥れた、大量破壊兵器の心臓部ということか?」
ハンスが、焼け焦げたシアの残骸を見つめながら、震える声で呟いた。
王族として歴史に触れてきた彼にとって、その名は忌まわしき禁忌の響きを持っていた。
「ご名答です。正確には、その小型化された試作型といったところでしょう」
レオは瓦礫の中に落ちていた結晶の欠片を拾い上げ、沈痛な面持ちで続ける。
「通常、八大罪のマオンは生物(ヒト属)にしか憑依できないと訊いています。ですが、この『マギリアクター』という人工マナ器官を搭載することで、シアはマオンにとって〝生きた器〟として誤認され、憑依が可能となった、と推察できます」
「なるほど。無機物に憑依するための……疑似的な生命、か。なんとも冒涜的な技術だ」
ダミアンが顔をしかめ、手帳に何かを書き殴ろうとするが、手が震えてうまくいかない。彼の【探求の護符】が示した反応と、目の前の非論理的な破壊の痕跡が、彼の中で激しく衝突していた。
「ええ。そして先程の爆発は、その炉心が臨界点を超えた結果です。五重輪は大丈夫だったでしょうが、私の結界と、リゼの結界がなければ、この周辺は我々ごと消滅していたでしょう」
レオの言葉に、ハンスとダミアンは息を呑んだ。
「それに、敵の狙いは失敗に終わりましたが、先程リゼが言った通り、まだ終わっていません。まあ、立ち話もなんです。詳しい話は場所を変えてからにしましょう」
レオはそう言うと、空間から取り出した鍵――【ベルコネクト】をかざす。何もない空間に虹色の光が走り、質素なドアが顕現する。
「さあ、こちらへ。安全な場所へ案内します」
レオがドアを開け、二人を促した。




