第14話 王宮への導入曲
時は遡り、ベル歴995年、風の月44日。王族配信の24日前。
箱庭の屋敷の二階、裏庭を望むバルコニー。
陽だまりが心地よく降り注ぐその場所で、ノワルは手すりの上にお座りしていた。漆黒の毛並みを持つ猫がそのように座するのはごく自然な光景だが、彼のどこか老成したような瞳が、バルコニーに立つレオと相対している。
「王家嫡男でございます、第一王子のオリバー様が、新しい側近を迎え入れたのでございます」
ノワルの声は、いつものように若く紳士的な男性が語りかけるような優しさを帯びているが、感情の起伏を一切感じさせない。淡々とした事実の羅列であった。
「それがなにか問題あるのか?」レオが尋ねた。
「ええ、実はこの新しい側近というお方が、政治学者のミルヴィウスという者なのですが……」ノワルは、相変わらず感情を見せることなく続ける。「わたくしも記事で、彼の論文を読んだことがあるのでございます」
「うん」
「彼の政治的思想は、八英雄の国にとって根底から覆しかねないほどの大変危険なものでございまして……。簡単にご説明申し上げますと、『八英雄の国に恭順しない国は、たとえ同盟国であろうと、徹底的な強硬手段を以て、服従させるべきである』というものでございました」
ノワルの淡々とした説明を聞き終え、レオの眉間の皺が深く刻まれる。穏やかな箱庭の空気が、わずかに張り詰めた気がした。
「そいつはどうも、穏やかじゃないね。そんな奴をオリバー殿下はお側においた、と」レオの声がやや低くなった。
「さようでございます」
ノワルは、わずかに顎を引く仕草で、肯定を示す。
「なるほどな」レオは目を閉じ、そしてゆっくりと開く。「ノワル。お前もそうなんだが、陛下やトーマスさんの意見はどんな感じなんだ?」
「憶測の域は出ませんが、わたくしどもの出した答えは〝虚飾の関与〟でございます」
「そうか……」
レオはバルコニーの手摺に両肘を深く預け直し、顎をその腕に乗せ、目を閉じて思索し始めた。
ノワルは黙ってその時間を待つ。
しばらくして、目を開いたレオは、中庭に向いたままの姿勢で口を開く。
「ノワル。陛下に会わせてくれないか?」
「ニクラウス王に、でございますか?」
「ああ」
「なにか良い案でも浮かばれたので?」
「まあな」
「では、すぐに王に尋ねてまいりま――」
「あ、待ってくれ」
レオはバルコニーから今にも飛び降りようとするノワルを呼び止めた。
「その前に確認しないとな」
レオは額の辺りに集中するようにマナを集める。
〘みんなー。頼みがあるんだが、手伝ってくれるかな?〙
レオの念話が目の前のノワルを含めた、すべての聖猫たちにつながった。
〘なによ?〙〘なんスかー?〙〘なんでありんすか?〙〘なんですの?〙〘ん?〙〘なんだよ?〙〘なんなのです?〙
ノワル以外のすべての猫が応答した。
それを確認したレオが、先程考えた内容を説明したのだった。
数時間後。
王都エルンツ、シュタイン宮殿。
王の執務室のドアがノックされた。
王付きの執事、トーマス・モントシュタインが確認する。
「なにか?」トーマスが尋ねた。
「ノイアー殿がいらっしゃいました」
執務室のドア前で警備していた近衛騎士が応えた。
トーマスがニクラウス王を見遣ると、王はわずかに首肯する。それを確認したトーマスは、お通し下さい、とドアの向こうの近衛騎士に言った。
どうぞ、とノイアーを執務室へと促す。
「ありがとうございます」
ノイアーが恭しく礼を告げ、王の前に立つ。
「ノイアー殿。どうされたのかな?」
「ええ。その前に、こちらの部屋に防音結界をお願い出来ますでしょうか」
「なるほど、承知した。トーマス、防音結界を。この部屋には誰も入れぬように」
「かしこまりました」
トーマスはニクラウスの命に従い、王の執務室の防音結界を作動させると、表の近衛騎士たちに、誰一人通さぬように、と命じた。
「陛下、準備整いました」トーマスが言った。
「うむ。では、ノイアー殿、話を聞こう」
「ありがとうございます。先程わたくしはレオ様のもとへ赴き、例の内容を告げてまいりました」
「レオに?あー、たしかノイアー殿、いや、ノワル殿の新しい主になったんだったな」
「さようでございます」
「そのために彼らを辺境へと逃した。今思えば、他にも方法があったのでは、と考えることがあるよ」
「時間がございませんでしたので。稚拙ではございましたが、致し方がなかったかと」
「そうではあるのだがな。いや、今更遅そいな」ニクラウスの表情に僅かな影が落ちたが、直ぐに気を取り直す。「して、レオはなんと?」
「ええ。それについてなのですが……。この場にレオ様をお呼びしても?」ノイアーが尋ねた。
「ん?レオを?彼はアハートであろう?今この宮殿におるのか?」
「いえ。レオ様は王都にすらおりません」
「では、どのようにしてこちらに参るのだ?」
「箱庭より、こちらへ」
「箱庭?あー、ベル様が創られたという次元の空間か。以前云っておったな。だが、そこからこちらへ?接続紋はないはずだが」
「わたくしの〝目〟を通してこちらに来れるようになっております」
「なんと!それは素晴らしい。……だが、使うヒトがヒトならかなり危険になりうるな」
ニクラウスが腕を組んで唸った。
「さようでございますが、ニクラウス様はレオ様の為人をご存知でございますよね。なら間違いはございません。わたくしの名においても保証致しましょう。現にこうして、王に謁見できるよう、しっかり尋ねてきてほしい、と申しつけられておりますので」
「いやはや、聖猫様にそこまで云わせてしまったか、失礼した。そうか。そうだな。あい、わかった。レオを、私の孫をここに呼ぶがいい」
ニクラウスの語気は冷静だが、表情は僅かだが緩んでいるように見える。
ニクラウスとしては、彼らを守るためとは言ったものの、娘夫婦と孫を辺境へ追いやってしまった形なのだ。
仕方なしと言えど、罪悪感もまたある。
それに加え立場上そう易々と会えるはずもなく、万が一にも露呈してしまったのであれば、全てが水泡に帰す。
ノワルから定期的にクロース家の安否の報せを受けてはいたが、そこはかとなく寂しい想いもあったのだ。
「では……」
ノワルはそう言うと、その場から二歩ほど後ろに下がった。
ノワルが先程まで居た場所に長方形の淡い光が現れ、数瞬後に質素なドアが現れた。
ニクラウスとトーマスが目を見張る。
現れたドアがゆっくりと開く。そこから顔を覗かせたのは、銀色の髪の端正な顔立ちの青年、レオだ。
レオがドアから出て、その扉を閉めると、まるで霧散したかのように消失した。
レオがニクラウスの前で姿勢を正す。
「陛下、このような形でのご無礼、誠に申し訳ございません。突然の申し出に対しても、格別のご配慮、痛み入ります」
「よい。他ならぬ其方の頼みだ。そう堅苦しくなるでない」
「ありがとうございます」
恭しく礼をするレオ。その姿を見てニクラウスは、ほう、と感嘆する。
「成長したな、レオ。見違えたぞ」
「それは陛下のお力添えと両親の教育があってこそのこと。おかげさまで無事成人を迎えることができました」
レオは穏やかに微笑み、その表情には辺境での苦労を微塵も感じさせない。
ニクラウスは満足げに頷き、椅子に座ったまま続ける。
「そうか、そうか……。しかし、まさかこんな形で、しかも其方から会いに来てくれるとはな。思えば、3年の月日が流れたか。この目でこうして、其方が立派になった姿を見られて嬉しいぞ。それにしても、そちらでの暮らしは、どうだ?オスヴァルトや、エリーザ、マルクスは息災か?」
ニクラウスの言葉には、数年の別離による寂しさと、再会の喜びがにじみ出ていた。
王としての威厳の裏に隠された、祖父としての素顔が垣間見える。
「はい、おかげさまで。皆、健やかに過ごしております。父は『修理屋オスカー』として、辺境の地で私や兄マルクスと共に腕を振るい、皆から頼りにされています。母も、慣れない環境の中で、家族を支え、明るく暮らしております。ご心配には及ばないかと思います」
レオもまた、深い敬意を払いながらも、どこか懐かしむような眼差しを王に向ける。二人の間には、血縁が紡ぐ温かな空気が流れ始めた。
「うむ、そうか!魔道具開発局長が修理屋とは、なんともまた贅沢よの。とはいえ、オスヴァルトも『修理屋オスカー』として、そちらで馴染んでおるか、それは何より。エリーザも慣れない環境でも順応しておるとは、さすが我が娘だな。お主とマルクスも父を手伝って働いておるとは、頼もしい限りだ。皆が健やかに過ごしていると聞いて、安心したぞ。本当に、よくぞここまで……」
ニクラウスが感慨深げにレオと会話を続けていると、トーマスが一つ咳払いをする。
「陛下。積もるお話もございますでしょうが、レオ様のご用件をお伺いになっては」
「ん?あー、そうであったな。すまんすまん。して、レオや。ノワル殿の話を訊いてこちらに赴こうと考えたのであろう?なにか手立てでも考えたのかね?」
「ええ。その前に伺っておきたいことがあります」
「なにかな?」
「私も3年間、王都を離れておりましたので、情報を一度更新、整理しておきたくて……」
「ふむ」
「陛下。直近でこの国で行われる大々的なイベントは〝立太子〟のみですか?」
「そうだな。各都市での催事までは把握出来てはおらんが、現在アイゼン王国としての大きな予定はそれしかないな。であろう?トーマス」
「ええ。陛下のおっしゃる通り、現時点での予定は立太子のみかと」
ニクラウスとトーマスの返答を聞き、レオが僅かに俯き、顎を摘む。
「となると、目的はやはりハンス殿下かな?」そう言ったあと、レオが視線をニクラウスに戻す。「陛下。オリバー殿下に新たな側仕えをおかせることは可能ですか?例えば、メイドとか」
「私の命で現在のメイドたちに適当な理由で暇を与えれば……まあ、だいぶ警戒されるとは思うが、可能ではある。だが、新たなメイドとな?」
「ええ。それについては、こちらで用意しています」
レオはそう言うと、両掌を自身の前に下向きに掲げる。その掌が向く先。床より少し上の空間に、時空属性の接続紋が浮かび上がった。
「来い。ルジュ!シャルル!」
僅かに張ったレオの言葉の終わりと同時に、接続紋が輝く。数瞬後、それぞれの接続紋の上に、三毛猫と灰色猫が現れた。
レオと聖猫との契約によって新たに得たスキル。≪召喚≫である。
「なんとっ!」
ニクラウスが、思わず声を上げて驚く。冷静沈着なトーマスですら、本日最大級の驚愕の表情を浮かべた。
「ああっ、すみません!事前に話しておくべきでした」
「いやいや、たしかに驚いたが、気にするな。で、そちらの猫はまさか……」
「ええ、こちらの灰色猫が――」
「はじめまして、アイゼン王。ワタシは氷の聖猫アンシャのシャルルよ」
「オッス!ボクは火の聖猫アンシャ、ルジュっス!」
灰色猫と三毛猫がレオの発言を制して自己紹介をした。
「おおっ!おおっ!ノワル殿と同じ聖猫殿であるか!氷と火とは、ティアゾンとゲンマの聖霊の遣い様か!」
「ええ。陛下もノワルから訊いて存じ上げているでしょうが、各八英雄の国に仕える聖猫も私と契約しているので、こうして≪召喚≫することができるのです」
「なるほどの。では、お二方もヒト化で……」
「その通りです。シャルルにルジュ、頼む」
「「了解」」
ルジュとシャルルは同時に、まるで空気中の光を集めるかのように輝き出した。ルジュは赤い光。シャルルはアイスブルーの光だ。
輝きが収まった後、そこに立っていたのは、先ほどの猫の姿とは全く異なる二人の少女だった。
一人は、アイスブルーのロングヘアを持つ、クールな印象の18歳前後の女性。彼女はきちんと整えられたロングスカートのメイド服を身につけていた。
もう一人は、赤髪のツインテールが特徴的な、15歳前後の快活そうな少女。彼女もまた、可愛らしいフリルのついたメイド服を纏っていた。
猫の面影を若干残しながらも、堂々とした人間の姿でそこに立つ。
「あらためまして、シャリーナと申します」
クールな表情のまま、シャルル――シャリーナ――が優雅に一礼する。
「ルビアです!」
ルジュ――ルビア――は満面の笑みで、元気いっぱいに片手を挙げて見せた。
「こちらのクールなメイドが〝シャリーナ〟。そして、こちらの元気なメイドが〝ルビア〟。この〝二名〟をオリバー殿下の側仕えとして、王宮に仕えさせたいと考えています」
レオはそう言って、今回の案をニクラウスに話し始めたのだった。




