カースドアーマー
俺たちは食べかけのサンドイッチを、無造作に荷物入れに詰め込むと、悲鳴がした、森の奥深くへと、足を踏み入れていった。
奥に進むにつれてリリアーヌが言っていた血と鉄の匂いは、ますます濃くなっていく。不気味な静寂の中、俺たちの足音だけがやけに大きく響いた。
やがて、木々の切れ間から、小さな広場のような場所が見えてきた。
そして俺たちは絶句した。
「……ッ」
そこは、さながら、地獄の縮図だった。
広場の中心には、無残に破壊された馬車が横転し、その周りには、おびただしい数のゴブリンの死体が転がっている。そして、その死体の山の中に、数人の冒険者と思しき者たちが、血まみれで倒れていた。先ほどの悲鳴の主は、彼らだったのだろう。
だが俺たちが絶句したのは、その惨状だけが理由ではなかった。
そのゴブリンたちを、そして、冒険者たちを、一方的に虐殺したであろう存在が、そこにいたからだ。
「……なんだ、あれは……」
俺は思わず声を漏らした。
それは一体の、巨大な鎧だった。
黒光りする、全身を覆うプレートアーマー。その高さは、2メートルを優に超えている。手には、俺の胴体ほどもある、巨大な戦斧が握られていた。
だがその鎧には、異様な点が、いくつもあった。
まず兜の隙間から見えるはずの顔がない。そこには、ただ、不気味な、紫色の光が、ゆらめいているだけだ。
そしてその鎧からは、生命の気配が、一切、感じられなかった。
「……リビングアーマー……? いや、違う……もっと、邪悪で、強力な……」
セシリアが杖を握りしめ、震える声で呟いた。
その黒い鎧の騎士は、俺たちの存在に気づくと、ゆっくりと、こちらを向いた。兜の奥で、紫色の光が、ぎらりと輝く。
そしてその手にした戦斧を軽々と、振り上げた。
「まずい!」
俺が叫ぶのとリリアーヌが俺の体を突き飛ばすのは、ほぼ、同時だった。
次の瞬間、俺が立っていた場所に、巨大な戦斧が叩きつけられ、凄まじい轟音と共に、地面が砕け散った。
もしリリアーヌの動きが、一瞬でも遅れていたら、俺は今頃肉片になっていた。
「ご主人、大丈夫か!?」
「ああ、なんとか……」
俺は尻餅をついたまま、呆然とその破壊の跡を見つめていた。
次元が……違う……
今まで戦ってきた、どんな魔物とも、レベルが違う。
あれは俺たちが、手を出していい相手じゃない。
「セシリア! アレの正体は分かるか!?」
リリアーヌが黒騎士と距離を取りながら叫ぶ。
「おそらく……『呪われた鎧』と呼ばれる、アンデッドの一種です! 生前の強力な騎士の魂が、その憎悪によって、鎧に縛り付けられた存在……! 生半可な物理攻撃も、魔法も一切効かないと聞いたことがあります!」
セシリアの絶望的な分析が、俺の心を、さらに、凍てつかせる。
物理も魔法も、効かない。
そんな相手に、どうやって勝てというのだ。
黒騎士は再び戦斧を振り上げ、今度は、リリアーヌに襲いかかった。
リリアーヌは、その人間離れした俊敏さで、攻撃を紙一重でかわしていく。だが、防御に徹するのが、精一杯のようだった。一撃でも食らえば、即死は免れないだろう。
「くそっ! 攻撃が、重てぇ……!」
リリアーヌの顔に焦りの色が浮かぶ。
「リリアーヌ、下がりなさい! 《聖なる光》!」
セシリアが聖属性の攻撃魔法を放つ。アンデッドには、効果があるはずだ。
だが……
「消えた……?」
セシリアの放った光の矢は、黒騎士の鎧に当たると、まるで闇に吸い込まれるように、かき消えてしまった。
「なっ……! 聖属性の魔法まで、弾くというのですか……!?」
セシリアが信じられないといった表情で、目を見開いている。
『万事休す』。俺の脳裏に、その四文字が、浮かんだ。
これはダメだ。勝てない。
俺たちはここで、死ぬのか。
絶望に打ちひしがれているその時だった。
俺の脳裏にある、一つの、可能性が閃いた。
そうだ。
俺にはまだ、やれることがある。
この絶望的な状況を覆すことができる、唯一の、チート能力が、あるじゃないか。
俺は震える足で立ち上がった。そして二人に叫ぶ。
「二人とも、時間稼ぎをしろ! 俺がなんとかする!」
「ご主人!?」
「いいから、俺に任せろ!」
俺は地面に倒れている、まだ息のある冒険者たちの元へ、駆け寄った。
「ご主人様、何を……!?」
セシリアが戸惑いの声を上げる。
「いいか、セシリア! お前の言った通り、あいつは、生前の騎士の魂が、憎悪によって、鎧に縛り付けられた存在なんだと思う! ならその憎悪を晴らしてやればいい!」
俺は冒険者たちの傷を治すべく、倒れている人達の元へと近づく。
「憎悪を、晴らす……?」
「そうだ! あいつは騎士だったんだろ? ならその騎士道精神に、訴えかける! 目の前で、傷ついた者たちが、癒されていく光景を見れば、あいつの心に、何かしらの変化が生まれるかもしれない! そうだろう!?」
我ながら無茶苦茶な、そしてあまりにも希望的観測に満ちた、作戦だった。
確証なんて無い。成功する保証もない。そもそも予想が合ってるかどうかすら怪しい。
だがもうこれに、賭けるしかない。
俺は神様から貰った、チート能力、《神の祝福》を全力で、発動させた。
俺の手のひらが淡い、温かい光を放ち始める。
その手で冒険者たちの最も、深い傷に、触れた。
「う……ああ……」
冒険者たちの苦悶の表情が、少しずつ、和らいでいく。致命傷だったはずの傷がみるみるうちに、塞がっていく。
その奇跡のような光景を黒騎士は、ただ黙って見つめていた。
兜の奥で紫色の光が激しく、揺らめいている。それはまるで、困惑しているかのようだった。
「効いてる……!?」
リリアーヌが叫んだ。
黒騎士の動きが明らかに鈍くなっている。
その憎悪に満ちた殺気が少しずつ、薄れていくのを、肌で感じた。
「あと、一押しだ……!」
俺は最後の力を振り絞り、叫んだ。
「お前は騎士なんだろう! 騎士が無抵抗の、傷ついた人間を、いたぶるような、真似をするな! お前の誇りはそんなものなのか!」
俺の言葉が届いたのか。
あるいは目の前の奇跡がその心を、動かしたのか。
黒騎士は振り上げていた戦斧をゆっくりと、下ろした。
そしてその場に片膝をつくと、まるで祈るように、頭を垂れた。
やがてその黒い鎧はカランと、乾いた音を立てて、崩れ落ちた。中には何も入っていなかった。
ただ兜の中から小さな青白い光の玉がふわりと浮かび上がり、天へと、昇っていくのが見えた。
後に残されたのは静寂と、一体のただの抜け殻の鎧だけだった。
俺はその場に、へなへなと、座り込んだ。全身の力が、抜けていく。
「助かった……」
俺のあまりにも無謀で、博打のような作戦は、奇跡的に、成功したのだ。
「ご主人……すげぇ……」
リリアーヌが呆然と、俺を見つめている。
「ご主人様……あなたは、やはり……」
セシリアの瞳にはもはや、尊敬を通り越して、畏敬の念すら、浮かんでいた。
「まさか呪われた鎧の、呪いそのものを、癒してしまうなんて……!」
「ああ。力でねじ伏せるんじゃなく、相手の魂を、救済することで、戦いを終わらせちまった……! なんて、とんでもねぇ戦い方だ……!」
二人がまたしても、俺のことをとんでもなく、高尚な、聖人のような存在だと、勘違いしていることに俺はもはや何も、言う気力もなかった。
俺はただ女の子と平和に、ピクニックが、したかっただけなのに。
どうしてこうなった……
俺の奴隷ハーレムへの道は、今日もまた、俺の意思とは、全く、無関係の方向へと激しくそして劇的に、突き進んでいくのであった。




