第20話 王弟
ベル歴995年、水の月9日、12時。
「竜の喉」での調査を終えたレオたちは、ドンクルハイツにある、ホテル「デア・モントシャイン」の部屋に箱庭経由で戻ってきた。
「腹減ったな。ルームサービスを頼もうと思うんだけど、お前らも食べるか?」
「食べるッチュ!」
「わたくしもご相伴にあずかります」
「わかった。多めに頼むよ」
レオはそう言いながら、部屋に備え付けのマナホンでルームサービスを注文した。
「さてと、改めて状況整理といこうか」レオが部屋のソファーに腰かけ、続ける。「ムゲンの牢獄で判明したのは、マタド・ク・シアの残滓、そしてその十字架の破壊された楔に残された〝マナ分裂〟の痕跡だ」
「はい」ノワルの声が僅かに沈んだ。
「そして、マナ分裂の痕跡の中に見つかったある奇妙な点が、今回の事件の最大の鍵だ」
「〝マギ・デシメート〟ッキュ?」キュートが興味深そうに尋ねた。
「ああ。ただ、正確にはその奇妙な点は、マギ・デシメートに近しい〝なにか〟だよ。これに関しては、千年近く磔にあっていたマタド・ク・シアだけの力では決して説明がつかない。出来るならとっくの昔に脱獄してんだろうからな。だからこそあの痕跡は、ヤツ以外の何者かが関与していることを強く示唆している気がするんだ」
「たしかに、その通りでございますね」
「そして、マギ・デシメートに近しい〝なにか〟の存在が、3年前の脱獄の背後にいる真の黒幕と深く関わっている可能性が高いということ。まだ全容は掴めないけどね」
「なるほど……」ノワルが小さく呟いた。
レオは立ち上がり、窓に近づき、外を見つめる。ドンクルハイツの賑やかな街並みが広がっていたが、彼の視線は遠く、その向こうにある見えない脅威を捉えているかのようだった。
「考えたくはないが、もしこれが意図的なものだとしたら……」レオの声に、深い懸念が滲む。
「意図的、でございますか……?」ノワルが息を呑んだ。
「そうだ。マギ・デシメートは、かつて世界を恐怖に陥れた。その応用技術を、今度はこのような形で利用しているとすれば、3年前のソレは、単なる〝脱獄劇〟では済まされないんだよね」
キュートがレオの頭の上で身震いする。闇蜘蛛の大聖獣の分身体であるキュートは、負の感情や悪意に敏感だ。レオの言葉から、見えない脅威の大きさを感じ取っているのだろう。
「そんなこと、誰が……」ノワルが言葉を詰まらせた。
「誰が、何のためにやっているのか、まだ検討もつかない。だが──心当たりは、ある。違うか?ノワル」
レオはノワルの目を見据える。ノワルは一瞬の逡巡の後、静かに、しかし確信に満ちた声で答えた。
「ええ……」
ノワルはレオの視線を受け止め、ゆっくりと言葉を選んだ。
「険しい山々に囲まれ国土こそ西方諸国の中では広くありませんが、何よりも……特筆すべきその技術力は、我がアイゼン王国さえも凌駕する――」
レオは無言で頷いた。ノワルはまるで言い聞かせるように、その名を口にする。
「――ドワーフの国、〝モンサン〟でございます」
「そうだな……」
「それが真であれば、まさに八英雄の国全体に関わる問題でございます」
「その通りだ。だからこそ、俺たちはアイゼンの問題を解決して、早急に動く必要がある」
その時、コンコン、と控えめなノックが部屋のドアを叩いた。
「おっ?」
レオは顔をドアに向けたあと、ノワルとキュートに目配せをする。
ノワルは素早く部屋の隅、大きな家具が落とす影の中へと身を隠し、キュートはレオの頭からひょいと飛び降りてベッドの下に潜り込んだ。
(ルームサービスが来たか)
レオは居住まいを正し、自らドアを開けた。
「貴殿が昨日の大量発生している〝コーラスゲッコ〟の巣の掃討を早急に終わらせたという、リ……――レオ?」
そこに立っていたのは、ドンクルハイツの代官にして騎士団長、そして先代公爵でもあるルーカス・プラーティンだった。彼は王弟。所謂、現国王ニクラウスの弟である。
「あっ」
レオは驚きに声を漏らしてしまう。油断していたため、誤認の眼鏡の存在を完全に失念していたのだ。
「レオ。お前を含め、クロース家はみんな死んだはずでは――」
ルーカスの問いかけは聞こえているのだが、レオは一旦、彼の周辺を確認する。どうやら彼の周りには誰もいないみたいだ。大方、「煩わしい」と言って、自身の身分を顧みず護衛をつけていないのだろう。
「おい、訊いているのか!?」
「……」
レオは改めてルーカスに視線を向けた。
齢60とは思えぬほど堂々たる体躯は、レオの二周りも大きく見える。その顔には真面目さと威厳が宿り、豪放に後ろへ流された銀色の髪は、まるで獅子のたてがみのように彼の風格を一層際立たせていた。
制服は寸分の乱れもなかったが、その完璧さをもってしても、彼の内から溢れる豪快な風格は隠しきれない。
よりによってルーカスに、素顔を見られてしまうとは。その口元には、思わず苦笑いが浮かんでしまう。
「レオ!!」
レオはルーカスの怒鳴りにも似た呼びかけにようやく現実に意識を戻す。
「あっ、すいません!ルーカス様。と、とりあえず中へ入りませんか?」
平静を装いながら、瞬時に今後の対応を組み立てていく。レオの言葉は丁寧だが、その声には強い切迫感が込められていた。
ルーカスを部屋の中へ招き入れることで、これ以上の情報が廊下に漏れるのを防ごうとしたのだ。
ルーカスはレオの真剣な眼差しに、一瞬言葉を失う。そして、彼の顔に浮かんだ苦笑いの意味を察したのか、深く息を吐き出すように言った。
「……レオ。お前という奴は、本当に……。だが、無事で何よりだ」
ルーカスは感極まったように部屋の中へ足を踏み入れた。レオはすぐにドアを閉め、ルーカスが部屋の奥に進み、ソファーに腰掛けるのを確認して、改めて彼に向き直った。
「失礼いたしました、ルーカス様。驚かせてしまったこと、心よりお詫び申し上げます」
レオは深々と頭を下げた。ルーカスの視線が、レオの顔にじっと注がれている。その瞳には、混乱と、そして深い安堵と気遣いが混じっていた。
「詫びるだけでは済まされんぞ、レオ。クロース家の者たちが死んだという報せを聞いた時、どれほど多くの者が悲しんだか、知ってのことか? 」
ルーカスの言葉に、レオは顔を上げ、彼の目を見据える。その表情には、偽りのない苦痛と、深く安堵する心が浮かんでいた。
「重々承知しております、ルーカス様。しかし、私たちの〝死〟は、ニクラウス陛下からの提案による極秘の王命でした」
「兄上が……」
「ええ。ある事態に対処するため、私たち家族の身を隠す必要があったのです」
「詳しく訊かせてもらえるか?」
「そうですね。もちろん詳しくご説明したいのですが、その前に──」
レオがルーカスへの視線を外し、部屋の奥へと軽く頷くように顎をしゃくった。
ルーカスが訝しげにそちらを見ると、部屋の奥の影からしずしずと、艶やかな黒い毛並みを持つ、一匹の黒猫が現れる。その深い紫色の瞳は、落ち着いた光を放っていた。
更にベッドの下からひょこりと顔を出したのは、真っ黒な蜘蛛の縫いぐるみのようなもの。
ノワルはルーカスの顔を見て、僅かに口元を緩める。
「お久しぶりでございます、ルーカス様」
ルーカスは驚きに目を見開く。
「まさか、ノワル殿か!?」
兄ニクラウスが王位を継いだあとに、信頼に足る者に、と紹介された聖霊の遣いが、ノワルであった。
この場に姿を現したことに、深い畏敬の念を抱いたのだろう。その顔には動揺が隠せない。
ルーカスの視線が、次にキュートに向けられる。
「そちらは……蜘蛛の縫いぐるみか?」
ルーカスは、動くぬいぐるみのようなキュートを怪訝そうに見つめた。キュートはむっとした表情で答える。
「失礼ッチュ!キュートはカドリー様の分身体ッチュ!」
「なんと!カドリー様の!それは大変失礼いたした!」
「わかればいいッチュ!」
キュートが納得した素振りを見せると、ノワルが一歩前へ出る。
「それでは、ルーカス様。わたくしの方から経緯の説明を」
ノワルがレオに代わって、これまでの経緯をルーカスに説明した。
ノワルの説明が終わり、ルーカスの表情には深い納得と、同時に重い決意が浮かんでいた。
ルーカスは立ち上がり窓に近づく。黙って窓の外を見つめ、ドンクルハイツの街並みを複雑な面持ちで見下ろした。
「……信じられん話だが、ノワル殿の言葉だ。それに、レオ。お前が生きていたこと自体が、何よりの証拠だろう」
ルーカスは静かにそう呟くと、再びレオに向き直る。その眼差しは、先ほどの混乱や安堵から一転し、代官、そして王弟としての揺るぎない覚悟を宿していた。
「状況は理解した。オリバーめ、まさかそこまで堕ちるとは……。そして、マタド・ク・シアの影があるとなれば、これはアイゼン王国だけの問題では済まされない」
彼は深く頷き、レオにまっすぐな視線を向ける。
「レオ……ならば、お前はこの状況で、どう動くつもりだ?」
その言葉には、状況を把握した上で、レオの次の一手を試すような響きがあった。
レオはルーカスの問いに、即座に答えた。
「ルーカス様。ご存じの通り、我々は本来身を隠している身。ここドンクルハイツで、貴方様とこうしてお会いする予定は、正直なところ全くありませんでした。しかし、これもまた巡り合わせと申すべきか……ルーカス様がこの場にいらっしゃる。陛下からの内命と、ノワルの協力はありますが、現状を鑑みれば、この状況を好機と捉え、ルーカス様のお力をお借りしたいと強く願っております」
レオは一歩踏み出し、真剣な眼差しでルーカスを見上げる。
「当初我々は、オリバー殿下が王位を求めるゆえに、ハンス第三王子殿下が狙われていると考えておりました。もちろん、その危険は今も看過できません。ですが、≪ムゲンの牢獄≫での調査、王都でのオリバー殿下の動き、ノワルや陛下の話、そして私の推測を総合するに、マタド・ク・シアの真の狙いは、聖域の鍵【月の紋のレガリア】と、闇の大聖霊オスクネス様にある可能性が高いと考えております」
レオは更に言葉に力を込める。
「そして、このドンクルハイツは、オスクネス様の聖域を守る防衛都市でもあります。もし、マタド・ク・シアの狙いがオスクネス様にあるとすれば、私の推測ではありますが、このドンクルハイツもまた、その陰謀の渦中に巻き込まれることになりかねません」
レオはルーカスの目を見据え、続ける。
「オリバー王子とミルヴィウス、そして彼らを操るかもしれない真の黒幕に対抗するには、ドンクルハイツの騎士団、そしてルーカス様の影響力が不可欠です。どうか、我々に力を貸していただけませんか?」
ルーカスはレオの言葉をじっと聞き、その瞳の奥に宿る決意を測るように見つめた。彼は腕を組み、しばしの沈黙の後、ゆっくりと口を開く。
「なるほど。だがな、力を貸す? そうは申すが、具体的にどのように協力すればよいのだ?」
「そこまで難しいことではございません。まず、私がこのドンクルハイツに自由に出入りすることを許可していただきたいのです」
「この地か? しかし、レオ、お前は今、ごく普通にドンクルハイツに滞在しているではないか。特に不審な動きもなければ、出入りを咎める理由はないはずだが?」
レオは首を横に振る。
「いえ。それでは不十分なのです。これをご覧ください」
そう言って、レオは時空属性の収納魔法である≪クロノボックス≫から、鍵型のアイテム、ベルコネクトを取り出し、ルーカスの手のひらに置く。
「これは、聖霊王ベル・ラシル様から預かった箱庭への鍵、【ベルコネクト】です。これを使えば箱庭を通して、一度行ったことのある場所にいつでも移動することが出来ます」
ルーカスの顔に驚愕の色が広がる。その鍵をを握りしめ、その信じがたい力に戦慄した。
「なんと! そのようなものが……。レオ、お前は一体……」
「それについてはまたいずれお話いたします。ですが今は、私の言葉を信じてはいただけないでしょうか?」
ルーカスは【ベルコネクト】をじっと見つめ、その重みと意味を測るように目を閉じる。聖霊王から与えられたというその力が、どれほどのものか、彼は瞬時に理解した。
目を開くと、レオの真剣な瞳を正面から見据える。
「……信じよう。いや、信じるしかないだろう。ノワル殿にカドリー様の分身体。さらに聖霊王の名まで出ては、流石の私も疑いきれん」
ルーカスは【ベルコネクト】をレオに返し、深く頷く。
「この力があれば、確かにドンクルハイツの自由な出入り、などという話では済まされん。お前がいつ、どこから現れるか、誰も把握できなくなる。それは警備上、大きな問題だ」
「はい。だからこそ、ご協力をお願いしたいのです」
「分かった。ならば、お前がいつでもドンクルハイツに滞在し、必要に応じて訪れることのできる場所を私が用意しよう」
ルーカスの言葉に、レオの表情に安堵が浮かぶ。
「ありがとうございます、ルーカス様。ですが、どこか人目につかない場所でなければ……」
「心配いらん。私の屋敷の一室はどうだ?」
ルーカスは腕を組み、堂々と言い放った。
「ルーカス様の屋敷ですか?」
「ああ。私の執務室の隣に、普段誰も使わない書斎がある。そこならば、警備も厳重ゆえ、誰かが侵入する心配はないし、お前が不意に現れても、私の目の届く範囲だ。そこを、お前の新たな転移場所として設定すればよい。そこからであれば、ドンクルハイツ内での行動も容易になるだろう」
レオは目を見張った。代官であるルーカスの屋敷、それも執務室の隣という、最も安全で、かつ情報へのアクセスも容易な場所。これほど好都合な提案はない。
「よろしいのでございますか、ルーカス様? そこまでしていただいて……」
「うむ。お前の話が真実であれば、これはアイゼン王国、ひいては八英雄の国々全てに関わる重大事。私の屋敷の一室など、安いものだ。それに、お前を目の届く範囲に置いておけば、何かと都合が良い」
ルーカスはそう言って、わずかに口元を吊り上げた。
「たとえ私が不在だったとしても、屋敷の者たちは、私が信頼している者しか置いておらぬ。皆、口も堅い。話は通しておこう」
その表情には、レオへの信頼と、今回の事態への強い責任感がにじみ出ていた。
「感謝いたします。では、後ほどその場所を……」
「いまから行くぞ!」
「は?」
「なにか?」
「いえ、よろしいので?」
「かまわん。こういうことは早いほうが良い」
そう言ってルーカスがドアに向かい歩き出す。
「あ!ルーカス様!」
「なんだ?」
「いや、そのお……非常に申し上げにくいのですが」
「だから、なんだというのだ?」
レオは、ルーカスの鋭い視線を受けながらも、恐縮したように言葉を続ける。
「いえ。ルームサービスを頼んでおりまして」
「なにぃ!?」
ルーカスは、レオのまさかの言葉に、一瞬呆けたような顔をした後、大きく目を見開いた。
その声は、ホテルの部屋のドアへ向かおうとしていた彼の足取りを、ぴたりと止めさせた。
レオの顔には、申し訳なさそうな、しかしどこか必死な表情が浮かんでいる。今回の件は、一刻を争う事態であるとレオ自身が強く感じていたからだ。
ルーカスの行動は、彼の言葉以上に、その覚悟を示していた。




