~夢と現実の間で~
「―――で、アオはどうなの? 漫画家デビューできそう?」
机にうっ伏して頭の中が霧に包まれ放心状態の私に天然キャラの那波の言葉は
心に止めを刺すように追い詰める。
「ーーーん、もうダメかもしんない、、、」
気弱な声が溜息混じりに口から零れた。
これがスランプというものかと、増々、自分が空っぽの人間だという事に
改めて実感していた。高校一年の時に母から下された約束の期日が
すぐそこまできている。
『早く何とかしないと…。このままじゃ、私は一生、この町から出れない』
気持ちばかりが焦っていた。
それでも私は最後まで夢をあきらめたくないーーーと…そう思っているのに、
焦れば焦るほど描きたい風景や人物がわからなくなっていて、もはや何を描けばいいのかさえ見失っていたんだ。
「そろそろ潮時なのかもね。アオはさ、もっと現実を見た方がいいよ」
千里の言葉が残酷に私の胸に突き刺さる。
現実主義の千里にはひたむきに夢を追う人の気持ちなんか一生わかりっこない。
いつだって千里の言葉は正論だ。悔しいけど当たっているだけに何も言い返せない。
「―—で、アオの家は何やってんだっけ?」
ちょっとキツく言い過ぎたと思ったのか、千里が話を変えてきた。
だけど、私にとってはありがた迷惑だ。今まで私ン家の仕事のことには
興味もなかったくせに、話題に持ってきてほしくない。
「ああ、確かお茶畑? いや、野菜畑だっけ?」
那波のその天然キャラも時々ウザいって思う時がある。ワザと言っているのか、
そもそも天然なのか意味不明だが、那波が言うとそれもまたプラスになる。
ほんと、可愛い子は何を言っても許されるから得だ。
みんな、たいして人ン家の家の事なんて興味ないくせにさ。
仕方なく、私は自ら家の仕事のことまで話すことになる。
「お茶畑だよ」
ぷすっと膨れた頬が2人に対して嫉妬心 まるだしでカッコ悪い、、、
「そうそう、お茶! 静岡はお茶が有名だもんね。でもさ、アオん家とこの
お茶、私 結構 好きだよ」
お世辞でも嬉しくない!
「私ン家も米屋だし。同類じゃん」
那波ン家と一緒にしてほしくない。
「でもさ、家で仕事もってるといいいね。逃げ場所あるし」
父親が社長をしている千里には言われたくない。
増々、自分が惨めになるだけだ。
もう限界だ。
ガタン!! 思わず私は大きい音を立てて立ち上がった。
言いたい放題言っている2人に腹を立った訳ではない。
進路がすでに決まっている2人は所詮は他人事で真剣に私の事を思って
言っている発言ではない事くらいわかっていたのに、それを聞き流せるほど
私の心に余裕がなかっただけだ。勝ち組の2人と私では すでに雲泥の差が
ありすぎる。
「アオ? どうしたの?」
キョトンとした那波の顔が目に入り込んできた。
「ちょっと、風にあたってくる」
この情景を2人はどう思っているのだろう? …なんて、考える余裕さえもなく
私は思うままに足を進めて行く。
「え、もうすぐ3時限目、はじまるよ」
そう言った那波の言葉にも私は返事を返せず、席を離れた。
無視されたと思われても仕方がない事だ。が、天然キャラの那波の性格上、
そんなに深く考えることなどないと、計算しての行為だった。
『なんか、アオ怒らせたかな? 私、また余計なこと言ったかな?』
『いつものことじゃん。ほっときな。アオはさ、頭冷やしにいってるだけだから。
アオはもっと現実を受け止めた方がいいんだって。いつまでもさ、夢にしがみ
ついてないでさ』
『でも…』
那波が後方を振り返り、私の事を気にしていることなど知らず、
千里と那波のヒソヒソとしゃべる声色だけが遠く微かに聞こえていた。
でも、その足は立ち止まることも、振り返ることもしなかった。
……そんなこと、わかってるよ。
わかってても、どうしようもないことだってあるんだよ。
どうせ、2人にはわからないだろうけどさ。
『まあ、少ししたら またケロッとして戻ってくるんじゃない』
『……うん、そうだね。それに、アオって、気分屋なとこあるもんね。
…自己中だし』
『なんかさ、最近、ちょっとピリピリしててホント疲れる……』
友達なんて今だけ一緒にいれればいい存在だ。
みんな、『卒業してもたまに会おうね』だとか『ずっと、友達だよ』なんて
キレイごとばっかり言ってるけど、私は『永遠』だとか『ずっと』なんて言葉は
いつか風化して消えていくものだと思っている。
もしも、『永遠』なんて言葉が本当にこの世界に存在しているのなら、
私が見るもの全てはもっとキラキラ輝いている。
だけど、そんものは全部幻想だ。それでも幻想を失うことは漫画家にとって
致命的ともいえる。いわば無職同様。そして、まだ漫画家になっていない、
卵から孵れない、雛鳥にさえなれない私はそれ以下の存在価値しかない。
『潮時ーーー 』
千里の言葉が頭から離れられないーーー。
(アオバは十分頑張ったよ。努力してたじゃん)…そう、自分に言って
あげたいけど言葉が出てこない。
ホントに努力した? 努力なんて…どれほどしたのだろか?
ホントに私はこれでおしまい? 夢に終止符が打てるの? あきらめちゃうの?
アオバの夢ってそんな簡単にあきらめきれるものなの?
心の中で葛藤がはじまる。本当にこれでいいのか……と。
―――そんな境界線はない。
境界線はないけど、私はまだ賞をとっていない。誰にも認めてもらっていない。
そして、賞をとって、私の努力は報われるのだ―――ーーー。
でも、ペンを握って描くものはみんなどこにでもあるストーリーばかりで、
絵も真似て描いたわけじゃないけど、似たような画力になる。
そんなもので賞なんてとれるはずがないじゃん。
足早に急ぐ私と同時に教室の後部側の出入り口から入ってきた男子の肩が
触れ合った。バランスを崩した私は、咄嗟に体制を立て直す。
顔を伏せ、俯いたままの私は彼の存在にさえスルーし通り抜けようとしていた。
「え、アオ?」
すぐに私に気づいた彼の手が私の手首を取る。潤んだ視線の中心部に
少年の笑みを浮べた彼が映る。
『ハルーー』
弱音を一番見られたくない相手に一瞬でも見られたと思った私は、
思わず、その手を振り払い、教室を飛び出す。
彼の名前は 清野春斗18歳。8月生まれの乙女座。
ハルの父親と私の母親が再婚し、現在は一応 姉弟関係に値する。
現実問題、私とハルは血が繋がっていないが一つ屋根の下で暮らしているのは
まぎれもなく事実である。しかも、偶然にもハルと私の誕生日は同じで、1時間
早くに産まれた私が長女ということになっている。普通、長男であるハルが
お茶畑を継ぐことになるのだけど、気分屋で気まぐれなハルに愛想をつかせていた
父親が私の働きを見て、「家業を継ぐのはアオちゃんしかいない」とワケの
分からない期待をさせてしまったのが事の発端でもある。しかも、男のくせに
体が弱く、体力がないハルに比べ、私は健康で体力もあり、タフでもある。
お茶畑を維持していく為には私みたいなタフな子が向いているのだとか……。
母は私の夢を知っていながらハルの父親の隣で笑っているだけだった。
私はとにかくお茶畑で一生、暮らしていくのは嫌だった。そんな時、昔から
絵を描くのが好きだった私は内緒で家族の色んな顔を紙に描いて楽しんでいた。
笑った顔も怒った顔も、その日、印象に残った色んな人の表情を描いて楽しんで
いたんだ。ハルには双子の弟妹がいる。名前は秋人君と冬香ちゃん。
思春期真っただ中にいる2人は中学2年生である。
「アオとなんかあった?」
那波と千里を見つけた春斗が2人に近づいてニッコリ笑顔で聞く。
「別に…ね、、、」
春斗の少年のような笑顔は女子の口を一瞬で黙らせるような引力みたいな
ものがある。いわばアイドル並みの才能である。
那波がチラホラと千里の顔を伺いながら目を逸らす。
男子の前ではイメージダウンに繋がるような言動をしないのが
那波のポリシーでもある。
「ね、会長! なんかあった?」
春斗が千里に視線を向けて聞くが、クールな千里は春斗の笑顔にも動じない。
会長というのは生徒会長である千里の事である。
ちなみに春斗は生徒会の副会長でもある。
だから、春斗は千里の事を会長と呼んでいる。
「あとは清野君に任せるわ。アオの一番の理解者でしょ?」
「それって…会長命令?」
「そう、会長命令よ。宜しくね。アオの操縦は清野君じゃなきゃ無理よ」
「仕方ないね、了解」
「あ、それと、学園祭のことなんだけど……。もう時間もないし、放課後、
役員会しようと思うの」
「あ、ごめんね、会長。今日、俺、バイトあるし。パス」
「あのね、アンタ、副会長よ」
「だから、副会長の仕事はちゃんとしてるから」
「え…」
「学園祭の出し物はもうちょっと待ってて。もう、決めてるから」
「決めてるって…何を?」
「俺達にとって最後の学園祭だから、忘れられない日にしたいんだ。
一生の思い出に残るようなさ」
そう言い残し、春斗は教室を出る。
「あ、ちょっと…清野君…」
「ハル君が生徒会の副会長って意外ね」
「ったく、また逃げられたわ、、、。でも、まあ、一回も役員会に来た事ないから
当てにしてないけど」
「また、そんなこと言って、ピンチの時にいつもハル君が助けてくれてたじゃん」
「そうなのよね…。情報だけは早かったからね。普段、いい加減でも
本番はちゃんとしてたし…」
「信用ある副会長じゃない」
「……かもね」
「もしかして、内通者がいるのかも、、、。アオだったりしてね(笑)」
ポロリと那波の口から言葉が漏れた。
「え…? ああ…そういえばさ、知らないとこでアオにはいっぱい助けられてたな…って
ちょっと思い出しちゃった……」
「アオとハル君もいいコンビだったよね」
「……まあ…うん…」
「私達、自分のことばっかりだった気がする」
「…だね」
「アオは、きっと現実と夢の間で いっぱい悩んでたんだと思うよ」
「ーーーそうだね……」