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箱庭と猫 第一部 ―救国の英魂編―  作者: 山本陽之介
第3章 傀儡ハ嗤ウ

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第25話 血の盟約、胎動する野望

 時は遡り、3年前。ベル歴992年、風の月。


  王都エルンツの中心街から外れた裏路地の一角に、ひっそりと佇むクラフトビア専門酒場「メヒスメノス」。その目に留まることない外観から、それが王国の核心に触れる密会の場であるとは、誰も想像し得ない。


 昼間の喧騒が遠のき、深夜の帳が王都を覆う頃、店の奥の重厚な扉の向こうに、外界から完全に隔絶された空間がその姿を現す。


「暗珠の間」。


 部屋の壁に飾られた巨大な漆黒の暗珠が、あらゆる光を吸い込むかのように静寂を際立たせ、その場に漂うマナの気配は、まるで深淵そのもののような重苦しさを纏っていた。


  オリバー・アイゼン第一王子は、卓に向かい座していた。


 数週間前、情報広報局局長フリッツ・ペルレ伯爵の執務室で不慮の事故に遭って以来、妙な倦怠感と、頭の中に響く高揚した思念に悩まされている。


 彼は胸の奥底に込み上げる冷たい衝動に、自らの意識を集中した。その衝動は、彼自身の意志とは無関係に、思考を特定の方向へ導く冷徹な羅針盤のように機能しているように感じた。


 卓の向かいには、フリッツが柔和な笑みを浮かべて座っている。彼は、隣に立つ二人の人物をオリバーに紹介した。


「殿下、本日はお目通りいただき、光栄に存じます。こちらが、殿下の理想を実現するために、私がお見つけした二人でございます。政治学の若き異端児、ミルヴィウス氏。そして、彼の護衛のシアです」


 ミルヴィウスのすぐ後ろには、寡黙な護衛控えている。名を〝シア〟と云った。


 彼は全身を漆黒の深いフード付きマントに覆い、顔立ちは闇に沈んでいて窺い知れない。マントの裾には、乾いた血のような鈍い赤色が不気味に滲んでいた。その立ち姿は、ただそこにいるだけで周囲の光を吸い取るかのような、底知れない不穏さを纏っていた。


  ミルヴィウスは恭しく頭を下げる。


「お初にお目にかかります、殿下」

「座れ」


 オリバーの低い声が、静かな空間に響き渡る。ミルヴィウスはフリッツの隣の席に腰を下ろすと、顔を上げた。


 彼の瞳には、計算され尽くした冷静な自信が宿っている。


「ペルレ伯爵から、そなたの論文は拝読した。批判も多かったようだが、伯爵が言う通り、我々の見解は、驚くほど合致している。この国……いや、すべての八英雄の国の現状、そして未来について、そなたの考えを、改めて聞かせてもらおうか」


 オリバーは、まるで誰かに教えられたかのように、脳裏に響く思念の示すままの言葉を口にした。


 ミルヴィウスは迷うことなく口を開く。


「殿下におかれましても、この国の澱んだ現状には深く憂慮されていることと存じます。賢王陛下の御代は確かに長く、この国に安定をもたらした一方で、同時に新たな息吹を阻み、硬直した現状を招いています。もはや、これ以上の停滞を許してはならない。新たな時代には、新たな王が求められます。八英雄の国々こそが、この世界を支配するべき存在であり、その理想を実現するためには、強硬な指導者が不可欠です。しかし、現状のままでは、真の変革は望むべくもありません」


 彼の言葉は、オリバーが事故以来、自らの思考と信じ込まされてきた内容を正確に言語化していた。


 オリバーの表情に微かな変化が訪れる。それは、頭の中に響く高揚した思念が、肯定されたことによる、強い安堵と、熱の表れだった。


「…して、そなたに何か策があるというのか? この閉塞した状況を打ち破り、新たな時代を切り拓くための、具体的な方法が」


 オリバーの問いに、ミルヴィウスは微かな、しかし確かな笑みを浮かべた。その笑みは、まるで全てを掌握しているかのような自信に満ちていた。


「殿下の大いなる計画を成功に導くため、我々は秘策を用意しております。そして、その鍵となるのが、シア、彼の存在です」


 ミルヴィウスは、そう言って、すぐ後ろに控えていたシアに視線を向けた。


 オリバーは改めてシアをじっと見つめる。シアの顔立ちはフードの闇に沈み、そのこげ茶色の瞳には、常に虚ろな揺らぎが見て取れた。まるで、既に意志を失った人形のようだった。


「…彼の、か?」


 オリバーがシアを見つめる。


「その通りです。彼の魔法は、この世に稀有な擬態の魔法。すなわち、他者の姿を完璧に模倣するものです。顔立ち、声、体格は言うに及ばず、そのマナの波長さえも、限りなく本物に近づけることが可能。これにより、殿下のお望み通り、彼を〝何者か〟に成り代わらせることが可能です」


 ミルヴィウスの言葉に、オリバーの目が細められた。


 その瞳には、深い興味と、未来を計算する冷徹な光が宿る。頭の中に響く思念は、この言葉を聞いた瞬間、さらに強度を増した。


「ほう。それは面白い。まさか、そのような稀有な才能を持つ者がいるとはな」 「ええ。これまで日陰で生きることを選んできた男です。しかし、殿下の大いなる計画のためならば、その才能を存分に役立てられるでしょう。私の知識と、彼の能力があれば、殿下の描く未来は、決して夢物語ではございません。むしろ、現実に変えるための、最も強力な手札となるでしょう」


 ミルヴィウスは、確信に満ちた声で言った。彼の背後で、フリッツは満足そうに口角を上げたまま、静かに座っていた。











  夜の声が深まり、オリバー、ミルヴィウス、シアは、「メヒスメノス」を出た。裏路地へと出た王都の闇の中へと足を踏み入れる。


 フリッツは、暗珠の間で「この度の実演は、私には少々血生臭うございますので、遠慮させていただきます」と、オリバーに耳打ちしていたのでこの場には同行していない。


 漆黒の闇に包まれた路地には、昼間の喧騒とは打って変わって、人の気配はほとんどない。


 しかし、奥から聞こえる微かな話し声が、複数の人間の存在を示唆していた。


「殿下、彼の真の価値をご覧ください」


 ミルヴィウスは、オリバーの耳元で囁いた。


 オリバーの冷徹な眼差しが、ミルヴィウスとシアの間を行き交う。


 シアは、フードを目深に被ったまま、微動だにしない。


 路地の奥から聞こえる男たちの声が、段々と近づいてくる。彼らは、王都の闇に蠢く、取るに足らない存在。そう、オリバーは心の底から考えた。


 ミルヴィウスの視線が、男たちを捉える。


「……あれは、ちょうどいい獲物でしょう」


 ミルヴィウスの言葉に、オリバーは感情を排した声で応えた。


「よかろう。見せてみろ」


 シアは、ミルヴィウスの合図一つで、闇そのものが歪むかのような速度で、姿を消す。その動きは、人間の常識を遥かに凌駕していた。


 オリバーは、そのあまりの素早さに、一瞬目を見張る。


 次の瞬間、路地の奥から、悲鳴を上げる間さえ与えられなかった男たちの、短く、途切れた絶叫が響き渡った。


 金属が肉を一瞬で断ち切る、乾いた硬質な音、そして生々しい血が地面に飛び散る音が、闇夜に響き渡る。オリバーは、その音に耳を傾けた。


 恐怖や嫌悪の感情は微塵もなく、ただ冷徹な観察者の眼差しが宿っていた。高揚した思念が、血の臭気に触発され、激しく増幅する。その思念は、オリバーの脳内に歓喜の声を送り続けていた。


 数瞬の後、全ての音が途絶えた。静寂が、再び路地を支配する。その中で、シアがゆっくりと闇の中から姿を現した。


 彼のローブは漆黒を保ち、鮮やかな血の痕跡は皆無だった。しかし、目深にかぶったフードのせいでその表情は窺い知ることは出来ず、まるで無機質な人形のようだった。


 シアの足元には、数名の男たちが、血だまりの中に横たわっていた。彼らの体は、見るも無残な状態に切り刻まれ、絶命していた。その様は、戦いというより、解体作業の結果に近かった。


「これで、ご理解いただけたでしょうか、殿下。彼の価値は稀有な擬態の魔法だけではございません。その影には、これほどの殺戮の才能が潜んでいます。彼は、殿下の命令とあらば、いかなる邪魔者をも排除する、まさに影の刃となり得るのです」


 ミルヴィウスは、シアの傍らに立ち、静かに、そして誇らしげに云った。


 オリバーは、シアを見つめる。その眼差しは、シアを初めて暗珠の間で見た時とは明らかに違っていた。


 彼の瞳には、深い満足と、そして計り知れない野望の光が宿る。目の前の光景は、彼が欲していた「力」そのものだった。


 この男の持つ才能が、彼の計画を完璧なものにし、彼の夢を現実に変えるための、最も強力な武器となると確信したのだ。


 シアの存在は、オリバーとミルヴィウスにとって、盤上の「駒」に過ぎない。彼の意志や感情は、彼らが動かすための単なる装置であり、彼の「人生」などというものは、この陰謀の中で意味を持たない。


 この夜、暗珠の間での密約と、裏路地での血塗られた“晩餐”という名のデモンストレーションを経て、オリバーの胸中で新たな野望が本格的に胎動を始めた。


 しかし、その野望は、彼自身の言葉ではない。それは、彼の脳裏に響く、冷たい思念が刻みつけた、別の何者かの意志だった。

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