第46話 ディス
「おい、おまえ」
路地に入り、広場の喧騒が遠ざかった場所で、不意に後ろから声を掛けられ、リオンは足を止めた。
直後、遠くの広場から響く喧騒に混じって、第一王子とは違う声が耳に届く。
「ちっ。やっぱり無能だったか」
その声には、呼び止めた相手への関心よりも、別の対象への深い侮蔑が滲んでいた。
リオンがゆっくりと振り返ると、建物の影が落ちる薄暗い一角に、小柄な影が立っていた。
身の丈ほどある長剣を背負い、フードを目深に被った少年。
ルーミー神教の裏組織エヴィス。その実行部隊「鏡面」の一員、ディスである。
「それにしても、ニクラウスが生きていたとはな。どうやったんだか」
彼は、国王生存の報に沸く広場の方角を一瞥し、鼻で笑った。
彼自身の任務――第一目標の「レガリア奪取」と、ハンスに擬態したシアと共に、「荷物」であるダミアンをマナトレインまで運ぶサポートは既に完了している。現在は、南区担当として【黒い果実】の行く末を監視するために残っていただけだ。そのあとは〝西〟へ向かうのみ。
だからこそ、現場を取り仕切るオリバーの詰めの甘さも、無能さゆえの「夜声」の失態も、彼にとっては単なる嘲笑の対象でしかなかった。
「まあ、いいや」
ディスは興味を失ったように視線を切ると、改めてリオンに向き直った。
「なあ、もう行っていいか?」リオンがしかめっ面で言った。
「まあ、待てよ」
「なんでだよ」
「おまえ、たしか2級ハンターのリオンだったよな。ここでなにをしている?」
リオンは表情を変えず、眼鏡のブリッジを指で押し上げた。
「え?ああ、この前の警邏隊のヒトか。〝一般人〟に何の用だ?」
リオンは口元に薄い笑みを浮かべ、あえて「一般人」という言葉を強調して皮肉った。
だが、ディスは動じない。爬虫類を思わせる瞳で、リオンをねっとりと見定める。
「またか。とぼけるなよ。広場じゃなく、こんな裏路地で再会だなんて、偶然にしては出来すぎだろ」
ディスが一歩、距離を詰める。
夕闇に沈むこの路地だけは、広場の熱気とは無縁の、張り詰めた空気に支配されていた。
「あの時はイゼラに止められたから見逃してやったが……やっぱり気に食わないね。その減らず口も、僕の勘を逆撫でする気配も」
ディスの視線が、リオンの腰にある【次元収納ポーチ】へと滑る。
「それに、ちょうどいい。ここなら誰にも邪魔されない」
「なんの話だ?」
「とぼけるなと言ってるだろ」
ディスは背中の長剣に手を掛け、歪んだ笑みを浮かべる。
「お前が何者か、少しは気になるが、まあ、むしろお前を殺して、そのポーチと剣を貰った方が、よっぽど有意義な気がするね。どうせ死人には不要だろ?」
瞬間、ディスの姿がぶれ、銀色の閃光が目前に迫る。
リオンは反射的に半身を引き、鼻先を掠める刃を回避した。風圧が頬を叩き、数本の髪が宙を舞う。
リオンは即座に腰の片手剣を抜き放ち、追撃の横薙ぎを受け止めた。
硬質な金属音が路地に響き渡る。
至近距離で、ディスの爬虫類めいた瞳がリオンを覗き込んだ。
「やっぱりな。反応速度が異常だ」
鍔迫り合いの状態で、ディスは嬉々とした表情を浮かべる。
「あの日、視線を感じたのも気のせいじゃなかった。お前たちだったんだな?なにをしていた」
「……」
「だんまりか?なにもやましいことがなければ答えられるはずだよな?」
「……しつこいな」
リオンは腕に力を込め、ディスを押し返した。
距離を取ったディスは、長剣を片手で軽々と振り回し、切っ先をリオンに向ける。
「ま、どっちでもいいや。生憎僕の剣は、ヒトを生かす術を知らないんだ。それに、誰が来ようと、どうせ僕たちの邪魔はできないからね。ここで殺してしまえばいい。むしろ見せしめってやつだね」
ディスの全身から、赤黒い澱のようなマナが立ち上る。それは通常の魔法使いとは異なる、異質で不快な波動だった。
「まだ時間はあるし、退屈しのぎには丁度いい。せいぜい楽しませてくれよ、ハンターさん」
「よく喋るヤツだな」
ディスの殺意が膨れ上がり、狭い空間を圧迫する。ディスは石畳を蹴り、変則的な軌道で迫る。左右に揺らめくような動きから、鋭い突きが繰り出された。
リオンが剣でそれを弾く。予想以上の威力にリオンの身体は大きく後退し、体勢を崩した。リオンは恐怖を顔に貼り付けた。
ディスは攻撃の手を緩めない。長剣が風を切り、リオンの逃げ場を塞ぐように連続で振るわれる。
リオンはそれらを紙一重で回避し、時には手に持つ剣で受け流すが、その動きは必死そのものに見えた。
「この間は1級のハンターさんがお隣にいて、気持ちがでかくなっていたんじゃないのかい?」
ディスが嘲笑と共に長剣を振り下ろす。
「結局、君みたいな金魚の糞は、強者の前じゃ何もできない!」
重い一撃を、リオンは両手で支えた剣でなんとか受け止めた。衝撃で足元の石畳にヒビが入る。
リオンが苦悶の表情を浮かべる。ディスは勝利を確信したように口角を吊り上げた。
「所詮は2級か。期待外れだな」
ディスがとどめを刺そうと、マナを長剣に集中させる。
その瞬間、リオンの眼鏡の奥から、怯えの色が消え失せた。
リオンの体を包んでいた頼りない雰囲気が霧散する。
ディスが違和感を覚えた時には、もう遅かった。
振り下ろされた長剣に対し、リオンは一歩、踏み込んだ。
それは防御でも回避でもない。攻撃の軌道の内側へ、理屈を超えた速度で滑り込む体術の動き――入り身。
下から上に向かって、閃光が走った。
ディスの視界が急激に跳ね上がる。
彼は、自らの体がゆっくりと崩れ落ちる光景を、宙を舞いながら見下ろした。
何が起きたのかを理解する間もなく、回転する視界の中で、リオンが静かに剣を振るい、血糊を払う姿が映る。
石畳に、ごとりと鈍い音が響いた。
首を失ったディスの体躯が、糸の切れた人形のように沈黙し、そのまま前のめりに倒れた。
リオンは眼鏡の位置を直し、虚空を見つめるディスの生首を一瞥した。
「2級? ああ、ハンターランクの話か」
彼は剣を腰の鞘に収めると、不貞腐れた声で告げた。
「やめてくれよ。気にしてんだから」
聖霊の加護も、魔法の援護も必要としない。かつて魔法なしで武闘大会を制した王国の麒麟児にとって、慢心した暗殺者など敵ではない。だが、そんなリオンも、ハンターランクに対する劣等感にだけは、なぜか苛まれていた。
「おっと、死体に話しかけてた」
レオは軽く膝を折り、手に時空魔法で作った水の膜を纏わせる。ディスの遺体を調べ、血塗れの警邏隊のペンダントと、ロングソードを次元収納ポーチへ格納した。
立ち上がったリオンは、手をかざし、時空属性の力で熱量を高めた火魔法を練り上げる。ディスの亡骸が瞬時に炎に包まれ、その痕跡を一瞬で焼却した。
どうせ、拘束したところで何の情報も吐きはしないだろう。おそらく、エヴィスの構成員とはそういう手合いだ。レオはそう割り切ることにしたのだった。
ただ、ディスと一緒にいたイゼラからは、また別の――。
リオンは思考を中断し、辺りにヒトの気配がないことを確認すると、≪クロノボックス≫から【ベルコネクト】を取り出した。
正当防衛だったが、レオとして、初のヒト殺しだった。
ショウの記憶のお陰で、忌避感や嫌悪感はない。だが、レオとしての魂が、【ベルコネクト】を持つ手を、僅かに震わせていた。




