宇宙人の案内役を仰せつかりました
「案内役を仰せつかりました内田桜です」
私は目の前の人物を見た。外見は男性に見えるが事前に読んだ資料によると、雌雄の区別はないらしい。
「リュクス、と呼んでください。どうやら私の名前は地球人には発音しにくいようで。先に伺った英国でも米国でもそう呼ばれていましたから。あぁ、呼び捨てで結構ですよ。私も桜とファーストネームで呼びますから」
流暢に話すリュクスに私は頷いた。宇宙人と聞いていたが、頭によく見ないと分からないくらい小さい角が生えていることと鮮やかな緑の髪以外は外見も地球人と変わらない。
「日本語がお上手なんですね」
小さな声で感想を言う私にリュクスは笑いながら髪をかきあげ、耳についている器具をトントンと叩いた。
「これです」
「それは?」
「自動で相手の話す言葉を母国語に変換する機械です。見えませんが声帯にも同じような器具が埋め込まれているので、話す方も問題ありませんよ」
私は納得したように頷いた後内心で呟いた。
(案内するの、私でなくても良かったじゃん)
七カ国語喋れるからとこの宇宙人の案内を押し付けられたけど、本来なら今頃は政府要人の付き添い兼通訳として会談に臨んでいたのだ。外務省職員の人間として、誉れある通訳の仕事よりも優先されたのが宇宙人の案内役だなんて。私の様子を見つめたリュクスは丁寧に頭を下げた。
「ご迷惑をお掛けしますが一ヶ月程、よろしくお願いします」
日本人といって遜色ない程、美しい所作の礼だった。私も負けじと返礼する。
「畏まりました。何かご要望がありましたら何なりと仰ってください」
リュクスは私の言葉を受けて、では早速、と懐から小さな機械を取り出したのだった。
リュクスの星――惑星TOOWAと呼ばれているが――の知識は地球よりも遥かに進んでいた。そもそも五億光年離れた惑星から別の銀河系に属する地球まで来れる技術があるのだ。わざわざ地球、それも日本で学ぶことはないだろうと高を括っていた私とは反対に、リュクスは熱心だった。
彼が主に関心を持っていたのは、食と住まいにファッション。俗に言う衣食住であった。
「僕の星ではこんなに多様な世界は広がってませんから」
私が詳しく聞いたところによると、リュクスの星ではすべてに置いて画一的らしい。そもそもTOOWAの人間は基本的に食事をしなくても光と水があれば生きていけるようだ。
「地球でいうウミウシのようなものです。口から栄養を摂取する方が効率はいいですが、無くても生きていける。なので僕は地球まで来ることが出来たんです」
TOOWAの技術で地球に来るまでどれくらいかかるか理系の知識に乏しい私には想像も出来ないが、もし地球人が別の星に行くとなると問題になるのは食事と排泄だろう。どちらも不要となるとグッとハードルは下がる。
「ですので、僕の星では食に重きを置いていないんです。同じように雌雄の区別もないですから服装も皆同じですし、場所によって気候が変わることもありませんので、住まいも皆同じです」
「どうやって互いを見分けるのですか?」
リュクスは頭の角を指し示した。
「ここの形や大きさが皆、微妙に違うのです。それで互いを識別します」
信じられない。例えていうなら目の部分だけで相手を見分けろと言っているようなものだ。私の疑問にリュクスは笑った。
「僕にとってはきらびやかに着飾っている中で互いを見分けている地球人の方が驚きです」
リュクスの言葉に私はハッとした。地球人の視点から見ればTOOWAたちが不思議に思うが逆から見ればこちらの方が謎に見えるのだ。
外務省職員だから異文化交流には慣れているのに、何故か異星人と思っていたら変に構えていたようだ。私は息を吐いて顔を上げた。
単純なことだ。他の星の人間だとしても普段と同じように仕事をすればいいだけ。幸いにも言葉の壁はないのだから。それが分かればやることはいつもと同じである。
「何かご希望はありますか。なければ私がプランを考えます。ご期待に添えるかはわかりませんが」
私の言葉にリュクスは再び笑った。
「とりあえず行きたいところがあるので一緒に来てくれますか?」
「どちらに?」
リュクスは立てた人差し指を唇に当てる。宇宙人も地球人も同じような仕草をするのだとぼんやり思っている私の耳に直接吹き込まれたかのようにリュクスの声が届いた。
「図書館です」
私がリュクスを連れてきたのは区立図書館だった。国立国会図書館と悩んだけれど、そちらは本は閉架に収納されているからリュクスの要望を満たせないと考えたのだ。英国人のような外見で緑の髪は人の目を引く。しかし、頭の角をニット帽で隠したリュクスの外見から彼が異星人とは誰も思わないだろう。
リュクスといえば知っている場所のように図書館の中を歩き回る。
「字は読めるんですか?」
愚問と思いながら訊ねた私に、リュクスはいえ、と首を振った。
「読めませんが……こうして」
近くにあった本を取り出して、そっと掌でなぞる。と、不意に私にその本を差し出した。
「この本は『地球の秘密』というタイトルの本では五十六ページにジュラ紀の地球の様子が記されていますね」
私は慌てて中を捲る。確かにリュクスの言う通り、該当ページには恐竜が空を見上げている絵が書かれていた。リュクスは一切本を開いていないのに。と、次の瞬間私は二、三歩後ずさる。リュクスはその様子を見てクスリと笑った。
「桜は勘がいいですね。そうです、TOOWA人は透視ができるんです。残念ながらこの能力、限られた無機質しか使えないんですけどね。なので桜に向けて使うことはないので安心してください」
「安心って言われても……」
不思議な、ある意味危険な能力を見せられた私は全容が分からない以上、警戒を解くわけにはいかない。警戒心むき出しの私を目の当たりにしてもリュクスは動じなかった。
「OK、桜。それなら好きなだけ見張ってよ」
砕けた様子で両手を上げたリュクスは、既に米国や英国で同じような対応をしてきたのを感じさせる応対である。リュクスの日本人離れした外見にはその仕草は様になっていた。気が緩んだのを自覚した私に、リュクスは軽い調子を崩さずに問い掛けた。
「この国の歴史が分かる本はどこにあるか教えてくれるかな?」
※
案内役は気楽な仕事だった。リュクスからの希望を聞き毎日のスケジュールを立てる。
案内後はホテルに送って行き、霞が関に戻った私は一日の報告書と翌日の予定表を上司に提出して帰るだけ。また朝になればリュクスを案内する。
特例でこの一月は土日返上だが普段よりも早い時間に帰宅できる分、体調は省内で働いている時よりも良いくらいである。彼が希望する場所は基本的に都内、少なくとも関東一円で完結出来る程度であった。私にとってはありふれた日常過ぎてそんなのでいいの、と思わず口にしてしまうくらいだ。今日だって。
「……どうだった? 満員電車」
「想像以上に凄いね、これ」
乱れた服を直しながらリュクスは呟いた。もう出会ってから十日は経っているから口調は砕けきっている。
満員電車の体験を希望した彼と一緒に八王子から快速に乗って新宿まで辿り着いた頃にはボロボロだった。
人身事故のため発車してすぐ止まるし、運転再開した後も止まる駅でどんどん人が乗ってくる。満員なのに乗ってくる人に潰された私は新宿に着くなり座り込みたくなる。
「桜、休む?」
リュクスは駅ナカのカフェを指差す。私は二つ返事で頷いた。リュクスは慣れた様子で席を確保するとカウンターに向かった。
手慣れた様子で注文し電子マネーまで使いこなす姿を見ると、彼が他の星の人間だとは誰も疑わないだろう。リュクスが宇宙人だと知っている私ですらつい忘れそうになるのだから。
「はい、どうぞ」
人の好みをすっかり把握しているリュクスはミルクを一つ入れたコーヒーを私の前に置いて、自身はブラックでコーヒーを啜る。
最初は飲食出来るのか疑問に思っていたが、飲み食いしなくても生きていけるだけで消化する器官は備わっているとのこと。
味覚は備わっていないらしいが、温度や感触は感じ取っているようだ。伴って排泄の必要も出てくるようだがそれすらも楽しんでいる。
「この後、新宿御苑で良かったよね」
「うん。お願い出来る?」
「もちろん。仕事だしね」
私の言葉にリュクスは少しだけ困ったように笑う。でも私は既に知っていた。リュクスが浮かべる表情に意味がないことを。本人は気付いていない。その表情が私を懐柔するための作り物の顔であることを。
私もリュクスの案内を仕事だと割り切っていたなら気付かなかった。だが私は元来疑り深い性格だ。
外務官だからというよりも、勤める以前から親の仕事の関係で色んな国に住み、様々な人種と接してきた私の処世術である。
親切な笑顔を浮かべながら自然に嘲ってくる人は一握りだが確実に存在する。変えようもない国籍やアジア人という人種、肌の色でナチュラルに下に見てくるのだ。リュクスは今、過去の私に向かって自分と同じ立場にないと暗示する人間と同じ笑顔を浮かべていた。
「地球で得るものがないとわかっているのに何故長期で滞在しているの?」
新宿御苑のベンチに座った私が隣にいるリュクスに疑問をぶつけたのは、一通り御苑内を散策した後だった。案の定リュクスは偽物の笑顔を浮かべて首を振るけど嘘だと確信を持っている私は更に追求する。
「在日大使館を通じて記録、取り寄せたの。リュクスが英米に滞在している時の」
「そうなんだ。何か問題あった?」
「何も。両国ともリュクスに好意的だったよ」
「そう。それは嬉しいね」
「違う。何も問題がなかったことが問題なの」
リュクスの表情が抜け落ちた。私はリュクスが再び喋り出す前にと口を開いた。
「異星人が来て自分の国のことを調べているのに、両国とも全く疑問を抱いていない。それどころか見学の許可が降りない軍や政府の施設まで見せている。一カ月足らずの滞在でよ。省内でも私が上げている報告を誰も疑わない。普通、自分たちより遥かに文明が進んでいる異星人が侵入してきたならもっと警戒して然るべきなのに。そもそも政府関係者だけでリュクスの対応をして、JAXAの担当がいないのも謎だし」
黙って私の話を聞いていたリュクスは、楽しそうに――今度は本当の表情で――笑った。
「桜は勘がいいね」
前にも同じことを言われた。そう、あれは最初に案内した図書館だ。手を触れるだけで中身を読み取ったリュクスを警戒したのだ。無機質以外は読めないと言っていたけれど今も私はリュクスと一定の距離を取っている。
「本能なのかなぁ。不必要に近づかない時点で桜は生物として優秀だね。でも」
リュクスがゆっくりと私に向かって手を伸ばす。後退ろうとした私は初めて身体が動かないことに気付いた。
「疑っている人物から渡された飲み物を迂闊に口に入れるのは頂けない」
何か薬でも混ぜたのか。動揺する私をよそにリュクスの指が額に当てられる。
「何……するの」
声が震えたのは、これからされるであろうことを予期していたからだ。リュクスはクスリと笑った。
「言わなくても分かるでしょ桜なら。痛みはないから」
あの本と同じように私は今からリュクスにスキャンされるんだ。その瞬間、不思議なことに私は抵抗する気力を失った。
無駄だと悟ったからだ。
草食動物が肉食動物に捕食される時もきっと同じ感覚に襲われるだろう。リュクスの言う通り痛みはおろか、何も変化は感じなかった。その代わり、リュクスは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。そして小さくため息をつく。
「何よ?」
問い掛ける私にリュクスは不本意そうな顔を向けた。
「地球人の、というより桜のか。君の推測もバカにならないね」
私は仮説を立てていた。TOOWA人は何かしら記憶を操作できるのではと。
自分たちを好意的に思うように細工することも、逆に自身の記憶も消すことも出来る。
そもそも来日する宇宙人がリュクス一人だけというのも変だ。地球から宇宙に行く人間も複数人なのに、高い技術を持った彼らがたった一人で乗り込んでくるのか。効率を考えても複数人で地球に来ていると考えたほうが妥当である。
「……あんまり嬉しくないんだけど。私の推測当たっているってことだし。っていうか無機質以外は読めないの嘘じゃん」
私の質問を無視したリュクスは妖しく笑って訊ねた。
「教えてあげようか? もちろん命の保証はないけれど」
「うん」
私は即答した。不本意な業務だったけれど、私はすっかりリュクスに興味を引かれていた。
それに今までの海外暮らしやバックパッカー旅で危険な目には何度も遭っている。何度も死にかけた私にとっては命よりも、知的好奇心を満たすほうが重要だった。
「言うと思った。さすが僕たち遺伝子だ」
TOOWAの遺伝子って、と私が問う前にリュクスは笑みを浮かべて帰ろうと促したのだ。
※
政府がリュクスに用意した部屋に入るなり、私は近くのソファーにさっさと腰を下ろす。リュクスも私の向かいに腰を下ろした。そして考えるように膝の上で指を組んだ。
「何から話そうかな。聞きたいことある?」
「なにも分からないから任せるよ」
何故か体がだるい私は背もたれにもたれた。
「ごめん。生物の思考を読み取る時は受け手に負荷がかかるんだ。加減はしたけどね」
「……死ぬ可能性もあった、ってこと?」
リュクスは否定しなかった。命は惜しくないとはいえども、何も聞かないまま死んでいたか思うと背筋がゾクッとする。私がTOOWAのことを知りたいと思っても、さじ加減一つで何も知らされないまま終わるのだ。そんなの、耐えれるはずない。
「どうせ殺すならすべて話してからにしてよ」
私の言葉に呆気に取られたのはリュクスだ。
「桜、今の状況分かっている?」
「うん。危うく死ぬところだったんでしょ」
「そう」
「なら、余計にだよ。何も知らないまま死んだら化けて出るから」
リュクスはマジマジと私を見て、そして噴き出した。腹を抱え、涙を流しながら笑うリュクスに私は憮然としてしまう。面白いことを言ったつもりないのにここまで爆笑されるとさすがにバカにされているような気になる。
「桜を見ていると、英国の古い言葉を思い出すよ。Cat has nine lives、ってね」
「好奇心は猫を殺す、の諺ね。それが私?」
「うん、まさしくそうでしょ。死を目の前にして、知る欲を優先するのはまさに諺通りだ」
「……うるさいよ」
憮然と言い放った私にやっと笑いが収まった様子のリュクスは真面目な顔を向けた。
「君たちは僕らの研究対象なんだ」
「研究対象?」
「そう。TOOWAの遺伝子を持っている地球人が一部いる。彼らは僕らの研究対象だ」
その言葉の破壊力に私は絶句する。考えなかったわけではない。むしろ一番に考えたほどだ。それでも明言されると衝撃は大きい。
私がTOOWA人と地球人の異種交配を疑ったキッカケは、初対面のリュクスが自らをウミウシに例えた時だった。
光と水があれば生きていける地球上の生命の筆頭は植物だ。調べたところTOOWAでも植物は現存しているし、生態も地球とほぼ一緒である。
逆にTOOWAにはウミウシのような生命は存在しない。何故わざわざウミウシと自らを例えたのか。答えはウミウシの生態について既に調べがついていた私には容易に導き出せた。
「重要だったのは光合成が出来る、じゃなくて雌雄同体のほうね」
「イエス。桜は話が早くて助かるよ」
リュクスはにっこりと笑うと指を折る。
「地動説のガリレオ、空を飛んだライト兄弟、ロケット方程式のツィオルコフスキーに、初めて宇宙に行ったガガーリン。名が後世に残っている科学者たちは皆、TOOWAと地球人の間に生まれている」
絶句する私にリュクスは言葉を重ねる。
「僕たちは雌雄同体だから誰とでも繁殖出来る。近代科学の発展に寄与した地球人は有名無名問わず全てTOOWAの遺伝子持ちだ」
「なっ……」
「よく考えてみてよ。ヒントもないのに誰が宇宙の存在に気付く? 地球外生命体の僕たちが君たちの文明の歩みに合わせて繁殖して、幼い頃から洗脳するんだ」
ゾワッと背筋が震えた。私の口から、あっ、と声が漏れるが体は金縛りに遭ったように動かなかった。
「なぜそんなことするのか、って? 僕の国は発展し過ぎたせいで変化に乏しいんだよ。思いつく限りの研究はしたし、飲食しなくても生きていける。寿命だけはどうしようもないけれど、死ぬ直前まで若い頃と同じ肉体で動ける。ってなると退屈で」
「退屈……?」
「そっ。生まれてから死ぬまで限られた世界で生活するのが。だから僕たちは考えたんだ」
聞いたらダメ。なのに好奇心の方が勝ってしまった。
「……な……にを……?」
「分かっているでしょ?」
リュクスは私の横に座り直す。頭に警告が鳴り響いているのに私は魅入られたようにリュクスの瞳から逃げられなかった。
「文明が劣る惑星に行って知識を授けたらどうなるのか。最初は僕たちがこの星に定住して知恵を授けていたんだけど、その内飽き足らなくなってね。今は次の段階に入っている」
「次の段階って……?」
リュクスはフフッと怪しく笑った。
「異星人と繁殖したらどうなるのか」
にこりとリュクスは私に微笑んだ。
「可笑しいでしょ。異星から来ているのに僕一人しか英米の記録に存在しないのは。一緒に来ているよ。皆それぞれ気に入った地球人を見つけて、早い奴はもう繁殖活動に入っているんじゃないかな?」
背中に冷たいものが流れる。けれど私は瞬きすら出来ずリュクスを凝視した。今の話を聞いた私は不思議と怖いとは思わなかった。むしろもっと知りたいと渇望したのだ。
「繁殖した後のデータはどうやって取るの?」
リュクスを見つめていた私から出てきた言葉にリュクスは驚いて固まり、噴き出した。
「桜、今の自分が置かれている状況、わかっている? 僕が道楽でペラペラと喋っているとでも思ってるの?」
もちろん分かっていた。リュクスがここまであけすけに喋るのは私の命を奪うからだ。それでも私は思いつく限りの問いをリュクスにぶつけた。
「データないとTOOWAの研究に役に立たないでしょ。ある程度繁殖した個体が育った頃迎えが来てリュクスたちは帰るってこと?」
「……桜は勘がいいね」
リュクスの声は嬉しそうに弾んでいた。
「僕たちは帰れない。滞在が長くなれば地球の環境に体が適応してしまうからね。その証拠に頭の角ももうじき消えてしまう」
私はリュクスの頭の角に目をやる。出会った時から髪の毛に埋もれるくらい小さい角だったけれど、今は私が目を凝らしても見ることが難しくなっていた。
「地球は遠い。辿り着くまで五年はかかるんだ。角を失った僕の体は既に長期の宇宙線に曝されたら耐えきれない。とはいえ、宇宙線に耐えられないだけで中身はTOOWA人で能力も知識もそのままだ」
リュクスはトントンと耳の器具を指さした。
「だからこの通信機を通じてTOOWAにデータを送り続けるくらいは簡単だ。データは僕たちが直接見ることはないけれど、後世の優秀な研究者たちの礎になる」
浮かれたように話すリュクスに私は疑問を持つ。そんなに優秀な研究者がわざわざ遠く離れた地球を訪れる理由だ。
「そこまでする価値が地球にはあるの?」
「地球というより地球人に、かな」
リュクスは面白そうに私を、いや、私を通じて全ての地球人を見つめている。
「地球人はTOOWA人の予想もつかないことをするんだよね。宇宙という世界があること、人間も空を飛べたりロケットを使えば他の星に行けることを示したのは確かに僕たちだけど。やれ月や、火星に行こうと研究を続ける端で、片っ端からオゾン層破壊したり、無駄な戦争をしてみたり。最先端の技術を追求する一方で合理的でない行動を示す。これって実は地球人だけなんだよね」
心の底から楽しそうに笑うリュクスに、こんな状況にも関わらず私は呆気に取られる。
「地球はさTOOWAの人間にとっては最も興味深い惑星なんだよ。多種多様の国が乱立しているし、争いも絶えず。けれどTOOWAの授けた知識を元に突拍子もない発想をする。面白くて仕方ない」
すぐにはピンとこなかった。でも立場を変えて考えてみたら私はリュクスの気持ちが痛いほど理解できた。私もTOOWA人の生態を知り尽くしたいと思うからだ。
「自分たちの思い通りにならないから?」
「さすがだね、桜」
リュクスは私に面白い何かを見つけたかのような無邪気な顔をして囁いた。
「そろそろ僕も繁殖相手を決めないとダメなんだけど。中々見つからず困っていたんだよ」
「人間なんていっぱいいるでしょ? なんせ地球人は八十億人以上いるんだから」
「違うんだな、それが」
「何? リュクスって相当好みうるさいの?」
リュクスは笑って私の腰を抱いた。
「そうだよ。頭の回転が良くないとイヤだし、僕は雌と繁殖したいタイプだ。更に選ぶべき繁殖相手はTOOWAの血を引いてる地球人という枷もあるし」
さすがに私はギョッとした。リュクスはそんな私の腰を強く掴んだままだ。
「それって……まさか」
「そう。昔TOOWA人と繁殖した地球人の子孫ってこと。調べたら君の家系はTOOWAの遺伝子を持っていたし、何より僕は桜を気に入った。相手にはうってつけだ」
「あ……」
額に指を当てられる。ピリッと走る痛みに声を出した私にリュクスは大丈夫、と囁いた。
「記憶を少し弄るだけだ。安心して、君が死ぬまでずっとそばにいるから」
パチンと白いスパークが額で弾けたのが私が見た最後の記憶だった。
※
「桜」
柔らかな声が降ってくる。目覚めたばかりの私は声のするほうに目を向けた。
「……リュクス?」
この派手な髪色は、……確か私の恋人であるリュクスだ。ベッドに寝かされていた私を覗き込むように見つめていたリュクスはホッとした顔を見せて空いている所に腰掛けた。
「うん、僕だよ。桜、疲れていたみたいで喋っている最中に急に気絶するように寝始めたんだよ。……大丈夫?」
私はぼんやりした頭で考える。リュクスは英国人で以前私が仕事で訪れた駐日英国大使館で出会ったのだ。リュクスから話しかけられた私は何故か無碍に出来ず、連絡先を交換して。彼からのアプローチの末、交際を始めた。
仕事の関係で英国に戻ったリュクスが来日するという日に合わせて休暇を取った私は彼を新宿御苑に案内した後ホテルに来て。その先は覚えていない。
これがリュクスが私に植え付けた作り物の記憶だ。
私の記憶は彼に上書きされなかった。今、私の中では二つの記憶が混在している。元々の記憶と彼に作られた記憶だ。混じらない記憶に気持ち悪くなった私は口を押さえた。
「桜?」
リュクスが労わるように私の肩を抱く。まさしく恋人のような接し方に私の口から思わず笑いが零れた。
「どうした? やっぱりまだ寝てないと……」
リュクスの腕に抱かれながら私はゆっくりと首を振った。
「ちょっと気持ち悪くなっただけ。もう大丈夫だから」
私はリュクスの差し出してくれた水を飲みながら鮮やかな緑の髪を見つめる。そこにはもう、角の痕跡は残っていなかった。私は話に齟齬が出ないようにリュクスに問い掛けた。
「夢を見ていたの。リュクスがTOOWAっていう惑星の人間で、実は地球を侵略しにきたっていう……」
リュクスは動揺したけれどうまく取り繕った。面白そうな顔を浮かべ肩をすくめてみる。
「よく出来た話だね。だとしたらどうする?」
「そうだね。とりあえず静観するかな。リュクスが本当に宇宙人かどうかつぶさに調べて、然るべき対応をする」
「然るべき対応って、僕捕まるの?」
「うん。国内の研究機関に送って実験台になってもらう」
リュクスは噴き出した。リュクスの笑い声は、私の話を冗談だと捉えているかのように安心したような響きを持っていた。
「その時は逃げるから追ってきてね、桜」
挨拶のようなキスを降らすと、リュクスは私に背を向けて立ち上がった。
「うん、追いかけていくね。……どこまでも」
私は笑顔を浮かべたつもりだった。だけど、私の声に振り向いたリュクスにはそうは見えなかったようだ。
「怖い顔だ、桜。まだ疲れているんだよ。ルームサービス頼むから来るまで横になってて」
向き合い直したリュクスは、私を支えながらベッドに横たえると額に唇を当てた。
「また後でね、桜」
今度こそ去っていくリュクスを見送りながら私は笑いを噛み締める。全て思い出したのだ。
私が何故宇宙人の案内の命を受けたのか、そして自身に課せられた人生をかけた特命も。
私、内田桜の任務は惑星TOOWAの人間であるリュクスと夫婦になり彼との子をなすことと、彼の生態を間近で観察監視・記録すること。
それが外務省直轄国際協力機関特命係宇宙人侵略対策班に所属している私に下されている任務である。
事前に各国の同志から聞いていた通り、私の本来の任務はバレてないし、記憶も上書きされていない。
TOOWA人が指摘した通り地球人の進歩は凄まじいのだ。
なのに彼らは未だに侮っているのだ。六百年もの間侵略をしてきたという驕りがTOOWA人にはある。
異星人の存在に地球人がいつまでも気づいていないと思い込んで。
地球人は寿命はさほど変わらないTOOWA人。地球に来た段階で青年の彼らに地球で残された時間は四十年足らずでしかない。
彼らが亡くなって次のTOOWA人が来るまでの方が圧倒的に長いのに。六十年前の地球人を想定しているのだ。
そのお陰で私の封じられていた記憶は守られた。TOOWA人を騙すためだけに施された封印は 怪しまれないように一旦偽物の記憶で上書きされたと思い込ませる細工つきである。
違う記憶が入ってくると一時気分が悪くなるのも事前に教わった通りだ。
全て思い出した私は計画通りに物事が進んでいることに安堵する。同志たちも同様に計画を遂行しているはずだ。そのことを考えると気持ち悪い胸もスカッとしてくる。
「私もTOOWAの血を引いているんだよ」
私の独り言はリュクスには届かない。彼は安心しきっている。自身を恋人と思い込む記憶を植え付けたことに。
背中を向けたままチラリともこちらを見ないリュクスに、私はもう一度呟いた。
「じっくりと研究させて貰うからね、私の生涯をかけて。TOOWA人」
私の呟きは誰にも聞き咎められないまま、空へと消えていったのだった。




