第23話 癒の聖霊の愛し子
ベル歴995年、水の月13日。アイゼン王国の王族配信より10日前。
聖王国バーディア北部ガルズ湖畔。トゥインクディーヌ市国。
光の大聖霊ゲレオールの聖域にも連なる、荘厳なトゥインクディーヌ大聖堂が悠然と佇んでいる。
ステンドグラスから差し込む柔らかな光が、内部を満たす清らかなマナをきらめかせていた。
白銀の毛並みを朝露のように輝かせたその白猫――クラルテ――が、祭壇の脇に置かれた巨大なユリの花瓶からひょっこりと顔を覗かせている。その瞳は燃えるような金色で、見る者に熱い意志を感じさせた。
「おーい、シルビア―!」
聖女の名を呼ぶクラルテの声が、静寂に包まれた大聖堂内に響き渡った。
癒の聖霊アウローラに選ばれ、その身に憑依を許されたヒト属の女性を「聖女」と呼ぶ。アウローラは、その肉体と精神を共有することで、より直接的に世界に干渉することができる。
「お呼びですか?クラルテ様」
クラルテの声に振り向いたのは、18歳の若き女性、シルビア・スワンだった。
バーディア聖王国、スワン伯爵家三女にして、癒の聖霊アウローラに選ばれし、今代の「聖女」。
プラチナブロンドのミディアムボブの髪を丁寧に編み込んだハーフアップにしている。その瞳は温かく碧い光を湛え、指先からは微かな治癒のマナが揺らめいている。
侯爵家の令嬢としての気品を備えつつも、聖女としての厳しい教育を受け、現在はガルズ湖の〝濁り〟の浄化をするのが主な役割である。
シルビアは、手に持っていた薬草を丁寧に籠に戻すと、ゆっくりとクラルテの元へと歩み寄った。
「お?ポーション作りでもしようとしてたのか?」
「ええ、まあ。それよりもクラルテ様、お久しぶりですね」
「ん?そうだったか?」
「そうですよ!また何も云わずにどこかに行かれていたみたいですけどっ!」
「あれ?そうだったっけ?」
「そうなんです!それで?なにをしてらしたんですの!?」
シルビアが、フンス、と鼻息を荒げてクラルテを睨んだ。だが、クラルテはそんなシルビアを気にする様子もなく、マイペースに話を進める。
「そうそう!レオがお前に頼みたいことがあるって云ってんだ」
「レオ?あー、クラルテ様の新たなご主人様になられたというレオ・クロース様ですね。そのレオ様がわたくしに?わたくし、お会いしたこともございませんが」
クラルテはシルビアの目の前に飛び降りると、得意気に顎をしゃくる。
「会ってねーのに頼んでくるんだから、そりゃあ大層な用件に決まってんだろ! アイゼン王国の様子がおかしいから、ちょっくら力を貸してほしいってさ」
シルビアは眉をひそめた。
「アイゼン王国……ですか?」
「もしかしたら、〝虚飾〟が関わってるかも、だってよ」
「虚飾って、八大罪のマオンの一柱である、あの虚飾ですか?」
「そう!それ!」
「たしかに、オスクネス様の≪ムゲンの牢獄≫から脱獄してアイゼンに潜伏しているかも、とはおっしゃっていましたけど……」
「カドリー様の分身体であるキュートが、敵さんの構成員の一人に〝紋〟を確認したみてえなんだよ」
「紋?」
「ああ、八大罪の紋章の一つって云ってたぜ」
「大罪紋ですか。なるほど」
大罪紋は、各八大罪の特性を与える呪いの契約魔法の一種である。さらに、個別の効果に加えて、紋章を刻まれた者に共通して、マナ量の増大、力の強化が与えられる。
シルビアとしても、八大罪のマオンの脅威は、聖女教育の中で既に学んでいた。
八大罪の一つ、「虚飾」が関わっているかもしれないという言葉、そしてその証拠とも言える「大罪紋」の確認。
聖女としての彼女の心を大きく揺さぶった。
ただ、クラルテから話で聞かされていたものの、レオという存在は把握していても、シルビアにとって、基本的には会ったこともない見知らぬ人物と言っても過言ではない。
ただし、そんな人物からの要請であっても、世界の根幹を揺るがしかねない存在が、八英雄の国の危機に関わっているのであれば、無視することはできない。
シルビアは静かに息を吐く。
「分かりました、クラルテ様。レオ・クロース様からのご依頼、お受けいたしましょう」
シルビアの返答に、クラルテはにやりと笑った。
「よし!じゃあ、今からレオを呼ぶぜ!」
「へ?」
間の抜けた感じで呆けるシルビアの目の前で、クラルテが何かを念じているかのような表情を僅かに見せる。その後、そのまま何も言葉を発せず、数歩その場から後退った。
次の瞬間、目の前が僅かに淡い虹色の光に覆われ、その光の中に質素な〝ドア〟が現れた。
「へ?」
驚愕の表情を浮かべるシルビアを余所に、ドアがゆっくりと開かれ、銀髪の青年――レオが顔をのぞかせた。
第2章 風路ノ調ベ ―完―




