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箱庭と猫 第一部 ―救国の英魂編―  作者: 山本陽之介
第5章 黎明ヲ謳ウ

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第51話 王都西区戦

 王都西区、ハンターズギルド西支所前。


 結界によって隔離された空間で、カマキリ型の巨大魔獣「アテレス・エムポス」の姿が陽炎のように揺らぎ、次の瞬間、完全に消失した。


「お母様! マナ反応が消えました! 〝隠密〟です!」


 カリーナ・グラナトが鋭く警告を発する。彼女は周囲に冷気を漂わせ、氷の障壁を展開して警戒を強めていた。


 アテレス・エムポスは「嫉妬」の感情を源とする怨獣の劣化種であり、周囲の景色に溶け込む擬態能力と、音もなく獲物に忍び寄る隠密性に長けている。


 しかし、その警告を受けた魔法師団長ハンナ・グラナトは、焦るどころか、優雅にワンドの先端で赤い炎をもてあそんでいた。


「あら、恥ずかしがり屋さんね。でも、隠れんぼに付き合うほど、私は暇じゃないのよ」


 ハンナは退屈そうに吐き捨てると、マナを一気に膨れ上がらせる。


「見えないのなら、隠れる場所ごと燃やしてしまえばいいじゃない」

「お、お母様!? ここは市街地です! 結界内とはいえ、建物への被害が……!」


 カリーナが悲鳴交じりに叫ぶ。だが、ハンナの瞳には絶対的な自信と、ある人物への信頼が宿っていた。


「心配ないわ、カリーナ。この結界を作ったのは誰だと思っているの?」


 ハンナは足元の地面をブーツのヒールで軽く叩く。


「あの『匠聖』オスヴァルトよ? 私が本気を出したくらいで壊れるようなヤワな檻を、あの男が作るわけがないでしょう」

「それは……そうですけど! でも限度というものが!」

「オスヴァルトの結界を信じなさい。――それに、来たわよ」


 ハンナの忠告と同時、カリーナの背後の空間が裂けるように歪んだ。


 実体化したアテレス・エムポスが、死角から巨大な鎌を振り下ろす。その一撃は、獲物の生命力を奪うための慈悲なき斬撃だった。


 カリーナは振り返ると同時に、自身の足元へ魔力を叩きつける。


 第三位階氷属性防御魔法≪シャードロン≫。


 瞬時にせり上がった氷の障壁が、鎌の直撃を受け止める。硬質な氷が砕けそうな音と、重い衝撃がカリーナの腕を痺れさせた。


「くっ……重い……!」

「やるじゃない、カリーナ。マルクス君の婚約者として、恥ずかしくない防御ね」

「お母様! 感心してないで援護してください!」


 カリーナが悲鳴交じりに叫ぶ。アテレス・エムポスは防御されたことに苛立ち、ギチギチと不快な音を立てながら、もう一方の鎌を振り上げ氷の障壁を壊さんとする。


 その双眸には、若く美しいカリーナへの「嫉妬」にも似たドス黒い光が宿っている。


「他人の幸福が憎い……そんな顔をしているわね、この虫ケラは」


 ハンナの瞳が、冷徹に細められた。


「美しくないわね。嫉妬に狂って身を焦がすなんて。――本当の〝焦熱〟というものを教えてあげるわ」


 そのワンドの先端に、周囲の酸素すら強制的に吸い上げるほどの熱量を持った、赤黒い魔力球が収束していく。


「さあ、虫ケラ。私の〝焦熱〟で、その嫉妬深い心を焼き尽くしてあげる」


 大気が悲鳴を上げ、周囲の景色が熱で歪む。アスファルトが泥のように溶け出し、建物の窓ガラスが熱波だけで弾け飛んだ。


「お母様、お待ちください! その構えは……まさか!」


 カリーナの悲鳴に近い制止の声が響く。


 だが、ハンナの掌に収束する赤黒い魔力の球体は、既に臨界点を超えようとしていた。


 周囲の大気が震え、アスファルトが熱で飴細工のように波打つ。それはハンナ・グラナトだけが扱える固有魔法オリジンであり、その威力は、単独で第八位階魔法に匹敵する、都市災害級の火力だ。


「結界内とはいえ、そんなものを放てば衝撃で結界ごと街が吹き飛びますよ!」


 カリーナが必死に訴える。通常、魔法障壁は内部からの爆発的圧力には脆い。ハンナの火力が炸裂すれば、結界が砕け散ることは明白だった。


 しかし、ハンナは口元に艶然とした笑みを浮かべたままだ。


「心配性ね、カリーナ。この結界発生装置を誰が調整したと思っているの?」


 ハンナは、足元に設置された結界の基点となる魔道具をチラリと見る。


「基礎設計とマナ回路の構築は、あの『匠聖』オスヴァルト。――そして、そこに付与エンチャントされた術式は、あの子……レオ君の〝属性〟よ」

「え……レオ君の?」


 カリーナが呆気にとられる。


「オスヴァルトの堅牢な器に、レオ君の属性が組み込まれているの。二人が説明してたわ。内部で発生した過剰なエネルギーは、空間歪曲によって処理される。……だから」


 ハンナは、獲物であるアテレス・エムポスを見据え、宣言する。


「思う存分、ブッ放せるってわけ。カリーナ私の後ろへ!」

「は、はい!」


 カリーナが慌ててハンナの後方へ移動すると同時に、アテレス・エムポスの足元を氷で固定する。


 アテレス・エムポスが本能的な恐怖を感じたが、もう遅い。


固有魔法オリジン――」


 ハンナが短いワンドを突き出す。


「≪劫炎葬送ヘル・フューネラル≫」


 放たれたのは、熱線や火球などという生易しいものではなかった。


 ハンナより前方、扇状に広がる空間そのものが、紅蓮の暴風によって文字通り〝消し飛ばされた〟。


 アテレス・エムポスは、鎌を振り上げる動作の途中で、その存在を赤黒い奔流に飲み込まれた。断末魔を上げる暇も、痛みを認識する時間さえもない。擬態能力も、強靭な甲殻も、全てが瞬時に炭化し、灰へと還る。


 轟音と共に、結界内の道路、街路樹、看板、そして魔獣。前方にあるすべての物質が、圧倒的な熱量と衝撃波によって吹き飛ばされ、更地へと変貌していく。


 カリーナは反射的に防御魔法を展開しようとしたが、その必要はなかった。


 爆風が結界の内壁に激突した瞬間、結界の表面に幾何学的な紋様――時空属性特有のハニカム構造が青白く発光した。


 衝撃は壁に当たって跳ね返るのではなく、壁の表面でぐるりと渦を巻き、まるで別の次元へと吸い込まれるように霧散していく。


「す、すごい……」


 カリーナが目を見開く。ハンナの放った、街一つを半壊させるほどのエネルギーが、結界の外に漏れるどころか、結界そのものを揺らすことさえなく処理されたのだ。


「ふぅ。スッキリしたわ」


 目の前には、扇状に広がる黒焦げの荒野と、一切の痕跡を残さずに消滅した魔獣の〝在った場所〟だけが広がっていた。


「さすがはオスヴァルトの技術と、レオ君のエンチャントね。私の火力を完全に殺しきるなんて、いけ好かない親子だわ」


 ハンナは悪態をつきながらも、その表情には親友とその息子への絶対的な信頼と、満足げな色が浮かんでいた。


「汗をかいちゃったわ。早く帰ってお風呂に入りたいわね」


 ハンナは何事もなかったかのように髪を払い、カリーナに微笑みかける。


「お疲れ様、カリーナ。良いサポートだったわよ」

「……お母様。魔獣は倒せましたけど……」


 カリーナは、結界のおかげで無傷で済んだ周囲のビルと、ハンナの前方だけが綺麗に消滅して道路が抉れた惨状を見比べる。


「これ、後でうちに請求書が届くのでは?」

「あら。街の区画整理を手伝ってあげたのよ? 感謝してほしいくらいだわ」


 こうして、西区の脅威は、「劫炎」の二つ名を持つハンナ・グラナトの、都市一つを灰にするほどの火力によって、跡形もなく消滅したのである。


 マナビジョン越しにその惨状を目撃した民衆は、歓声よりも先に絶句した。


 あまりに圧倒的な破壊力と、それを無傷で抑え込んだ結界への戦慄が、王都を静寂で包み込んだ。

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