第48話 虚飾
『オリバーの冗談はさておき、国民の皆様におかれては、これから話す内容について、しかと聞き留めていただきたい――』
ベル歴995年、水の月23日、夕刻。 アイゼン王国王都エルンツ、シュタイン王宮内「幻灯の間」。
モニターから流れるニクラウス王の声が、室内の凍りついた空気を震わせた。
クーデターの首謀者である第一王子オリバーは、画面の中で淡々と語り続ける父の姿を凝視したまま、現実感の喪失に襲われていた。
完璧だったはずの計画。死んだはずの王。
事態は、彼の理解を超えた領域へと雪崩れ込んでいる。
「な、なにが起きている……!?」
オリバーが絞り出すように呻いた、その時だった。重苦しい沈黙を破るように、幻灯の間の扉が開かれる。
「あーら?ニクラウス王が生きていることが、そんなに不思議かしら?」
入室するなり口角を上げ、嘲るような視線を投げかけたのは、アイスブルーのロングヘアを持つ麗美なメイド、シャリーナだった。
「どうやら、そのようっスね!何が起きているかさっぱりって感じっス!」
続いて、赤髪ツインテールのメイド、ルビアが陽気に同意する。
「きさまらどうやって――」
「どうやってもなにも、普通に入ってきたわよ?」
「そんなはずはあるまい!表には私の兵が――」
「あー、コイツらのことっスか?」
ルビアが悪戯っぽく笑い、親指で背後の廊下を指し示す。オリバーと側近のミルヴィウスが視線を走らせると、そこには異様な光景が広がっていた。
配置していたはずの屈強な近衛兵たちが、まるで糸の切れた人形のように壁に寄りかかり、あるいは床に転がっている。誰一人として、呻き声ひとつ上げていない。
精鋭であるはずの彼らが、何の抵抗もできずに無力化されていた。
「馬鹿な……!」
オリバーが絶句し、後ずさる。
対照的に、側近のミルヴィウスは眉一つ動かさなかった。驚きも、焦りもない。ただ、目の前の障害を排除するプログラムが作動したかのように、虚ろな瞳でメイドたちを見据える。
「捕えなさい」
抑揚のない、機械的な声でミルヴィウスが言った。
命じると同時に、潜伏していた暗部組織「夜声」の精鋭たちが影から躍り出る。 彼らは音もなく間合いを詰め、二人のメイドを包囲する。
だが、メイドたちに動揺の色はない。
シャリーナは冷徹な眼差しで、革靴のつま先で、トン、と軽く床を叩く。その瞬間、室内の物理法則が書き換わった。
第五位階氷属性魔法≪フリギスロン≫。
シャリーナを中心とした空間が、瞬く間に絶対零度に近い冷気に支配される。空気中の水分が即座に結晶化し、襲い掛かろうとしていた「夜声」たちは、その動作の途中で完全に静止した。
青白い氷に覆われた彼らの表情は、驚愕すら浮かぶ暇もなかったようだ。文字通り、彫像と化した暗殺者たちが、静寂を決定づける。
「う、うう……っ」
オリバーや文官たちが、あまりの寒気にガタガタと震え、膝をつく。吐く息すら白く凍りつく極限状態。
だが、ミルヴィウスは違った。
彼は直立不動のまま、瞬きもせず一点を見つめ続けている。寒さを感じていないというより、それに反応する自我そのものが希薄なようだ。
そして、もう一人。部屋の隅には、さらに異質な男がいた。
情報広報局長、フリッツ・ペルレ伯爵。
青鈍色の髪を綺麗に撫でつけ、上質なベルベットのジャケットを纏った男は、優雅に佇んでいた。
ミルヴィウスのように〝我慢している〟様子すらない。何より異様だったのは、彼の足元の床だけ、霜が降りていなかったことだ。
絶対零度の冷気が、まるで彼という座標だけを避けて通っているかのように、不自然な空白が生まれていた。
「……なるほどね」
シャリーナが低く呟く。次の瞬間、彼女は躊躇なく右手を突き出した。
第四位階氷属性攻撃魔法≪アイスロン≫。
問答無用の殺意。鋭利な氷の槍が生成され、フリッツの心臓めがけて射出される。音速を超えた氷槍が、フリッツの胸に着弾する――
パリン、と硬質な音が響いた。
氷槍はフリッツに触れる直前、何もない空間で砕け散り、透明な障壁が、そこには存在していた。
フリッツは、ジャケットについた氷の破片を指先で払い、ゆっくりと顔を上げる。 口元には、余裕のある笑みすら浮かべていた。
「いつから気付いていました?」
「さあね、どうだったかしら」
シャリーナが油断なく切っ先を向ける。
主であるレオは、事前に三名の容疑者を挙げていた。
一人目は、現在ハンス王子に擬態している〝シア〟。だが、そちらにはレオ自身が向かっているため、この場での懸念はない。
二人目のミルヴィウスは、先程の反応から見て自我のないただの人形。
となれば、消去法で残る三人目――目の前の男、フリッツ・ペルレ伯爵こそが、この場における〝本命〟となる。
以前、西区の酒場「メヒスメノス」での密談後、レオに同行していた聖女シルビアが、彼から微かな〝濁り〟を感知していた事実も、その推理を裏付けていた。
「なるほど」
フリッツが短く応える。その姿は洗練された貴族そのものだ。だが、その身体から滲み出る気配だけが、人を逸脱していた。
「フリッツ……なのか……?」
オリバーが震える声で問う。フリッツは主君であるはずの男を一瞥もしない。
「どうやら、疑うまでもないようですね」
同時に放たれた重圧に、文官たちは耐えきれずその場に昏倒する。だが、聖猫の化身たちは表情を変えない。
「ルビア!」
「わかってるっスよ!!」
二人は右耳のピアス――レオが付与を施した時空属性魔法の次元収納アイテム――に触れる。光と共に、戦闘用の衣装と武装が顕現し、瞬時に換装が完了した。
シャリーナの手には白銀の長槍。ルビアの手には巨大な大鎌。いずれも「匠聖」オスヴァルトの手による至高の逸品だ。
「ほう……」
フリッツは短く息を漏らす。
先陣を切ったのはルビアだ。床を蹴り、大鎌を横薙ぎに振るう。風を唸らせて迫る刃に対し、フリッツは一歩も動かない。
斬撃が胴を捉える直前、フリッツの周囲に鈍色のマナ障壁が展開される。
ガギィン、と火花が散った。
障壁は砕かれたが、ルビアの鎌はフリッツのジャケットを裂くことなく止まる。皮膚の上で、見えない膜が刃を受け止めていた。
ルビアが舌打ちし、鎌の柄で追撃を放つ。フリッツはそれを片腕で受け止めた。ベルベットに包まれた細腕が、大鎌の質量を軽々と受け止め、軋みも上げない。
フリッツが無表情のまま腕を振るう。ただそれだけの動作で、ルビアの身体が紙屑のように吹き飛ばされた。
壁に叩きつけられるルビア。だが、逆にその隙を突いて、上空からシャリーナが急襲する。
第五位階氷属性攻撃魔法≪フリーズロン≫。
圧縮された冷気の奔流がフリッツを飲み込む。 部屋の温度がさらに低下し、床も壁も白く染まる。
だが、冷気が晴れた中心で、フリッツは黙って眼鏡の曇りを指で拭った。
無傷。
シャリーナが眉をひそめ、槍を繰り出す。高速の突き。フリッツはそれを最小限の動きで躱し、あるいは手の甲で弾く。
達人の武術ではない。単なるスペックの暴力による、理不尽なまでの「強度の差」だった。
シャリーナの槍が、フリッツの肩口を掠める。その一瞬の隙。ルビアが再び突っ込み、大鎌を振り下ろす。
フリッツは避けることを放棄し、あえて攻撃を受けた。
その衝撃を利用して後方へ――入り口の扉ごと吹き飛ぶように跳躍する。轟音と共に扉が砕け散った。
廊下へと転がり出たフリッツは、獣のような動きで着地すると、そのまま廊下の窓に窓枠に足をかけた。
シャリーナも追走するが、フリッツが振り返り、薄く笑った。
「そこの〝人形〟は、もう用済みですね」
フリッツの言葉と同時だった。
幻灯の間で、直立不動を保っていたミルヴィウスの身体から力が抜け、崩れ落ちた。彼の瞳からは生気が消え失せ、虚ろなガラス玉のような光だけが残されていた。
「やはり、操っていたのね」
「マスターの予想通りっスね」
フリッツは背中から窓外の夕焼け空へ身を投げ出すと、大きな蝙蝠のような片翼を顕現させた。
それを追うように、シャリーナが窓枠を蹴り、フリッツへ槍を突き出した。
シャリーナの槍がフリッツの身体を貫く――はずだった。
切っ先は、フリッツの残像を切り裂き、虚空を突く。
第六位階虚飾の大罪魔法≪鏡像の虚像≫。
実体は既に、はるか上空。
突如現れた巨大なフクロウ型の魔獣に似た何か。その背に跨るように、青鈍色の髪を揺らす男が身を委ねていた。
シャリーナは落下しながら、それを見遣る。
「あれが、ストリクス・ヴァニティ」
カドリーからの情報を、レオを通して知った、マタド・ク・シアの眷属怨獣の名だ。
フリッツは眼下の王宮を見下ろし、小さく手を振る。
「それでは、ごきげんよう」
その直後、王都の至る所から、腹に響くような爆発音が轟いた。




