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箱庭と猫 第一部 ―救国の英魂編―  作者: 山本陽之介
第3章 傀儡ハ嗤ウ

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第26話 五日間の夜明け 前編

 立太子(水の月22日)を4日後に控えた、ベル歴995年、水の月18日の深夜。


  王都エルンツ、シュタイン宮殿。第三王子ハンス・アイゼンの寝室は、深閑とした闇に包まれていた。


 部屋の中では、第三王子ハンスがベッドの上で穏やかに眠っている。白に近い薄い灰色の髪を持ち、慈愛に満ちた端整な顔立ちの青年である。


 自身の立太子が間近に迫っているとはいえ、国防の要の組織、国防総省 (E.D.M. / エデム)のトップとして休むという選択肢はないのである。


 せめて睡眠だけはと、部屋には公務の疲れの代わりに、ただ無意識の静寂が漂っていた。


 王族の部屋に繋がる廊下は、二重の感知結界魔道具【センスリエ・デュオ】によって厳重に守られている。この結界は、侵入者のマナ波長と体温変化を即座に感知する仕組みだった。


 もちろん、第三王子にして、次期王であるハンスの部屋に続く廊下に至っても、例に違うことはない。


 だがその時、ハンスの部屋の扉が、何の音もなく開いた。


 室内へと足を踏み入れてきたのは、ミルヴィウスと漆黒のフードを被ったシア。


 ミルヴィウスは、うまく潜入できたとばかりに、左手に持つ魔道具を見つめたあと、シアに視線を向ける。


「手際よくお願いしますよ、シア。【オブスキュラ】の制限時間は短い。ここを立ち去るまで、5分しか猶予がないですからね」


 そう言ってミルヴィウスは、懐中から小型のマナランプ型の魔道具【ナクシス】を取り出すと、その光をハンスの顔に向けた。ランプの光は、強力な睡魔と軽いマナ抑制をハンスに与え、彼の眠りをさらに深める。


 シアは無言で頷くと、ハンスのベッドの傍らに立った。その指先が、フードローブの奥の闇から、ハンスの額へと伸びる。


 シアの指先がハンスの肌に触れた瞬間、ハンスの体からマナの奔流がシアの体へと吸い込まれていく。


 しばらくするとハンスの肉体は、極度のマナ欠乏により、全身の血色が失われ、深い昏睡状態に陥った。


 ミルヴィウスはその変化を静かに観察する。


 ハンスの傍に立つ、シアの体が揺らぎ始めた。顔の輪郭が溶け、声帯が唸り、体格が変化していく。それは、第三王子ハンスの姿形、そして微細なマナ波長までを完全に擬態する、〝虚飾〟の魔法の行使だった。


 この擬態魔法≪ディスガイザー≫は、対象の肉体のマナ波長と形質インフォメーションを一時的に固定・コピーすることで完成する。代償として、擬態された側の肉体は、極度のマナ欠乏に陥り、活動停止に近い昏睡状態となる。


 3分後。ハンスの姿に成り代わったシアは、完璧な第三王子としてそこに立っていた。元のハンスの体は、布に包まれ、ミルヴィウスが担ぎ上げた。


 「これを旧館の一室、殿下の指定された場所へ収監します。あなたは、このまま第三王子を演じるように。できますね?」


 ミルヴィウスの指示にハンスの姿をしたシアが頷いた。シアの意思を確認したミルヴィウスは、来た時と同じようにドアから闇へと消えた。








 水の月19日、昼。第三王子ハンスの執務室。


 ハンスに擬態したシアが、執務机についていた。


 彼は金色の刺繍が入った白いローブに高貴な青いマントを纏い、王族としての品格を漂わせている。その姿は、一見、何の問題もない理想の王族であった。


 執務室の扉がノックされる。


 女侯爵にして魔法師団 (E.M.C. / エムク)団長のハンナ・グラナトと、公爵にして騎士団 (E.R.G. / エルグ)団長のアルフォンス・プラーティンが入室した。


 ハンナはピンク色のショートヘアと自信に満ちた表情の女性で、黒いケープと革製の胸当てを纏い、魔法師団長としての鋭気を放っている。


 隣に立つアルフォンスは、明るいオレンジ色の髪と精悍な顔つきで、全身銀色の重厚な甲冑と深紅のケープをまとい、騎士団長としての威厳を漂わせている。


「失礼します」二人が言った。


 ハンスは、顔に微笑を浮かべたまま、穏やかな声で応える。


「わざわざご足労いただき、申し訳ありません、ハンナ殿、アルフォンス殿」

「別にいいのよ。それよりハンス。体調不良だって訊いたんだけど、大丈夫なの?」ハンナが言った。

「ご心配をおかけしたみたいで申し訳ありません。私の病は大事ありませんよ」

「それならいいんだけど。もう少しで立太子なんだからしっかりしなさいよね」

「おい、ハンナ。一応、公務中だぞ。立場と礼儀をわきまえ――」

「いいんですよ、アルフォンス殿」片手をあげてアルフォンスの叱責を遮ったハンス。「お二方は姉の親友にしてこの国の四柱〝テトラルキス〟なんですから」


 アイゼン王国四柱、通称「テトラルキス」。


 元第一王女「氷姫」エリーザ・アイゼン(現・エリーザ・クロース)、アイゼン魔道具開発局長「匠聖」オスヴァルト・クロース侯爵、アイゼン魔法師団団長「劫炎ごうえん」ハンナ・グラナト女侯爵、アイゼン王国近衛騎士団団長「冷徹鬼」アルフォンス・プラーティン公爵。


 アイゼン王国を代表する四名を表す呼称としている。


 ハンナの表情に影が落ちた。


「今は二人しかいないけどね……」


 ハンナとアルフォンスの同級生にして、親友であったエリーザとオスヴァルト。学生時代より親交を深め、エリーザとオスヴァルトが結婚したあとも、ともに切磋琢磨してきた仲であった。


 3年前、クロース一家は、ゲンマ魔法国で行われる「魔道具発表会」に参加するため、魔導車マナビークルで向かっていた。だが、道中の峠道で不慮の事故に見舞われ、この世を去ったとされている。


「そうでしたね。私もまだ、その現実を受け入れられておりません。ですが、今は感傷に浸ってもいられません」

「そうね。時間は元に戻せないもの……」


 ハンナは俯き、憂いの表情を見せたが、すぐに表情を引き締めハンスを見遣った。


「それで?わたしたちを呼び出した理由は?なにかあったのかしら?」

「ええ。実は、先ほど入った極秘報告によると、王国の西、クプファー公爵領に隣接する国境方面で、魔獣の大規模な異常発生を確認したそうです」


 ハンスの報告に、ハンナが顔を顰め、アルフォンスの片眉もわずかに上がった。


「もしかして、グレートリフト渓谷ですか?」アルフォンスが尋ねた。


 クプファー公爵領の国境方面は、グレートリフト渓谷に隣接している。その渓谷は、アイゼン王国西部の天然の要害である一方、ひとたび魔獣の群れが溢れ出せば、その複雑な地形が、鎮圧を極度に困難にすることで知られていた。


「ええ、その通りです。おそらくですが、スタンピードが起きます」

「なんでまたこんな時期にっ」ハンナが嘆いた。

「まったくです」


 ハンスはハンナに同意しつつ、書類を軽く滑らせるように示した。


「国防総省(E.D.M.)の権限において、これは看過できません。王都の治安は現在、近衛隊に任せておりますが、万が一にも国境が破られてはなりません。現在は、クプファー領の軍と、居合わせたハンターたちが協力して抑えていますが、いつまでつか、といったところです」

「そう……」

「この件は極秘とし、お二方は立太子への列席は気にせず、両団の戦力の過半を率いて、直ちにクプファー公爵領方面へ鎮圧に向かわれてはくれませんか。こちらは、私、国防総省大臣の命令書でございます」


 ハンスは、書類に手を添え優しく命じた。国防総省トップである彼の指示は、直轄である両団にとって絶対である。


「あなたの晴れ姿を見たかったのだけれど」

「おい、ハンナ」

「わかっているわよ」


 二人の団長は、エリーザの弟でもあるハンスを自分の弟のように可愛がっていた。そのため、一生に一度の行事には、今は亡き親友のために、是が非でも参加したかったのだ。


「申し訳ありません、ハンナ殿、アルフォンス殿」


 申し訳なさそうなハンスの表情を察し、両団長は即座に居住まいを正した。事態の深刻さと任務の優先度を理解し、静かに応諾した。


「かしこまりました。直ちに出撃の準備に入ります」

「同じく、準備に入ります」

「特務用マナトレインの準備は整っています。そちらの出撃準備が整い次第、むかってください」

「「はっ!」」


 ハンナとアルフォンスが、直轄の部下として応え、退室した。


 ハンスは、両団長が執務室を出るのを見届けると、席を立ち、自身も廊下へと出た。


 廊下には、僅かながら人の往来があった。


 王付き事務官ノイアーが、書類の束を抱え、早足で角の向こうから現れた。互いを視界に捉えながら、二人の距離が縮んでいく。


 ノイアーはすれ違う手前で立ち止まり、ハンスに対し、事務官として一礼をする。ハンスは、ノイアーの一礼に穏やかな会釈を返した。


 擬態の完璧さゆえか、その動作に一切の澱みはなかった。


 ノイアーは、そのままニクラウス王の執務室へと向かい、ハンスは、その場を離れていく。


 ハンスが廊下の角を曲がり、姿が見えなくなると、ノイアーはまた立ち止まる。静かに振り向き、先ほどまでそこにあった、ハンスの残像を見つめていた。

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