EP 10
開幕、紅蓮のピッチャー
「……おい、なんだあの男。屋根の上で、小さな鉄の玉を握って何をする気だ?」
見張り台の屋根に立つ俺を見て、敵の指揮官である傷顔の男が怪訝そうに眉をひそめた。
突撃の足が少しだけ緩む。
俺は眼下に広がる100の軍勢を見下ろしながら、ゆっくりと息を吐いた。
距離、約50メートル。
マウンドからホームベースまでの18.44メートルと比べれば遠いが、外野からのバックホーム(遠投)だと思えば、俺の肩なら十分に届く「ストライクゾーン」だ。
「イグニス! キャルル! 射線から外れろ!」
俺の叫びに、最前線で踏み止まっていた二人がハッと顔を上げる。
「ダイチさん、まさか……一人でアレをやる気ですか!?」
「兄貴の無茶振りには慣れてるぜ! おい自警団、左右に散開しろ! 真ん中を空けろ!」
イグニスの素早い指示で、村の防衛線がモーセの十戒のように真っ二つに割れる。
敵の軍勢と俺との間に、一直線の道ができた。
「ハッ! 逃げ道を開けたか! 野郎ども、一気に蹂躙しろ!」
「させるかよ」
俺は右手に握ったガンツ特製の試作魔球『プロミネンス・コア』を、胸の前に構えた。
(思い出せ。キャルルに教わった、闘気の練り方を)
丹田に力を込め、全身のバネから生み出されるエネルギーを、指先の一点へと集束させる。
俺の体から、青白い陽炎のような『闘気』が立ち上り始めた。
「ダイチはん! ただの魔球やない! ルナ様も手伝ったってくれ!」
「はいですわ! わたくしの魔法も乗せちゃいます!」
地上から、ニャングルに背中を押されたルナが『世界樹の杖』を俺に向けて振りかざした。
「いっけー! 燃やしちゃえですわー!」
ルナの杖から放たれた膨大な『火』の魔力が、俺の闘気と混ざり合い、鉄球へと吸い込まれていく。
ドクン、とボールが脈打った。
闘気と魔法を極限まで吸い込んだ魔球は、まるで小さな太陽のように、赤黒く、紅蓮の輝きを放ち始める。
熱い。だが、指先の感覚は研ぎ澄まされていた。
傷顔の男が、異常な熱量と魔力に気づいて顔を引きつらせる。
「な、なんだあの光は!? 魔法使いか!? ええい、構うな! 盾を構えて突っ込め!」
重装甲の傭兵たちが、巨大な鉄の盾を前面に押し出して突進してくる。
鉄壁の陣形。
だが、甲子園の決勝マウンドで感じたあの途方もないプレッシャーに比べれば、どうってことはない。
俺は左足を高く上げ、マウンド(屋根)を強く踏み込んだ。
腰の回転、肩の捻り、肘のしなり。
全身の運動エネルギーと、膨れ上がった紅蓮の闘気を、リリースの瞬間に全てぶつける。
「闘気よ纏え……炎を爆ぜろ……!」
大気が悲鳴を上げる。
俺は腕を振り抜き、指先に掛かった縫い目を強烈に弾いた。
「行くぜ! 俺の必殺魔球! 紅蓮・ジャイロ・バーストォォォッ!!」
指先から放たれたボールは、凄まじい衝撃波を撒き散らしながら空を切り裂いた。
ギュルルルルルルルルッ!!
初速、推定160キロ。
そこに、弾丸と同じ『ジャイロ回転(螺旋回転)』が加わることで、空気抵抗をドリルにように食い破り、ボールはさらに加速する。
紅蓮の炎を纏った一直線の光の筋が、戦場を駆け抜けた。
「た、盾を——!」
敵の指揮官が叫んだ瞬間。
ジャイロ回転の魔球は、最前列の重装甲の盾を「紙切れ」のようにやすやすと貫通した。
敵の陣形のど真ん中、密集地帯の深部まで潜り込んだ魔球は、限界まで圧縮されていた熱量を一気に解放する。
ドガガガガガガアアアアアアンン!!
鼓膜を破るような轟音。
敵陣の中央から、高さ数十メートルに達する紅蓮の火柱が立ち昇った。
凄まじい爆風が広場を吹き抜け、100人の軍勢が木の葉のように空高く吹き飛ばされていく。
「ぎゃあああああっ!?」
「ば、化け物だァァァッ! 逃げろォォォ!」
爆炎が晴れた後、そこには直径100メートル近い巨大なクレーターが穿たれていた。
指揮官の男は全身黒焦げになり、白目を剥いて倒れている。
生き残った傭兵たちは、完全に戦意を喪失し、武器を放り投げて蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
完全試合。試合終了だ。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
俺は屋根の上に膝をついた。
右腕からは白い煙が上がり、全身の筋肉が悲鳴を上げている。一球投げただけで、体力を文字通り「空っぽ」にされた気分だ。
「やった……ストライク、バッターアウトだ……」
俺がそう呟くと、下から足音が聞こえ、キャルルが屋根まで飛び上がってきた。
「大地! 凄いわ! さっきの闘気と魔法の流れ、完璧だった! 雷神ならぬ、炎の魔神みたいだったわ!」
キャルルが興奮した様子で駆け寄り、俺の背中をバシバシと叩く。
「い、痛い痛い……腕がモゲる……」
「あ、ごめんなさい! すぐに手当てを……」
彼女は慌てて、あのオレンジ色の「人参ハンカチ」を取り出し、俺の汗を拭いながら労ってくれた。
「ダイチはん! 大勝利やで!」
下からニャングルが、ガンツとルナを連れて手を振っている。
「いやぁ、ワシの最高傑作がここまで見事に爆発するとはのぅ! まぁ、ボールの経費は後でしっかり請求するがな!」
「大地さーん! おっきなお花火、綺麗でしたわー!」
平和だ。
あのブラック企業での孤独な深夜シフトとは違う。俺の投げた一球で、皆が笑って、喜んでくれている。
異世界スローライフ。色々と物騒ではあるが、悪くないかもしれない。
そう思って、心地よい疲労感に浸っていた時だった。
プルルルルルッ! プルルルルルッ!
俺がガンツに預けていた『ルチアナ・ブック(絶対破壊不能PC)』から、聞き慣れた着信音(Skypeのコール音)が鳴り響いた。
「なんじゃこの板!? 急に鳴り出したぞ!」
「貸してくれ、爺さん」
俺が画面を開くと、そこには散らかったこたつ部屋で、缶チューハイを片手にニヤニヤと笑うジャージ姿の女神、ルチアナが映っていた。
『ヤッホー大地! 生きてるー?』
「お前なぁ……死ぬかと思ったぞ。この世界、全然スローライフじゃねぇじゃんか!」
『あはは、ごめんごめん! でもさー、今の「紅蓮なんとかバースト」、めちゃくちゃ凄かったじゃん!』
「……は? なんでお前が知ってるんだよ」
ルチアナはPCのインカメラを指差して、悪びれもなく言った。
『いやー、PCのカメラ越しにずーっと見てたんだけどさ。神界の動画サイトで生配信したら、同接10万人超えちゃってさ! スパチャ(お布施)が止まらないのよ!』
「はぁ!?」
『というわけで、今日のスパチャの売上、手数料7割引いて、残りの3割をそっちの口座に振り込んどくね! これからもガンガン派手なことやって、私のソシャゲの課金代稼いでよね! じゃ、次のイベント周回あるから切るねー! バイバーイ☆』
ブツッ。
画面が暗転し、俺の口座残高が「チャリン」という音と共に増えた通知だけが残された。
「……あの、クソ女神ィィィィィッ!!」
俺の絶叫が、ポポロ村の夕焼け空に虚しく響き渡る。
こうして、元・甲子園優勝投手の俺は、村の英雄となり、おでん屋の店長となり、そして——ダメ女神の「動画配信のネタ(金ヅル)」にされるという、波乱万丈な異世界生活を本格的にスタートさせるのだった。




