第32話 聖女の処方箋
ノイアーか何かを念じるような表情を見せた後、一歩後ろへさがる。するとノイアーの目の前の空間が波打つように淡く輝き、扉が現れた。
ハンスは驚きを隠せないまま、その光景を見つめる。
扉が開き、銀髪の青年、レオが姿を見せる。ハンスはレオの生存に安堵する間もなく、彼の背後から、もう一体、ハンスと寸分違わぬ姿の〝なにか〟が部屋へ入ってきた。
「ハンス殿下、お久しぶりです」
「レオ!お前……本当に生きていたのだなっ」ハンスは、そう言いつつも、視線はレオから、その隣に立つ自分そっくりの人形に注がれる。「そ、それは私か……?」
ハンスの顔から血の気が引く。自分そっくりの人形が、まるで生きているかのようにそこに立つ光景は、あまりに異様だったからだ。
レオはハンスの反応を一瞬見守り、静かに頷くと、人形に視線を向ける。
「これは殿下の身代わりとなる精巧な人形です。殿下がこの部屋から離れるための目くらましになります」
「そのようなものが……」
ハンスの驚きを余所に、ノイアーがハンスの人形を拘束台へ促し、先程まで拘束されてたハンスの姿を再現させた。
ハンスがその一挙手一投足を呆然と眺めているとレオから声が掛かる
「殿下」レオは開かれた扉に顔を向け、「まずはこちらのドアから一緒に箱庭へ行ってもらいます。詳細はそちらで。今は一刻を争いますので」と促した。
「箱庭?」
「ええ、それについても後ほど」
レオは簡潔に答え、ハンスの背を軽く押しながら「ささ、行きましょう」とドアの内側へ入っていくと、ノイアーもそれに付いて行く。
「ここは?」
「地下室の物置です」
「地下?いや、そうではなくてだな……」
「先ほど申し上げた、〝箱庭〟ですね。ここではなんですから、こちらへ」
「あ、ああ」
レオが箱庭の屋敷内へ繋がるドアを開ける。
「パ」「ポ」
相変わらず2体の魔導人形、パーラとポーロがお出迎えしてくれた。
「そ、それは?」ハンスが訊ねた。
「この子たちはこの屋敷を管理してくれている魔導人形です。左がパーラ、右がポーロです」
「そ、そうか」
レオとノイアーはハンスを伴い、魔導人形たちに案内されるように廊下を進んだ。
屋敷の中は静かで、どこか懐かしい空気が漂っている。ハンスは周囲を興味深そうに見回しながらも、緊張した面持ちで二人の後に続いた。
やがて一行は、屋敷の一階にある、応接室に到着した。
部屋にはソファがゆったりと配置され、その中央には磨かれたローテーブルが置かれている。壁には美しいタペストリーが飾られ、窓からは柔らかな光が差し込んでいた。
そしてもう一つ。応接室では一人の女性が待っていた。
「初めまして、ハンス殿下」
「え、えっと、あなたは」
「わたしの名前はシルビア・スワンと申します」
「あ、ハンス殿下。彼女は今代の〝聖女様〟です」レオが補足した。
「聖女様?聖女様というのは、あのバーディアの」
「ええ。それで概ねあってますね」
「なぜ、聖女様がこちらに?」
「とりあえず、座りませんか?」
「あ、ああ、そうだな。失礼。聖女様もお掛けになってください」
「はい」
「こちらへどうぞ、殿下」レオがソファを指して促した。
ハンスは促されるままにソファに腰を下ろした。レオはハンスの向かいに座り、シルビアはレオの隣に座る。ノイアーは静かにレオの後ろに立った。
レオはハンスの目を見て、静かに話し始める。
「殿下、まずは現状を詳しくご説明いたします」
「いや、その前に、レオ。いったいここはなんだ?箱庭というのは……」
「あー、そうでしたね。箱庭とは――」
ハンスに対し、レオはまず3年前から家族と自身に起きたことを説明し、それに続けて箱庭についても簡潔に語った。
「――なるほど。ということは、そこにおられるノイアー殿は、聖霊の遣い様であるということなのか」ハンスは尋ねた。
「ええ。ノワル」
「かしこまりました」
ノイアーはヒト化を解除し、その身を黒猫の体躯に戻して見せる。その光景にハンスが目を丸くさせた。
「本来のわたくしの名はノワル。闇の大聖霊オスクネス様の加護を賜りし聖猫でございます」
「そうでしたか。そうして、代々の王を支えてこられたのですね。ありがとうございます。ですが、父上は……」
ハンスの言葉には、父の死を悼む心が滲んでいた。
「あ、それなんですけど、陛下は生きてますよ」
「は?」
あっけらかんと告げたレオを、ハンスは言われたことの意味が理解できないとばかりに呆然と見つめる。
「今、何と……?」
「ですから、陛下はご健在です」
レオは繰り返した。その口調には微塵も嘘の色がない。ハンスの顔に、信じられないという表情と、微かな希望の光が混じり合う。
「しかし……オリバー兄上が、父上は崩御したと……」
「あ、それ。偽物の陛下ですから」
「は?」
ハンスはまたもや呆然とした。
「先程のハンス殿下の人形を思い出してください」
「あの人形……。父上も、ということか?」ハンスは震える声で尋ねた。
「ええ。因みに、陛下の人形は本物に近く、より精巧に作ってあります」
「なんとっ……」
「目には目を、歯には歯を、ってやつですよ、殿下。まあ、偶然だったんですけどね。あちらも偽物のハンス殿下を用意してたみたいですから」
「そんな……まさか……」
ハンスは、自分の目で見た人形の精巧さを思い出し、レオの言葉が真実であることに戦慄した。さらに、父が生きているという喜びと、兄の裏切りに対する怒り、そして自分に仕組まれた罠の大きさに、全身が震えるのを感じた。
「オリバー殿下たちは、陛下がすり替わっていることすら知りません。彼らは本物の陛下が死んだと信じ込み、そう思い込んだまま動いています」
レオはまっすぐにハンスの目を見つめ、続ける。
「そして、その偽物の亡骸は彼らの手によって偽装され、『陛下が殿下に殺された』という偽りの事実を公表しようとしています。王族配信と称し、≪反響の詞≫による魔法的洗脳を更に施すことで、その偽りの真実をさらに盤石にする予定ですね」
「なんだそれは。兄上はなんのためにそのようなことを……」
「八英雄の国に恭順しない西方諸国を、武力で制圧したいみたいですよ。その思想は、本来のオリバー殿下の考えとは異なります。何者かの影響を受けている、と見て間違いないでしょう」
「なにを云っているんだ。そんなことをしても新たな憎しみを生むだけだというのに。我々は保有武力を示しはしても、自らが乗り込むことなど考えてはならない。それが八英雄の国共通の公約であり、聖霊様たちとの盟約でもある」
「そうですよねえ」
レオが他人事のように同意するのを見て、ハンスが眉根を寄せてレオを睨む。
「レオ。これは真剣に云っているんだぞ。なにより、次期王はその国の守護聖霊によって決められる。アイゼンの次代は私が仰せつかった。なのに、兄上は一体なにを考えて――」
「操られていますよ」
「え?」
「オリバー殿下は、おそらく操られています。すべてが、彼らを操る真の黒幕の計画、あるいは彼らがその計画に利用されている。王宮内部の共謀者たちも、操られている可能性が高い」
シルビアはレオの隣で静かに頷いて、話を補足していく。
「ハンス殿下。大罪紋をご存じですか?」
「大罪紋……。ああ、父上より伺ったことがあるな。八大罪のマオンという存在が扱う〝紋〟があると。それのことかな?」
「ええ、その通りですわ。聖女教育の際に、わたくしが学んだものの中に、大罪紋を刻まれた者には、大罪の力を与え、そして、その者の心を操る、というものがございました」
「大罪の力、心を操る。まさか、兄上にその紋が?」
「ええ、オリバー殿下については、まだ確認できてはおりませんが、おそらく。今回の事件を企てていた者たちの幾名かに、その大罪紋が刻まれていることを確認しておりますので」
レオが聖女の言葉を補足するように続ける。
「ですので、オリバー殿下もその大罪紋によって心を蝕まれ、本来の理性や目的から外れてしまっている可能性が高い。だからこそ、それを救わなければならないのです」
「だが、どうやって――」
レオはそれを制するように言葉を発する。
「その〝どうやって〟こそが、私がこの状況で聖女様を呼んだ最も重要な理由です」
「もうっ!レオさん。聖女様とお呼びになるのは止めてくださいと、わたくし云いましたよね?」
シルビアは眉を下げて、レオの腕を軽く叩いた。
「いや、シルビアさん。今のは聖女様で正しいでしょう。私はあなたの聖女としての力が必要だと言ったんですから」レオが珍しく反論する。
「わたくしは、ただ、その役目を果たしているに過ぎませんわ。わざわざ、殿下の前で強調なさる必要は……」
「しかし、聖女様の御力が必要なのは事実なんです。それを隠す必要はないでしょう」
「隠しているわけではございません!ただ、その……」
ハンスは二人のやり取りを見て、ふと感想を漏らす。
「仲が良いんだな」
「まあ、この数日で仲良くなりましたね」レオが応えた。
「そ、そうですね。レオさんのご家族にも随分とお世話になっておりますので」シルビアも笑顔で頷く。
「それで?聖女であらせられるシルビア殿を呼んだ理由とは?」
ハンスが、本題に戻るように冷静に問いかけた。その問いかけに対し、レオはシルビアに視線を送る。
「はい、殿下。ここにいるシルビアさんは、癒の聖霊アウローラ様に選ばれた、唯一の聖女です。その聖女としての役目として、彼女にはこの状況を打開できる、特別な魔法を行使する力があります」
ハンスは訝しげに眉をひそめた。
「特別な魔法、だと?それは、どのような……」
レオの言葉を受けて、シルビアがゆっくりと、しかし確かな口調で説明を続ける。
「それは、精神にかけられた強固な呪縛や、他者の意思による操縦を解き放つ魔法です。ハンス殿下の兄であらせられるオリバー殿下にかかっているかもしれない、あの大罪紋の影響を打ち消すことができるはずです」
ハンスの瞳に、かすかな光が宿る。
「つまり、兄上を……正気に戻せる、と?」
シルビアは深く頷く。
「ええ。そのために、私たちはオリバー殿下にも接触し、この魔法を施す必要があります。しかし、この魔法は単なる呪文ではありません。対象者の心の状態、そしてわたくしの聖霊との共鳴が不可欠となります」
シルビアはハンスの目を見つめ、その魔法に込められた願いを語るように静かに告げる。
「≪アニマ・リベラ≫――アウローラ様の癒しの光が、心を蝕む鎖を断ち切り、本来の自由を取り戻すことを願う魔法です」
ハンスは納得したように頷くと同時に、新たな疑問が湧き上がってくる。
「なるほど、理解した。しかし、レオ、シルビア殿。なぜ君たちは今回の件について、そこまで詳しいのだ?」
「あー、それはですね――」
レオが、先日のことを振り返るようにハンスに語り始めた。




