服選び
俺たちはひとまず、大通りから少し外れた路地にある「木漏れ日の宿」という、名前だけは穏やかな響きの宿屋に部屋を取った。
年季の入った木のカウンターの向こうで、人の良さそうな恰幅のいい主人が、俺が差し出した銀貨を数枚受け取ると、途端に愛想のいい笑みを浮かべて鍵を渡してくれた。
この世界の金銭感覚にまだ慣れてはいないが、こつこつと稼いだ金がある。当分は生活に困らない程度の額だ。
三人で泊まれる一番広い部屋に通される。ギシリと音を立てる床、壁に掛けられた素朴な風景画、窓から差し込む午後の柔らかな光。ようやく、張り詰めていた緊張が少しだけ解けていくのを感じた。
「ふぅ……。さて、それじゃあ早速、服を買いに行くか」
「服、ですか?」
「新しい、服……」
ベッドの縁に腰掛けたセシリアとリリアーヌが、きょとんとした顔で俺の言葉を繰り返す。その反応に、俺はハッとした。
そうか、彼女たちにとっては、自分のために新しい服を買うなんていう、ごく当たり前の行為そのものが、もう遥か遠い過去の、夢のような出来事になってしまっているのかもしれない。奴隷市場での、あの絶望に満ちた光景が脳裏をよぎる。
「ああ。好きなのを選んでいいぞ。金は心配するな、俺が全部出す」
「「!」」
その瞬間、二人の顔が、まるで魔法のようにぱっと輝いた。
セシリアの瞳には潤んだ光が宿り、リリアーヌは驚きにわずかに口を開けている。
ようやく、年頃の女の子らしい、瑞々しい表情が見られたことに、俺は心の底から安堵する。
そうだよこれだよこれ!
俺が見たかったのは、こういう光景なんだ。
俺たちは早速、服屋が立ち並ぶ商業地区へと向かった。
石畳の通りは活気に満ち溢れ、行き交う人々の喧騒と、どこかの店から漂ってくる焼き菓子の甘い香りが混じり合っている。
色とりどりのドレスや、冒険者向けの機能的な革鎧、職人風の丈夫な作業着まで、様々な服が軒先に並び、見ているだけでも楽しい。
「わぁ……綺麗……」
「すげぇな……こんなにたくさんの服、生まれて初めて見た……」
セシリアとリリアーヌは、まるで初めて遊園地に来た子供のようにはしゃぎながら、きょろきょろと辺りを見回している。その姿は、ついさっきまで殺戮計画を立てていた二人とは到底思えないほど無邪気で、微笑ましい。
「ほら、遠慮するな。あそこが一番品揃えが良さそうだ」
俺はひときわ大きな構えの、美しいドレスが飾られた店を指さし、二人を連れて入った。
カラン、とドアベルが軽やかな音を立てる。店主らしき細身の男は一瞬、俺たちの、特にボロ布をまとった二人の格好を見て、眉をひそめて追い払うような仕草を見せた。
だが、俺がカウンターに銀貨が詰まった革袋を、ことさらに重そうな音を立てて置くと、その態度は一瞬で豹変した。卑屈ささえ感じさせる、完璧な営業スマイルだ。現金なものだが、分かりやすくて助かる。
「セシリアはこっちのワンピースなんてどうだ? その金髪にきっと似合うと思うぞ」
俺は若草色の柔らかな生地でできたワンピースを手に取って見せる。
「えっ、あ、はい……でも、こんなに綺麗な服……ボクにはもったいないです……」
「リリアーヌは活発そうだから、こういう動きやすいチュニックとパンツの組み合わせがいいんじゃないか? デザインも格好いい」
「お、おう。悪くねぇな……でも、値段が……」
俺の提案に、二人は照れくさそうにしながらも、その瞳は服に釘付けになっている。満更でもない様子だ。
いいぞ、いいぞ。だんだんハーレムの主っぽくなってきたじゃないか。このまま復讐なんて綺麗さっぱり忘れて、オシャレや美味しいものに夢中になってくれれば、俺の計画は完全に軌道に乗る。
「いいから、試着してこい。話はそれからだ」
俺は半ば強引に二人を試着室へと押し込んだ。
しばらくして、カーテンが揺れ、おずおずと出てきた二人の姿に、俺は思わず息を呑んだ。言葉を失った。
セシリアが身にまとっていたのは、俺が選んだ若草色のワンピースだった。
柔らかな生地が彼女のしなやかな身体のラインを優しく包み込み、金髪と透き通るような白い肌に、その鮮やかな緑が驚くほど映えている。汚れたボロ布をまとっていた時とはまるで別人だ。まるで、神話の森から抜け出してきた妖精か、高貴なエルフの姫君そのものだった。
一方のリリアーヌは、活発な印象の革のチュニックと、体にフィットした黒いパンツスタイルを選んでいた。
鍛えられたであろう引き締まった体躯が強調され、野性的でありながらも、どこか洗練された都会的な美しさを放っている。潰されていた片目も、千切れていた耳も、今はもうない。その力強い瞳と、ぴんと立った獣の耳が、彼女の生命力を雄弁に物語っていた。
「ど、どうでしょうか……ご主人様……」
「へ、変じゃねぇか……?」
不安そうに、恥ずかしそうにこちらを窺う二人に、俺は我に返り、親指をぐっと力強く立てて見せた。
「最高だ。二人とも、めちゃくちゃ似合ってる。本気で」
「! ありがとうございます!」
「そ、そうか……? なら、まあ……悪くねぇ、かもな」
セシリアは、まるで固い蕾が一気に花開くように、満面の笑みを浮かべた。リリアーヌは照れ隠しにそっぽを向きながらも、その口元は嬉しそうに緩み、ぴこぴこと動く耳が感情を隠しきれていない。
よし、完璧な流れだ。これ以上ないほど理想的な展開じゃないか。
このまま美味しいものでも食べに行けば、俺のハーレム計画は完全に、そして盤石に軌道に乗る。
もう何も怖くない――
「この服、とても動きやすいです。これなら狭い場所での戦闘でも、手足の動きが邪魔になりませんね。それにこの生地、見た目よりずっと丈夫です」
「ああ。こっちの革もだ。結構な厚みがある。そこらのゴブリンが持ってるような、なまくらなナイフぐらいなら弾けるかもしれねぇ。潜入任務にはもってこいだな。ポケットも多いし、投擲用のナイフを忍ばせるのにも丁度いい」
……………………
俺の脳内に鳴り響いていた勝利のファンファーレが、ぷつりと途絶えた。
目の前で、新しい服のファッションショーをしていたはずの美少女たちが、いつの間にか戦闘服の性能評価会を始めている。
「確かに。このスカートの広がり具合なら、回し蹴りも問題なく繰り出せそうです」
「そっちはどうだ? その服、音はしねぇか? 隠密行動するなら、衣擦れの音も命取りになるからな」
「大丈夫です。とても静かですよ。リリアーヌの服こそ、革なのにしなやかで、足音も立てずに動けそうですね」
俺の淡い、砂糖菓子のように甘い期待は、コンクリートの地面に叩きつけられ、無慈悲に踏み砕かれた。
どうやら彼女たちの頭の中は、CPUの全リソースを一つのタスクに割り振るように、完全に「復讐」の二文字で埋め尽くされているらしい。
俺は天を仰ぎ、深すぎるため息をつきながら、店主に代金を支払った。
復讐代行業者、改め、復讐コーディネーター、いや、もはや復讐プランナー兼スポンサーとでも名乗るべきか。
俺の夢見た甘くてだらしない奴隷ハーレムへの道は、まだ一歩目を踏み出したばかりだというのに、その前途はヒマラヤ山脈よりも高く、マリアナ海溝よりも深い、あまりにも多難なものだった。