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箱庭と猫 第一部 ―救国の英魂編―  作者: 山本陽之介
第5章 黎明ヲ謳ウ

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第53話 王都南区戦

 王都南区、ハンターズギルド南支所前。


 粘液を垂れ流す醜悪な蛙型の魔獣「アテレス・ヴェノムク」が、長い舌を鞭のようにしならせ、獲物を見定めていた。


 その正面に優雅に佇むのは、氷の槍を携えた銀髪の美女、元第一王女にして「氷姫」の二つ名を持つエリーザ・クロース。


 そしてその背後には、艶やかな振袖を着崩し、腰にオリガタ刀を差した藍色の髪の美女、特級ハンターの「フルーナ」こと、水の大聖霊の遣いである聖猫フローが控えていた。


「さて、始めましょうか。お茶の時間がなくなってしまうわ」


 エリーザが氷の槍を軽く一振りすると、周囲の空気が急速に冷え込み、地面に霜が走り始めた。


 アテレス・ヴェノムクは、本能的な危機感を覚えたのか、巨大な口を大きく開けた。


 喉の奥から放たれたのは、消化液の混じった大量の粘液弾――≪スライム・スピット≫である。腐食性の粘液が、散弾のようにエリーザたちへと降り注ぐ。


 だが、エリーザは表情一つ変えない。


「汚らわしいわね」


 彼女が切っ先を天に向けると、氷属性防御魔法≪シャードロン≫が発動した。


 瞬時に空中に展開された透明な氷の障壁が、降り注ぐ粘液を全て受け止める。粘液は氷に触れた瞬間、その冷気によって凍りつき、無害な氷塊となって地面に転がった。


 攻撃を防がれた魔獣は、苛立ちを露わにし、今度はその強靭な脚力で跳躍した。巨体が空を舞い、頭上からエリーザを押し潰そうと落下してくる。同時に、その口から伸縮自在の長い舌――≪スナッチ・タング≫が射出された。


 獲物を絡め取り、そのまま丸飲みにしようとする暴食の具現。


「あら、はしたない」


 エリーザは冷ややかに告げると、踏み込むと同時に魔力を解き放つ。


「≪フリギスロン≫」


 エリーザを中心とした空間が、刹那、絶対零度の世界へと変貌した。大気中の水分はおろか、魔獣が放った舌、そして落下してくる魔獣の巨体そのものが、瞬きの間に青白い氷の彫像へと変わる。


 空中で凍結した巨大な蛙は、重力に従って地面へと激突するはずだったが、その前に横合いから一閃の輝きが走った。


 抜刀の姿勢から、流れるような動作で刀を振り抜いたのはフローだった。


 彼女のオリガタ刀には、水属性の高圧な刃が纏わされている。第五位階水属性攻撃魔法≪インパクシア≫の応用による、水を極限まで圧縮した斬撃である。


 硬質な氷の砕ける音が響き渡った。


 凍結したアテレス・ヴェノムクの巨体は、空中で一刀両断され、さらに着地の衝撃で無数の氷片となって砕け散った。


 一瞬の静寂の後、氷の粒がダイヤモンドダストのようにキラキラと舞い落ちる中、フローはゆったりとした動作で刀を鞘に納める。


「見事なお手前でありんす、お母様」

「フローちゃんこそ、素晴らしい剣捌きだったわ」


 二人の美女は、魔獣の死骸など存在しなかったかのように微笑み合い、優雅に踵を返そうとした。


 だが、フローの足が止まる。


 地面に散らばったはずのアテレス・ヴェノムクの氷片が、異様な動きを見せたのだ。


 無数の氷片から粘度の高い液体が溢れ出し、互いを引き寄せるように結合を始める。瞬く間に一つの肉塊へと再構築された魔獣は、あろうことか地面に散らばった自らの氷の破片や周囲の瓦礫までもを、その巨大な口を開けて飲み込み始めた。


 暴食の感情を源とするアテレス・ヴェノムクは、際限のない食欲によって周囲の物質を飲み込み、自らの生命力へと変換する能力を持つ。砕かれた氷すらも食料として取り込み、再生を果たしたのだ。


「自分の肉片を食べたでありんすか……」


 フローが嫌悪感を露わにし、眉をひそめる。


 再生した巨大な蛙は、先ほどよりも一回り肥大化し、下品で不快な哄笑にも似た鳴き声を上げた。その紫色の皮膚からは腐食性の粘液が大量に滴り落ち、地面を溶かして紫煙を上げている。


「アッチの斬撃を食べて治すとは、なんと意地汚い。それに、さっきより粘ついて気色悪うござりんす」


 フローが再びオリガタ刀に手をかけ、水属性の刃を纏わせる。


 だが、その前に銀髪の美女が静かに歩み出た。


「下がっていなさい、フローちゃん」

「お母様?」


 エリーザ・クロースの瞳が、絶対零度よりも冷たく細められていた。


「わたくしの氷を〝食べた〟ですって……? お腹を壊すだけでは済ませないわよ」


 エリーザの周囲のマナが、劇的に変化する。それは、先ほどの第五位階魔法≪フリギスロン≫を行使した時とは質の異なる、より根源的で、静謐な美しさを湛えた冷気。


「再生する隙すら与えない。貴方そのものを、永遠に咲き誇る氷の花に変えてあげる」


 彼女が氷の槍を高く掲げると、王都南区の空気が凍りつき、時間が止まったかのような錯覚に陥る。


固有魔法オリジン――」


 エリーザの背後に、幻影のような巨大な氷の結晶花が蕾をほころばせる。それは息を呑むほど美しく、触れるもの全てを拒絶する絶対的な輝きだった。


「≪白銀の氷華アージェント・フルール≫」


 エリーザが槍を地面に突き立てた瞬間、世界から音と熱が消滅した。


 アテレス・ヴェノムクの足元から、ダイヤモンドダストのような極微の氷の粒子が舞い上がる。それは螺旋を描きながら魔獣を包み込み、巨大な花弁となって開いていく。


 アテレス・ヴェノムクは本能的な恐怖に駆られ、再生したばかりの舌≪スナッチ・タング≫を伸ばして抵抗しようとした。だが、その舌は空中でピタリと静止する。


 凍ったのではない。咲いたのだ。


 物理的な凍結を超え、細胞の活動、マナの流動、そして時間さえも凍てつかせる絶対の領域。


 アテレス・ヴェノムクの巨体は、飲み込んだ瓦礫や自身の粘液ごと、透き通るような美しい氷の結晶の中に封じ込められた。再生能力を発動するためのマナすらも完全に凍結され、その醜悪な姿は、光を受けて七色に輝く巨大な氷の花へと昇華される。


 カチン、と硬質な音が一つだけ響いた。


 目の前には、夕陽を浴びてキラキラと輝く、巨大で美しい氷の華。その中心には、もはや生物としての機能を完全に停止し、永遠の美の一部と化した魔獣が閉じ込められている。


「……これなら、もう何も食べられないでしょう?まあ、このままっていうのも、アレだし、あとでアルにでも頼んで大気に還してもらいましょう」


 エリーザは氷の槍を消滅させると、優雅に髪を払った。


「なんと美しい……。さすがお母様」


 フローが感嘆の息を漏らす。その氷の花は、おそらく太陽の光を浴びても、何人たりとも溶かすことのできない硬度を誇り、南区の広場に永遠に咲き続けてしまうだろう。


 アルフォンスに頼んで、後処理を任せる算段まで、なんとも王女様たる振舞であった。


「さあ、今度こそお茶にしましょう。少し身体が冷えてしまったわ」

「はい、お供いたしんす」


 圧倒的な格の違いを見せつけられた南区の広場には、氷の芸術品と化した魔獣だけが、静かに残されていたのだった。


 その光景を、王都各所の広場に設置されたマナビジョンの画面越しに見ていた民衆の間には、一瞬の静寂の後、爆発的な歓声が巻き起こった。


「す、すごい……! 魔獣が一瞬で宝石みたいになったぞ!」

「あれが『氷姫』エリーザ様……。なんて美しくて、恐ろしい御方なんだ」


 かつて悲劇の死を遂げたとされた第一王女の、あまりにも鮮烈な帰還。そして、その隣で優雅に微笑む異国の衣装を纏った美女の強さ。


「あのお連れの女性も何者だ? 剣の一振りで魔獣を両断したぞ」

「わからんが、エリーザ様があれほど心を許しているんだ。きっと只者じゃないぞ」


 南区の広場に咲いた巨大な氷の華は、王都の民衆の目に、クロース家の復活と、アイゼン王国の揺るぎない強さの象徴として焼き付いたのである。

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