EP 9
忍び寄る影と、マウンドの上の店員
ポポロ・マート(夜間おでん屋台)の大成功から数日。
村はかつてないほどの活気に包まれていた。
「へっへっへ……ダイチはん、今日もええ売上や。あの『和からし』の噂を聞きつけて、隣街の商人まで足運んできよったで」
ニャングルが、出汁の匂いが染み付いたエプロン姿で算盤を弾きながらホクホク顔をしている。
俺の手元には、ルチアナ通貨(日本円)の札束が分厚く重なっていた。
「ああ、これで当分はボッタクリ通販の支払いにも困らないな。ようやく平和なスローライフが送れそうだ」
「わたくし、あの『おでん』というお料理、とても気に入りましたわ! 特にお出汁を吸った大根! いくらでも食べられますの!」
ルナが縁台に座りながら、満足げに特茶をすすっている。
彼女が村に居着いてからというもの、エルフの規格外の魔力(無自覚)が土壌に影響を与え、月見大根の成長速度が異様に早くなっていた。供給過多になる前に売りさばけるのはありがたい。
「平和ですねぇ……」
キャルルが人参柄のハンカチで額の汗を拭いながら、のんびりと呟いた。
俺も大きく伸びをする。
青い空、流れる白い雲。嫌味な店長も、無理なシフトもない。自分のペースで働き、仲間と美味い飯を食う。
これだ。俺が求めていた異世界生活は。
――カン、カン、カン、カンッ!!
その時、村の入り口にある見張り台から、けたたましい鐘の音が鳴り響いた。
のどかな空気が一変する。
「な、なんや!? 敵襲の鐘やで!」
「兄貴ィィィッ! 村長ォォォッ! えれぇことになった!!」
広場の奥から、自警団長のイグニスが血相を変えて飛んできた。
竜人の彼がここまで取り乱すのは珍しい。
「どうしたイグニス! ゴブリンの群れでも出たか?」
「ちげぇ! もっとタチの悪い連中だ! 武装した傭兵団……いや、あの統率の取れ方は、どこかの正規軍の偽装部隊だぜ! 数はおよそ100!」
「100!?」
キャルルが息を呑む。
ポポロ村の自警団は、イグニスを含めても20人程度。しかも半数はおばちゃんパートだ。クロスボウがあるとはいえ、プロの兵士100人を相手にするのは厳しい。
「ニャングル、ルナ様を安全な場所へ! イグニス君、自警団を入り口の防衛線に集めて!」
キャルルは一瞬で「村長の顔」になり、腰のダブルトンファーを抜いた。
俺も屋台の奥に隠してあった『ルチアナ・ブック(絶対破壊不能PC)』を小脇に抱え、入り口へと走る。
村の入り口、木柵で囲まれた防衛線。
そこにはすでに、黒い革鎧で揃えた屈強な男たちがずらりと並んでいた。
彼らは巨大なトカゲ『ジオ・リザード』に騎乗した部隊まで引き連れており、殺気を隠そうともしていない。
「ポポロ村の村長はいるか!」
部隊の先頭に立つ、顔に傷のある男が傲慢な声で叫んだ。
キャルルが一歩前に出る。
「私が村長です。三国不可侵の緩衝地帯であるこの村に、武装して立ち入ることは条約違反ですが」
「ハッ! 条約だと? そんなものは国同士の建前だ。俺たちはただの『野盗』ってことになってるんでな」
傷顔の男は下劣に笑い、俺たちの後ろ――広場の奥でオロオロしている金髪の少女を指差した。
「要求は三つだ。一つ、そこにいる『金髪のエルフ』を引き渡せ。エルフの王族は闇市場で金貨の山になる」
「……ッ!」
「二つ、最近出回っている『黄色い魔法の香辛料』の製法と、それを作り出した黒い魔導具(PC)をよこせ」
……なるほど。
村の急激な繁栄と、ルナの存在。目立ちすぎた結果、どこかの貴族か強硬派が、旨味を独占しようと私兵を差し向けてきたというわけだ。
「そして三つ。この村の土地と食料は、今日から俺たちのものだ。大人しく明け渡せば、命だけは助けてやる」
男の言葉に、傭兵たちが下品な笑い声を上げる。
「断ります」
キャルルの声は、冷たく、静かだった。
彼女の赤い瞳が、怒りでスッと細められる。
「この村の住人も、訪れてくれたお客さんも、全て私が守る村の宝です。貴方たちのような盗賊に渡すものは、一つもありません」
「……交渉決裂だな。いいぜ、なら力尽くで奪うまでだ! 野郎ども、女とエルフ以外は皆殺しにしろ!!」
傷顔の男が剣を振り下ろす。
ジオ・リザードが唸り声を上げ、100人の兵士たちが地響きを立てて突撃を開始した。
「自警団、クロスボウ構え! 撃てェッ!」
イグニスの号令で矢が放たれるが、盾に阻まれ致命傷にはならない。
キャルルが最前線に飛び出し、トンファーと蹴りで先頭の数人をなぎ倒すが、数の暴力には限界がある。
防衛線が突破されるのは、時間の問題だった。
「キャルルちゃん! 兄貴! アカン、多すぎるわ!」
「くそっ、俺様がブレスで焼き払ってやる!」
「駄目よイグニス君! 村まで燃えちゃう!」
混乱する戦場。
俺は、安全な後方からその光景を静かに見つめていた。
……ムカつく。
俺は今、猛烈に腹が立っていた。
自分の命が危ないからではない。
俺の、やっと手に入れた「平和なシフト(スローライフ)」が、理不尽な暴力によって荒らされているからだ。
「……おい、ガンツの爺さん。頼んでたアレ、できてるか」
俺が背後を振り返ると、工房から重い鉄の箱を抱えて走ってきたドワーフがいた。
「ハァ、ハァ……ギリギリ間に合ったわい! お前の無茶な注文に合わせるのに徹夜じゃ!」
ガンツは箱を開け、中から一つの球体を取り出した。
硬式野球ボールと全く同じサイズ。だが、素材は鈍く黒光りするミスリル合金。表面には、指が掛かりやすいように「赤い縫い目」のような溝が刻まれている。
ガンツ特製、闘気吸収型・試作魔球。
「持ってみろダイチ。お前の闘気を流し込めば、内部の『火炎魔石』が臨界点まで活性化する仕組みじゃ。ただし、腕が千切れてもワシは知らんぞ!」
「上等だ。サンキュー、爺さん」
俺はズシリと重い鉄球を受け取った。
指先に馴染む感覚。ボールの縫い目に、人差し指と中指を掛ける。
俺は小脇に抱えていたPCをガンツに預け、村の入り口にある最も高い見張り台――すなわち、この戦場における『マウンド』へと駆け上がった。
屋根の上に立つ。
眼下には、村を蹂躙しようと迫る100の軍勢。
その向こうには、彼らの指揮を執る傷顔の男。
距離はおよそ50メートル。
――プレイボールだ。
俺は右手に握った鉄球を、左手のひらにポン、と打ち付けた。
「キャルル! しゃがめ!」
最前線で戦っていたキャルルが、見張り台の上の俺に気づく。
俺の構えを見て、彼女は目を見開いた。
「ダイチさん……まさか、あの距離から!?」
「イグニス、全員を巻き添えにしない距離まで下がらせろ! 俺が、真ん中に投げ込む!」
俺は深く息を吐き、右腕をだらりと下げた。
コンビニ店員のシフトは、ここまで。
ここから先は――マウンドを支配する、ピッチャーの時間だ。




