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03.北風と旅人

 屋敷までの道のり、レイスは複雑な心境で馬車に揺られていた。

 旅先では様々な情報が耳に入ってくる。その中に――というより、レイスのことを知っている人物からは、故郷の噂も流れてきた。

「リーミエン夫人は、ヘリオス令嬢を脅して無理やり従わせている」

「リーミエン夫人とヘリオス嬢がお茶会をしている」

「舞踏会でヘリオス様が跪いて謝罪させられた」

「ヘリオス嬢は舞踏会でリーミエン夫人を庇った」

「リーミエン夫人は仕事もせず遊んでばかりいる」

 良い噂も悪い噂も、尾ひれも背びれもついて回るもの。

 レイスはそのことをよく知っていた。

 現に、幼馴染であるファス・ヘリオスは社交界で「いつも笑顔を浮かべた春の太陽のような人だ」などという噂をされている。確かにレイスから見てもファスはいつもで微笑んでいるが、幼い頃はそうでもなかった。どちらかというと、大人しく、あまり表に感情を出さない性格だったはずだ。

 けれど物心がついた頃から、ファスは笑うようになった。最初こそ気が付かなかったが、レイス自身が家業と関われば関わるほど、彼女の笑顔が「本物」ではないことに気付くことになっていく。それは、まるで古い肖像画に描かれた微笑みのように、完璧すぎて、どこか空虚だった。

 ただ、それがヘリオス家の事情であることはレイスにも分かっていたし、レイスも「こういう態度」でいる身だ。彼女の振る舞いに疑問はない。

 けれど――レイスは、噂よりもフォスがそれを否定していないことの方が気になっていた。


「……リーミエン伯爵夫人、か」


 ロベールからの報告では、アイレは使用人の仕事の確認からオークション用の招待状の作成、商品の目録作成など、夫人としても仕事をしっかりとこなしているらしい。

 レイスとフォスの、どこから出たのか分からない噂に怒るかと思っていたが、あの派手な外見からは想像できないほど冷静な対応をとっている。

 これはロベールからの情報なので、間違いはないのだろう。

 レイスは頬杖をつき、窓の外を流れる景色を眺めた。

 馬車の車輪の軋みが、屋敷へ近づいていることだけを静かに告げていた。




「おかえりなさいませ」


 使用人やロベールと共にレイスの帰還を迎えたアイレに、レイスはどこか懐かしい気持ちになる――昔、似た光景を見たことがある気がした。


「ただいま。ロベールから聞いてるよ、君の仕事ぶり」

「わたくしはリーミエン家の者として、当然のことしかしておりませんわ」

「はは、謙遜しなくたっていいのに」


 レイスのおどけた口調にも、アイレは表情を崩さなかった。食事や湯あみの準備が出来ると残し、彼女はその場を去った。

 出発前の毛羽立った空気は消え、もう誰もアイレを拒んでいないこの雰囲気に、レイスは「所詮は噂か」と安堵する。


 レイスが湯あみを終え、ロベールが淹れた茶を口にする。いつもと変わらない自室で、いつもと変わらない味を楽しみながら、アイレの作った商品目録に目を通していく。

 目録には骨董品の特徴も書かれている。また、絵画には画家の名前も記録されている。

 それからアイレがオークション招待客候補も何人か挙げたらしく、ロベールはレイスに彼らを招待するかの確認をとった。次のオークションに出品する物を踏まえて、根拠もハッキリ明言されている。

 何故彼女にあんな噂が――と考えたところで、自分にもその一因があることを改めて認識した。


「アイレとフォスは、どうしてる?」


 ロベールは一度片方の眉を上げ、斜め上を見た。その後すぐに目を瞑り、いつもの調子で答えた。


「お二人は大変良い関係を築かれているご様子です。……詳しくは、ご覧になればすぐにお分かりになるかと」


 窓の外では、柔らかな陽光が庭を照らしていた。




 ***




「アイレ様は何色がお好きなんですか?」


 リーミエン家のドローイング・ルームでくつろいでいたある日の午後、フォスがアイレにそう尋ねた。

 フォスの目はキラキラ輝き、気になって仕方がないといった様子だ。


「わたくしは……白や黄色の明るい色が好みですわ」


 深い緑のドレスを着たアイレが、視線を落として答えた。自分の顔の造形に、それらの色が似合わないのは分かっている。けれど見ているだけで明るい気分になれる色を、アイレは好んでいた。

 しかし、アイレが白い衣装を着たのは、最近では結婚式の時くらいだろう。


「いいですよね、明るい色って。見てて元気になります」


 金色の髪をしたフォスが、控え目に笑った。舞踏会で見せた太陽のような笑顔ではなく、小さな笑顔だった。


「私はワインレッドとか深めの色が好きなんです……あまり身に着けたことはないんですけどね」


 言葉にはしなかったが、きっとフォスも似たようなことを言われたんだと分かる。


「フォス様は、どんなお色も似合いますわ」


 それを聞いたフォスは一層楽しそうに、けれど小さく笑った。


「いいことを思いつきました。アイレ様も今度のシャリュー男爵夫人のお茶会に参加されますよね? その時に、何かお揃いの物を身に着けませんか?」


 フォスはあれがいいこれがいい、色はこれで、色違いの方がいいかも、と話をどんどん進めている。

 表情自体に大きな変化はないが、目が本当に輝いており、彼女の感情がすぐに読み取れる。


「……ふふ」


 アイレは思わず笑みを零した。


「アイレ様? 希望のアクセサリーはありますか?」


 フォスの中ではすでにアクセサリーに決まったらしく、キョトンとした顔でアイレを見つめている。茶色の瞳も相まって、まるで子リスのようだ。

 思い返せば、アイレには友だちと呼べる友だちがいなかった。フォスのように幼馴染と呼べる存在もいないし、幼い頃は勉強が中心だった。

 そのため、こんな会話の経験があまりしたことがない。今更ながら、友だちとのおしゃべりがこんなに楽しいものなのだと、初めて知った。


「いえ――ブローチなんていかがでしょうか」


 アイレがそう提案すると、ファスはぱっと顔を輝かせた。


「ブローチ! 素晴らしいです、アイレ様。同じデザインで、色違いにしましょうか? それとも形は同じで、宝石の色をそれぞれの好みに合わせて……」


 ファスは指を折りながら、楽しげにアイデアを並べていく。

 普段の社交界で見せる完璧な笑顔とは違う、純粋に「今、この瞬間が楽しい」という表情。

 アイレはそんなファスを見つめながら、胸の奥が柔らかく温かくなるのを感じた。


「わたくしは、白や淡い黄色の花をモチーフにしたものがいいですわ……小鳥が止まりそうな、明るいデザインの」


 アイレは少し照れながら言った。

 重い宝石の首飾りやドレスに縛られる日常では、決して選ばないような、軽やかで無邪気なもの。

 でも、ファスとなら――それが許される気がした。

 ファスは目を細めて頷いた。


「いいですね! ではアイレ様は白いバラ、私はワインレッドのバラをあしらったものにしませんか? 色違いのお揃いブローチ。シャリュー男爵夫人のお茶会で、二人でつけていったら……きっと、皆さま驚かれますよ」


 アイレが少し眉を寄せると、ファスは小さく首を振った。


「……私、アイレ様と一緒にいるのが、楽しいんです」


 ファスの声は、いつもの柔らかなトーンより、少しだけ低く、真剣だった。

 アイレは言葉に詰まり、代わりにそっと微笑んだ。


「……わたくしも、ですわ。ファス様」


 二人は顔を見合わせて、くすりと笑い合った。

 庭の花々が風に揺れる音だけが、静かなドローイング・ルームに響いていた。

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