第44話 悪友
ベル歴995年、水の月23日。15時。
王都の一等地に構える、歴史ある屋敷。アイゼン王国における魔道具開発の礎を築き、代々その技術を継承してきた名門、クロース侯爵家の本邸である。
その地下深くにある広大な工房には、優雅な紅茶の香りと、それに似つかわしくない罵り合いの声が響いていた。
「おい、マルセル! この配線はどうなっておる。これでは出力が3%も落ちるぞ」 「うるせぇな、ニック。素人が口を出すんじゃねぇ。それは安定性を確保するための安全マージンだ。お前みたいに無茶苦茶なマナ操作をする奴ばかりじゃねぇんだよ」
作業机を挟んで言い合っているのは、この国の頂点に立つ男と、魔道具開発の権威である。
アイゼン王国国王、ニクラウス・クライノート・アイゼン。そして、レオの祖父であり、元魔道具開発局局長、現在は代理として現場に復帰しているマルセル・クロース。
二人は幼い頃からの悪友であり、身分の差を超えて本音でぶつかり合える数少ない間柄だった。
「……陛下。マルセル様。少しお静かにお願いできますかな。外部通信のノイズになります」
二人の背後で、呆れたように溜息をつく紳士が一人。白髪を美しく撫で付け、完璧な所作で魔道具を操作している。
トーマス・モントシュタイン伯爵。ニクラウスの側近にして王宮執事長、さらには情報局局長も兼任する、王の懐刀である。
「なんだトーマス、お前まで俺の工房で偉そうに。情報局長サマが聞いて呆れるぜ」
「いやいや。わたくしの情報網と、あなた様の技術。どちらが欠けてもこの〝割り込み〟は成功いたしませんよ、マルセル様」
トーマスは涼しい顔で切り返し、手元の魔道具を操作し続ける。
「あらあら、みなさん。いい歳をして子供みたいな喧嘩はやめてくださいな」
穏やかな声と共に、サイドテーブルに焼きたての菓子を置く婦人。レオの祖母、ヘルガ・クロース。彼女の笑顔の前では、国王も重鎮たちも形無しだった。
そこへ、レオが階段を降りてやってきた。
「マルセルじいちゃん、陛下、トーマスさん。調子はどうですか?」
「おう、レオか。見てみろ、この頑固な王様を。俺の完璧な術式にケチをつけてきやがる」
「マルセルが腕を鈍らせただけだ。昔なら、この程度の出力調整、目をつぶってでもやってのけた」
ニクラウスは不敵に笑い、作業用の椅子に深く腰掛けた。
本来なら北のディアマン辺境伯領で隠居していたはずのマルセルと、王宮に縛られていたニクラウス。3年前にマルセルが戻ってきていたとはいえ、こうして膝を突き合わせて「悪巧み」をするのは、彼らの青春時代以来のことだった。
「レオ様。外の状況はいかがですか?」
トーマスが手を止め、真剣な眼差しを向ける。
「予定通りですよ。王都の警備は厳重になっていますが、そちらも既に掌握済みです」
レオは自信に満ちた口調で報告を続ける。
「防衛大臣でもあるアルフォンス様から、『エクサ』長官のアダルベルト・レーマン伯爵へ話を通してあります。配信が始まり、こちらの『割り込み』が成功した際には、現場の警備隊は陛下の言葉に従うよう秘密裏に通達されています」
「さようですか。レーマン伯爵まで動かすとは、手際がよろしいのでございますね、レオ様は」
「いえ、偏に協力してくださっている皆様のおかげです」
「またまた、ご謙遜を。……しかしまあ、操られている可能性が高いとはいえ、オリバー様も、随分と思い切ったことをなさいましたな」
トーマスの声には、長年仕えた主の息子に対する複雑な感情が滲んでいた。
「ふん。オスクネス様から賜った【護符】を常時身につけておれば、このようなことにならなかったものを。情けない。余の教育不足だ、すまんな、レオ」
「陛下。そのような言葉、誰も求めておりません」
レオの声は、地下室の空気を凍らせるほど鋭かった。
彼は国王の前に歩み出ると、その双眸を真っ直ぐに見据える。
「私は、ハンス殿下にも同じことを問いました。〝クライノート〟の名を背負う覚悟があるのか、と」
「……何?」
「後悔など、終わってからいくらでもできます。ですが、今、民が求めているのは、悔いる父親の顔ではありません。導く王の背中です」
レオは一歩も引かず、言葉を重ねる。
「よろしいですか、陛下。貴方は、ニクラウス・クライノート・アイゼンです。謝罪ではなく、王としての命をください」
沈黙が落ちる。ニクラウスは目を丸くし、次いで、喉の奥から低い笑い声を漏らした。
「……く、くく。その迷いのない瞳……。なるほど、あの半人前の性根も、そうやって叩き直してきたか」
ニクラウスは猛禽類のような目でレオを睨み返し、バチンと自らの頬を叩く。そこに、父親としての顔はもうなかった。
「マルセル。接続はまだか。このままでは17時の配信に遅れる」
「やかましい。うちの孫に叱られたからって、急かすな」
「なに!?レオは私の孫でもあるんだぞ!」
「ふっ」
「なにがおかしい」
「〝じいちゃん〟とも呼ばれたことないくせに」
「クッ、このやろう!」
「あらあら。仲がよろしいのは結構ですが……」
ヘルガが、手に持っていた湯気の立つティーポットを置く。ゴト、という音が、妙に大きく響いた。
「あまり騒がしいと、レオに迷惑でしょう?」
聖母のような微笑み。だが、その背後には絶対零度の波動が揺らめいている。二人の重鎮が、同時に口をつぐみ、直立不動の姿勢をとった。
「……よ、よし、マナ回路のバイパス構築完了だ。最終チェックを始めるから、ニック、あそこに座れ」
マルセルが逃げるように顎で工房の奥をしゃくった。
そこには、緑の垂れ幕に囲まれた一角と、執務机に見立てた重厚なテーブルが置かれている。
「先ほどから気になってはいたが、なんだこれは?」
席に向かいながら、ニクラウスがそこにある緑色を指差した。
「これは【幻景の画布】といって、背景を合成するための幕になります。この特殊な緑色は、【撮影結晶】にとって『透明』と認識されます。この幕を背に語れば、陛下の背後にあらゆる光景――王都の威容や最前線の様子などを、自在に合成して映し出せます」レオが説明した。
「ほう……余がここに居ながらにして、戦場に立っているように見せかけることも可能か」
「はい。天候にも左右されず、常に最適な光の中で、国民に威厳ある姿をお見せできます」
ニクラウスは緑の幕と、正面の冷ややかな輝きを放つ【撮影結晶】を交互に見やり、興味深そうに目を細めた。
「なるほど。虚実を操る舞台装置か。悪くない」
「そうだろ、そうだろ。これは、レオが教えてくれえた技法だ。どうだ?すごいだろ」
マルセルが自分のことのように、ドヤ顔をニクラウスに向けた。
「なにを自分の手柄のように宣っておる。だが、たしかにこの発想は凡人のものではないな」
「いえ。すべて〝ショウの記憶〟の受け売りですから」レオが苦笑した。
「いやいや、そう卑下するでない。その知識も含めて、今ここに在るお前の力だ。余はその力を頼りにしているのだからな」
ニクラウスは力強く頷くと、マントを翻して椅子に深く腰掛ける。卓上で両手を組み、王としての表情を作った。
その姿は、雑多な地下工房にありながら、王宮の執務室にいるのと何ら変わらぬ威圧感を放っている。
「トーマス、信号の座標を送れ」 マルセルが言った。
「承知いたしました。王都各広場、大型映像魔道具へ照準固定。干渉結界の魔道具、展開。接続、完了です」
トーマスが手元のスイッチを入れると、待機状態を示すランプが灯った。
あとは17時、オリバーが配信を開始した瞬間に、回線を乗っ取るだけだ。
ニクラウスが静かに目を閉じる。地下の工房に、決戦の時を待つ静寂が満ちた。




