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04.オークション

 シャリュー男爵夫人のお茶会から数日。社交界を駆け巡ったのは、これまでとは正反対の驚きに満ちた噂だった。

「リーミエン夫人とヘリオス嬢が、お揃いのブローチを着けていた」

「不仲どころか、かなり親しげに話していた」

「脅されているなんて、誰が言い出したのか」

 噂は瞬く間に広がり、最初は嘲笑や好奇の混じった囁きだったものに、次第に「意外な友情」「意外な優雅さ」という好意的なニュアンスも含まれていった。

「友情ねえ」

「芝居じゃないの?」

 そんな疑いも混じっていたが、複数の目撃証言が重なるにつれ、露骨な嘲笑は少しずつ減っていった。

 特に、シャリュー男爵夫人が「お二人がとてもお似合いだったわ」と微笑みながら語ったことが、噂に重みを加えた。


 リーミエン屋敷のサロンでは、そんな噂が使用人たちの間にも届いている。

 ロベールは静かに耳を傾けながら、内心で小さく頷いていた。

 彼自身、アイレの仕事ぶりを見てから見立てを変えていたが、周囲の空気がここまで変わるとは思っていなかった。

 噂の好転は、単なるお茶会の出来事以上の意味を持っていた――あれは演技ではないだろう。

 一方、レイスはオークション準備の合間に耳に入る噂を、心の中でぼんやりと反芻していた。


 準備に追われる日々が過ぎ、オークション当日が訪れた。

 サロンは招待客で溢れている。アイレが今日のためにと枠を増やした人々も、軽食を頼んでいた。


 シャンデリアの柔らかな光が、古い絵画や彫刻、宝石の輝きを優しく照らし出す。

 壁一面に並んだ商品は、レイスの旅先で集めたものと、アイレが目録に記した詳細な解説が添えられており、招待客たちの視線を集めていた。

 特に、アイレが提案した「新興貴族の若手コレクター」や「投資家」たちを招待したことで、普段より入札の熱気が高い。


 レイスは壇上に立ち、いつもの飄々とした笑みを浮かべながら司会を始めた。


「おやおや、今日はいつもより賑やかですね。皆さん、掘り出し物を求めてお越しくださったようで……これは嬉しい限りです」


 彼の声がサロンに響くと、客席から軽い笑いが漏れた。

 レイスは一つ一つの商品を手に取り、歴史や逸話を語りながら鑑定を進める。

 その目は鋭く、言葉は的確で、まるで古い美術品に語りかけるように優しい。

 アイレは客間からその様子を眺め、レイスの招待客の視線を集める話術に関心を寄せた。


 一方、アイレも夫人として客席の間を回り、招待客に軽く挨拶を交わしていた。

 挨拶をした何人かの貴婦人が、アイレの背後で囁き合う。


「ヘリオス様との噂にリーミエン卿とお揃いのドレス……」

「払拭のおつもりかしら」


 アイレは扇で口元を隠した。今着ているドレスは――いつの間にかレイスが用意していたものだ。

 ドレスにアイレ自身は関与していないのだが、彼女たちが知るすべもない。

 アイレはそんな囁きを背に受けながらも、静かに歩みを進めた。


 オークションは順調に進み、落札が次々と決まっていく。

 しかし、中盤に差し掛かった頃、異変が起きた。


「――四万ゴールド」


 出品されていたのは、レイスが東方の小国で手に入れたという、繊細な銀細工の燭台。

 目録に記された適正価格の倍近い数字に、会場がどよめく。

 声を上げたのは、最前列に陣取った若者――ヴィンセント・カーライルだった。新興貴族の家系から急速に頭角を現した若手実業家で、レイスと同世代の男だ。

 レイスがヴィンセントへ視線を送ると、彼もそれに気付いたようで、口の左側をにんまりと曲げ、挑戦的な顔をしてみせた。


「……おや、カーライル卿。随分と景気が良いようだね。だが、この燭台にそれほどの価値を見出すとは驚いたよ」


 レイスが苦笑混じりに受け流そうとするが、ヴィンセントは鼻で笑った。


「価値を決めるのは鑑定士()じゃない。市場だよ……もっとも、君の鑑定は市場を動かすがね」


 ヴィンセントの言葉に、客席の一部から動揺の声が漏れた。レイスの鑑定に全幅の信頼を置いている客たちにとって、今の発言は「自分たちが騙されているのではないか」という不安の種になりかねない。

 ――しかし、レイスは飄々とした笑みを崩さなかった。


「僕のことを買い被り過ぎだよ、カーライル卿。ここは()のオークションだが――価格はお客様のものさ」


 レイスは肩をすくめてヴィンセントを見つめた。

 レイスの言葉に、会場の張り詰めた空気がわずかに緩んだ。

「鑑定士が価格を操っている」というヴィンセントの嫌味を、「ここは自由な競り(オークション)の場だ」という正論で軽やかに受け流したのだ。

 ヴィンセントは肩の力を抜き、満足げに小さく頷いた。


「ふ……他にあれを落札したい方はいるかな?」


 誰も声を上げず、静寂の中で次の入札を待つばかりだった。


「――では、落札だ! おめでとう、カーライル卿」


 レイスの軽やかな声と共に、木槌が小気味よい音を立てて打ち下ろされる。

 ヴィンセントは満足げに唇の端を上げると、一度だけレイスに顎を引いて見せ、そのまま悠然と席に深く腰を下ろした。

 その後、オークションは滞りなく進み、レイスが持ち帰った異国の宝物たちは、次々と新たな主人のもとへと旅立っていった。


 その傍ら、アイレは、客間で不安げな表情を浮かべた年配の侯爵夫人へそっと耳を貸した。


「……カーライル卿は、情熱的な実業家でいらっしゃいますもの。閣下が旅先で命懸けで持ち帰った『物語』に、それほどまでの対価を払いたい……それもまた、このオークションが認める自由な価値の一つですわ」


 柔らかな、けれど拒絶を許さない響き。客席の疑念は静かに解れ、代わりに新たな期待が満ちていった。

 彼女が通った後の客席からは、疑念のさざ波が消え、代わりに「これほどまでの熱狂を生む品なのだ」という新たな期待が満ちていった。




 オークションが終わりを迎え、サロンのシャンデリアが徐々に灯りを落としていく頃、レイスは壇上から降りてアイレのもとへ歩み寄った。

 ネクタイを緩め、いつもの飄々とした笑みを浮かべながらも、目には少しだけ興奮と――そして感謝が混じっていた。


「お疲れ様、無事終わったね」

「ええ、お疲れ様でしたわ」


 アイレは扇を軽く畳み、視線を少し落とす。


「……貴方のオークションが、こんなに美しいものだとは……初めて知りましたわ」


 人々の美術品を見る目やその熱気は、いまだかつて体験したことのない熱量だった。主催者側にいながら、アイレは内心その熱気に圧倒されていた。

 シャンデリアの光を拾っては瞬くアイレの瞼を見つめながら、レイスは心の中で小さく頷いた。

 彼女の姿勢、所作、客の反応を冷静に観察する目……すべてが、ただの形式や表面的な振る舞いではないことを示していた。

 言葉にする前に、レイスは笑みを浮かべ直す。

 アイレはレイスの視線に気付いてほんの一瞬顔を上げた。


「……何か?」

「いや――素晴らしいなぁと思ってね」


 レイスの声は飄々としているが、瞳には確かな賞賛と信頼が宿っていた。

 アイレは一瞬戸惑うが、やがて微笑みを返す。


「……ありがとうございます、旦那様」


 アイレの表情を確認したレイスは、ゆっくりアイレと視線を交わす。


「……また、次も一緒にやろうか」


 アイレは小さく頷き、視線をレイスに返した。

 その瞳に、今までよりも柔らかな温かさが宿った。

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