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転生平凡令嬢は犬を愛でたい

作者: 水月 灯花


「駄目……でしょうか……」

「う……っ」


 お断りした瞬間、とてつもない罪悪感が胸を襲った。

 良心がキリキリと痛む。

 いけない、見てはいけない。

 正視したら、とてもじゃないが耐えられない。

 ――なのに。

 目に入ってしまった。

 ほとんど表情には出ていないけれど、どこか残念そうな彼の顔が。

 まるで、見捨てられた子犬のようで。


 どくん、と心臓が燃えるように熱い。

 決死の覚悟で目をそらしたけれど、視線はつい彼を捉えようとしてしまい、忍耐が試された。


 本当に、駄目だ。

 まともに目にしたが最後――私は、確実に萌え死ぬ。


 ――もふりたーい!!


 心の中で大絶叫しながら。



 * * *



 かつて、聖女リアナは数多の精霊を率いて魔の物を退け、大地を癒し、この国の礎を築いた。

 彼女に共鳴した精霊たちは、その仲間――聖女を助けた者たち――とも契約を交わし、やがてこの国の貴族は「精霊の祝福を持つ者」として繁栄した。


『精霊とは、我々にとって気高き守り手。

 かけがえのない友にして、世界の祝福そのもの。

 その力をもって魔を退け、民を守る――それが、貴族に生まれた者の責務。

 尊き精霊の友愛を汚さぬよう、精霊の祝福を受けて生まれし者は己を研鑽し続けよ。』


 ……と、語り継がれている立派な格言があるのだけれど。


 正直なところ、私はそこまで高尚な思いで精霊を見てはいない。

 勿論、良き隣人である彼らへの感謝は常にあるし、魔法と呼ばれる超常の力を授けてくれることには驚嘆する。

 だが、しかし。

 生まれた時から身近にいて、それが――もふもふ天国だったとしたら。

 崇敬より先に、撫でたいという感情が勝ってしまっても、仕方がないのではないだろうか。



 * * *



 私の守護精霊は、真っ白な毛並みのお猫様だ。

 気高く、気まぐれで、抱こうとすれば「ふん」とすり抜けるし、気が向いた時しか寄ってこない。

 可愛いし綺麗だし、勿論大好きなのだが――


「犬をさわりたい……! イッヌー!!」


 私は、犬派だ。


 大の犬好きなのに精霊は猫型で、家族の精霊も皆おなじ。

 猫好きにとっては天国のような家だろう。

 でも皆ツンタイプで、めったに触らせてくれない。デレはどこ?

 お腹に顔をうずめるなんて、夢のまた夢。小さい頃に顔に数本のミミズ腫れを作ってから諦めた。

 巷にはおおらかな性格の子もいると聞くが、うちにはいない。

 ……悲しい。せっかくの猫屋敷なのに。


 しかも精霊は普通の動物より序列が高いせいか、ただの猫はうちに寄りつかない。守護精霊はいわば群れのボス。ボスを差し置いて仲良くなど出来ないわとばかりに避けられる。

 猫だらけなのに、誰とも仲良くなれないという矛盾。

 ………悲しい。悲しすぎる。


 さらに家族は筋金入りの猫信者ばかり。みーんな、お猫様の奴隷。

 猫のどこが可愛いと思う? と試しに聞いてみれば、不思議そうな顔で「全部」と返される。

 可愛くない所なんてないけど? と。


『猫(精霊)様のお世話をさせて頂いているだけで幸せ』


 なんて返されたらもう、打つ手無し。


 いや、ペットじゃないし尊い存在なのもわかるけど――どうしてこちらが奴隷なのか?


 他家の方々は、もう少し精霊と対等な関係を築いているらしいのに、何故我が家はこうなのか。

 うちの家族は完全に「前世でも猫様を飼わせて頂いてました」陣営だ。

 精霊なら普通はパートナーだろう。解せぬ。


 ああ、犬をもふりたい。理想は柴犬。

 くるんと丸まった尻尾に手を通して尻尾ブレスレットにしたいし、後ろから抱きしめて、耳の間に顔を埋めてにおいを嗅ぎたい。

 獣臭いのがまたクセになるのは愛犬家共通の意見だと思う。

 親愛の印に顔を舐めてくれるのも全然平気。

 お腹の毛に鼻をぐりぐりして、満足するまで掻いてブラッシングもしてあげたい。換毛期だってバッチコイだ。

 マロ眉を撫でてくりくりのおめめの可愛さを見つめたい――。


 ――という犬欲にまみれているのに、何一つ犬との繋がりがない現状、鬱憤もたまる。

 残念ながら女学校でも犬型精霊のお友達はできなかった。何故か仕事でも縁がない。何故だ。


 精霊の魔法属性は、火・水・風・土の四大元素。

 聖女リアナのように、すべての属性を扱った人もいたらしいけれど――それはもう、おとぎ話の世界のこと。

 うちの家系は代々、風の精霊との縁が深く、付き合いのある家も、皆同じような雰囲気の精霊ばかり。

 主に猫。たまに鷹とか鷲とかの鳥。総じてつれないスタイリッシュ系ばかりなのだ。


 何故だ。

 ツンツンもいいけど――


 ご主人様ラブ! と突進してきたり。

 ちゃんと警戒もするよ! ときりりとしてみたり。

 悪戯してごめん寝! と顔を伏せる様にときめきたい。


「わんこ……わんこ不足が深刻……どこかに可愛い犬はいねーがーぁぁ」


 自室にて、げっそりした顔で窓辺を練り歩く。我ながらなまはげみたいだ。

 ちらちらと外を見ても自宅の庭木しか見えないのだから、無意味なのだが。

 産まれてこの方、満たされない渇望に苦しんできた。もうどう発散すればいいかわからない。

 精霊の住む家には一般の動物は近寄らないので、犬を飼うことも、野良が来ることもない。そもそも野良犬はほとんどいないそうだけれど。


 私の猫型守護精霊のブランは、呆れ顔でこちらを一瞥し、くるりと寝床に潜った。

『犬じゃなくて悪かったわね』という不機嫌さが伝わってくる。

 君も大好きだけど、こればっかりは仕方ないんだよう、許してくれ――と浮気者のような詫びをいれつつ。

 何とか犬分を摂取する方法はないかと、本気で考える日々である。

 そういえば猫カフェは多くても、犬カフェは少数派だったものなあ、と遠い記憶に黄昏れた。


 精霊とは、本来は実体を持たない自然の力の塊で、目に見えぬ存在。

 それに「動物の姿」という形を与えたのも、かの聖女リアナだ。

 今現在もこの国の守護精霊は、鳥や蛇、猫や狼といった身近な動物の姿を模している。

 一般動物と違う最たる所は、理知的で、仄かな光を纏っていること、額に不思議な紋様が浮かんでいることだろう。

 他にも、契約者と意思疎通ができることや食事をしないことなど色々ある。

 考えれば考えるほどファンタジーだ。


 使い魔とは違うので、守護精霊を尊重し対等に扱わねばならないあたり、なかなか気を遣う。故に簡単に触らせてもくれないのだろう。と、思いたい。

 よその家の関係が我が家とは違って見えるのは……気のせいということにしておきたい。


 契約者本人とその家族は精霊の姿も動きもはっきり見えて、触れることができるが、普通、他人の精霊は光の塊のようにしか見えない。

 魔法を使っている時など、まれに一瞬だけ輪郭が浮かび上がることもあるが――鳥形かな? 蛇かも? 程度のあやふやな印象に過ぎない。

 そのため、他者の精霊がどんな動物なのかは、自己申告か噂でしかわからないことがほとんど。

 生まれてすぐに受ける洗礼の儀で、教会が契約した精霊の属性や形を貴族の家の記録として残すのが通例なので、詐称はできないようになっているけれど。

 我が家は猫好きを公言して憚らないため、精霊が猫型だと有名らしい。

 わざわざ縁を結ぶほどでもないと思われることも多く、犬型との関わりが少ないことにも関係しているだろう。

 くうっと歯噛みした。

 犬と出会う機会、やってこい!

 ――そう思っても、なかなかやってこなかったのだ。



 * * *



 そんな時に父からもたらされたのは、とあるお茶会に出席せよとの報せだった。


「王宮の庭園でお茶会……ですか?」

「ああ。王族の発案でな。パートナーがいない貴族の子女を集めて、親睦を深めようということらしい」

「……お見合いパーティー……?」

「特にそういった相手はいないのだろう?」

「ええまあ……いませんが……」


 断定形なのはちょっと癪に触るが事実で、つい口が尖った。


「未婚の女性は特に参加が義務付けられている。開催日は二週間後だそうだ、用意しておきなさい。――無理に結婚する必要はないが、色々な方と知り合っておいて損はないだろう」

「はぁ……」


 ぽん、と肩を叩いて父はにこやかにそういった。

 隣では母が、良い人がいるといいわね、なんてのほほんと言っている。

 そりゃあ、娘が一生実家にいては親としては心配だろう。

 会話の間も両親はお猫様へメロメロだった。

 ――ブレないなあ。


 自室に戻り、壁を見つめてため息をひとつ。


「お見合いかぁ……」


 私の名前は、シルヴィーヌ・シルフィード。二十歳。

 特筆すべきこともない、平凡な伯爵家の三女である。

 シルフィード家は男、女、女、女の四人兄弟で、私はその末っ子だ。

 家の跡継ぎは、王宮に伺候している兄と決まっているし、上の姉は嫁いで久しく、下の姉も来月結婚を控えている。

 親としては、この状況で末娘の今後が気になってはいたのだろう。

 渡りに船というやつで、行ってこーいと軽く小舟に投げられた気分だ。


 一応、学校を卒業してからは、王宮の下っ端事務官として働いているので、独立できなくもない。けれど、三女とはいえ貴族の一員の為、実家で生活していた。

 王宮の独身寮だと何かと他の人とのやり取りが大変そうだし、という理由もあった。


 まあ確かに、デビュタントはとっくに過ぎ、婚約者不在。

 一昔前なら――未だに言う人もいるが――嫁ぎ遅れと言われる歳だ。

 栗色の髪に同色の瞳とごくごく平凡な容姿。どこからどう見ても、フツーの令嬢が私。


 ――ただし、前世の記憶があるという、そこだけは一般的ではないだろう。


 私には、ここではない世界で、四十代手前まで生きた女性の記憶がある。

 鉄の箱が大地を走り、なんと空をも飛び――精霊や魔法は物語の中のもので、科学というものが発達した世界。

 あまり詳細には思い出せないけれど――たぶん全部覚えていたら脳の容量が足りないだろう――実家で柴犬のミックス犬を十年以上飼っていて、老衰で亡くなってから傷心していた時に亡くなったと思われる。いつか黒柴を飼いたかった、という無念の思いが強く遺っていた。


 物心つく頃にはあった、ぼんやりとした前世の記憶。

 名前などは思い出せないが、今と大差ない、その他大勢に紛れる平凡な事務職員で、彼氏いない歴は……まあ察してほしい。

 この世界と前世とのカルチャーショックは大きかったが、成長するにつれ馴染んでいった。

 前世の記憶でチート? そんな技術も能力もない。

 この世界は、現在、あちらの世界ほどではないが、女性にも一定の人権が認められており、魔道具が発達しているので、自分一人でも身の回りのこともさほど困らない時代になってきている。


 平民だったらもっと大変だったかもしれないが、貴族のお気楽な三女で良かった。

 そこそこ裕福で、そこそこ平凡。

 職もある。

 何にせよまだ二十歳で急ぐことでもない――という前世の感覚と、三女というあまり責任もない立場で、もしかしたらこのまま生涯独身で過ごすのではないか――と考えていた所に降って湧いた話だった。



 貴族の責務といえば血を遺すこと。守護精霊持ちが増えるのは喜ばしいことなので、国のお偉方の考えもわかる。

 何しろこの世界には魔物が存在し、時々人里を襲うため、魔法で適宜討伐しなければならない。聖女リアナがある程度の魔を祓ってくれたとはいえ、脅威はまだ残っているのだ。

 魔法を使えるのは貴族に限られるため、未婚者が増えるのはあまりよろしくないのだ。

 討伐に出るのは男性騎士が多いけれど、魔力がない者との間では魔力を持つ子は生まれにくいらしい。


 時代的に、長子以外の貴族の子も、昔ほど婚約関係でガチガチでもなく、多少は恋愛事情が絡むようになった。そのため、国としてはなおさら婚活事情がより気になるのだろう。

 あちらの世界でも自由恋愛になって未婚率があがり、出生率が下がったそうだしなぁ、と納得だ。

 これでも一応国に仕える者だし、参加しなければならないか……と、気乗りしないが腹を括った。



 * * *



 こうなったら、茶会で犬系精霊持ちの令嬢とお近付きになりたい。

 噂では、とあるご令嬢の精霊は小型の犬だという。


 一般的に、他者の精霊は姿が薄っすらとしか分からないそうだが――転生特典なのだろうか。

 不思議なことに、私は何故か他人の精霊がはっきりと見て、触れることができる。……ただそれだけだが。

 大した魔法の才能があるわけでもないし、聖女リアナのような加護があるわけでもない。

 見えるけれど、何も起きない。それが私の、ちょっと変わった日常だった。


 幼い頃に読んだ聖女リアナの伝説では、彼女の傍らには黒くて小さな犬の精霊がいたという。

 誰より強く、そして誰より愛らしかったと。

 ……そんな精霊に、私は会ってみたかった。



 そんな思いで迎えた、お茶会当日。

 王宮庭園は、普段の一般公開日より何倍も華やいでいた。

 白い石畳の回廊には、色とりどりのドレスや礼服をまとった若者たちが集まり、中央の噴水では光の粒が舞っている。ここまで徹底的に「出会わせる気満々」なのは、さすが王族発案というべきか。


「……犬系、犬系……」


 私は噴水の周辺を歩きながら、参加者の精霊をこっそり観察して回っていた。

 しかし――


「いない……っ」


 見えるのは、猫の尾や、鳥型の小さな光の羽ばかり。犬を探す使命に燃えてやって来たのに。

 どうしよう。犬がいない。このままでは、私の犬成分は永遠に回復しないまま……!


「……帰りたい……」


 半ばぐったりしかけていたら、ふと、庭園の奥の方で、何故か周囲が遠巻きにしている人がいることに気付く。何気なく目をやって、刮目した。


 ――あれは……!


 背の高いその男性の肩に、ちょこんと座っていたのは――真っ黒で凛々しい、小さな犬だった。

 あまりにも好みすぎる。

 思わずガン見した。


「……あらシルヴィ、お久しぶり。どこを見て――あらまぁ」


 学生時代の友人、マデリーン・スフィアに声をかけられたのはそんな時。

 彼女は既婚者だが、お目付け役として同席しているそうだ。

 肩には守護精霊のカワウソが乗っている。水属性の彼女の精霊は、いつも愛くるしい。

 マデリーンは小さく笑いながら囁いてきた。


「あなた、男性に興味がないのかと思っていたけれど――面食いだっただけ?」

「へっ?」

「まあ、あの方に見惚れる人は多いけれど、雰囲気が鋭くてずっとは見ていられないのよね」

「あの方……?」

「まあシルヴィ、嘘でしょう。あなたそれでも伯爵令嬢?」

「……耳が痛いデス……」


 んもう、と肩を竦めるマデリーンはとても美人だ。

 卒業と共に侯爵家に嫁いだだけある。


「神聖討伐騎士団副団長のジークハルト・ヴァルシュタイン様よ!」


 密やかな声でもハッキリと、旧友は言った。


「え……ヴァルシュタインって先代の……」

「そう、先王陛下の年の離れた弟君、ヴァルシュタイン公爵閣下の三男であらせられるわ」

「――うーわー……」


 公爵家の三男。

 自分と同じ三番目でも格が違う。

 不躾に見るのは良くない――と思いながらも、視線が逸らせずにいた。


「えっと、そんな人が来るんだね、今回」

「ジークハルト様は魔物討伐の誉れも高いのだけれど、その……お仕事上仕方ないのかしらね。雰囲気が少し荒っぽくて、皆様気が引けてしまうそうなの」

「あー……?」

「整ったお顔なだけに、討伐の際に負った傷も目立ってしまわれるんでしょうね」

「なるほど……?」


 顎元に確かに傷があるようだ。


「ヴァルシュタイン家の方々は王家と同じ、炎の狼精霊の加護を得ているそうよ。素敵ねえ」


 目が点になった。


「……おおかみ?」

「ええ。魔法を使われる際はそれは凛々しく魔に立ち向かうんですって」

「…………へー……」


 シルヴィーヌの目には、どうみても――柴犬にしか見えないのだが。

 改めてじっくり観察してみる。

 うん、黒柴だ。

 びんと立った耳とくるんと丸まったふさふさの尻尾。愛らしい目。笑っているように見えるキュートな口元。

 どこからどう見ても、狼ではない。

 好みど真ん中の柴犬――それも、なぜか子犬のように小さい精霊だった。

 柴犬がこの世界に存在するなんて聞いたことはないが、そんなことより目に映すことの方が忙しい。

 ああ、可愛い。抱きしめて頬ずりして顎の下をよしよししたい――


「他の方に先を越される前に、声をかけたほうがよいのじゃなくって?」

「え? 私が?」

「あなた、それだけ熱心にあの方を見つめておいて……」

「あ。えーと、これは……」


 しまった。ついつい目を逸らせずにいたせいで、勘違いされてしまった。

 確かに見惚れていた。

 ただし、それは彼ではなく――あの愛らしい黒柴に、完全に目を奪われてしまったのだ。

 しかし、そんなことを言えるわけもない。


「もしかして精霊、犬型だったりしないかなって思って……」

「まあ、狼と犬は種類は近いでしょうけど……失礼じゃないかしら? 相変わらず犬好きなのねぇ」

「えへへ……」

「あんまり不躾に見ない方が良いわよ。……あら、そろそろ時間だわ。席に着きなさいな」


 懐中時計を見て告げられ、はーいと返事をして自分の席に向かう。

 マデリーンの精霊がまたね、と言わんばかりに短い両手を大きく動かしていて癒された。


 対する私のブランはといえば、何故か今日は頭の上にだらだらと落ち着いていて、愛想の欠片もない。

 だらんと前脚を前髪に落とし、頭頂部に顎を乗せ、胴体は後頭部にフィットしている。

 前世の日除け付き帽子のような体勢で、よく落ちないものだ。

 何故この体勢なのかはわからない。

 重さをほとんど感じないのでいいのだが、たまに視界の隅に映る肉球を触りたくてうずうずする。

 触っていいか聞いたら、駄目、と返された。やっぱり……。

 守護精霊は言葉を発さないが、テレパシーのように契約者と意思疎通ができるのだ。

 あいにくブランは、たいていツンツンしているので、こちらの要望が通ることはほぼないけど。


 円形のテーブルが何台も並べられていて、指定された席に座る。

 前世の披露宴会場みたいだと思ってしまった。

 ある程度経ったら、男性が席を順番に移動するらしい。

 お見合い回転寿司――と前世の記憶が囁いた。何だっけそれ。

 とにかく、主催の第二王子のお言葉で、お見合いパーティーならぬ茶会がスタートした。

 六人がけのテーブルで、相対した男性は如在なく話してくれるが、特に気になることもなかった。


 ……残念ながら、犬型精霊の人はいないようだ。

 鳥、蛇、鼠――などなど。

 言っちゃ悪いが優男というか、線の細い、なよなよした感じの人が多くて心配になった。

 貴方方、何かあったら戦えるんですか……? と。

 まあ、騎士や魔法師などの花形の職業の人は総じて魔力が高いため、大抵結婚しているかお相手がいるか。

 ここにいるのは貴族の次男三男、補助系とか事務系とかの方が多いのだろう。

 王宮で見た顔もちらほら。

 下級騎士の方も何人かいたが、やはり人気が高いようで私とは縁がなさそうだ。

 当たり障りなくお茶会を過ごしていると、入れ替わりもそろそろ終わりがけのようだった。


 なるべくゆっくり飲んでいたつもりだけれど、紅茶を三杯も干してはお腹がタプタプだ。

 美味しそうに並べられた茶菓子は、話しかけられてあまり食べる暇がなく、少し残念。

 男女の出会いを目的としているので仕方ないけれど。

 私は誰とも縁がなく帰宅しそうだな、と親ががっかりする様を予想していた所――最後の人が、目の前に座った。


 目が、あった。


 懐かしさを覚える黒髪に黒い瞳。

 凛々しい端正な顔立ちながら、鋭い目元。唇の右側から顎に掛けて走る裂傷の跡。

 がっしりとした体格に黒い礼装の騎士服がよく似合っている。

 なるほどイケメンだ。ちょっと強面の美丈夫、と言った方が良いか。

 ――そして。


 可愛ぃぃぃと内心で身悶えした。


 会場で一目惚れしたわんこが、目の前の人の肩に居座っているのだ。

 後ろ足で耳の所をカカカッと掻いて、ふわーと欠伸をしている。

 可愛すぎる。

 思わず口が少し空いて、震えた。

 触りたい。モフりたい。

 目の前にケーキを置かれて「待て」とされた気分。

 前世の愛犬が「待て」をされた時の気持ちがわかってつらくなった。

 その節はほんとにごめんよ。


「――その……はじめまして」


 低く浸透する声に困惑を感じて、はっと我に返った。見すぎた。


「あ、はい! はじめまして……!」


 おっといけない、お淑やかに。元気いっぱいに答えては品位に関わる。

 こほん、と軽く咳払いをして居住まいを正した。


「――討伐騎士の任を戴いております、ジークハルト・ヴァルシュタインと申します」

「ご丁寧にありがとうございます。王宮事務官のシルヴィーヌ・シルフィードです」


 形式通り、目礼して名を交わす。

 見た目には眉一つ動かしていなかった無表情が、私の名を聞いた途端にぴくりと動いた。


「シルフィード家の……」

「我が家をご存知ですか?」


 可もなく不可もなく、な家をよくご存知で。


「その、兄上には討伐の際に風魔法で援助して頂いたこともあります」

「ああ。兄がお世話になっております」


 そういえば、兄は魔法師の端くれとしてお勤めしているので、討伐の後方支援に行くこともたまにあるのだと言っていた。

 魔法師とは精霊の力を借りて、魔物と戦ったり魔法の研究をする仕事だ。

 前世的には魔法使いと言ったほうがわかりやすいので、たまに間違えかける。

 それにしても兄は魔導具の開発や研究職寄りなので、あまり魔物の討伐には出ないと思うのだが、よく覚えているものだ。


「あの……それと――シルフィード家の精霊は猫型が多い、と伺いました」


 どこか落ち着かない、その声音。


「――猫、お好きなんですか?」

「……その……お恥ずかしながら……」


 わかりにくいが、目を僅かに泳がせて言う様が、もしかして照れているのかと思って――思わず胸がきゅん、と鳴った。

 いや、相手ははるか格上の公爵家だし。

 ガッチリイケメンな見た目は確かに好みに該当するけれど、見た目も釣り合わないし。

 可愛いかも、なんてきっと気の所為だ。


「好きなものを好きと言うことは、別に恥ずかしくないと思います。私は犬が好きですし!」


 思わず無意味に胸を張った。

 あなたの精霊はドンピシャです! とは言えないが。


「…………」


 無言つらい。


「あっ、ええと、あの――聖女リアナの精霊も犬だったそうですし、家は猫ばかりであまり犬型に縁がないのですが、」

「――似合わないと思いませんか?」


 あせあせとフォローしようとしたら、少し落とされた目線と、ぼそりと吐かれた呟きに遮られた。

 多分、私はすごくきょとんとしていたと思う。


「思いませんけど? 誰にだって好みはありますし」


 家の家族は皆猫好き――ふくよかになってきたことを気にしている父も、やや神経質そうな兄も例外ではなく、猫精霊を溺愛している。

 父も兄も見た目は猟犬とか好きそうなのに、喜んで猫の敷布団化している信者だ。

 外見がいかにあてにならないかわかるというもの。


「例えば友人の精霊は小リスでしたが、本人は蛇好きで精霊にちょっと嫌がられていたり。でも信頼関係は篤くて、おまけに強くて、二人で小型の魔物を倒す力もあるんですよ。とっても格好良いです」


 大きくても小さくても可愛くてもかっこよくても、スリムでもふくよかでも。

 わんこが皆それぞれ良い所があるように。みんな違ってみんな良い。


「――もし、私の精霊が狼でなくとも……」

「えっ良いじゃないですか! 猫でもよくお似合いになると思いますよ!」


 この人は犬じゃなくて猫が良かったのだろうか。何という親近感。

 お互い反対なら良かったのに――なんて思っていたら頭に爪を立てられた。

 いたいいたいいたいごめんなさい。


 我が家の猫達の話や、犬を触りたいことなどをつらつら話している内に、お茶会は終了した。


 話している間中、私の視線は彼の精霊に固定されていたが、黒柴は眠そうにうとうとしていて気にした様子もなかった。

 はあー尊い。

 撫で撫でしたかった、と胸中で歯噛みしながら、ありがとうございました、と別れを告げて帰宅した。


 その日、小型犬精霊持ちのご令嬢と知り合う機会は結局なかったが、頭の中はジークハルト卿の天使で埋め尽くされていた。

 本当に惜しい。

 余計なトラブルを避けるため、家族以外に他の人の精霊が見えることは言ってはいけないことになっている。

 だから、向こうから精霊の姿を教えてもらったわけでもないのに、触らせてくださいとは言えなかったのが、何より辛かった。


 もう会うこともないだろう。身分が違いすぎるし私は平凡すぎる。と、そう残念に思っていたのだが――



 * * *



「――ハイ? いま、なんと?」

「だから、ヴァルシュタイン家のジークハルト殿が、お前と会いたいと連絡してきた」


 何をやらかしたんだ? と心配げな兄。

 妹が粗相をしでかしたのだと考えている。失礼な。


「何もしてませんよ! この間のお茶会で少しお話しただけです!」

「犬のこととなると脊髄で会話するお前が? 彼の引け目を刺激しなかったか?」

「引け目?」 


 なんのことだろう、と首をひねる。


「……ここだけの話だが」


 兄が続けた言葉に、ふうんと返した。

 先日の落ちた視線と、驚いたような顔に納得した。


「うーん……そういったことは言ってないとは思いますが、一応謝罪しておきます」

「相手は公爵家だからな? 三男とはいえ武功の誉れが高く、陛下の覚え目出度い甥御だ。いずれ独立して侯爵になられると専らの噂になっている。くれぐれも、くれぐれも気をつけろよ」

「わ、か、っ、て、ま、す!」 


 妹を何だと思っているのか。

 ぷんすかしながら、あちらと会う日を調整し。

 近くのティールームでお会いすることとなった。

 家を通してではなく兄を通してだったのは、少し配慮して下さったのかもしれない。

 威圧的にならないように、と。



 そして迎えた、ある晴れた日のこと。

 貴族御用達のティールームを訪れた、精悍な美貌の青年は、手土産を携えていた。

 小ぶりなブーケは猫に害のない花で構成されており、有名な老舗店の猫のおもちゃと、一冊の本。


「この度は、こちらの申し出に快く応じてくれて、感謝いたします」

「いえ。手土産までありがとうございます。わざわざすみません」

「――先日の茶会で、貴女とお話したことがとても興味深かったので、またお会いしたかったのです」

「はい?」 


 そんなに面白いことは言っていないと思うけれど。

 今日は、先日とは反対に、私の方にブランが、彼の頭に黒柴が乗っている。

 黒い髪に黒い犬がいると見えづらいが、ついつい一点に見つめてしまう。


「こちらの本ですが――さる愛犬家の方に勧められたもので、貴女にと」


 何だろう、と開いてみると。


「こっ、これは――!」


 愛犬絵姿集。

 犬好きの、犬好きによる、犬好きの為の本。と書いてあるそれは、色々な貴族や商人の愛犬の特徴を聞いて、描いていたある画家の絵を纏めた画集だ。

 数が少なくなかなか手に入らないと聞いてあきらめていたもので、歓喜しかない。


「こんな貴重なもの、よろしいんですか……!?」

「構いません。その、よければまた猫の話を聞かせてもらえないでしょうか」

「構いませんが、それなら私より兄とか家族の方が猫を崇拝していますけど……」

「――貴女がいいんです」


 どきりとした。

 まっすぐに見つめられて、鼓動が速くなる。

 愛らしい黒柴だけでなく、何だかこう――彼自身にも、犬の耳と尻尾の幻覚が見えるような感覚。 


「そ、それでは……」


 繰り広げられる猫あるあるトーク。

 相槌が繰り返される中、一方的に話をするのも疲れて紅茶を飲んで一休み。


「あのう……よろしければ、ヴァルシュタイン様の精霊についても伺ってもよろしいですか?」


 空気が一瞬、止まった。

 兄が言っていたのはやはり本当なのかもしれない。


「――私の精霊は……」

「ずばり、子犬でしょうか。成犬でしょうか!」

「え?」

「あ、失礼しました! おっとりのんびりさんなのか、僕お利口でしょ褒めて褒めてタイプなのかとか、色々気になってしまいました」


 こういう犬もいいしあんな所も素敵ですよね、と、聞いておきながらついつい犬語りが止まらない。

 弾丸のように話していると、ふ、と彼が僅かに相好を崩した。


「貴女は、面白いひとですね」


 ズキューンと撃ち抜かれた気がする。

 強面イケメンの微笑みとキュートな柴犬の舌出し笑い、犯罪級。

 しどろもどろになりながら会話を続けていると、ぽつりぽつりと精霊のことを話してくれた。

 可愛い仕草のことを聞いてうんうんとときめく私。たぶん結構前のめりでグイグイ行っていた。

 二時間ほどで予定に達し、そろそろお開きかという頃。


「――シルヴィーヌ・シルフィード嬢」

「はい?」


 改まって名前を呼ばれて返事をすると。


「貴女のことをもっと知りたい。貴女とずっと話をしていたい。よろしければ――結婚を前提に、お付き合い頂けないでしょうか」

「え。え、えぇ!?」


 まさかの事態。

 す、と下げられた頭のつむじが可愛いとか、差し出された手がゴツゴツしててかっこいいとか、そんな場違いなことを思いながら返す。


「す、すみません! 身分が違いすぎます!」

「……私は三男だし、そのうち伯爵位を戴くことになっています」

「私、地味ですし……!」

「十分可愛らしいと思いますが……見た目なら、やはりこの傷が気になりますか」

「いえ! 痛そうだなとか大丈夫かなとは思いますが、日々討伐を頑張っていらっしゃる為だとしか……!」

「――七つも上の男は眼中にない?」

「そんなことはありませんけど……!」

「駄目……でしょうか……」

「う……っ」


 とてつもない罪悪感が胸を襲った。

 良心がキリキリと痛む。

 いけない。見てはいけない。

 正視したら、とてもじゃないが耐えられない。

 ――なのに、目に入ってしまった。

 ほとんど表情には出ていないけれど、どこか残念そうな彼の顔が……まるで、見捨てられた子犬のようで。

 肩口の黒柴の耳が頭にあれば、項垂れているだろうことは容易に想像できる。尻尾も同様に。


 どくん、と心臓が燃えるように熱い。

 決死の覚悟で目をそらしたけれど、視線はつい彼を捉えようとしてしまい、忍耐が試された。


 本当に、駄目だ。

 まともに目にしたが最後――私は、確実に萌え死ぬ。

 わしゃわしゃしたい! もふりたーい!! ぎゅっと手を握りたい! 抱きしめたーい!!

 と、心中大絶叫しながらしどろもどろに言い訳をして屋敷に逃げ帰り、後から侍従に話を聞いた兄に叱られた。

 それはそうだ、私が悪い。

 でも。


「釣り合うわけ、ないし……」


 先ほどは一人と一匹に欲望のまま襲いかかって撫でくり回して抱き締めかねなかった。

 犬成分が不足しすぎて、犬っぽさで男性に抱きつくとか、流石に未婚の淑女としてあり得ない。

 ――でも、あれだけお断りして酷い対応をすれば、きっともう会うこともないだろう。


 自分で選んだこととはいえ、落ち込んだ。



 しばらくしてから、怒涛の求婚が始まるなんて知りもせずに。



 人の精霊が見えることをカミングアウトするまで、彼の精霊をガン見しすぎたので、彼や周りの人に、私は彼に一目惚れしたのだ、と勘違いされていて一悶着あったり。

 犬精霊なら誰でもいいのだろうと他の人とトラブルになったりと、色々あったが――



 後に、何故か周囲に契約精霊は狼だと思われているが、本当は犬であり、それが少し重荷だった、と。

 兄に囁かれたそれを、彼本人が直接語ってくれて。

 そんな時に君に出会って、違う見方を教えられて嬉しかったんだ――そんな風に言われたら、陥落するしかなく。

 結婚後、私のブランが見えるようになった彼は猫の奴隷となり、私は彼の柴犬――ノワールを可愛がる夢の生活を送るようになるのだけれど、それはまた別の話。



犬カフェがもっと普及しますように。

ブクマ評価感想頂けるとモチベーションがあがりますので、何卒よろしくお願いいたします。


↓↓また、同じお見合いネタの現代恋愛「こゆるぎさんはゆるがない」を連載中です。

そちらもよろしければご一読ください。


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こゆるぎさんはゆるがない 推しとのお見合いから始まる現代ラブファンタジー。
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