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箱庭と猫 第一部 ―救国の英魂編―  作者: 山本陽之介
第5章 黎明ヲ謳ウ

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第55話 ハンス・アイゼンの覚悟

 聖域守護結界『五重輪オクト・クインタ』の第一門前。


 石造りの巨大な門扉を背に、二人の「ハンス」が対峙していた。


 一方は白に近い灰色の髪をなびかせる本物の第三王子。もう一方は、同じ姿形をしつつも、その内側に無機質な虚無を宿した偽物、シア。


 張り詰めた空気の中、リオンが音もなくダミアンの前に立った。


「ダミアン殿下は私の後ろへ」


 背中越しに掛けられた声に、ダミアンが眼鏡の奥の瞳を細める。ハンターの装いに身を包んだこの青年は、先ほどシアの致死の一撃を完璧に受け流してみせた。


 その身のこなし、そしてこのタイミングでの介入。ダミアンの脳裏に、ある可能性が過る。


「君は――」


 ダミアンが問いかけようとした瞬間、リオンが振り返った。人差し指を口元に押し当て、静かに首を横に振る。


 その仕草に含まれる意図を汲み、ダミアンは口を噤んだ。胸元の【探求の護符】が、青年の正体について何かを訴えるように熱を帯びているが、今はそれを問いただす時ではないと理性が警鐘を鳴らす。


 二人の視線の先で、ハンスが動いた。


 王族として幼少より鍛え上げられた剣技。ハンスの踏み込みは鋭く、繰り出された斬撃は正確にシアの首元を捉えていた。


 だが、シアは避けない。


 刃が触れる寸前、シアの上半身が不自然な角度で揺らぎ、剣先が空を切る。


 人間には不可能な関節の稼働。シアは重力を無視したような挙動でハンスの側面へと回り込むと、素手による貫き手を放った。


 ハンスは即座に反応し、左手を翳す。


「≪ドゥームブル≫」


 第三位階闇属性防御魔法。瞬時に展開された闇の障壁が、シアの指先を受け止める。


 しかし、障壁はガラス細工のように容易く砕け散った。


 貫通したシアの手刀がハンスの肩口を掠め、鮮血が舞う。ハンスは痛みに顔を歪めることなく、バックステップで距離を取りながら、剣を持たぬ手で次の魔法を構築する。


「≪グラッジブル≫!」


 第四位階闇属性攻撃魔法。ハンスの手のひらから強力な闇の波動が放たれ、石畳を捲り上げながらシアへと迫る。


 シアは迫りくる闇の波動を前にしても、冷淡な笑みを崩さない。回避行動すら取らず、ただ片腕を無造作に振るった。それだけで、ハンスの放った闇の波動がかき消される。


 魔法を物理的な腕力だけで霧散させたような、理不尽な光景。


「無駄ですよ。貴方のマナ出力では、私の〝器〟には傷一つつけられない」


 シアが地面を蹴る。その速度は、先ほどまでとは桁が違っていた。ハンスの動体視力が捉える前に、シアの懐へと潜り込まれる。


 ハンスの腹部に重い衝撃が走った。


 シアの拳が深々と突き刺さる。肺から空気が強制的に吐き出され、ハンスの身体がくの字に折れ曲がった。


 追撃の蹴りが肩口を襲い、ハンスの身体が石畳の上を転がる。口の端から鮮血が流れ、彼は苦悶の表情で膝をつき、剣を杖にしてなんとか身体を支えた。


 シアは、ハンスと瓜二つの顔に冷淡な嘲笑を浮かべ、倒れたハンスを見下ろす。


「やはり貴方は半人前だ。王の器ではない」


 圧倒的な力量差。それは単なる武力の差ではなく、傀儡とはいえ、大聖霊の対極にある八大罪のマオンと、限界を持つ「ヒト」との、超えられない強度の差でもあった。


 だが、ハンスは剣を離さなかった。


 震える脚に力を込め、ゆっくりと立ち上がる。その瞳から、戦意は消えていない。


 半人前と揶揄され、兄たちに守られるばかりだった自分。


 しかし、今のハンスの脳裏には、甥であるレオからの言葉が焼き付いている。


 ――あなたに、〝クライノート〟を継ぐ資格がお有りですか?――


 慢心していた自身の横っ面を、思いっきり殴られた気分だった。


 王族としての責務。そして、「クライノート」の名を継ぐ覚悟。


 ハンスの周囲のマナが、重く、濃密に変化していく。


 それは闇の大聖霊オスクネスを奉る国の王太子として、彼の中に眠っていた資質が、極限状態で開花しようとしている兆しだった。


 ハンスが剣を正眼に構える。刀身に、光を吸い込むほどの漆黒のマナが絡みつくように集束していく。


「――固有魔法オリジン


 八英雄の国の王族として、次代のアイゼン王としての覚悟が今、覚醒へと至らせる。ハンスが踏み込むと同時に、その名を口にする。


「≪戦士黒葬ゾルダ・クロス≫」


 振り下ろされた剣から、物理的な刃ではなく、凝縮された闇の斬撃が放たれる。


 それは空間そのものを切り裂くような圧倒的な質量を持ち、一直線にシアへと迫った。


 シアは反応し、両腕を交差させて防御態勢をとる。同時に全身のマナを前方に展開し、多重の防御障壁を築いた。


 だが、ハンスの放った闇は、それらを紙細工のように容易く食い破る。衝撃音すら飲み込む静寂の破壊。


 シアの防御障壁が砕け散り、交差させた片側の腕が切断される。斬撃の余波はそのまま胴体へと達し、シアの身体を袈裟懸けに深く切り裂いた。


 シアの背後の石畳が轟音と共にめくれ上がり、直線上の大気がねじれる。


 致命傷。人間であれば即死してもおかしくない傷が、シアの胸部に刻まれた。


 ハンスは残心を示し、荒い息を吐きながら剣を下ろす。


 勝負は決したかに見えた。


 しかし、シアは倒れない。片腕を失い、胸を裂かれた状態のまま、シアはゆっくりと顔を上げた。その表情には苦痛の色はなく、所々が剥がれ落ちて、機械的な姿が露になっていた。


魔導自動機械人形オートマタ?」


 そして、深く切り裂かれた胸部の装甲が、僅かに捲れており、その奥から不気味に脈動する青白い光が漏れ出し始めた。


「……なんだ?……あれは」


 冷却機能を失ったかのように、内部機関が暴走を始め、周囲のマナを食らいながら輝きを増していく。


 その光を見た瞬間、後方で控えていたリオンの表情が凍りついた。


 脳裏に蘇る、忌まわしい記憶。


 リオンは即座に地面を蹴り、ハンスへと叫んだ。


「叔父上、離れてください!!」

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